墓場より   作:ひノし

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第四十九話

想像の及ばない速度で捕食を終えられた旧鼠さんは、何度か舌なめずりをした後、ぽつり、ぽつり、と口を開いた。

「さぁて、さて。先ずは突然のお呼び出しをご容赦いただきたい」

水の中の氷が響かせる音を思い出させる声で、老婆は本題を続ける。

「貴方達の追っている犬の怪。

そのモノは此処に来る。それは、あの子が伝えてくれたでしょうや……それは今夜、必ずや辿り着く。

この家に。あの無辜の娘、寝(・)子(・)の(・)元(・)へ(・)。

証拠はありませぬ。証明は叶いませぬ。

しかし、分(・)か(・)る(・)の(・)で(・)す(・)。

わたしゃが妖怪だから…そうではなく…わたしゃが、鼠…だから。鼠の設計、故に」

……火事場に鼠の死体は無い…年寄りの言葉は真実であった様だ。

「奴(・)が、何であるのか。それは分かりませぬ。

奴が、何処から来るのか。それは分かりませぬ。

奴が、どうやって来るのか。それは分かりませぬ。

しかし。

奴が何時来るのかは、分かる。

奴が何故来るのかは、分かる」

真っ暗な和室に老鼠の声は、くるり、くるり、と回る。

「聞かせてください」

「はい。奴は。あの犬は、今夜来ます。

それは、わたしゃの在り方が…教えてくれます。

何故、来るのか。

それは、それは、この家の業。その清算の為に」

業、と。

確かに旧鼠さんは、そう言った。

……報い…だとか、そんな意味であったと思うが。

「わたしゃ、此処に居着いてはいますが…一族ではありませぬ、よく言って客でしょうや。

この家に残された人間は…お分かりでしょうが…あの娘一人きり。

何一つ罪も罰も似合わぬ、当てはまらない、無辜の娘に。

奴(・)等(・)は、報いを要求せんとしとるのです」

奴等?何故、増えた。

「…旧鼠、先の猫は…猫だったモノ達は、その為にか」

「左様。目玉殿」

…あの薄気味の悪い…猫の絵も…何らかのモノノケだったのか。

 

……不可思議が渋滞していて何がそ(・)の(・)ま(・)ま(・)で(・)いるのか判りゃしねぇ。

 

「親の因果に子が報う。

言葉にするのは簡単じゃが…実際に起きりゃあ、これ程の理不尽もありゃせんのぅ」

「奴等に、そんな理屈は通用せん…と説明する必要もありゃせんでしょうや。人間ですら、そんな事知らん…と土足で踏み越えれる者ばかりの世の中。獣に言葉を尽くしたとて…笑い話さね」

「まぁ……のぅ……して、旧鼠…一体…彼等彼女等は、奴等に何をしてしまったんじゃ?あの多量の猫にも、執念の犬にも、どうして恨まれておるのじゃ?」

 

その理由は俺には分かっている。

だが、これ程にまで目の良い親父が見えぬ筈もない。

であれば、何故?

 

「……目玉殿。酷な事を言いなさる」

「しかし、そうしなくてはならぬ。

詳(つまび)に真を計らねばならんじゃろうが。

こんなにも御恩返しをする鼠の為にも。

あの娘の為にも」

……親父の見識は既に、俺の見えている所を遥かに超えている様子であった。

「…むぅん…女の過去を詮索するのはいいただけませんぞ。目玉殿。

………まだ、日がありますな。

では、語りましょうか。この家の事。

この家に起きた事。

私(わたくし)は如何にして心配するのを止めて、寝子を愛する様になった訳を」

 

ゆらり、と、一人でに老婆の傍の灯りに火が…。

 

「この家の生業、三味線を作り売るのが始まったのは…未だこの都市が江戸、と呼ばれた時代。

その時代が終わる頃、わたしゃは産まれた。

今でこそ、この家も街中にあるがね…その時は外れも外れ。街と外…暗闇が蠢く森の近くに。こんなにも光が近い時代でもなし。こんなにも暗闇を恐れぬ時代でもなく。

だからこそ、わたしゃが、ポン、と産まれたのだろうがね。

……暗さ…穢れが近い事もあった」

 

…。

 

「穢れとは。穢れとは何か、なぞ、わたしゃ知らん。

死か?死なんて、どの時代でも、どの土地でも、転がってとる。殺されぬ生物なぞ殆どおらぬし、よしんば、ソレをせんするモノとて…死なん事は絶対になかろう。

大抵は、殺して殺されるのが生きる…生きていく道に必要不可欠。

死を忌諱する。

そんな事ぁ、ある程度の脳みそを持ったモノなら至極当然。

しかし、しかし。

人間は、そう簡単じゃあない。

死そのものだけでなく…死に纏わる物事。

死に近い物事。死を扱う物事。

不思議なもので、みぃんな、死と同じく……。

いや。

 

死(・)そ(・)の(・)も(・)の(・)以(・)上(・)に(・)是(・)等(・)を(・)拒(・)絶(・)す(・)る(・)。

 

みいんな、いつかは、そうなるのに。

 

言葉があれば、世界に通じる。

言葉とは世界を翻訳する為の物。

誰も彼もが、あの家は穢れているなんて思っちまえば…妖怪の一つや二つ、生まれても仕方ないでしょうや」

 

「幼いわたしゃは、わたしゃにとっては余りにも広大な世界(家)の中で、それなりに楽しく生きていた。

突然、産み落とされて、親も仲間もいなくとも。

自分の他に生きているモノは、巨大なナニカだけでも。

 

産まれて何年かして、巨大なナニカが…ヒトっていう者だと、漸く理解出来た。

芸も無く、チューチュー鳴くのも飽きたんで、そのヒトの鳴き声を真似して遊んでりゃ…その内に話せる様にもなった。

……ヒトと話す気にはならんかったが。

………それから。それから。

同じ家のヒト達に興味も出てきた。

柱を齧って、山の様な米を少しばかり戴いてから、こそこそ、ヒトを観察した。

そんな生活をしていたからねぇ…わたしゃ、他の同族から見りゃあ…そりゃそりゃあ奇天烈な鼠だったろう。

人間みたいな鼠。そんな在り方を選んじまったからねぇ。

ヒト達は殆ど家の中からは出ずに、日がな何かを作っていた。

そう。三味線と言う楽器を。

 

最初に作業を見た時、そりゃあもう驚いた!

 

なんか大きな生き物の皮を剥いで、剃って、伸ばして叩いて、引っ付けて、色塗ったりして、そんで細ーい糸を何遍も何遍も通して、最後にゃあ、美しい音の出る物が出来上がるんだから。

妖怪の癖に、ヒト達が、神様に見えたものさ。

 

作業光景は何度見ようとも恐ろしくて仕方が無かったが……三味線の音は格別に気に入った。

産まれて始めてだったんだよ。

あんなにも美しい物に触れるのは。

見た目も、その音色も、それを弾く時だけ穏やかなヒトの顔も。

わたしゃ、好きだった。

 

趣味を見つけて、また何年か経った頃。

その日、その晩は、いやぁに寝苦しい熱帯夜だった。

屋根裏のわたしゃ一人の寝床も暑くて暑くて…涼む為とは言え…家の外に出る気は無く。行った事も無かったしねぇ。

もう、我慢が効かなくなったわたしゃは、家を散歩する事にした。

 

……あぁ、そうそう。

その時のわたしゃ、鬼太郎坊やと同じくらいの背丈だったねぇ。

それでも、例え堂々と真昼間に廊下を歩いたって、誰にもミられやしなかった。

自分もヘンテコな存在である事を自覚したさね。

 

見慣れてはいたが、ある意味では新鮮な我が家を歩き回っていたら…。

ヒト達の寝床から、鳴き声が聴こえた。

いつもなら。いつもなら、気にしなかったが。

その鳴き声がねぇ。最近、増えたヒトの物だったからさ。

 

同族でなくとも、同じ家に住んでんだ。

情が湧いたって仕方ないだろう?

心配になって、何が悪い。

 

不恰好な後ろ足だけの歩行を止めて、得意な四本足で走って行った。

声の方へ。声の方へ。

すると、襖から、灯りが漏れていた。

それは変だったのさ。

ヒト達は、神経質だったからねぇ。

多分、職人肌に故にね。

 

手間が省けたと、これ幸に、襖から中を覗いた。

そしたら。そしたら。そしたら。

 

猫(ヤツ)が、いた。

 

いつもならば、冷たくなって転がっている筈の獣が……なんだか、半透明で朧気で、怪しくなっていた。

 

変なのがいる。

 

呑気な感想を捨てて、去ろうとも思ったんだけど。

そん猫、新入りの喉に牙を突き立とうとしやがったからさぁ。

 

思わずに、ね。

 

 

襖をぶち破って、畳を蹴って。

 

 

 

頭から丸齧りしちまった。

 

 

 

柱よりも…旨くなかったねぇ」

 

「空気でも食べてる様な感触で吐きそうになってから。

自分が何をしでかしかを思い出した。

柱をほんの少し削る。そんなのが可愛いくらいの、大暴れをしちまった、わたしゃ困ったよ。

正直、申し訳なく思ったのさ。

日頃から食い物を掠めているって言うのに。

これ以上の迷惑は、嫌だった。

 

でもね。

なんだか、不思議な事に。

 

若いわたしゃが、想像した展開にはならなかったのさ。

 

流石に襖が吹き飛んだ寝床のヒト達は飛び起きた。

 

……なぁんで、夜泣きで起きなかったのかは。

それは、猫の仕業と、説明はいらんよね?

 

まぁ、目の前の大いに慌てるヒト達の剣幕に、びっくりした…わたしゃ足がすくんじまって。

寝床の……寝室の隅で丸くなってヒト達が落ち着くのを待っていた。

 

流石に…こんな事しちまったらば…ミえんくとも、疎まれるだろう、と、ちょっと落ち込んでいたねぇ。

 

すると、どうだろうか。

ヒト達は、新入り…赤ん坊の姿と無事を確認したら、口々に、こう言うんだよ。

 

“猫が出た”

 

まるで見ていた様に。

誰が赤ん坊を泣かせたのか理解している様に。

 

やっぱり、神様?

 

そーんな幼稚な自分を今は食っちまいたいねぇ。

 

それより、それよりも。

驚いたのは、次の言葉だった。

 

“ありがとうございます。鼠さん”

 

最初、わたしゃとヒト達の他の、ナニかに対してと思って。

どうやら、そんなもんいない事に気づいて。

 

わたしゃ、鼠って名前だって事に感動したよ。

 

次の朝から、屋根裏に一膳が運ばれてくるようになって、更にもっともっともっと感動したねぇ。

あの時の膳以上に美味かった物はないね」

 

「急遽、家の番人に昇格した、わたしゃは更に快適に日々を過ごした。

だって、寝てたって飯が戴けるんだから。

こんなにも楽な事あるかい。

まぁ、寝てりゃあ、ぶくぶく太って屋根裏に居られなくなっちまうからね。夜の散歩は真面目にやったさ。

 

それから。四、五年経って。

信じれない事が起きた。

 

寝ぼけたくなる様な春の日に。

わたしゃ屋根裏で習字に挑戦していた。

指に塗った炭と古ーい障子紙の余りで、だけどね。

 

いろはを何十枚目まで書いていたら。

 

ガタガタ、と屋根裏が揺れたんだ。

家が揺れるなんて珍しい事じゃあないし。

そんな事より、いい加減に(・)ほ(・)へ(・)を書きたかったしねぇ。

 

だからね。

 

“なにしてるんですか?”

 

後ろからの滑舌の悪い声に、心臓が吹き飛ぶかと思ったよ。

 

“ぢゃああああああ!!!??!!!!”

誓って言うがあんなにも下品な鳴き声は、それから一度も出してないよ。

“あぁ!ごめんなさい!きゅうにきて!”

 

家が建ってから、わたしゃ以外の初めての屋根裏の侵入者は、童だった。

 

地下牢に閉じ込められてんのか、と邪推するくらい青が透けて見える白ーい肌の、痩せた童。

外で遊べなかったから、って解るのは、もっと後の事だったよ。

そんで、頭に乗っかっている毛も。

肌と同じく、真っ白。老人でもあるまいに。

これは、いや、これも、あの夜の猫の所為である事に気づくのも、後の事。

後の部位に、なんの感想もないね。

特別、造形が良いって事も無い。

強いて言うなら、目の中の輝きは、好ましいものだったよ。

 

“チューちゅ、ゔっゔん!あーえー…あンタ、ダれだ!!?”

意味が無い習得だと思っていた言語は、ここで初めて使った。

“え!?わ!?は、はなせるの!?ぁ、ですか!?”

 

人様を驚かせておいて、無礼な事を宣う童はわたしゃ以上に目を丸くしていた。

そんな目を見て、また驚くべき事に気づいた。

 

“ミえてるノカ!?!!”

 

“ぁ、ぇ、は、はい!”

 

そんなヒトは、今までいなかった。

 

“あの!その!えーーと!ありがとうございました!!”

 

一体全体何なのか把握できていない若い鼠に、童はいきなり元気の良い言葉と共に頭を下げた。

世間を知っているとは全くいえないわたしゃだったけれど、その言葉を言う場面では無い事は分かっていた。

 

“ちゅ?なにが?いや、だから、どなた?”

 

混乱が弾け飛んで、一周回って冷静になれたよ。

 

“あの、ねこを食べた、ねずみさんですよ、ね?”

 

その言葉で、目の前の童があの時の鳴き声の主だと言う事に気づけた。

……言葉もそうであるし。

何より、その頬につけられた一筋の……。

赤(・)黒(・)い(・)傷(・)の(・)跡(・)が、その証左だったのさ。

 

何年経とうとも、癒えない傷(怨)。

それを間近で見させられた、わたしゃは更に冷静になった。

 

“あぁ…あぁ。あの子か。その、さ、元気かい…?”

 

“おかげさま…おねずみさまで”

 

変な子だったよ。間違いなく」

 

「別段、強制した訳でもないんだけど、童は…虎(・)は…わたしゃとのお喋りを家族に秘密にしていた。

唯一の友達とも言える存在を独り占めしたい、って、可愛げのある思いもあったかもしれないけどね。

まぁ、ねぇ?

どう言った所で、化け鼠に…よくもまぁ恐れず飽きずに毎日毎日、構いに来たものだよ。

………本当に」

 

「わたしゃからすれば、あっという間に虎は大きくなった。天井板が軋む様になってからは、わたしゃが虎の部屋に出向いた。

虎にとっては、恩人で遊び相手。

わたしゃにとっては、いつまでも赤ん坊で、先生でもあった。

虎のお陰で文字の読み書きはヒトと同じ様に出来るまでになった。

そればかりか、何処から調達したか分からない古本で、わたしゃ…わたしゃの妖怪(旧鼠)としての名も、虎は教えてくれたよ。

いい先生だったよ。

家業を継がなきゃ、その道に行っても良かっただろうさ」

 

「また、時は瞬く間に過ぎて。

虎の長い間目立っていた髪の色も年相応と言える様になった。

虎の身体があと何年持つか、それが、わたしゃにゃあ解った。解っちまった。

 

“旧鼠さん……お聞きしたい事があります”

 

床に伏せった虎からの声は、天井裏のわたしゃだけに聞こえた。

 

“なにさ。改まって…気持ち悪いよ”

“この家…この家に…あの者達は、未だ来ているのですか?”

 

言うまでもなく、奴等の事。

………虎が襲われた夜の後、家の者達が害を為された事は無かった。

が。

奴等が来なくなった訳じゃあない。

わたしゃの、捕食が上手くなっただけだった。

 

時代が進んで、自らの魂の存在感が徐々にあ(・)や(・)ふ(・)や(・)になりつつあるのを感じていた。

しかし、どう言うわけか。

わたしゃ…妖怪の在り方が薄らいでいると言うのにも関わらず。

奴等。

奴等は。

一層、濃くなり、また増えていた」

 

親父の言っていた懸念は確かに。

…しかし、奴(・)等(・)には当てはまっていない?

 

「この事は、この後に話しまする」

そう伝えてくれる旧鼠さんの瞳には、先程以上に力強い理性の光があった。

 

「虎の口からの疑問はわたしゃにとって絶望的な物であった。

まさか、まさか。まさか!

虎の病は……。

そうであるならば、わたしゃの……この家のヒト達を、虎を、もう二度と傷つけさせない、そんな誓いは…何の意味も成していない。

 

“やはり、そう、なのですね”

“ねずみさん。大丈夫ですよ。私は。私のこれは。

ちゃんと、まともな物ですよ”

 

今となっちゃ、真偽は不明だけど。

虎の言葉に、わたしゃは少しだけ救われた。

 

“……じゃあ、さ。こんなお化けに話してないで、奥さんと乳繰り合いな。勿体無い”

 

“それは勿論”

 

“この助平爺…”

 

“ハッハッハッ”

“……冗談はさておき…ねずみさん、最後の頼みを聴いてはくれませんか?”

 

“あんた…何回最後の頼みをする気だい?もう、かれこれ十は超えてるよ”

 

“では、最期の”

“やかましい。悪趣味だ。最悪の”

 

“…ごめんなさい。ねずみさん”

 

“はぁ……はぁ〜〜〜〜……何だい”

 

“……この家を頼みます”

 

“あんたは変わらず、変な男だよ”」

 

「ずっと。ずっと。ずっと。この家に住んでいて。

趣味もありしな、番人代わりをしていたわたしゃは。

失くし難い約束を背負う事になった」

 

「その後も。その何年、何十年後も。

虎がいなくなっても。

わたしゃは、約束を護っていた」

 

「そして。十年前」

 

「寝子が産まれた」

 

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