深い微睡から、目を刺す日差しで覚醒した。
何年ぶりかの熟睡だった。
凄く気分が良い。
四肢がこれ以上ないほど暖かで、満たされた感覚が五臓六腑を駆け巡っていた。
お包みに包まれた様だ……。
…………………。
それもその筈だった。
鬼太郎の髪が俺の全身を包んでいた…。
掛け布団は鬼太郎が独占している。
ぐぅ。
起き上がる為に力を込める。
ぐううう。
ゴオゴオ、と血が巡る音が聞こえる。
更に力を込める。
ぐおおおおお。
はぁはぁ…駄目だ。動けん。
なんて力だ。
……力か…これ?
隣の美しい茶髪の君を見る。
ひゅうひゅうと規則正しく、小さな、小さな寝息を立てている。
おーおー気持ち良さそうに寝てるなぁ。
……起こしたくねぇ……。
一緒に寝ててぇ…。
「……ぉーぃ」
「ひゅぅひゅぅ」
「きたろぉ」
「ひゅぅぷしゅぅ」
…寝息まで愛い。
「きたろお〜おきてくれ〜」
「みにゅう」
なんちゅう声出すんだ。
「きたろうちゃ〜ん。あさだよーおはようしよぉ〜」
「うゃ……」
おっ!起きそうだ!
「きたろお〜〜たのむ〜おきてくれぇ〜」
「うぁっ」
起きた!
「おはよう。鬼太郎」
「はよぅ」
「鬼太郎ぉ、髪の毛離してくれるか?」
「?」
何故首を傾げる。
「どこいくのぉ?」
「お仕事だよ」
「…」
「…」
………。
「やっ!」
「えぇ…」
「いっしょ!」
「…でもなぁ…」
「やぁなのぉ?」
ぐぉぉ、そんな目で見てくれるなぁ…。
「嫌じゃないよ」
「ふふー」
でしょう!と、言いたげな顔だ。
愛い奴め……だが困ったな。
「鬼太郎」
「ぁに?」
「お仕事行かないと、ご飯が食べれなくなっちゃうぞぉ?」
「!ぉぅ」
「ミルクも飲めなくなっちゃうぞ」
「!………」
「…………」
「……きぃのこもぉ?」
相当気に入ったんだな…。
「ああ、そうだな」
「むぅ…………………やぁなのにぃ」
シュルシュルと緩やかに、俺の身体から髪の毛が離れて行く。
「ありがとう。鬼太郎」
「…ん…」
聞き分けの良い子だ。
「みずぎぃ、あしたはぁいてくれるぅ?」
「勿論」
丁度休みだった。
名残惜しい気持ちで、布団と鬼太郎から離れて、昨夜荒れ果ててた居間に向かう。
「驚いたな…」
いつも通りの居間の光景が広がっていた。
凄ぇ……あれだけの量を、一匹で食べたのか…。
感心しながら、居間を眺める。
肝心の髪切りの姿は見えない。
もう帰ったか。
今度会ったら、きちんと礼をしなくては。
顔を洗う為に洗面所に入る。
洗面所の奥の風呂場から、湯気が溢れていた。
誰か入っているのか?
……………誰が?
親父さんは、まだ寝ていた。
後、この家に住んでいるのは、垢舐めだ。
ほぅ…。
偶には、舐めるだけじゃなく、入浴する事もあるのか。
日頃、お世話になっているので、このくらいなんて事ない。
冷たい水で顔を洗って、台所に向かった。
「いただきます」
「いただきます」
「まぁす」
三人で、朝食を食べる。
今朝は、鮭を焼いた。
鬼太郎には、ミルクと一緒に、お粥と焼いた鮭を解したものを用意した。
「良くなったかい?親父さん」
「お陰様での!」
モクモクとご飯を頬張りながら、答える親父。
「そいつぁ、良かったよ」
「またまた、世話かけたのぅ」
「お互い様だって。気にすんな」
鬼太郎の様子を見る。
朝食の前に髪は、結んで、一つのお団子にしてある。
鬼太郎の頭に乗っかっているので、鏡餅みたいだ。
餅さんは、朝食に夢中だ。
「あむぁ、うま。んきゅ、うめ」
忙しなく乳と米と魚を、口に押し込んでいた。
「鬼太郎!もちっと、ゆっくり食べるのじゃ!」
「うにゃ」
「よく噛んでのぅ」
モッモッモッと、口を小刻みに動かす鬼太郎。
栗鼠ぐらい、頬を膨らませていた。
「慌てなくても、飯は逃げないぞ」
「うん」
美味そうに食べる子だ。
作り甲斐があるってもんだ。
「それで…なんで鬼太郎の髪があんな事になったんだ?」
「茸じゃ。妖怪のお山から採ったものじゃから、高い霊力が詰まっておった」
「それを、たらふく食べたから鬼太郎の中に収まらず、ああやって外に噴き出したのじゃろう」
「成程ねぇ。それで、髪の毛の操縦も出来る様になったのか」
「また一つ成長じゃ!」
このまま行けば、どうなっちまうんだろうか。
……少しわくわくする。
トントントン
廊下を歩く音がする。
垢舐めか?
「くえ」
ホカホカ、と湯気を出してる髪切りが居間に入って来た。
風呂、入るのか………まぁ、いいんだが。
「くえくえ」
「おお!髪切りか!世話になったのぅ!」
俺もお礼を……………。
待て待て。
髪切りの後ろに、もう一人ホカホカ、と湯気に包まれている何モノかがいた。
真っ黒な、幼児の影がそのまま形になった様なモノがいた。
全身が真っ黒だったが、口の部分だけ真っ白で綺麗に揃っている歯がみえた。
丁寧にお辞儀する影。
「あっどうも…………」
礼儀正しくて良いんだが………良いんだが…。
「髪切りさん、その後ろの方は?」
「くえくえ」
………分からん。
「ありゃ?昨日も居たんじゃないのか?」
「…ミえなかったなぁ」
「おや、そうか」
「あっちも髪切りじゃよ。名は『黒髪切り』。髪切りと、殆ど同じ在り方の妖怪じゃよ」
「『黒髪切り』?」
色違いの様な名前だが、まるっきり別妖怪じゃないか。
「くえぇくえ」
「ほう!成程のぅ!そりゃ、苦労をかけたのぅ」
鳥語が分かるのか…。
「何と?」
「自分一人では食い切れなかったから、応援を呼んだそうじゃ」
「くえぇくえ」
「明け方に完食して、汗だくで寝っ転がっていたら、垢舐めさんが風呂を用意してくれたから、有り難く頂いてたそうじゃ」
えらく頑張ってくれたんだな…。
「いい湯でした」
黒髪切りが礼を言う。
話せるのか。もう慣れてきたが……。
……貴方が最初から話せば良かったのでは。
まぁ、良い。
世話になった事に変わりはないしな。
「大変なご苦労でしたでしょう。助かりました」
姿勢を正して、御礼する。
「くえくえ」
「いえいえ、こちらこそ。ご馳走様でした」
「また、散髪が必要になったら、遠慮なく呼んで下さい」
床屋要らずに、なったな。
長い付き合いになりそうだ。
いつもより多い、お見送りを受けて出勤する。
会社では、あの化け物女の噂で持ちきりだった。
巷では、口裂け女と呼ばれているらしい。
警察が昼夜問わず見回りしているが、事件の件数は、増える一方。
せめてもの救いに、まだ口裂け女は、誘拐未遂で留まっていた。
このまま過ぎて仕舞えばいいんだか…。
どうしたって不安は拭えなかった。
夕暮れの帰り道、不安に急かされて、小走りで駆けていた。
「ほっほっほっ」
「ふうっすみませんっ」
「だっいっじょっうっぶ」
そんな俺に律儀についてくる、べとべとさん。
「きっのっうっのっひっと」
「どうしました?」
「たっぶっんっみっつっけった」
急停止。
「本当ですか!?」
「うん。ついていったよ。ただ…」
「ただ?」
「うん。とちゅうでにげられた」
くそう。なんと逃げ足の速い女だ。
「どんなにはやくても、はしってるなら、ついていけたんだけど…」
「え?」
べとべとさんも、足速いのか。
「そらとんでかれちゃうとねぇ」
「……………………」
再び、走り出す。
絶対、妖怪だ!
そりゃ警察に捕まらぬ訳だ!
「う〜ん……」
帰宅して、すぐ親父さんに口裂け女の話をする。
「…………………すまん。水木さん。そんな妖怪、儂も聞いた事が無い」
「そうか…」
知恵者二人が知らぬ妖怪…。
「…新しく産まれた妖怪かしら?」
「うぅん…そうかも知れん」
「じゃがのう…産まれるにしても、理由が掴めん」
「理由?」
「そうじゃ。妖怪が産まれるには、人間側の理由が必要なのじゃよ」
「人間側の…」
「そうじゃ。古代から人間達は自らの未知、無知無蒙を恐怖した。その恐怖を克服しようと、あらゆる解らぬ現象に理由付けをした」
「…後ろの気配はべとべとさんがいるから。突風で傷ついたのは鎌鼬がいたから。髪が何本も落ちているのは髪切りがいるから」
「そう言った理由付けで、妖怪は生まれ落ちる」
人間から妖怪は産まれる。
ぬらりひょんさんは、この事を…。
「その口裂け女は、理由付けが読めん」
「何の恐怖の理由付けがな…」
「…だが……しかし、妖怪全てが理由付けで産まれる訳でも無い」
「他にも幾らか妖怪の産まれ方、発生の仕方が、あるのじゃ」
「我々、幽霊族の様に生物として存在するモノ」
「そして…」
「儂は、これじゃと睨んでおる」
「人間が妖怪に成ったモノじゃ」
「人間が妖怪に?成る?」
「そう珍しい事でも無い。本物の幽霊達だって、元は人間じゃろう?」
そう言われてみればそうだ。
「有名処で言えば、安珍清姫伝説じゃな」
「…確か、少女が蛇に変化する話だろう?」
「その通り。まさしく妖怪変化じゃろう?」
「………それに」
「水木は、その妖怪達にもう会っとるよ」
「?そうなのか?」
「砂かけ婆と子泣き爺じゃ」
「人間だったのか!?」
「遥か、大昔はな…」
そうだったのか…。
「何らかの要因で、何処かの女が口裂け女に変化したのでは、と儂は思うとる」
「どんな要因で…」
「……解らん。じゃが、今の世に妖怪へと変化するとは…」
「…一体、どれ程の執念なんじゃ…」
「……………」
薄気味悪さだけが残った。
翌朝。
約束通り鬼太郎と布団で過ごそうと思ったら、「おなかすいた」と出鼻をくじかれ、遅めの朝食を食べた。
食べ終えて、俺と親父さんはお茶で一服。
鬼太郎は、髪の毛を自分の指で、くるくる巻いていた。
「さてと…鬼太郎。お外で遊ぶか?」
「おそと!」
「水木、大丈夫かのぅ?」
「考えがある」
「…まぁ、ここなら誰も来んじゃろうが…」
俺達三人は、弁当を持って、家の裏に広がる墓場に来ていた。
丁度、岩子さんの墓がある丘の下だ。
「ここなら、あの口裂けもいない筈だろう?」
「…昼に…墓場へお散歩か…」
「なんで、ちょっと引いてんだ」
「いや…水木も大分、儂等に染まってきたのぅ」
………。
「……まぁいいだろ」
親父を、柳の枝に乗せる。
気を取り直して。
今日は、ゴムボールを持ってきていた。
俺達の前方で、よちよち足踏みして待っている鬼太郎に声をかける。
運動するので、今日は前髪を全部上げてお団子にしていた。
閉じられた左目がよく見える…。
……ふぅ………俺が気に病んでどうすんだ!
「鬼太郎!いくぞぉ!」
右目を大きく見開いている鬼太郎へ、元気に声を掛ける。
「うん!」
両手を挙げて元気良く返事をする鬼太郎。
「それっ」
鬼太郎に向かって、ボールを空に放る。一度、バウンドする様に。
ボゥん
「ほっ!」
ぴょんと、地面から一切離れぬ跳躍をしながら、捕球した。
「おっ!ナイスキャッチ!」
「いいぞぉ!鬼太郎!流石は儂等の息子じゃあ!」
うるうるしながら、観客席から声を張り上げる親父。
「涙もろすぎないか?」
「ぐすっだってぇ」
「…岩子さんに笑われるぜ」
「…!…!……じゃから、ここで…ぐおぉ!ありがとうなぁ!友よぉ!」
「大袈裟すぎる…」
………自己満足に過ぎないしな…。
「みずぅきぃ!いくぞぉ!」
鬼太郎選手の第一投だ。
「よし!来い!」
「んしょ!」
両手で何とかボールを抱える鬼太郎。
愛いなぁ。なにをしても!
「えいっ!」
シュウウウウウゥゥーーー
えっ早
スパアアァン!!!
「ぐぇお!」
凄まじく回転しながら伸びるストレートを、ギリギリ腹で受け止める。
うぇうえ………鳩尾に入った……。
何ちゅう球投げるんだ!!
ストライクだけども!
「ナ…ナイスボール」
「えへへ」
大投手は嬉しそうに笑っている。
……………。
「だ大丈夫か?水木?」
横で冷や汗をかいている親父。
「……………」
赤ん坊と言えど。
赤ん坊と言えどだ…。
「やってやろうじゃねぇか!!」
「いくぜぇ!鬼太郎!」
「こぉい!」
「うおおおお!!」
ワンバンで、優しーく投げる。
ボワァン
幾らでも受け止めてやゴオオオオさっきより速えええ!!
「ゼェハァ」
「ウヒヒヒヒヒ」
「鬼太郎!もう止めとくれぇ!見てられぇん!!」
「ハァハァ…何言ってんだ親父ぃ…まだまだ、これからだぁ…」
「鼻血止めてから言え!!」
「あっホントだ」
空を見上げて、鼻をつまむ。
トットット
ボールを前に突き出しながら、鬼太郎が向かって来た。
「だぁいじょうぶ?みずき」
「ああ、平気だ」
「平気かぁ!?ズタボロじゃぞ!」
転がり回っていたからな。
グウウゥ
可愛らしい腹の虫が鳴く。
「……おなかすいちゃった」
「おっ!そうか!お弁当にしような鬼太郎ぅ!なっ!水木!」
「……勝った」
「なぁにぃを抜かしとるんじゃあ!!?」
丘を登り、岩子さんの墓の前で、お弁当を広げる。
「…今更だが…なんだか悪い事してる気が…」
「岩子は、そんな小さい事気にせんわい」
「むしろ喜んでるじゃろう」
「おかしゃん!いただきます」
お墓に手を合わせてから、おにぎりを頬張る鬼太郎。
「うまうま」
「……………」
「……………」
「泣くなよ。親父」
「…………ぅぐ……お前もな」
どうした事か、おにぎりは、しょっぱかった。
たくさん遊んで食べたからか、こてん、と電池切れの様に寝落ちした鬼太郎を抱えながら、森の中を歩いていた。
「…ふにゅぅ」
「可愛い寝顔じゃのう」
肩に座っている、親父。
「ああ。いつ見ても」
森の中をすり抜ける風は、実に心地よかった。
何だか俺も眠くなってきたな。
「…ありがとうな。水木」
「どういたしまして」
「ありがとう」
目玉だけしか無い筈なのに、何故か優しい笑顔をしている事が分かった。
「…こちらこそ」
夢を見る。
ごめんなさい
本当は 貴方達が抱くべきなのに
本当は 貴方達が抱きたいのに
俺は優しい人間なんかじゃあない
そんなんじゃない
そんなんじゃあないんだよぉっ!!
まだ俺の心は あの密林にある
手の中には 友が
友だったものが…
赤く 黒い 骨だけが…
友よ
お前が 生き残るべきだった
お前が 帰るべきだった
俺は死ぬべきだった
俺は死ぬべきだ
俺は…俺は……お前を………って…………
なんで!あんな事をぉ!!
俺に言ったんだぁ!!
目が覚める。
いつも通り、真夜中だった。
今夜は、格別に冷えている。
隣の鬼太郎が、布団を掛けているか確認する。
隣に、誰も、いない。
殻になった、ちゃんちゃんこだけが残っている。
立ち上がる。部屋中を見渡す。
いない!!いない!!
寝室から飛び出る。
どこだ!どこに!
ヒューウゥゥーーーー
風の音が……玄関だ!!
廊下に体を投げ出す。
玄関から、流れ込む風の中、鬼太郎がいた。
知らねえ馬鹿女の…腕の中に!!
「鬼太郎!!!!!」
「静かに……起きてしまうわ……」
俺は死ぬべきだ
だが まだだ まだ
鬼太郎を きっちり 育ててから 見送る時まで
それまでは
それまでだ
「その子を返せぇ!!!!」
「嫌よ」
全てを賭けて鬼太郎を護る時がきた
キィイイイイイイインンンン
耳鳴りが、俺の中に鳴り響く……
ご拝読ありがとうございました。