「…ぐぅ………ん……」
正体が笛の万年筆を置き、解しながら首を回し上を見上げた。
…天井の真ん中には埃の積もった傘の下で電球がぼんやり、と光っている。
そして今、その真横に仏頂面の鬼太郎がいた。
「…………………………………………………………………………………」
器用なものだ…。
自在に伸ばした髪の毛を使い天井に張り付き、垂れ下がりながら揺ら揺らしている。
心底、不服そうに目を閉じて、頬を膨らませながら。
「…………………………………………………………………………………」
そんな風に拗ねながらも…母親の髪の毛を片手に巻きつけて弄り回しているのは……健気なものである。
それに応える事が…今は出来ない事が…歯痒い程に。
鬼太郎には…お母さんは、どうやら来れないと。
でも、待ってると。
だから、会いに行く。
今では無いが。
必ず、会いに行く。
三人で。
そう伝えて、母の髪の毛…霊毛を渡した。
“…うん……”
鬼太郎はただ一言を返した。
怒りも泣きも、してくれなかった。
そうして、答えた後にこうなった。
こうなって、もう数時間である。
日もとうに暮れた。
「ぬぉぉお………」
……天井の隅では親父が唸り声を上げている。
よせ、と制止しているのだが…鬼太郎の傍に行く為に無謀な登攀に幾度も挑戦していた。
ポタリ、ポタ
親父の目玉から、涙なのか汗なのか分からない雫が滴り落ちている。
「あっ…ぬわああああ………」
ポスん
天井の面を一尺ほど移動したが、敢え無く落下。
下で構えていた垢舐めの掌に落ちた。
「べるん……」
眉を下げた困り顔で首を横に振っている。
………恐らくは垢舐めも、もう辞めろと言っているのだろう。
「ぜぇ、ぜぇ、へぇ……も、も一度」
……実の所、俺も垢舐めも鬼太郎には手が届く。
届くが…そっとしていた。
親父にも、そうした方がいい、と遠回りに伝えたのだが…。
「ちゃ、ちゃんと、謝るんじゃ……儂がぁぁあああ」
ポスん
この通り、頑固な親父だ。
手助けを受け取りもしない。
そして、俺は。
「……」
親子の下で手紙を認めていた。
ぬらりひょん宛に。
情報の共有。
そして、収集のお願いを。
あの御仁ならば何か掴むかもしれない…。
それを願いながら筆を動かす。
「では、お願いします」
カァーーーーーー!!
玄関先に出て、夜に紛れていた烏に手紙を渡した。
飛び立つ烏を見上げながら、短く一服して、家に引っ込む。
「……」
玄関にまで親父の力む声が聞こえた。
「ぐぐぐくきぎ………!」
………もう何度目の挑戦であろうか。
いい加減、無理にでも止めよう、と思いながら部屋に戻った。
「ぴちゃ、ぺちゃ」
………天井に張り付くモノが一人増えていた。
「………ぅ…」
自然、声が漏れる。
ぐにょぐにょ、と…ぬるりと濡れている舌で…天井を舐め回している姿は
いつになっても慣れない。
「……あの…天井嘗め…ここは綺麗だから…何処か他の部屋を…」
……………直視しない様に……目だけを見て…移動を勧める。
…良いか悪いか……舐めてくれた天井はまるで新築の様に綺麗になっているので、此方も強く出れない…。
「ぴゃちゃ………………………ぴちゃぺちゃぴちゃぺちゃぺちゃぴちゃ」
……………………一瞬、止まったが…再び舐め始めた。
少しばかり舐めるのが速くなっているので、急いではくれる様だ…。
………………そういうんじゃ…ない……が……………………。
「…………」
………はぁ………飯でも作るか…。
そうすりゃ天井嘗めの掃除…否、食事も終わるだろう。
「ぴちゃ、ぴちゃ……………………」
……?……舐める音が途絶えた…。
…………好奇心に負けて……もう一度、視線を上げる。
静止した天井嘗めが鬼太郎を見つめていた。
どうしたんだ、と思ったが…よくよく観てみれば…鬼太郎の天井の周り半径五寸だけ…綺麗な真円に、薄汚く古惚けた色のままである。
意味ありげに鬼太郎を見つめ続ける天井嘗め。
「…………ぴち…」
「…………………なに…?」
鬼太郎の数時間振りの声を聞いて少し安堵する。
「ぺちょん」
「………はいはい……」
……どうやら、鬼太郎が折れた…のか?
シュルシュル……
仕方なしに髪の毛を伸ばして降りてくる鬼太郎。
とん、と軽い身体を着地させて髪の毛を勢い良く収縮させた。
ギュルルるるるるるる!!
「あ」
「あっあああああーー!」
……髪の収縮に親父が巻き込まれ、宙へと投げ出された。
「ぐわわあああ………ぐぇ!!」
ムギュん!
逆さまに落下した親父を、両手で挟んで捕まえる鬼太郎。
「ぐく…き、たろう…わがせがれぇ……」
「………おやすみ……父さん…」
「え…ぐきゃ!」
そのまま、左の眼孔に目玉を捻り込む。
「………もう少し手心を…」
鬼太郎の傍へ近づき、流れ落ちてくる髪を手に取り収縮を手伝う。
「……疲れていたみたいだったから…」
…そう事も無げに呟く鬼太郎の髪は、少しだけ伸びたままになっていて揺れていた。
伸びた髪の毛が左の眼孔にかかり、顔の半分を隠してしまっている。
そこで俺は気づいた。
右目の縁が、仄かに赤がさしている事に。
何も言わずに、鬼太郎を優しく抱き寄せた。
「……………」
「………腹、減ったか?」
「…………ん……」
俺の太腿に顔を埋めながら頷いた。
「そうか、直ぐに作るよ」
「……ここにいて………もう、少し……」
「…いいよ…幾らでも…」
……腿がじんわり、と熱くなるのを…俺は止めなかった。
ただ、黙って鬼太郎の頭に掌を置くだけ。
それだけ。
気の利いた言葉を吐けぬ己に、この日何度目かの失望をしながら…目を閉じた。
「さぁさぁ…特別張り切らなくてはな…」
名残惜しくも解放されてしまった俺は何時ものように台所に立っていた。
…………本当は、本当はきのこがあれば…。
鬼太郎の好物を出してあげたいのは山々なのだが…。
無いものは無い……。
「……ぅぅん…」
それに付け加えて買い物にも行っていない為、材料も限られていた。
簡単で。美味い。
そんな都合の良い料理が………いや……あったな…。
「よし…」
手早く作るとしよう。
「待たせたな。さ、食べよう」
料理の鎮座した卓袱台に親子、俺、垢舐め……と天井嘗め…が囲んでいる。
…………随分、食いしん坊である。
「これだけ美味そうな料理なんじゃ。仕方なかろうさ!」
親父がスコップ…の様にスプーンを肩に担いで誇らしげである。
「……んで。何じゃこれ?」
「知らんのか……カレーライスだよ」
「ほぅ!これが!」
聞いた事はある様だ。
「カレー…」
「そうだ、鬼太郎。食べてごらん」
「…うん…いただきます」
鬼太郎は器用にスプーンの中に小さなカレーライスを作って、口に運んだ。
「……ん…」
「……どうだ?」
「…………凄く美味いぃ……」
目を、ぎゅっと閉じて、嬉しい言葉を絞り出してくれる鬼太郎。
…しかし…まるで何か、いけない事をしているかの様な表情である。
「……なんだか複雑な顔だな…」
「美味いよ……美味すぎるよぉ…」
…………明らかに言い過ぎである。
「……どれ、儂も何じゃこれ、美味いぃい!」
「親父もか…」
………変な物、混ぜてしまったかな……。
「べるん」「ぴちゃ」
カチャカチャカチャ
舌長妖怪二人も慣れないはずのスプーンを忙しく動かしていた。
……自らが作ったカレーを恐る恐る口にする。
「……………」
………美味い。が…別に何の感動も無い。
並のカレーであろう。
皆の反応が実に不思議である。
「んぐ、あぐ、はふ」
「もぐもぐもぐ」
ただ、まあ。
これだけ夢中に食べてくれりゃ…十分だ。
十分、満たされるよ。
「おかわり!」
鬼太郎も元気が出てきたようだ。
「儂も頼む!」
「べるん」「ぺちょん」
悲しみも苦しさも恋しさも生きてりゃ尽きないが。
どうしたって腹は減る。
生きてりゃ…生きていきたいのなら…食べなくては。
「おう」
せめて、俺の前では。
ちゃんと、食べ物を喰わしてやりたい。
それだけは。
それだけは絶対に。
ハラガヘルノハ……シヌホドツラカッタカラな。
ご拝読ありがとうございました。