薄暗い朝の中、目を開ける。
「んあぁ…………」
抜けた欠伸をしながら伸びをする。
「んんん」
ひやり、とする血の巡りを感じながら、壁に掛けてある時計を読む。
うん、起床時間の丁度十分前。
……自分の小心さに少しばかり辟易としながら、同じ布団で眠る鬼太郎を起こさぬ様に、布団から滑り出る。
温床から出た俺を、部屋の冷気は容赦なく突いてくる。
「ぅぉぉ、さみぃなぁ…」
ヨロヨロ立ち上がり、両手で肩を摩りながら寝室を出る……。
「どこいくの?」
…………お早い、お目覚めですね。鬼太郎さん。
「…おはよう、台所だよ」
「ふぅん……きたもいく」
「寝てていいんだぞ」
「いい」
布団から、ぴょこん、と飛び出てくる縞模様の蓑虫ちゃん。
「そうか、じゃあ一緒にいこうか」
鬼太郎を優しく抱き上げる。
………小さい……小さいなぁ。
なんせ、まだ生後半年も経っていない。
立って、歩いて、走って、飛んで跳ねて。
食べて、噛んで、喋って。
人間の赤ん坊より、何倍も成長が早い部分が多い鬼太郎であるが、しかしながら、身体は違う。
身体だけは、人間と同じ成長速度。
故に、まだまだ、小さい。
二尺あるか無いか…。
はてさて…どう成長するものか…。
雪ん子ちゃん、みたく、何十年も子供のままでも……正直な所……俺は全く構わない。
鬼太郎の事を気にかけてくれる妖怪達は、お陰様で大勢いてくださる。
……それに、だ……大体、実の父親(目玉だけとはいえ)がいるのだから、その辺りは、俺が果てても…何の心配は無い。
……成長を見切れぬ事は…至極残念ではあるが…。
ははは、未来の事をどうこう考えても埒が開かないな、なる様になるだけだ……するだけだ。
ぽっかぽか、で熱い程の鬼太郎を抱き抱えながら、台所へ向かう前に、洗面所に寄る。
洗面器の前に立ち、鏡で己の寝惚けた顔を見やる。
見飽きた男の顔の隣には、片目を一生懸命に見開く幼な子の、お顔がある。
……親馬鹿でなければ…中々どうして…愛嬌のある顔をしている。
特に、常日頃から…多分、癖なのだろうが…プク、と突き出した唇と頬はなんとも…愛い。可愛い。
「……愛い奴め!」
両頬を片手で掴む。勿論、空気でも触れているくらいに優しく。
「あぅ」
あぁ…やわかい…やわらかい………なんだこれ……。
ふにふにふにふに
「あうおう……あにやってんお?」
「あっごめん…つい」
「きたも、さわる!」
鬼太郎が俺の両頬を、その小さな両手で包み込む。
…………手もやわかい…。
ぷにぷにぷにぷに
「……なぁ…楽しいか?」
「うん、きもちいい」
「あっそう…」
ぷにぷにぷにぷに
「……さっ、鬼太郎も、顔洗いな」
「はいはい!」
顔を洗って、スッキリした所で台所に向かう。
「さてさて…」
「さてさて」
朝御飯、朝御飯。
「おとさ〜ん、起きて〜」
鬼太郎が、左目の瞼を、ぽんぽん、と叩く。
「う〜うをぉ〜」
唸りながら、眼孔から這い出てくる二日酔いの親父。
…………常人が見たら、卒倒するな…。
…毎日、毎日、懲りないな……俺が言えた事ではないが…。
寒い台所も釜戸に火を入れれば、直ぐに暖かくなった。
卵焼きは砂糖を少々入れて甘く、砂かけお婆さんから頂いた菜の漬物、ししゃも、大根の味噌汁、そして、白いご飯。
我ながら、手早く作れる様になった。
同居人が増えてから料理の腕も、中々…まぁ…食える物が作れる様になった。
「「「いただきます」」」
三人と…震々で、炬燵を囲む。
震々には、いつも通り熱い白湯を。
「うまいかい?」
「もっもっもっうまぁいんく」
「良かった」
「ずずず……あ゛ぁ〜染みるなぁ」
「今更だが…何処から啜ってんだ…」
二人共、本当に美味しそうに食べてくれるので、実に作り甲斐がある。
…言いはしないが…親子達との生活のお陰で、俺の食生活も大きく改善された。
………一人でいた時は、専ら、酒と煙草が俺の燃料だったしな…。
……よく倒れなかった…。
我ながら、無謀な事をしていた。
「ごちそうさまでした!」
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
背広に着替え、襟巻きを巻き、外套を着込んで、会社用の鞄を引っ掴む。
そして、腕時計を丁寧に巻く。
「今日も頼むよ」
時計は、くるり、と長針を回して、ピッタリの時刻に合わせてくれた。
居間で、お茶を飲んでる鬼太郎と、お茶に浸かっている親父に挨拶をする。
「では、いってきます。親父さん、鬼太郎の事、頼むよ」
「勿論。気をつけてな、水木さん」
「ああ」
「いってらっしゃい…はよぅ、帰ってきてね!」
「あぁ、すっ飛んで帰ってくるよ。いい子でな」
柔らかな茶色い髪の頭を撫でる。
「はい!」
「ふぅーーー」
玄関先に出て、直ぐに煙草を咥えて、火を点けて歩き出す。
真っ白な森の中、朝日が鋭く差し込んで来ていた。
眩しさと寒さに目を細める。
「さみぃ……」
ぼやいた所で何も変わらないが、口から溢れる。
「………ぅ」
「おおぅ!?」
首筋に、何か、ひんやりとした物が、ぴっとり、と。
何だい……雪でも落ってきたのか………ん…こりゃあ………。
振り向く。
「ぅぅぅぅう」
「…………何でついてきたんですか?」
いつもの数倍震えている震々が居る。
「ううあううううあ」
カチカチカチカチカチ
言葉にならぬ声を出しながら歯を鳴らしている。
「いや…いやいや、帰りましょ。炬燵に入ってましょ」
「……うあううう」
「大丈夫ですから、さぁ戻って」
「うぅ………」
浮いたまま、後ろに、すごすご下がる。
「ぅぅ」
頭を下げて、玄関の扉をすぅ、とすり抜けた。
「…なんとも……不器用な……」
優しい方だな。
まだ、ひやり…と…しかし幾分も暖かい首筋を摩りながら、再び歩き始める。
ザッザッザッザッ
感触を楽しみながら雪道を進む。
べたべたべたべたべた
ん…来たな。
振り向きながら挨拶する。
「おはようございます」
「おはよう。そして、ひさしぶり」
「元気そうで、べとべとさん。ご一緒にどうぞ」
「ハハハ、ありがと。水木さん」
「からだはだいじょうぶかい?」
「ええ、お陰様で」
「よかった、よかった。げんきがいちばんだよ」
「間違いない」
「さいきんは、さむいのだから、かぜひかないようにね」
「養生します………べとべとさんも……いや…風邪、引くのですか?」
「いんや、ひかない、とおもうけれど。ひいたことないからわからないね」
「寒くは?」
「う〜ん、ちょっぴりだけ」
「おや、そりゃ、お辛いのでは?」
「ふふふ、さむさも、たのしいものだよ」
「ほぉ、楽しいですか」
「たのしいさ、水木さんとの、おしゃべりにはまけるけど」
「……それは…どうも」
「ハハハハハ!はずかしがらずに!…ほんとうだよ………みつけてくれて、どうも。水木さん」
「そんなこと」「そんなことが、ようかいたちにはすべてだよ」
「じゃあ、ここいらで」
「ええ、また」
「おしごと、がんばって」
ニタリ、と微笑む、べとべとさんと別れる。
「さて…シャキシャキ働きますか!」
「………参ったな……」
鬼太郎との約束を破ってしまった。
煙草を灰皿で擦り消す。
「…………ふぅ」
はぁ…久方ぶりの残業になってしまった。
なるべく、残業しない様に…しない様に…上手く働いていたが、今日ばかりは仕方がなかった。
日頃、世話になってる同僚が(この同僚は俺の事情を…家に子供がいる事を察してくれている)珍しく、慌てていた。
理由を聴いてみると、なんでも奥方の誕生日だとか…。
仲の良い事だ……そんな事聞かされりゃ、なぁ。
同僚が手こずっている仕事を奪ってくれた。
繰り返し頭を下げる同僚を追い払い、仕事に没頭してから、時計の針が丁度、三周した所で、けりがついた。
「急がねぇと」
先の同僚程、慌てながらも、てきぱきと机の上を片付ける。
いくら、親父さんが居るとは言え…心配だ。
さぁ、急げ、急げ!
それ、急げ!
「おっと」
手から、うっかり万年筆を落としてしまった。
コロコロ、と机の下の奥の暗がりに転がって消えた。
「あ〜あ……よっこいしょっと」
椅子を引いて、しゃがんで手を伸ばし何とか掴む。
そして、万年筆を手に取り立ち上がった。
「ばぁ〜」
「うわぁっ!!!?」
ドゴンッ!!!ガランガッシャン!!!
後ろの机に頭から突っ込んで、背中のあちこちを強かに打ち付けた。
背中に火でも点いたのかと思う程、熱くなる。
「ぁぁ……ぁ」
痛すぎて、声にならぬ。呼吸が上手く繋がらない。
「ぐぅおおお」
なんとか、頭を振って上体を立て直す。
「ぁぁ………はぁ…」
痛い。すごくいたい。
そんな事より………そんな事より、だ。
「……………………どうやって……あぁ……来たんだ?……鬼太郎」
「………ぁぁ……」
………何故驚かせた本人が、呆けているんだ…。
「ごべんなざいぃぃ」
呆けてたと思ったら、ワッ、と泣き出してしまった。
「ちょ、ちょっとだだけおどろさせようとしたっだけなのぉ」
ボロボロと大粒の涙を言葉と共に溢す鬼太郎。
「おうおう、大丈夫だ、大丈夫だよぉ」
節々の痛みを捻じ伏せながら机から降りて、泣くやや子を抱っこする。
「よしよし、大丈夫、大丈夫、泣かないでおくれ」
「ひぐっ、えぐっ、ひっ」。
暖かい涙は俺の胸を濡らした。
「どうした!鬼太郎ぉおおお!?」
…………左の眼孔から親父が飛び出したと思ったら、涙の滝に流され、勢いよく床に落ちていった…。
「ぬぅおおぉぉ」
………南無三。
「ごめんなさぁい、おっおどらかせちゃんて」
「……良いんだ。俺も驚きすぎた、悪かったな」
…………あそこまで近くにいて、気配が絶無だったのは本当に驚いたが…。
「ごめんなさぃ……」
「大丈夫、大丈夫」
……もうちょっと、抱いていよう。
「ひんっ………ひんっ」
「落ち着いたかい?」
「ふんっ……うん……」
「そうか……なら良かったよ」
「みずきぃ、ごめんねぇ」
「いいんだ、気にすんな…それより…どうやって来たんだい?」
「あるいて」
「あるいて!よく場所が分かったねぇ?」
「べとべとさんがおしえてくれた」
「ほぅ!そうか」
「ごめんなさい、かってにあるいて」
「……いいんだよ、そんな事。無事で良かった………俺の帰りが遅くて心配したんだろう?」
「………うん」
「お前は優しいね…もう、仕事は終わったから、片付けるのを待っててくれ」
「!うん!」
鬼太郎を俺の椅子に座らせる。
……………ちょこん、と、いつも使っている椅子に小さな赤子が収まっている……これは……なんとも……愛い。
毎日、連れて来たい……。
自分の机を片付け、自分が着地……着弾した机も元通りに戻した。
その後、四つん這いになって、遭難している親父を捜索し、保護、回収した。
「おぉ!神よ!」
「誰が神だ」
「あっ水木!………すまんのぅ、鬼太郎がどうしても、と」
「いいんだ、仕事の遅い俺のせいだよ」
「そんな事言わんでくれ」
「事実だ………さぁ、行こう、親父」
目玉に手を伸ばす。
「うむ…すまんのぅ」
「さっ、帰ろう」
「はい!」
椅子の上で立ち上がって、手を広げる鬼太郎。
俺はそのまま抱き抱える。
鬼太郎のちゃんちゃんこが伸びて作った、抱っこ紐が二本、俺の脇に周る。
「出発進行!」
「しんこう!」
「元気じゃのう」
「爺いみたいな事言うなよ、親父」
「おとさん、おじいさんなの?」
「まだまだ!元気いっぱいじゃぞ!鬼太郎!そりゃ!」
俺の頭の上で飛び跳ねる親父。
「危ないから、止めてくれ」
「えぇ、急に…冷静になるぅ」
……だって、小さいし…。
会社から出た俺達を、冬の夜は…余計な事に…歓迎してくれた。
ヒュオオオオオオオオォォ!!
この時期の夜風は、身を切るほど、冷たく、鋭い。
「うおぉ!大丈夫か?鬼太郎!」
「おぁ……だいじょうぶぅ」
鼻を垂らしながら、答える。
「ぐおおおお!!」
絶叫が頭の上から落ちてくる。
…あっ!
すぐに頭上の目玉を摘み、掌で包む。
「大丈夫か!?」
「あがががが」
冷やし目玉が一丁出来上がっていた。
「すまん、最初からポケットに入れてりゃ良かった!」
「きききにににするららな」
「あやや、おとさん、はいって」
鬼太郎が親父を掴んで左目の孔に、ぐいぐい、と押し込んだ。
「ぐええ」
「きっきたろう、もうちょっと、優しく、な」
「あっ、ごめんなさい」
「いいいんじゃ」
「ふぅ………なんか、儂だけあったかくなって、すまんのぅ」
赤子の左目が喋る。
「いいんだ」
………あまり、考えたくもないが……素っ裸だろうに。
「おかげん、どうですか?」
「極楽じゃあ」
「風呂か」
「うふふ、それはようございました」
「…鬼太郎……どこで、そんな言葉使いを覚えたんだ…」
「けけけ」
「ところで、二人共、ご飯は食べたのかい?」
「儂は、まだじゃが…鬼太郎は干し柿を、いくらか食べたぞ、なっ」
「うん、あまい、あまかった」
「おお、そうか。いやぁ、作っといて良かったよ。親父も食べりゃ良かったのに」
「いやぁ…水木が働いてると思うたら…忍びなくてな」
「………」
「ん?どした?」
「いや、なんか、感心して……今度からは何でも、先に食べててくださいよ」
「う〜ん、覚えておくよ」
……………こりゃあ、自分、は、食べない気だな。
はぁ、底抜けに律儀だな………。
「きたも、こんどから、まってる「それは駄目じゃ」「それは駄目だ」
「え〜だめ〜?」
「「絶対に」」
月の灯りが真上になった所で、忌々しい風も止んでくれた。
辺りの残る雪が月灯りを反射して、夕方程ではないが、夜更け程でもない、なんとも不思議な塩梅な明るさになっていた。
人の騒めきが残る街を後にして、自宅のある森の方向にへと足を進めれば、自然と、自然の中に入り込んでいく。
森の手前、名も知れぬ川の側を歩く。
「か〜き〜は〜うまーいーな〜あ〜まい〜なぁ〜」
語呂の良い替え歌を、先から唄っている鬼太郎。
多分…元の歌は…うみだな…。
「中々、上手いじゃないか」
「うふふ」
「いいぞぉ鬼太郎」
「うふふふけけ」
顔を仄かに紅くして、鼻唄に変えてしまった。
恥ずかしくなったのか?
……残念。可愛かったのに……。
「ふふ〜んふふ〜んふ〜んん」
「ふふふ」
「ふ〜んふ〜ん」
うみ…か…。夏になったら、皆んなで行こうかな…。
うん、うん!良い案だ。
きっとそうしよう。
「ふ〜〜ん」
「〜〜〜〜うーーーー」
?鬼太郎の鼻唄に耳を澄ましていたら、何か、他の誰かの声が聞こえてきた。
「ふん?」
鼻唄を止めた鬼太郎。
「むっ!」
鬼太郎の髪の毛が一房、ピンっ、と立ち上がった。
「水木……」
「ああ」
今度は、ナンだ?ナニモノか?
警戒体勢をとる。
腕時計が三八式に変化して俺の両手に収まる。
「〜〜〜〜〜うーーーー」
声は、前方から微かに流れてくる様だった。
「……参ったな」
帰宅する為には、この川辺の一本道を抜けて森に入らなくていけない。
回り道は無い。
「どうする?親父」
「うむ……このまま回れ右して、朝が来るのを待つのも良いだろうが……ただ相手が、ナニか、は掴めておらんしなぁ」
「…この辺りに、素泊まり出来る所あったかなぁ?」
「まぁ、待ちなさい…楽観的じゃが、悪いモノとは決まっておらん…」
「…しかし……遭遇してから、撤退できるか?」
「…そうじゃよなぁ」
「………まぁ…俺としても家には帰りたいところだ…が」
余り、無駄使いも出来ないしな………いや…いやいや……命には変えられないのは、百も承知だが!
自分自身に弁明しながら、前方、夜の闇の中にいる、未だ姿の見えぬモノを見据える。
「〜〜〜〜うーーー」
「さっきから、奴さんは何を言ってんだ?」
「う〜ん……ここからじゃあ、よう聞こえんわ」
「……………きこえた!」
ちょんっ、と、その小さなお手手を挙げる鬼太郎。
「本当か!鬼太郎」
「うん!なんかね、えっとね………そばーーーって、いってるよぉ?」
「そば?」
「そばって、あの蕎麦か?」
「………あっ、蕎麦〜〜〜うーーって言っとるのか!」
「?」
「あぁ!えぇとな、昔は屋台の蕎麦屋が、そうやって売り声を張り上げておったんじゃよ」
「…あぁ、そう言えば……落語で聞いた事あるな…じゃあ、蕎麦屋が、この先にいるのか?」
「…そう…いう事じゃな…」
「蕎麦屋の妖怪なんているのか?」
「……………聞いた事ないのぅ…」
「…唯の蕎麦屋の可能性は?」
「それは……しかしのぅ、鬼太郎の髪が反応してるしなぁ……」
「そば〜ぁ〜〜うーーぅぅーー」
今度は、明確に聞こえた蕎麦屋の売り声。
なんとなしに、鰹節のい〜い匂いが俺達の鼻をくすぐった。
ぐーーー
ぐーーーー
くぅ
三人の腹の虫が、喚いた。
「…………くぅ」
なんて、旨そうな匂いをさせているんだ!
卑怯だぞ!
こちとら、昼から何も食ってないんだぞ!
……しかし……こんな…寒い時は……一等…うめぇだろうなぁ……。
「ねぇ、みずきぃ?そばってなあに?」
「…えぇとな、丼の中に、お出汁に麺、そこに色々な具材が乗ってる料理だよ」
「ふぅん。うまいの?」
「……うまいとも」
残念ながら…。
「うまいんだよなぁ」
親父が呟く。
「食べた事あるのか?」
「一昔前じゃが……ほれ、夜泣き蕎麦と言うじゃろう?」
「夜だったし、屋台だったから、食べに行く事が儂等でも簡単でなぁ」
「成程」
「よう、妻と食べにいったわ」
「ほぉ、そうかい」
「うまかったのぉ……」
蕎麦の味より、岩子さんとの思い出に浸っている様子の親父さん。
ぐーーー!
ぐーーー!
くぅくぅ
「……おなか、すいちゃった」
「…………俺もだ」
「儂も」
「………………」
「そば〜〜〜〜ぁ〜うーーぅぅーー」
「のう、水木ぃ」「もうちょっとだけ、近づいてみるか、親父」
「うん、ちょっとだけじゃな」
そうして、俺達は、川辺に佇む蕎麦屋の屋台の、目の前に立っていた。
ポリポリ、と頭を掻く。
「……………近付きすぎた……」
「…そうじゃな」
「だれもいないねぇ」
屋台は、灯もつけず、店主もおらず、ただ、そこに鎮座して、実に旨そうな匂いを垂れ流しにしていた。
「………………」
「………」
「………」
よし、通り過ぎよう!
鬼太郎を強く抱えて、地面を蹴った。
「親父!後ろを見ててくれ!」
「承知した!」
既に、森の入り口は見えている。
どうせ、何もしてこないなら、このまま帰宅。
もし、攻撃、又は何らかのコトを起こしたら、森の中で撒いて、仕切り直せばいい。
兎に角、この場は、全力で走る事とした。
「鬼太郎!しっかり、つかまっててくれ!」
「はい!あっ!」
ビィイン、と鬼太郎の髪が天に伸びる。
「そば〜〜〜〜うううーー」
置き去りにした屋台から、大きな売り声が聞こえてくるが、無視!無視!
少したりとも、足の力を緩めなかった。
へっ!誰が止まるかよ!
飯はゆっくりと、我が家でだ!
森の入り口は、もう俺の背中の先にあった。
ガササササッ!!
目の前の茂みから、何かが、飛び出してきたので、両足で踏み縛り急停止。
銃を構える。
すぅ
呼吸を止めて、狙いを定める。
さぁ、来るなら来い。
「まって!撃たないでっ!!」
飛び出して行手を遮った、ナニかが……と言うより…毛玉が………が叫ぶ。
「話を聞いて!何もしませんからぁ!」
震えながら、手を挙げているのは……たぬきだった。
「わぁっかわいい…」
鬼太郎が、小さく呟いた。
「…動くな」
「ひぃはぃ」
銃口は、ピタリ、と胴体に狙いを定め、目線は外さない。
「親父…どう思う?」
「う〜ん………狸かぁ……」
「それも喋る狸だ」
「……そこまで危険じゃなかろう…それに見てみぃ…すっかり怯え切っとるぞ」
「……ひぇぇ」
……確かに…な。
これが…演技なら大したものだ。
「話だけでも聴いてみては、どうじゃ?」
「……そうするか」
「…話とは?」
「はっはぃ……あの、その、えっと……」
……どうにも要領を得ない。
「じゅう、むけてるからじゃない?」
尤もな、ご意見。
警戒は緩めないが、銃口をそのまま真下に下ろす。
「ふぅ……あのですね……そば…たべませんか?」
「……え………」
「お嫌いですか?」
「いや…えっ?」
「君は…何か?蕎麦、食わせたいだけなのか?」
「はいです」
「………他には…何かないのか?」
「えっ…?…あの……蕎麦しか作れないです…」
「…そう言う意味じゃない…その…だね…何か企んでないかって意味だ…」
「えっと…?………いやいやいや、滅相もないです」
首と前足と尾をブンブン横に振る狸。
「本当だな?」
「はっはい」
「……はぁ」
手元の三八式を腕時計にして、腕に巻く。
「……あの屋台に行けば良いかな?」
「えっ!はっははい!」
「さっ先に行って、待ってます!」
とことこ、器用に後ろ足だけで走って行った狸。
「…………」
「…………」
「そば…はじめてだぁ」
「………たぬき…そば」
「フッフフフ…フハ…やめてくれ…水木」
「あんな…狸いるのか?」「聞いた事ないわ」
「……戻って…大丈夫だよな?」
「多分…大丈夫じゃろう」
「……行くか」「…ああ…」
「どんな、おあじかしらん?」
回れ右して森から出て、再び蕎麦屋の屋台の目の前に。
灯りはついていないままだが、先とは違い店主がいて、ふんわり、とした大きな湯気が空へ昇っていた。
「あっどうぞ、お座りくださいです」
屋台の前には、木の椅子が二つ。
一つは、丸椅子。
ご丁寧な事に、もう一つは背もたれ付きで、鬼太郎の背丈に丁度合いそうな椅子であった。
そして、屋台の台には、小さな小さな、座布団が一つ。
……仕事が速く、きめ細かい。
意外や意外、この狸、やり手ではないか?
肉球のついた手で、サラサラ、と流れるように用意する狸。
「もし、狸さん」
「なんですか?」
動きながらも話してくれる狸。
「灯りはつけないのかい?暗いだろうに…」
「いやぁ、月明かりで十分見えますです」
「ほぅ、眼が良いんだねぇ」
「えへへ…ほっ、と…お待ちどうです」
大、小、極小、の丼三つが台に並んだ。
艶のある黒の丼の中には、葱、蕎麦、出汁。
実に実直な、かけそば。
鬼太郎の前に置かれた、小さな丼は、湯気の量からして、ぬるめであろう事が見て取れた。
そして、ゆらゆら、立ち昇る湯気は、私は美味しいですよ、と言わんばかりに良い香りで俺達を誘った。
「……では…いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
………………………。
「…………」
「…………」
「…………」
ズルズル ズルズルズッ
………………………。
ズルズル ズルズル
「………………」
あっと言わぬ間に、丼は空っぽになった。
………………なんだこれ………。
黙って完食してしまった。
隣の二人も、ほぅ、と息を吐いていた。
「ど…どうでしたか?」
店主が感想を求める。
「最高」
「格別じゃ!」
「うんまぁいよ、これぇ!」
「…………やった!やりました!ありがとうです!!」
両手を挙げて小躍りする、狸。
ぽんぽこりん!
ぽんぽこのりん!
ぽこぽこぽこ!
何処からか、楽しげな祭囃子が俄かになり始めた。
うれしいなっ!うれしいなっ!
ぽんぽんぽん!
それっぽんぽこりん!!
狸の喜びの踊りをコロコロ、転がりながら舞っている。
「本当に美味いなぁ、この蕎麦」
「全くじゃ…こりゃあ、ハマってしまうなぁ」
「ふんふん、きたねぇ、このおそば、きぃのこはいってるきがする」
「あっ、茸ねぇ…確かに入ってるかもなぁ」
「おぼっちゃん!正解です!」
うおっ、吃驚したぁ。
急に狸が声を張り上げた。
「よく分かりましたねです!お山の椎茸を沢山、これでもかと言うほど入れておりますです!」
「わぁい、あたったぁ」
「舌が肥えとるなぁ、鬼太郎!」
「えへへけけっ」
「本当ですね!いやぁ、嬉しいなぁ!そんな方達に、褒めてもらって!」
ぽこぽこ
「さぞや、日頃から美味しい物を食べているのでしょう?」
「うん!」
「そうじゃな!」
間髪入れずに即答する、親子。
「………………」
や…めてくれ……。こんな絶品の一皿と比べんでくれ……。
うがが。
顔から火が吹き出そうだ…。
「どうしたのですかです?」
「……いや……何でも………」
「お顔が真っ赤っかですよです」
「…気にしないで……本当に旨かったよ、狸さん。ご馳走様でした」
「ありがとうございますです!」
「それで…お勘定は幾らかな?」
懐から財布を取り出しながら問う。
「おかんじょう??」
「えっ、お金…だけど」
「ああ、お金ですか!大丈夫です!」
……この子は、何を言ってるのだろうか……。
「いやいや、払うよ…それだけの価値がある。払わせて下さい」
「いやいやいやいや、大丈夫ですよぉ……使う事もないですし、使い方も分からないですから、いいです」
…………えぇ……参ったなぁ…。
「……でも、もし、もしも、どうしても、何か下さるのでしたら……あの、その、ぼっちゃんの…持ってるのが欲しいのです……もし宜しければですがです」
「そう…かい?…鬼太郎、何か持ってるのか?」
隣のお坊ちゃんは、はて?と顔で返す。
「うん?なにか、もってたかなぁ?」
パタパタ、と、ちゃんちゃんこを叩いて探している。
「あっ…これ?」
ふと、鬼太郎が、ポケットから何か取り出す。
それは……この前、買った団子の包み紙にくるまれていた。
「そりゃ、何だい?」
「ああ、それの事か」
「わすれてた」
小さな手で、せっせと包み紙を開く。
「ほわぁっ!」
素っ頓狂な声を上げるのは、狸くん。
中身は、干し柿であった。
「これでいいのぉ?」
「もももも勿論!」
ブンブン、顔と尻尾を振っている。
「いいいいいただていいのですかです?!」
「いいかい?鬼太郎」
「ぜんぜん、いいよぉ」
「だそうです……本当にこれで「有難う御座います!」
台の向かい側に居た店主は、目にも止まらぬ速さで干し柿を攫った。
……んで、何故か、俺の足の上に座って味わっている。
「もにゅ、もにゅ……はぁ!おいしい!もにゅ…わぁ!うまいぃ!」
たった一つの干し柿を、それはそれは大事に大切に齧っている。
「うぷっ」
もふもふ、ふわふわ、ぽかぽか、の尻尾が顔面を襲う。
右に避ける。
「うぷっ」
左に避ける。
「ぶふっ」
……追いかけてくるなよ。
「いいなぁ」
物欲しそうに此方を見る鬼太郎。
………好きで当たってる訳じゃないぞ…。
ブンブン、顔の周りを回る尻尾を…鷲掴みする。
「うまうま」
「そうじゃろう?そうじゃろうとも!」
尾を掴まれていると言うのに、咀嚼を止めない狸くん。
…………感覚ないのか…?
…………。
「…ほれ…お触り」
つぶらな瞳で、こっちを見つめ続ける子に尾を向けた。
「わぁ、ありがとう!」
最初は、おっかなびっくりで指で突いていたが、その内に…両手で揉み解していた。
「おぅ、わぁ、ふわふわ、もふもふ!きもちいい!」
「うまぁい、あまぁい!」
幼子と小動物の触れ合いは……良い……愛い。
………若干、すれ違っているが…。
「…はぁ、おいしかった…」
長い時間を掛けて味わい尽くした狸くん。
「いやぁ、ご馳走様でした…あっああぎゃあああ!!」
……漸く、何処で、何を、してたのか、理解したようだ。
ぽんっ!
くるり、と一回転して、また台の向こう側に戻っていった。
「あぁ……」
名残惜しそうに、宙を撫でる鬼太郎。
そんな子孫を見た所為か、ちゃんちゃんこが、いつもより萎れている気がした。
「……………さぃ…」
狸くんが何か言った。
「はい?」
「に煮っるなり、やややや焼くなりしししてくださぃ」
「な」
俺を何だと思っているんだ。
「水木を何だと思っとるんじゃ…」
「でででても、もし、おおお慈悲を下さるのならら……優しく、トトトドメを…」
「しねぇよ!」
「あぅ、自分でやれと……分かりました…」
とんでも無い勘違いを暴走させた狸くんは、包丁に手をかけた。
「待て待て待て!分かってないよ!何一つ分かってないぞ!」
「あぶないよ!」
「おぅ、ややややっぱりり、ご自分の手で…」
「誰がやるかぁ!」
「あわわわわ」
また、包丁に手をかける狸くん。
「おい!止まれ!もう、もう動くな!」
「ひぃ!」
「黙って、話を聞け!」
「ひええ」
なんだこれ。
「面目次第も御座いません……」
萎んだ狸くんは、俺の足の上で落ち込みながら、落ち着いて、座り込んでいた。
何故か、何ゆえか、突如始まった必死の説得をやり遂げて、誤解を解いた………。
あぁ、疲れた………煙が欲しい……。
「……はぁ…解って…くれたなら…良いんだ…」
「面目次第も御座いません……」
「……こわれちゃった?」
包丁を髪の毛で締め上げている鬼太郎が、空恐ろしい事を呟く。
「…ぜぇ、はぁ、ぜぇ」
目の前の台の上で、ひっくり返っている親父。
その周りには夥しい数の箸が転がっている。
…笑えない…笑えねぇよ……まさか…箸まで使おうとするとは……。
カァー、カァー、カァー。
烏の鳴き声と共に、空が白んできた…。
「はぁ……もう…やんないね?」
「へぃ」
抜けた返事になっている…。
「本当に大丈夫だね?」
「へぃ」
「俺達、もう帰るよ…?」
「へぃ、お気をつけて…お帰りくださいですぅ」
「……うん…」
狸くんを抱えながら立ち上がり、座っていた椅子に、狸くんを置く。
悲惨な惨状の台を片付ける。
「あぅっ!そんな!自分で、やりますので!」
「いいから、座ってて」
「おぅ……へぃ」
余りにも重い瞼を擦り上げながら…テキパキとはいかないが…なんとか…終わらせた…。
「鬼太郎……ちょうだい…」
手を出す。
「うん、きをつけてね」
シュルリ、と髪から包丁が出てくる。
「はいよ…」
受け取り、元の場所に、収める。
「ふぅ」
これにて、完了。
「よし……鬼太郎」
「んっ」
手を広げる鬼太郎を抱きかかえる。
「親父…さん…大丈夫かい?」
「へぇ……へぇ……元気一杯じゃ…」
「はいはい…そうですね」
減らず口の目玉を摘んで、胸ポケットに忍ばせる。
「じゃあ…」
「へぃ、有難う御座いました…」
しょぼくれたままの狸くん…。
「…ご馳走様でした………また来るよ…今度は柿、一杯持ってね」
「!!へはい!お待ちしてますです!」
「では…」
「お気をつけて!」
元気になってくれた狸くんに別れを告げて、森に入る。
……しかし…柿……本当に好きなんだなぁ……。
「そういうんじゃないと思うよ」
「……自然に心を読まないでくれ……」
「かお、みればわかる」
「……そうなのか」
意外と俺は百面相なのか…。
嬉しいような、悲しいような…。
ぴちゅ、ぴちゅ。
鳥の囀りが、騒がしく。
朝日が眩しく。
そんな中、俺達は漸く、漸く、帰宅できた。
…………長かった………。
つかれた……。
ねみぃ……。
身体を引き摺る様にして、玄関に入る。
べるん!
ぶるぶる……
…………はい……ごめんなさいね……説明するから……。
布団の中に潜り込めたのは、帰宅してから三十分後であった。
「ぐぅ…」
気持ちの良さそうな寝息をたててる親父を、枕元の小さな布団へ。
「はぁ……おやすみ……」
なんだか…疲れた……今まで…仕事なら…幾らでも徹夜してきたが……今夜……昨夜は…特別に疲れた。
本当に本当に、今日が休みでよかった。
心から、そう思う。
「おやすみ…みずき…」
「うん…よく、おやすみ…鬼太郎」
初めての徹夜をさせてしまった幼子の頭を優しく撫でる。
「また、あしたも…ふわぁ…おもしろいこと…あるかなぁ?」
優しい、愛しい、笑顔を見せてくれる鬼太郎。
「……ふふふ、ふふ、ああ、あるとも」
君達と一緒なら。
きっと。
ずっと。
ご拝読ありがとうございました。