ジジジジジジジジギジジ
掠れて擦り切れたフィルムは映写機の中で悲鳴を挙げている。
…………。
俺は振り返って我儘を言うフィルムを睨みつけた。
さっさと仕事をしろ、と。
ジジジジジーーーーーーーー
明滅した画面に見飽きた映像が映し出される。
……………。
前方に向き直り眉間の皺を更に深くして…最早、脳髄に焼き付いた
“
ああ………そうだ。
そうだった。
…こうだった。
どうせ目覚めてしまえば頭の片隅にも残らぬ。
下劣な俺は無かった事に出来るのだろう。
だが……理由の解らぬ……焦燥感は心を焦がす。
そうだ……焦がしてしまえば。
身を焦がせ。骨を炙れ。
そうして、都合の良い俺の表層が何もかも灰に還れば。
いや…ハハハ…還す為に…か…ハハ。
………………その時に………その時、俺は漸く……死すべき理由が明確になる。
アア……タノシミダナァ。
果たして
………キテ…。
………………………オーキーテー…。
「おぉぉきぃぃいてぇえええ!!!」
ギギギキィイイイイインンンンンンン!!!!
覚醒間近であった身体の内側に鉄と鉄を打ち合わせた様な超高音の耳鳴りが暴れ回った。
「んぐわぁぁ!!!??!」
堪らず布団から転がり、飛び出した。
「ぐぉぉお……ぬぐぉぉお………あぁああ」
歪んだ不協和音が頭の周りを踊るせいで、目を閉じているのにも関わらず視界が、ぐるんぐるん、と回っていた。
畳に額を擦り合わせたうつ伏せのまま、必死に目を瞑り世界が纏まるのを待った。
「……………………………き…たろう………」
…最悪の目覚ましをしてくれた幼子を呼ぶ。
「おきた?」
「…………おきてはいるよ………………なん……………どうした……?」
言いたいことは山程あったが…飲み込んで疑問を呈する。
「朝だよ」
「…………何時だ?」
……未だ、俺達を包んでいるのは朝の日の光ではなく……前夜の闇の残りであった。
「三時」
「…………………聞いたのは俺だが……時計読めたのかい…?」
「けけけけ」
愛い笑い声は薄闇に弾んだ。
「………しかしながら、な。鬼太郎さんよ………午前三時は朝とは言えないぜ」
「…?起きたら朝じゃあないのかしらん?」
「それだと……昼寝の後が朝になっちまうんじゃ…」
「………あ、たしかにぃ」
「…………………………ま…それは良い………早起きの理由は何だい?」
「地獄行こ!」
……………………もうじきに明ける夜の中、枕元に立った童が笑いながら地獄へ誘う。
怪談の題材として百点満点な状況であった。
「………地獄に、かい?」
「うん」
「何をしに?」
「…?変な事聞くね?お母さんを探しに、だよ」
「……………」
無理矢理ガタつく身体を起こして座り直し、鬼太郎に向き直る。
「……えぇと……その…」
まさか……居場所を感じ取れるのだろうか……。
「いや…
鬼太郎の答えは俺の一手先であった。
「行ける処なら何処にでも、何処までも」
「………ねぇ、水木…ついてきてくれる?」
「勿論だ」
直様に立ち上がって、片道切手を保管している箪笥へ。
完全に覚醒した俺は自分と鬼太郎の着替え、それと弁当に適当な食べ物を押し込んで肩下げの鞄に納め引っ掴み生暖かい外に出た。
「ふ、ふ、ふ、ふふふふーん」
麦わら帽子に紺の児童服(一番気に入っている物)、それにちゃんちゃんこ。
そんな格好の鬼太郎は何故か虫取り網を担いでおり…鼻唄に合わせて、ぶんぶん振り回していた。
「ごがぁ…ひゅうひゅう……むぐぅ…ふがっ」
………………鬼太郎の左目の住人は呑気に夢の中である。
……気づかないものかね…。
妖怪オカリナを変化させた懐中電灯は辺りを強い光で煌々と暴いてくれている。
その為、夜道であっても俺達は迷いなく足を踏み出せた。
程なくして、地獄の入り口へ。沼に着いた。
「…久しぶりだな…」
「……うん…」
沼は変わる事なく静かに濡れて佇んでいた。
「……よし…行こうか…鬼太郎、手を」
「手よりも抱っこがいい」
愛い。幾らでもいいさ。
「ふふ…左様で」
少しだけ。ほんの少しだけ成長した重みを確かに感じながら沼の中心に足を埋めた。
ず
ぅ
ぅ
う
う
う
ぅ
ぅ
ぅ
恐怖も、怖気は無く…それどころか、
目を開く。
前回と同じく目の前には冷たい洞穴が広がっていた。
唯、前と違うのは無人である事。巨大な桶と桶の欠片が散乱している事であった。
中には天井に突き刺さっているものまである。
…………狂乱の跡である様に見えた。
「鬼太郎」
呼びかけるより前に鬼太郎は瞑目して集中していた。
「む!」
髪のアンテナが、ゆるりと立ち上がった。
「少し離れてる……」
「そうか。案内頼めるか?」
「はい」
虫取り網を両手で構えながら臆する事なく俺の前を前進してくれる。
「……」
………この子は…勇気を生まれながらに持ち合わせている。
…それが、良い事…である事を祈りたい。
洞穴から抜け出して、異常なる極彩色の光景の一部となった。
日も無いと言うのに明るいのは前回と変わらなかった。
「………」
「……大丈夫か?」
「うん、大丈夫。迷ってないよ」「すまん。言葉が足りなかったな……そのアンテナを続けても平気なのかい?」
「…んんと、水木は呼吸が辛いの?」
「……ふ、ふはははは!!頼もしいな!」
「けけ!」
俺達は身体をすっかり包む光景に目を向けず完全に無視して、前だけを見つめて進んだ。
視界の隅では何か…異形異様な歪んだ狂いが…至る所に散乱していたが…絶対に直視しない様に前だけを見据えた。
視点を固定するのは相当に神経を擦り減らす事であった。
嫌な汗をかきながら足を運び続ける。
「……ん、げ…」
前方に一点集中して進み続けていたが、顔にかかる不快感に足を止めた。
同じく、先導する鬼太郎も顔を手で払っていた。
顔にかかる不快な…糸をゆっくり取り払った。
「……ぅんん…」
苦戦している鬼太郎の前に出て、膝をつく。
「じっとしててくれ」
「うん…」
素直に腕を降ろしてくれる。
ぎゅっと目を瞑る顔に、幾重にも絡まった糸を指先で捕まえては宙に放る。
粘りの酷い面倒な糸を次々と放ったが、正体が気になったので最後の一本だけは恐る恐る観察してみた。
「………」
蜘蛛……か。
地獄で蜘蛛の糸に掛かろうとは。
「幸運と思うべきかな…」
「やだよ。こんなの」
フッーー
離れ難いと言わんばかりに手に纏わりつく糸を吹いて飛ばす。
その時、不意に鬼太郎の左目が落っこちた。
「あ」
鬼太郎は両手で目玉を捕まえようとしたが紙一重で間に合わず。
「…うごっ……ぬにゃ…ぐぉお…」
……地に叩きつけられた目玉はそのまま地面を寝床にした。
「……………」
摘み上げて、鬼太郎の掌に転がす。
「ぐぉおお……ごがぁああ…」
……段々、心配になってきた。
「…鬼太郎、起こしてやんなさい」
「はぁい………スゥ…」
親父の悲鳴は朝の俺に似ていた。
「……ぐ…おぉう…………………あれ?儂、死んだ?」
目覚めると、そこは地獄であった。
と、言う状態な親父は寝惚けた事を呟いた。
「死んでないよぉ!もう!お父さんったら!」
余りにも朴念仁な発言にぷりぷり、と怒った鬼太郎。
「……阿呆な事、言ってないで…早く目覚めてくれ。親父さん」
「お、鬼太郎。水木。おはよう…………???」
「……地獄に岩子さんの捜索、に来てる」
端的に状況を告げる。
「………な、成程……そうか……………ハナから起こしてくれても良かったのでは???」
「………あれだけ、気持ち良さそうに寝てたら…此方も気を使うぜ」
「…………それじゃあ…なぁんで、この起こし方???」
「さ、鬼太郎。先導宜しく頼むよ」
「うん。出発しまーす!」
「………悪戯っ子め!!」
それから半里程は順調に進んだ。
そこまでは。
「親父さん。此処には…こんな…
目の前の景色を薄目で見ながら問う。
「…………いない…筈なんじゃがのぅ……」
馬鹿でかい。
其奴はでかいなりで、でかいなりの、一等大きな屋敷を建てて置いていきやがった。
それが俺達の行き先を阻んでいた。
迂回すれば良い。
が、その屋敷は一軒では無く。
何軒も。何十軒も。何千軒も。軒を繋げて連なっていた。
屋敷の中を通り抜ける。
それも出来れば良かったが。
屋敷とは比喩だ。
固く硬く堅く繋がれ幾重にも巡らされた鋼材の様な…糸。
ド級の巨大な
家主の姿は無いが、それ相応の姿ではあろう。
「………鬼太郎、波形は?」
「この奥から…いっぱい」
「そうか……どうしたものか……」
「………のう、二人とも…地獄に岩子を探しに来たんじゃろ?」
「うん」「ああ、その通り」
「ならば…何故、態々こんな蜘蛛の巣に突っ込もうとしとるんじゃ?」
「蜘蛛の巣。それ即ち住処であり、罠であるのじゃぞ」
「何故、此処に拘るのじゃ?」
「何故って…………………何故?」
「…………そう言われると……確かに……あれ?」
「……何の迷いなく来てしまったな」「僕も……そうだよねぇ……危ないのに……」
「む、そうなのか……もしや、あの案内人でも追ってきたのかと思うたが」
「いや…いや、確かに案内人の骸骨には会えてないが…」
此処にいるとも限らない。
如何して俺達はここまで…。
「それでも……見過ごしていいのかしら?」
「……そりゃ、この先に途轍もない事が起きてるのは明白じゃ」
「しかし、のぅ。鬼太郎や。儂にはそこまでして………大事な倅と友人に危機が迫るならば関わらんでほしいと思う。心から」
「…儂の事、酷いと思うかい……」
「ううん」「いいや」
当然の事では。
「その点なら俺の方こそ酷いだろ……考えなしに進んでしまった……いい大人が夏の虫だ」
「すまない。鬼太郎。親父」
「いえいえ」「……それは気にせんでいい………何か他の要因がありそうじゃ……誘因と言うべきか…」
ゆういん?
「…まぁ……そういう事なら…早いところ引き返そう…触らなければ障りなしじゃ」
「相手から来なければ、ネ!」
「わ!!」「何奴!?」
「…………!!!!………」
俺達の輪の中に一匹、紛れていた。
全身が泡立ち、総毛立つ。
今、確かに目の隅に死の化身……死そのものが。
何故、解る。何故、知っている。
理屈も説明も意味も無し。
人としての、動物としての、生物としての、本能の危険信号が爆発的に暴れ狂っていた。
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げ五月蝿え。
今更、
逃げるかどうかは対話してからだ。
その御仁は堂々と話し始めた。
「正体を問うたか!?目玉!!しからば答えようぞ!!」
「我は我。歪み果て作り変えられ堕ちた身なれども。我は変わらず我のまま。我の心は転がり落ちずにに高嶺に幾星霜も取り残されたまま故に。或いは未だ信じてくれている極小の極上の信心故に」
「外見と衝動に戸惑いながら善く在ろうと苦心している我のまま。我が儘とも言えよう」
「我は、我。我が真名は既に忘却の彼方に去ったが。名は今も我が身に」
「我は………蝿。蝿の王。糞山の王」
「我が名は………我が名は……………」
「やっぱなし!!」
「…………………………はい……?」
「すまない!蠅男とでもMr.Flyとでも呼んでくれ」
「またはKafkaでもriderとでも」
「何故、途中で辞めたんじゃ?」
「業腹なのさ。名乗るくらいなら渾名の方が遥かに良い。名を剥ぎ取られた気持ちは貴様なら少しは理解出来よう?」
「……………成程…失礼した」
「……いいさ。気にするな!」
人並み程度の身体を持つ蝿は饒舌であった。
仮称『蠅男』の姿を盗み見させてもらった。
荒々しい刺だらけ外骨格は黒や銀にも見え、それでいて滑らかな翡翠の色で鈍く光っていた。
翅は薄く軽く透明であるが、肝を冷やす程に鋭利な鋭さを兼ね揃えていた。
複眼は溢れて出た鮮血の如く鮮やかに濡れている。
そして、その姿の衝撃以上に……臭いが……。
蠅男の話す…糞でなく。
酒。
凄まじく強い酒精の臭い。
むせ返るような芳醇な酒精の。
蠅男が俺に目を合わせた。
「………」
「……………何でしょう」
「…………奇特な……いや、すまない同志。不躾であった」
「同志ですか…」
「軽口さ。そう深刻に受け取りなさるなよ!」
ふ、ふふふふふふ!!!
ブ、ブブブブブブ!!!
蠅男が翅を震わせて嗤う。嗤う。嗤う。
「…はぁ……」
「それで何のごようですか?蠅さん」
「…お!お!おお!君が鬼太郎ちゃんか!!」
「うん」
「…何故知っとる?」
「イヤ、何…我の同胞は沢山いる。人間の数倍。数十倍と」
「その子らが教えてくれたよ」
「まじ可愛い子がいる、と」
………軽い蟲達だな。
「あぁ〜貴方がハエさん達が言ってた“タカイカタ”なんだね」
「うむ、そう。漸く逢えたね。どうぞ宜しく!鬼太郎ちゃん!」
前脚を差し出す。
「よろしく」
鬼太郎がそれを受けて軽やかに握手した。
「…うむうむ。いやぁ、目玉。礼儀正しく良い子じゃないか!
「何を………何を…言うておる…貴様」
「…まさか、まだ解らないかい?昔はよく“ベール”と呼んでくれたじゃあないか?」
「べぇる………なっ!!??!何じゃその姿はぁ!!??」
「貴様が言う?」
知り合いだったのか……。
「え、え、え………えぇ〜〜……何があったんじゃ……大変身どころの話じゃあないぞ」
「だから、貴様が言う?」
「儂は…儂自身の意思じゃ!と言うか待て!!先にお主、察しておったろうが!?」
「ふ、ふふ、ブブ!他に無かったのかい?ふふ、そんな可愛らしい姿を選ぶとは…存外あざといね……
「喧しいわ!…贅沢言えんかっただけじゃ!!大体、未だ儂の方が原型留めておるじゃろうが…お主より」
……。
「返す言葉も無い。翌る日に爽やかに目覚めたら、こうだ」
「……そんな……」
「もう何百年になるよ。丁度、君達夫婦がお熱い時さ」
時間の尺度が毎度大きい。
「揶揄する余裕は残ったか」
「逆。揶揄しなきゃやってけないだけだ。旧き友人に逢いに。懐かしき此の黄金の国に再び翔んで舞い戻るのに。落ち窪んだ機嫌を治すのに。ここまで掛かっただけさ」
「流石にこたえたか」
「お互いに、だろう…………で、岩子さんは?」
「……今、探してる最中だ…御魂をな」
「………ハァ………さっさと、カウンセリングでも受けりゃ良かった……この手でお迎えすれば良かったよ……」
「……東の地の果ての果てまで、その姿で、逢いに来てくれるだけで妻は喜ぼう」
「そうだな。夫と比べ物にならない男前だからな!我は!」
「ハエ叩き持ってないか?水木」
「んなもんあるか」
急に振るな。
「ぶぶぶぶ!」
嗤う蠅男に話しかける。
「…あの…蠅男さん、で宜しいですか?」
「うむ」
「蠅男さん、私達に会いに地獄にまで来たのですか?」
「…いや、君達には此処での手伝いが終わってからと考えていたのだ、が、丁度見かけてしまったから、ね。順序を変えたのさ」
「手伝い?何じゃ手伝いって?」
「地獄の掃除さ。今回は蜘蛛の巣だ。あーあ!やれやれ…魔王使いが荒いよ。ホント」
……さらっと魔王って言ったぞ。
「…これの事ですね…」「そうとも」
……骨が折れそうだ。
「これ、何の巣なんじゃ?」
「蜘蛛だって」
「唯の蜘蛛な訳無かろう」
「それはそうね……えぇと、なんだったっけ……」
頭を鋭利な爪でポリポリ、と掻いている蠅男。
「あーーーーーー……あ、思い出した」
「『牛鬼』と『土蜘蛛』だ」
……………大捕り物も良いところだ。