墓場より   作:ひノし

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第四十五話

沸き立ち奮い立つ河童の視線の先にあるのは、玉砂利の上に円形に廻された綱。

隣の先生河童の言う所の運動会の目玉である相撲が始まろうとしている様であった。

()遊んでいた童達も土俵の周りに飛んでいった。

 

「相撲は好きかい?」

達磨みたいに真っ赤な僧さんが聞いてくる。

「人並みには。よくラジオで聴いてますよ」

「ほぅ…その、らじおってのはよう知らんが…聴いてるって事は…観戦は出来ねぇんだろぉ?」

察しの良い方だ。

「ええ、音の出る箱ですから」

「それなら、も少し前に出ようや」

「……行けますかね」

土俵の周りには何十…下手すれば何百の河童達で埋め尽くされている。

「キキキ…どれ、任せな」

おっさんみたいな掛け声で立ち上がった僧さんは俺に手を差し出した。

「ほれ、掴まりな」

「あ、はい」

掴んで立ちあがろうとした。

 

しかし、酔っぱらいの足は地面を踏み締める事は叶わず。

そればかりか、地面の感触さえも感じず。

まるで空中に躍り出た様な。

 

「お、おお」

事実、空中に躍り出ていた。

 

「キキハハハハハハ」

一体どんな技術か皆目見当もつかぬが、僧さんは俺を掴んだまま地面から十尺程の高さの空中を踊る様に歩いている。

「「「「「ずるーいー!!」」」」」

下から童達の羨む声が聞こえる。

「ハハハハハハ!!!酔っ払いが飛んどるゾォ!!ハハハハハハ!!」

「おいさん!!転んで墜落してくんなよぉ!!」

「落とし物もすんなぁ!!ゲハハハハハ!!」

大人の()河童達は野次を飛ばしてくる。

「落とし物なんて冗談じゃないよ!」

「ちょいと先生!!本当に気をつけなよ!!」

「子供達の皿に傷でもつけたらどうすんのさ!!」

しっかりとしたご婦人の方々に俺は頭を下げる。

「「「あんたが頭を下げるこたぁないのよ!」」」

本当に、ここにいる方々は仲が良い。

 

「ほれ、特等席だ」

十歩の空中歩行の後、土俵の間際に着地する。

「どうも」

 

賑やかな雰囲気の中心の土俵の上には、まだ力士の姿はなく、ただ一人烏帽子を被り、ひょうたんの形の軍配を携えた行司であろう河童が一人佇んでいる。

 

空の土俵の間際には年老いた河童の姿があった。北に二人。東西と南には一人ずつ。俺達が着地した南方にいた老河童は目を薄く開き、何やら口を、もちゃもちゃ、と動かしていた。

 

横入りもいいところの俺達の為に、先着の河童達は押し合いへし合いでありながらも隙間を空けてくださった。

四方八方に頭を下げながら、慌てて老河童の背後に座り込む。

そろり、と腰を下ろして、隣の方にも挨拶をしよう、と思い目を向けた。

「やあやあ、水木」

「うお」

どういった偶然か、隣には八さんと八さんのお皿に正座している親父の姿があった。

「奇遇だな…親父」

「ハハハ!奇遇も奇遇じゃろ。こんな人混みの中で」

「縁があるってもんでしょうねぇ」

「キハハハハ!雁字搦めの縁だなぁ」

「そうじゃのぅ」

嬉しそうな親父は皿の上で、ふらふら揺れている。

 

「して、親父。鬼太郎は?」

周りの河童達の中に、鬼太郎の姿は無い。

「うん…?水木も観に来たのではないのか?」

「はい?」

どうしてその疑問文を返す、の、だ………まさか。

 

「で、出るのか…?鬼太郎が?」

この相撲に?

 

「うむ。どうやらのぅ…胡瓜掴み大会の優勝者は特別枠…とか、らしいのでな」

「えぇ。えぇ!心技体が揃わなくては、とても優勝なんて出来やしやせんですからね!当然ですとも!いやぁ、立派な事ですんよぉ!!これは!!」

八さんが両手を挙げて熱く語る。

…胡瓜に対して、そこまでの熱量を持てる事に少しばかり驚く。

「オレぁ、胡瓜より魚の方が好きだなァ」

「だれもアンタに語ってねぇよぉ!大体よぉ!仮にも僧を名乗ってんなら肉食を求めんなよっぱらい!さっき絡んだ事を忘れてねぇんだからな!!」

僧さんの何とも破戒的な発言に、八さんは熱された薬缶の如くにご立腹された。

「キキキ…悪かった。悪かったよぉ。そう興奮すんな…ほれほれ。そろそろ、始まるぞぉ…」

僧さんが土俵を指し示す。

 

注目してみれば行司が土俵の中心にて甲高い声を大いに張り上げた。

 

「ひーーーーーーがーーーーーーしーーーーーーーーあなぁああーーあぶぅきぃいいぃーーーー」

 

…………呼び出しとは、行司がやる事だったか?

 

そんな瑣末な事が頭に浮かんだが…行司役の澄んだ裏声に拍手が自然に出てしまい、どうでも良くなった。

呼び出しに応えて、東方より…白い褌姿の、頭に皿を括り付けた少年が立ち上がった。

「あの子は…」

てっきり筋肉の塊の様な驚異的な河童が出てくると思えば。先程の折り目正しい礼儀の少年が褌を締めてるではないか。

それに。

「…彼の名は、あなぶき、というのですか?」

以前変わらず、瓢箪を咥えている僧さんに問う。

「んぐ……げっぷ…んお……そうだぜ…簡単な名前だが…オレが名付けた。穴蔵に吹き流しで、『穴吹』とな。だがまぁ、仮初のものだ…いつか、将来、自らの中に名を見つけるだろうよぉ……そして、その日は近そうだ…ハハ、ハハハ…フヒヒ」

誇らしげに笑ってから、また、瓢箪を煽られた。

 

「にーーーーーーーーーーしーーーーーーーーーーーきぃいぃいいたぁあぁあろおぉぉうぅうぅ」

 

「気張れよぉぉーー!!きたろーーー!!」

全身を使って息子へ声援を届けんとする目玉の親父。

しかし…悲しいかな。

会場の騒めきに対しては…羽音にも等しい声量であった。なので、親父の意を汲みながら丹田に全霊で力を込め、声を発する。

 

 

「きばれぇえええよぉぉおお!!!きたろぉおおおおぉぉぉ!!!!」

 

 

久方ぶりの大声であったので喉の奥に針を刺した様な痛みが残ったが、構わず、もう一度、発する。

 

「けぇぇがはぁあああいかんぞぉおおおお!!楽しめぇええええええ!!!!げぇほっ!!うえっほ!!ぶぇっほ!!」

 

常日頃から紫煙によって痛めつけらている喉と肺は、たった二回の張り切った声援にすら耐えられずに咳へと変わってしまった。

 

「「「「「ハハハハハハハ!!!」」」」」

 

周りの河童達は嫌味の無い笑い声で慰めてくれる。

 

「いいぞぉ!!兄ちゃん!!我が子の為によくぞ啖呵を切った!!男前だぁ!!」

「んだんだ!!気持ちの良い発破だ!」

「おい!!オメェらも負けていられんど!!穴吹の為にオラ達を張り上げんと!!」

 

「がんばれがんばれ!にいちゃぁん!!」

「まけんなまけんな!にいちゃあん!!」

「あんまし、にいちゃんばっかおうえんしても、ふこーへいだよ!」

「じゃあ、じゃあ!どっちも!!どっちも!!」

「「「「「どっちもがんばれーー!!」」」」」

 

しゃがれた声援により土俵の周りは更に盛り上がってくれたのは、幸いであった。

 

「ありがとよぉ、水木…お、ほれ、鬼太郎も此方に気づいたぞ」

「ゔゔん…ぁぁあー…そう、かい」

喉仏を身体の外から労わりながら、中々似合っている褌姿の鬼太郎へ手を振る。

 

“ケケケケケ”

笑い声までは聞こえないが、いつもの愛い笑顔を浮かべて手を振り返してくれた。

 

「良い親父を二人も持って奴さんは幸せ者だな…なぁ八よぉ」

「ほうだなぁ…違いない…んだから胡瓜にも好かれるってもんだ」

「……いまいち、その論拠は解らんぞぉ」

「じゃあ解るまで説明してやるよぉ…」

「なぁんで、聞き分けの無い野郎相手みたいな態度なんだぁ、八ぃぃ」

 

酒好きと胡瓜好きの二人が何やらヘンテコな議論を深めようとしていたので、控えめに宥めて取り組みに集中させた。

 

「いーーざーーーいざーーーーーじーーーんじょーーーうにーーーーー」

行司の掛け声により、場は静まり返った。

 

……………こんな掛け声が相撲にあった事については、最早考えを巡らせる気にはならなかった。

 

勝負の掛け声により、土俵上の小さな力士二人も、静かに腰を落として前傾姿勢に構える。

 

二人の構えを確と視認してから行司は背筋を伸ばして軍配を天へと向けた。

 

「よーーーーーーい!!!」

!?

「どん!!!」

 

格式も何もあったもんじゃない掛け声により、火蓋が切って落とされた。

鬼太郎も穴吹少年も、その身からはとても想像できない俊敏さで双方共に相手の懐へ飛び込んだ。パン、と硝子が両断された様な音が二人の身体から聞こえた、と同時に早くも二人は互いの褌を両の手で掴んでいた。そして童達が組み合ってから、小さな足に弾かれた玉砂利が地面に散乱した。

「おぉ…!」

弾かれた石よりも速いとは。

鬼太郎の身体能力はよく理解していたのだが…それに釣り合う穴吹少年にも、また、度肝を抜かれた。

二人は初っ端の俊敏さとは打って変わり今は山の如く静止している。しかし、四肢の僅かに筋張った肉を見れば、目に見えない押し合い引き合いの技を高い精度で駆使している事が察せられた。

 

ワァアアアアアアア!!!!!

 

一瞬も気を抜かずに、一歩も引かぬ二人に、観客達の豪雨の様な歓声が波及した。

 

「二人ともすんげぇええなぁ!!がんばれぇ!!こうなりゃ!!根比べだぞぉ!!」

 

それなら鬼太郎に分がある。

 

「いいぞぉ、いいぞぉ、流石は倅。まるで若い頃の妻をみておる様じゃ……」

………そこは若い頃の自分じゃあ………その…若い頃には、お転婆であったのだろう…か…岩子さん…。

 

「キ、キ、キ、いい。良い。善い。好いなぁ…いいものだ。やはり」

尊いものを、愛おしいものを、素晴らしいものを見る目で。

優しい目をした先生が言葉を溢す。

 

「ずっと見ていたいがなぁ、勝負は、試合は、時の運だ。時が運んでしまうものだぁ。で、あると、なぁ、練度の差こそが勝敗を分けちまうもんなんだ」

続けて先生は、独り言なのか、この若造に教えを授けているのかは判別出来ないが澱みなく持論を展開された。

 

…。

うむ…。

それは。

それを聞かされてしまえば。

相撲というものを幾度も試行した方は…。

 

試合が動くのは間近であろう事だけは、理解した。

 

童二人の目には見えない反発し合う力は、さながら静かに引かれ続ける弓の様であった。全身の筋を相手を引くか、押すか、に集中しており、最早

力の逃げ場所は無く。受け流すには二人共近づき過ぎている。

 

「しかして、だナァ。二人を拘束しているのは互いの力だけだぁ。それ以外の何物も彼等を押さえつけちゃぁいない。受け流しなんて出来やしない、それはそうだ。だが、それは力の問題だけ。事、試合、或いは戦闘闘争。そして単騎の状態におけりゃあ……()だぁ。気を抜かせた方が、抜いた方が力そのものの指向性を手に出来る……要するにぃ…スカせば簡単に…事はオちる」

「……それをお教えになられているのですね?」

日頃から。

「“適当に”をよーく教えているだけだぁ……あれだろぉ…真正面を進むだけが…人生ってもんじゃあねぇだろぉ?遠回りしようが近道しようが転がり回ろうが、力尽き倒れてしまっても。進み続ける事に…事だけに、()()がある。知性体ってもんはな、意思が進み続ければ生きていけるものだよ」

「やはり…貴方は善い先生ですよ…そして俺の知り合いに、よく似ている」

「こんな酒精で脳が発酵している野郎に似ているって事ァ、相当の阿呆だな」

「フフ…近からずも遠からず、ですね」

そして、俺はその人に命を救われた。

 

「キキキ…さぁ駄弁りは終いだぁ…直だぜ…養父さん、ちゃあんとミてやんな」「はい」

 

一生懸命に力を込めている小さな童へと、より深く集中した。

 

彫像や写真の中を感じさせるまでに静止した二人の少年。

全力と全力の均衡の崩壊は…今まさに。

 

穴吹少年が左肩を落とした。

 

「む!」

自然、声が漏れる。

鬼太郎の勝機が見えた!と、思った…の、だが。

 

俺の背丈の半分にも満たない小さな身体は、宙を飛んでいた。

寄る辺のない宙に投げ出された五体は其々反射的に何かを掴もうと踠く。

小さな身体の。小さな頭の、後ろが俺には見えた。

如何とした事か。

対戦相手が気を利かせたのか、友人の言う通りの不可思議な縁の手繰り寄せなのか…。

しかし、なんであれ都合の良い事だ。

俺は翌日の筋肉痛を確定させる俊敏さを全身に命じて、鬼太郎を受け止める為に半ば立ち上がりながら腕を広げた。

「ぐぇ」

「おし!」

側から見れば、熊が鮭を掴んだ姿に酷似していたと思われる。

 

「お疲れさま。よく頑張ったな鬼太郎」

「けけ…まけちゃったけれどねぇ……ちゃんとみてた?」

「だから、さ。だから、こうして受け止められた。そうだろう?」

「そうだねぇ………ふむ……なんだか懐かしい気分だな。僕」

「懐かしさなんて、まだ早いぜ。幾らでも。いつでもお気軽に」

「甘やかすのが上手いねぇ。水木は」

「…そん……そうだ。だから甘えてろ。俺が良いと言うまで。それまでは」

「はい」

 

周りの喧騒さは耳に入らず、鬼太郎の声だけが、よく、よく脳に響いた。

 

 

穴吹少年と鬼太郎の握手で、熱戦は幕を閉じた。

 

 

「まぁ、呑めや食えやぁ!よう頑張ったなぁ!坊ちゃん!」

「呑まん。食う。うん。坊ちゃんと呼ぶないで」

「おう!食え!たんとなぁ」

端的が過ぎる鬼太郎に、ご機嫌なままの僧さんは竹串に刺された塩焼きの虹鱒を二、三本、と手渡す。

 

俺達は相撲会場から少し離れた飯炊場へと赴いた。

飯炊場には幾つかの焚き火が黙々と白煙を立たせていたので、空いていた一角を陣取らせてもらった。

 

「やぁ、やぁ!一本一本渡せよぉ!熱々が一番旨いんだからんよぉ!」

「八が焼きゃぁ冷めても旨いんだから、一本一本なんてケチくせぇ事言うなぁ」

「調子の良い事言ったって駄目んだ」

「世辞は嫌いだぁ、オレァ。あ、そうだ。八、オメェちょっと岩魚獲って来いよぉ。アレなら食いでがあっていいだろぉ?」

「ああ!確かに言う通りだ!んな簡単に捕まえる事が出来るんならな」

「んぁ?簡単だろぉ?あんなの?」

「んなのアンタだけだ。酔っ払い。自分で行ってくんねぇ?ほんで岩魚と一緒に海まで流れてくんねぇ?」

「魚と逢引きする迄の器量はねぇなぁ」

「何が逢引きだ。合い挽きになっちまえ」

「酷ぇ皮肉を言うじゃねぇかぁ、八助ぇ」

「おかわり」

「お、八」

「ほい、どうぞぉ、鬼太郎サン」

 

河のお方二人の軽妙な会話に挟まれている鬼太郎は、気にもせず平常運転で忙しなく頬を動かしていた。

「よく食えよぉ、鬼太郎。それでもっともっと大きくなっとくれ……ほれ、水木。主も食え。この塩焼きは絶品じゃぞ」

「戴いているよ」

世話を焼く目玉の親父さんは、護摩行のつもりでもあるのか…態々、身よりも遥かに巨大な焚き火の真ん前に座り込んで…魚を貪っていた。

「ほ、ほ、ほ。熱々は確かに美味いのう」

「…熱され続けているからな」

魚も貴方も。

しかしながら、心配は他所に。見た目も様子も平気そのもの…だ。

夢中になっている食事を邪魔するのも躊躇われたので、それとなく焚き火の炭を傍に置いてあった枝で軽く突いて微調整する程度に留めた。

……まあ、本当にこの親子は頑健である。

 

「もぐむぐもぐ…も!もぉあ!!」

突然、鬼太郎が口から言葉未満の声と魚の破片を飛ばした。

そんなに慌てて、どうしたのだろうか。

「フフ…噛んでからお喋りなさい。鬼太郎。慌てる事はないよ」

「うむ。こんなに美味いのを溢すのは勿体ないぞぉ!」

「キハハハ!わんぱくでいいじゃあねぇかぁ。ほれ、コレで流し込んじまえ」

「酒を出すんな。引っ込、め、んでろ。ほいほい、鬼太郎サン。只の水だけんども、どうぞ」

「もくもくもくもくんぐんぐ…ありがとぉ…うん、うん。そうそう。今、思い出したのだけど!」

熱意のある主張を言わんとする姿勢に、一抹の感動を覚えながら、耳を傾ける。

「うん。何だい」

「きゅうり!」

「きゅうり」

「そう!」

「そう……と、言うと?」

「ほら、胡瓜のお馬さんを作ったでしょう?」

「ああ……あの立派なお馬さん、な」

額から流れた汗が鼻頭に止まる。

指先が少し、震えていた。

「あのお馬さんがお母さんの手がかりを水木に渡してくれたのだから」

「うん…まぁ…そう、だが」

鬼太郎には末路までは教えてはいなかった。

「だからねぇ。胡瓜ってのは良い物だと思っているんだ、僕は。お馬さんもね」

「うん」

「だから、こんなにも胡瓜が好きな人達なら、お母さんについて何か教えてくれるのではないのかしらん?」

「成程」

如何にも…鬼太郎の中ではその二つの株が大いに上がっている様だ。

…気持ちは十二分に理解出来る。

 

「んん〜?ん?なんだぁ?話がよう見えんのだがなぁ」

「鬼太郎サンも胡瓜好きの一人だってん話だろう!」

 

「…お二人。実は儂等は人探しをしておるのじゃ」

魚の目玉を丸呑みしてから親父が話し始めた。

「母親探しか」

行き合って初めて僧さんが瓢箪を手放した。

「ご明察。倅の母であり、儂の妻を、探しておる」

「仲睦まじいアンタ等のかかぁが、一体何処にいっちまうと言うのか」

()へと。しかし…やむを得ない由にて迷っておる様なのです」

「……あるまじき、事、だなぁ……よぉ、八。魚はも、いい。ほれ、最近越してきた彼奴を呼んできてくれやぁ」

「丁度、全部焼けたところだ。はい、鬼太郎サン。食べて待ってておくんせぇ」

「ん、ん。ありがとぉ」

 

「暫し待たられよ。親父殿」

「……忝い」

 

「やっぱり思った通りだ。あちあち」

「焼けた魚なら、もう逃げないよ。鬼太郎」

丸い頬についた食べカスを摘みとり、火の中に投げ入れた。

 

八さんが丹精込められた塩が塗され油が甘い焼き魚を、俺が一尾、健啖家である鬼太郎は四尾を平らげ、静々と僧さんと親父は杯を傾けてられていた。

 

「ほいほい、お待たせしまして」

「コんニチハー」

八さんが戻られた……それに続いて小さな影があった。

………『河童』に似ているが、そのモノではない。河の童でもなし。

…では?

 

気持ち不思議な言葉の使い方をされる方の姿。

背丈は三尺、半。

頭に皿は、無い。お髪もまた。背中に甲羅は、無い。その代わりに背鰭があり。

全身が翡翠の様な色の鱗によって覆われている。

四肢の先端、四本指の手足には鋭利な黄色の爪が伸びている。

最後に、チラ、と鱗の中の貌を窺えば…猫…に酷似していた。

 

「ナニネ?(ウォ)ハ食ベラレナイヨー」

「失敬」

「冗談ヲ本気ニサレテも困るヨゥ」

猫撫で声の方は目を細めて首を振った。

 

「请自我介绍一下」

……僧さんが、さらり、と異国の言葉を発した。

その言葉は恐らくは大陸の言葉だと思えた。

「好的」

 

(ウォ)ハ、『水虎』。万里も離れた邦からの流れモノ。宜しくネ。

グィぃサン」

やはり、河童とは違うモノであられた。

「『水虎』…さん。自分は水木と言う者です。こちらこそ宜しくお願いします」

「好!サンは要らナイヨー!」

はぉ?

「ホォホォ!『水虎』とは…遠い所から、よう来られたなぁ」

「目、メメメメ豆!!?」

『水虎』が貌を青褪める。

またか…。どれだけ珍妙なのだ、この姿は。

「おぅ、失礼。儂は『目玉の親父』。唯の目玉じゃよ。そして、この子が…」「鬼太郎です。どうぞ、宜しくね」

「ホェ……謝謝!」

「しぇいしぇい、じゃ」「しぇいしぇい」

意味を解しているのか、お二人さん……。

「デ?何の御用ネ?沙僧」

「虎助ぇ、オメェさん…此処に来た時になんぞ不思議な事を言っていたろぉ…ソレをこの人達に教えてやってくれや」

「?そんナ事?好的好的(お安い御用)

 

(ウォ)が気まぐれに流れてミヨー、と思いついたのは三月前の事だったのネ。初めの一歩に、賽子を転がしてミテ…極東に決めたのはヨカッタのだけれど。泳いで行くのは流石に面倒ネ。ダカラ、チョイと化けて猫の姿で人間の船に乗り合わせたのヨ」

“にゃあ、にゃあ、にゅひひひ”

「生まれて初めての船旅は快適だったネ。チラチラ、と(ウォ)を盗み見る人間達の脛に頭を擦り付けりゃあ、芳しい乳やら、やたら固い干し肉

を、チマチマくれたしネー」

“にゃあががが、にゃががが……不难吃(食えん事は無い)…ががが”

「船の上で舟を漕ぐのは気持ち良いものだったネ」

「…虎ぁ。もちっと、かいつまんで話せやぁ」

「ムぅ…石の上にも三千年と云う。辛抱して、ヨ。沙僧」

「んな座れるか…善処はしてくれよ」

好的、好的(はいはい)……んーと、まぁ兎に角、それなりに楽しく(ウォ)はこの国に流れついたのにゃ…ネ」

「んで、造り物の石だらけの港に着いた。後は同族の匂いへと足を向ければ落着だったネ。マ、その前に観光でもしようと思ったヨ。水辺を辿って、ふらふら、してたらネー。不思議な不可思議なへんてこりんな臭いがした。なぁんとも、甘い臭いがネー」

 

嫌な言葉だ。

悪い意味なぞありはしないのだが。少なくとも俺にとっては。

 

あの日を。あの夜を。

 

脳漿に打ち付けられる言葉ではあった。

 

「オヤ。おニイサンも甘いのが不喜欢(好きじゃない)?」

「…いや、その。お気になさらずに」

「おニイサンこそ、気にしなくてイイヨー。(ウォ)も嫌いダカラネ、非常讨厌 (許し難い)!!甘い物は好きだけどネー」

 

「話に戻るヨ。大勢の人間達が犇く街のど真ん中で、んな臭いを撒き散らかしているのが如何ニモ気になって。好奇害死猫とは云うけれども。虎だし。妖だし。ちょっとだけ。覗いて見る事にしたネ」

……その時は猫の姿であったのでは?

「街の裏通り。綺麗な街の裏側は醜悪!汚れ穢れ犯され放題の有様だったネ。んでも、臭いはソレじゃない。ばっちい細道をヌルヌル、進んでみたら、異常に広い土地に出た。多分、人間の業ではなかったネ。肌がヒリヒリした」

 

「オイ、ヒリヒリしただと?そんなの聞いてねぇぞ」

 

「アイヤ?言ってなかったっけ?」

 

「阿呆…!……呑気め…道理で薄皮が溶けてた訳だぁ…」

「オイ、溶けてた?溶けてたって何ネ?なにソレ?何で?」

「その場の所為だろぉ、どう考えてもよぉ」

「“何で”言わなかったって聞いてるネ!?」

「水が合わなかったと思ったんだぁ」

「酸カ?この国、水、酸カ?エ、アイエ?まだ?まだ?溶けてるノ?三月も?そのまま?」

 

初対面なので何の見解も出せないが、表面的には溶けている様には全く見えない。

 

「手は打ったに決まってんだろぉ。もう…もう、如何でも良いから先を話せ。疾く説け」

「非道!…今度、瓢箪の中に入って脅かしてやるネ!」

「止めろ、そのまま呑んじまう」

それはひどい。と言うか不味い。

「話が止まるんだから静かにしとけんよ」

八さんが僧さんの口に瓢箪を押し込んだ。

「ぐぼぇ。ごぐごぐごくごく」

僧さんは押し込まれたまま、瓢箪の中身を喉に素通りさせている。

「うんうん。静かになったね。水虎、先をどうぞ」

にべもなく、鬼太郎が話を促した。

 

「ウン…また、話に戻るけど。その場所の片隅に真っ黒な天幕があったヨ。気持ちが悪い程の黒。路地裏にすら届く人間の光をすっかり丸呑みにする程の黒色ノ。そんな色の天幕は歪んでいたけど大きかったネ。勿論臭いは其処から。ここまで来ちゃ中をミなくちゃ仕方なかったネ」

「なるべく気配を消して、なるべく存在を消して、なるべく活きて、無い様に。片目だけで、気持ち悪い天幕の小さな小さな隙間へ」

「目が慣れるのに時間がかかったヨ。これは変。()は闇夜が得意だから。だからだったネ。先に声が聴こえた」

声。

「ウン。息が抜ける様な声。息を吐く声。啜り声。泣き声。女の泣く声」

「髪の長い女がいたネ」

「でも、多分、生きてナイナ」

「おニイサンなら、よく分かると思うケド」

 

 

「人間の女が首だけになって、生きてるノ?」

 

 

「……生きて…生きられない、ですね」

 

「そうだヨネー。でもネ。(ウォ)、間抜けじゃないの。でもネ。あの人、()()だったネ。間違いなく。本物の。()()()()だった」

 

「不思議」

「不可思議」

「不可能」

 

 

她是誰(あれはなんだ)?」

 

 

……それの……何が……いや………違う………あぁ……………そう、だ。

不死身。不老。

異常。異状。異様。異形。

有り得ざるモノ。

それは妖怪の、妖怪達だけの特権だ。

 

じゃあ、水虎が見たのは。

 

水虎が見た女性は、人間は何だ?

 

()()なのだ。

 

妖怪から見た、有り得ざる人間とは何なのだ?

 

 

「水虎よ」

目玉の妖怪が水の怪へ。

「水虎よ。その女子の顔をよく見たか?確と見たか?」

 

「凝視」

 

「そうか。ならば問う……その、その顔は、この子に、似ていたか?」

 

 

当然に理解していた。

有り得ざる人間。

超常そのものの、人類種。

 

 

 

幽霊族。

 

 

 

「彼女の顔は、この子に、似ていたか?」

懇願する様に目玉の親父は、水虎に問う。

 

「………ウーーん、ソンナ顔するって事は、何か一大事だったんだね……

对不起……その問いには、答えられない」

「……答えられない…とは?」

「その人………()()……顔だったネ」

「……そう、か。そうか……なに…其方が謝る事かね……詰める様な…物言い…悪かった、のぅ」

 

………………………………………………………………………………。

 

「キ、キキキ、ハハハ、ハ、ハハハ。親父殿。何を哀しむ事か」

演じる様に歯を剥き出しにして、大袈裟に笑う僧さん。

「それ以外の感情なぞ浮かばんわ……今は」

「笑えよ。笑えよ。喜びは人生の色。そして、苦しみは人生の味ではあるまいかい。死んでりゃあ、涙も出んさね」

「………飲み込みにくい、説法じゃな…僧殿」

「次いで、消化出来ねぇ話をするが…その女が探し人であるかも、未だ判るまい」

「本気で言っていますか?」

思わず、口を挟む。

飛び出した言葉を撤回せず、そのまま更に重ねる。

「水虎さんが自信を持って人間、と仰られた。俺と同じ人間がそんな状態で在り続ける事など、土台無理でしょう」

「幽霊族が…そして、この父子の愛しい方が…其処にいる方が可能性が低いって話だぁ」

「ですから。その方以外の。他の人間である事など不可能でしょう」

「何事にも例外は作られる。よく数えてみれば浮世なんてものは例外の方が多いじゃあねぇかぁ?」

「生命、の問題でしょうが。例外もへったくりも無い」

「キ、キキキ、まぁ、まぁ落ち着け。やる気があるのは結構だぁ。よぅ、俺が何だって虎の話をアンタ達に聞かせた理由を考えてみてくれやぁ」

「………最早、直接的な答え、としか思えませんよ」

「それは、都合が良すぎるだろぅ。いや…その希望をみなまでは否定はしねぇ。この泥舟の様な頭では天啓なぞ落とせねぇ。精々、手掛かりだぁ」

「何故、そんな胡乱な論調を続けようとするんだ」

いい加減にしろ。

読心でも何でもしやがれ。

 

「では、外連味を剥ぎ取ろう。一緒に」

酔いの覚めた顔を“沙僧”さんはしていた。

 

「ふぁーあーー」

一つ、欠伸が。

 

感情に振り回され、ただでさえ相撲の試合も終えたばかりで疲労困憊の鬼太郎を、子供好きを自称した水虎さん、胡瓜好きの同士と看做した八さんが昼寝に誘い…鬼太郎は悩んだ末に首を、カックン、と縦に振った。

「……じゃ…あ、あとで…ちゃあん…とはなし…きかせ、てね」

「任せてくれ。だから、気にせずにお休み。鬼太郎」

「ぅ、ん………しっか、り…ね」

「フフ…了解」

 

日陰に移る鬼太郎達を見送り…僧さんと俺と親父は焚き火の周りで居住まいを正した。

火に手を当てて瞑目している僧さんの言葉を待つ。

「………………」

……火の弾ける音が時折、鳴る。

「…」

シャツの胸ポケットからPeaceの箱を取り出す。

二本摘み取り、一本を口に咥え、もう一本を親父の前に差し出した。

「…」

こじんまりとした胡座を掻いた親父は緩く首を振り、掌で断った。

友人に断れても、騒つく心と脳を諌める為にマッチの箱を滑らせた。

「さぁ」

マッチを擦る直前に、爪に火を灯した僧さんの指が目の前に。

「どうも」

奇術の火で、じっくり煙草の先を燃やした。

 

吸い込んだ紫煙は森の香りがした。

 

指先の火を舐めて消した、僧さんは口を開いた。

「では、一つ一つ、事実の確認をしよう」

 

「親父殿。貴方の奥方は幽霊族で相違ないな」

「あぁ、儂と同じく血筋全て幽霊族じゃ」

「うむ。そして、(ただ)しく、死んだのだな?」

「…後悔はあったじゃろうが…悪あがき一つせずに、逝った」

「いつ頃」

「前の夏」

「大凡、一年前、か」

「左様」

「死因は」

「病…じゃ。儂も同じくソレで身体を無くした」

()………ふむ……奥方も身体を無くしたのか?」

「いや」

親父の否定に、言葉を繋げる。

「自分が埋葬しました……唯、土に埋めただけです。今思えば、念仏を誦じれぬ己に憎しみが湧きますが」

「その心で十分……身体は今も其処にあるのか」

「つい先日、霊毛にて確認した。間違えようもなく、冷たく脆く愛しい骨ばかりが底に」

「そうか。迷いの根拠は何処から?」

「盆の日に…胡瓜の迎え馬を送り出したのですが、帰ってきたのは半死半生の状態…それでありながら、髪の毛一本を届けてくれたのです」

「成程。合点がいった。それ故の、御子の信頼か」

「そうじゃ。死に物狂いで帰ってきてくれた…あの馬のお陰で妻が未だ次の場所へと辿り着けていない…囚われている事を知れたのじゃ」

「ふぅむ……本気で()()思っているのか、親父殿?」

何を。

「問うておるのは、()()()()()()()()()()じゃろう?」

「失礼した。やはり気づいておられるな。奴さん。憎き無骨者。無礼者。

その者は、誘ってきている。言うならば、奥方は人質。囮。奥方に関係する()()()()()()()()()()()

「一年間、この時代まで生き延びた強き奥方を完璧に手中に収めていた者が、精霊とは言え…一匹の馬に不覚を取る筈無し」

………僧さんの言う事に、何の疑念も反論も浮かばない。

真実としか、思えない。

「その誘いに乗るしか無い事も、奴は理解しておるよのぉ」

感情を削ぎ落とした声を出す、親父。

「で、なければ、こんな回りくどい事はしないだろう。さて、水木さん。拙僧が、水虎のミた事柄に対して…“都合が良すぎる”と言った事、理解してくれたかな…?」

………。

「もし、もしも、水虎さんがミた黒幕の主が、俺達の追っている者と同一人物であるならば……もう、此処に、水虎さんはいない…」

無駄な手掛かりを何度も渡す相手ではない。

「そうだ。この二つの()()は別々だ」

 

「しかして。この国には、こんな言葉があるだろう?

“蛇の道は蛇”

この国の裏側で蠢くモノ共は、必ず繋がっている」

 

「……………ハ、ハハ………天啓にも等しいお言葉ですよ……沙僧さん」

「言葉だけだ。行動するのは君達だ。この()()()で憎き相手の横面に不意打ちを突いてやれ」

「気を抜かす。そう言う事ですね」

「物分かりの良い男は(ハォ)だぜぇ、俺もなぁ!」

 

「ケケケケ!まず、第一の目標が漸く発見出来たな!!水木!!」

「ああ!」

 

鬼太郎の直感は、やはり、間違いなかった。




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