「人様の家族の事を……お他人様が口を出すな、か。善い教訓になったのう」
自分と背丈の同等の筆を巧みに扱いながら。
その御足にしても幅狭な木枠の上で糊を塗りながら。
親父は一言で、今回の怪異を結論づけた。
破れた障子紙を纏めていた俺は、
余りにも突然の言葉に、反応に困った。
今?
「終わったぞ!どうだ、上手いもんじゃろ!」
「お…あぁ…じゃあ、悪いんだが…隅で抑えててくれないか」
「はいよ」
最後に和紙を貼り付ければ、また一つ片が付く。
…今となっては、この後片付けこそが俺達にとっては、
ねこやを襲撃した白狼は、旧鼠さんと一緒に三味線が保管されている部屋にて子供の遺骸を探している。
“手にかけられた事に、異議は無い”
“所詮、この世は弱肉強食”
“それに逆らう気も無い”
“だからこそ”
“代わりに
“骨を拾ってやるのが”
“親の役目だ”
何時の時代の価値観か解らない行動指針の白狼は、
そんな事を云っていた。
確かに…生き死に、に是非もないのだろう。
彼にとっては。
そして、白狼がそうである様に、俺も。
……あの子の為ならば。
己の残虐さを許せる。
…鬼太郎は今夜も奮闘してくれた。誰よりも褒めちぎりたかったが…寝子さんに気づかれる前には、お布団に戻らなくてはいけなかった。
“…………ぼくも手伝うよ”
“何言うとる。はよう寝なさい。寝る子は育つじゃ!”
存外、厳しい父親に説かれた時の表情といったら……
芸術的なまでに、複雑怪奇な有様だった。
「これならいいじゃろ。それ…はめとくれ」
「…お、上手いもんだ。ありがとうな」
「なんの。適材適所じゃよ」
米糊に塗れた親父は、胸を張る。
「…そうだな」
「そうとも……あ……あ!助けて!足が取れん!!」
目玉の親父どころか、目玉のべとべとさんは大いに身を捩って抜け出そうとする。
よりにもよって、薄い紙の上で。
「待て待て!!そのまま!そのまま!
破れるから!動かずに!!」
自分が、どんな見た目になっているかを先に言えば良かった。
あれこれと、午前四時手前。
不器用な男と器用な目玉で苦心して、障子、襖、畳、
の修繕と交換が完了した。
残るは、漆喰の壁のみ。
……のみ、じゃねぇよ。俺。
どうすんだよ、コレ。
「派手にやったのぅ…ハハ‥」
親父さんは蜘蛛の巣状に凹んでいる罅を前にして、
笑ってくれる。
乾いた笑いではあったが。
「…すまん」
…流石にこれは…素人には手に負えないだろう……。
「そんな顔するな。
安心せぇ。壁ならば、腕の良い職人を知っとる」
「…?…!…いや、え?」
間抜けな脳髄は目の前の物体にそっくりな妖怪の姿を浮かべた。失礼ながら。
だが、そんな訳ないだろう。「左様!塗り壁じゃ!」
左様!ではない。
「……職人………いや……そのもの…じゃないか」
突っ立っててもらうのか?そんな無茶を?
「変な疑いを持っとる様じゃが………医者と言い換えりゃあ、納得するか?」
医者。
「成程……?
……しかしだな、親父さん。
こんな夜更けに呼ぶの……忍びないぜ……」
俺の何の変哲も無い言葉に、信じられない、と言わんばかりの表情(?)で、親父は俺の顔をじぃぃぃと見つめて、一言だけ返した。
「あの、な……
顔から火が噴き出る前に中庭へ飛び出して、
苦し紛れに、妖怪
それが、いけなかったのだろう。
「ハッハッハッハッハッ!!!」
「………」「………」
「アヒャヒャヒャ!!!」
「………」「………」
「そりゃ!!どげんな!!こいが本物ん回し呑みじゃぁぁあああ!!!」
「………」「………」
どうやら、宴会を開かれていた御様子で。
呼んではいない二人と一緒に塗り壁が、幾つもの酒樽と一緒に降って来られた。
塗り壁は見た目こそ変わりないが、鐘でも丸呑みした様な…なんせ大きな笑い声が絶えない。
何故か一緒に来た、子泣きのお爺さんは、真っ赤っかな顔をして、ゴロゴロ、と笑い転げている。
そんな二人の前で、一反木綿が
「……やはり、親父さんよ。呼ぶべきじゃあなかったのでは?」
「………………」
いや…なぁ…黙らなくとも……。
「ハハハ……ン…オヤ?」
人一倍、視線が高い所にある塗り壁が俺達に気づいた。
「ン?オ!コレハ、コレハ、水木サン!目玉ノ親父!
ヨク、コラレタ!!」
「来たのは、主等じゃ」
力無い言葉で、親父は訂正した。
空が白んできているぼやけた朝の中、屋敷の中で、
左官仕事の音だけが、響く。
…その隣では一反木綿を布団代わりにした子泣きのお爺さんの鼾が。
「……ヨク事情ハ、聞カヌガ…水木サン、疲レテルダロウ……休マレテハ?」
腹から出したコテで、丁寧な仕事をされる塗り壁の親方が、気遣いの言葉をかけてくれる。
「まさか…宴に水を差した俺達が、呑気に休める訳がありません」「ぐがっ……ごぉー…」
人の頭の上で熟睡している目玉の鼾が、瞼の重みを更に強くした。
「……フフフ…宴ナンテ大層ナ……タダノ晩酌ダ」
「それは…何とも、仲の良い事で。楽しそうな事ですね」
「ハハハ!!チガイナイ!!
土塊と布切れと石ころ、ニャア十分過ギル……………シカシ……今朝ハ、霧ガ濃イ………アノ日ノ様ニ……水木…サン……
コテを止めぬまま、静かな声で俺に問いかけた。
脈絡もなく。
「…何をでしょうか?」
「
改まって、何故、そんな質問をされるのか。
「……えぇと、お行き合いしたのは…確か、去年……あぁと…そうだ…
「……
「はい」
何故、その質問を?
それを問う前に塗り壁は話題を変えた。
「…ホレ…コレコノ通リ…終ワリマシタ…如何カ?」
仕事の出来栄えは格別で、親父の言う通りであった。
長居はする場ではない、と判断され、子泣きのお爺さんと一反木綿も回収して朝霧の中に去られた。
「ゴ自愛を」
匠な塗り壁は、去り際に微笑みと共に心遣いの言葉を残していった。
午前五時過ぎ。
「礼は言わない。あの子の為に」
白狼は一言、吠えて。
「礼など要らない。あの子の為なら」
旧鼠は一言、鳴いた。
三味線を咥えた白狼は朝焼けに向かって一息に跳び、陽から伸びる光を辿る様に駆け、帰っていった。
朝に染まる犬の怪が見えなくなるまで、お婆さんと俺は空を見上げていた。
「これでまた、一匹」
旧鼠さんは、一つだけ息を吐いた。
犬の怪は、終わった。
だが…何も落着はしていない。
人面犬なんて巫山戯た話を編んだ…人間は、自らの見た…見たと思っていたモノに、思い知らされず。正されず。教訓を得られなかった。
傾いた活字は、そんな思い上がった人間を大いに煽るのだろう。戦前、戦中と同じく。戦後も変わらずに。
獣達は憤怒に染まり、無辜の家を襲い続ける。
そして、旧鼠は、いつまでも窮鼠のまま。
呪われた娘を抱いたまま。
白狼はただ
息子の遺骸を慰めに、生きていくのだろう。
自らが肉に成り果てるまで。
誰も、救われない。
少なくとも鼠と狼は、救いを求めてもいない。
求めるは、子の安らぎだけ。
冷たく暗い夜が、頭から離れる事はない。
だからこそ、子供達に。
陽の暖かさ、眩さを一日でも多く、大きく、鮮やかに、胸に残してあげなければ。
暗い夜を照らすのは、月であれども。
月を照らすのは、過ぎ去った陽なのだから。
長い夜も明けて、朝が来た。
何よりも、まずは。
お婆さんと一緒に朝飯を作るとしよう。
ご拝読ありがとうございました。