元レガ主のワイ、二度目の転生はケモ耳美少女だった件 作:アルティメット穢れた血
今回はちょっとだけ時系列が先に進んでいる箇所があります。
若干先の展開のネタバレになるかも……?
外は昼間ながらも薄暗い、「小屋」と称しても間違いなさそうな小さな家の中――
生活に必要な最低限の家具や品々しか存在しないそこの質素なベッドの上に1人の老人が横たわっていた。
特に手入れもされていない髪や髭は降り積もった雪かと思うほど白く、その身は「骨と皮だけ」と言ってしまっていいほど痩せ細っており、見るからにその命はもう長くはなさそうな雰囲気を全身にまとっている。
唯一衰えを感じさせないのは両目に輝く青い瞳だけだが、それも天井ではない“どこか”をずっと眺めているため、やはり死期間近という印象を払拭するにはいたれそうにない。
「俺の人生は結局なんのためにあったんだろうか……?」
それは誰に対する問いかけか、老人の口からそのような言葉が漏れる。
もしかしたら問いではなく、自らに対する確認かもしれない。
――だが、それに答える声は誰の口からも発せられることはなかった。
そこにいるのは寝ている老人ただ1人だけなのだから当然のことである。
「俺が生まれた意味は、本当に――」
そう言いながら老人はゆっくりとその目を閉じた。
死んだわけではない。
ただ眠りについただけだ。
この数か月、老人はほぼ毎日このような生活を繰り返していた。
生きているのか、はたまた死んでいるのか――
老人自身にもわからない生活サイクルである。
――その男は別に特別な家柄や血筋の生まれではなかった。
強いて挙げるなら彼の両親は揃って魔剣士であったというくらいである。
貴族ではないとはいえ、そのような血を引いて生まれてきたのだから男も当然将来は魔剣士を目指すのだろうと誰もが思っていた。
しかし、彼が憧れたのは剣を握ることではなく、そんな剣を握る者たちの命を救う道――すなわち医者であった。
その理由は男自身にもわからない。
気がついた時にはその道を行こうと彼は決心していた。
幸いなことに、男のその夢を両親は反対しなかった。
むしろ、それを「素晴らしいことだ」と言って応援していたほどである。
――だが、現実というものは甘くはなく、男が15歳になる直前にそれは強大な壁として彼の前に立ち塞がることとなった。
先も述べたが、彼の家は貴族ではない。
どれだけ技術や文化が発展・発達しようとも、生まれた家柄や身分で生きる道はほぼほぼ決められてしまうのがこの世界である。
それはどの国家、どの種族であろうとも同じことだ。
――両親が魔剣士であったとはいえ、ただの平民階級の平凡な家庭で生まれ育った男に医学のための門を開く学び舎が存在しなかったのである。
男の家にそれなりに金があれば受け入れてくれる物好きが現れる可能性もあったが、残念ながら彼の実家はお世辞にも「裕福」とは呼べなかった。
普通の者ならばこの時点で別の道を探すだろう。
しかし、男はこの世界の人間にしては諦めが悪かった。
――他人から医学を学べないのなら自分で学べばいい。
そう考えた男は、あろうことか「冒険者」として生まれ育った故郷を後にした。
旅をすることで独学で医療を身につけるか、旅先で自分を受け入れてくれる医学の門を見つけ出そうという魂胆からである。
――当然、それも上手くいくわけがなかったのだが。
結局男は医者になることはできず、冒険者としても大成することなく若年期を終え中年期に突入してしまった。
せいぜい旅を続けたことで人並みよりは若干上の医学知識を得たくらいである。
「こんなことなら最初から親父たちのように魔剣士の道を選べばよかった……」
そんな後悔を口にする頃には「故郷に帰る」という選択肢すら男の中には浮かばなくなっていた。
ひとえに恥ずかしかったからである。
大見栄を張って故郷を旅立っておきながら、「なんの成果も得られませんでした」と言っておめおめと帰るほどの度胸は男にはなかったのだ。
――だが、男とて人である以上、本当になにも得ることができなかったわけではない。
なにかを成せば必ず得るものはあるのだ。
たとえそれがどれほど些細なことであっても。
男はとある田舎の集落に身を置き家庭を持った。
「村」と呼んでいいのか疑問に感じるほど小さな集落であったが、男はそこが大変気に入った。
それこそ、自らに残された時間のすべてをここで消費してしまってもいいというくらいに。
――そこで出会ったエルフの女性に一目惚れして、お近づきになりたいあまり村に入り浸っていたら自然と村人たちに受け入れられたからというのが理由ではあったが。
きっかけはどうあれ、こうして男は結婚して妻との間に一児を儲けた。
結婚相手の女性は当然一目惚れしたエルフである。
『人は何者であれ必ずこの世界に生まれたことに意味がある』
その頃の男の脳裏にたびたび浮かんだその言葉は、彼が幼少時に父から「先祖代々家に伝わってきた」として耳にたこができるくらいに聞かされていたものだ。
「俺が生まれた意味はきっとこういうことだったんだろうなぁ……」
愛する妻と子を横目に、男はそんな惚気を誰にも聞こえないように口にする。
夢破れこそしたが、こうして男は人並みの幸福を掴み取ることができたのあった。
――その幸福は、生まれた娘が齢二桁になろうかというところで「悪魔憑き」を発症したために終わりを迎えたが。
「悪魔憑き」を治す方法はなく、そしてそれが発症する原因や経緯もわからない――
ゆえに、「悪魔憑き」が出た家庭や集落が選ぶ道は2つだけ――
「“悪魔憑き”を殺す」か「“悪魔憑き”を捨てる」――
こうすることで「悪魔憑き」が伝染・蔓延するするのを防ぐ、それがこの世界の常識だ。
――しかし、その村の人々、そして男は違った。
「ただ俺たちが知らないだけで、救う手立てがこの世界のどこかにはあるはずだ」
そう言って男は村で腕に自信がある若者数名を連れて「悪魔憑き」の治療法を探す旅に出た。
かつて医者を目指していたがゆえの意地か、それとも単に親ゆえの娘可愛さから選んだ道であるかは男にもわからなかった。
――少なくとも、なんの罪もない子供を死なせたくなかったことは事実である。
「遅くても1年後には一度村に戻ってくる。
それまでは頼んだぞ――!」
村を出る直前、男は妻にそう言い残していた。
――それが夫婦の交わした最後の言葉になろうとは、この時の男には当然想像もつかなかった。
男と同行した若者たちは約束どおり1年後に村に戻ってきた。
しかし、彼らが戻ってきた時すべては終わっていた。
――男たちを出迎えたのは村人ではなく、変わり果てたかつて村だった廃墟郡と荒れた大地だった。
呆然とする男たちの前に、気がつくと1人の女がいた。
話を聞くところによると近くの村から来たらしく、珍しく人の気配を感じたのでここまできたのだという。
――女は男たちにここでなにがあったのかを話してくれた。
事の発端は半年ほど前、彼女の村の教会に突然「“悪魔憑き”が出た」と言って駆け込んできた者が現れたらしい。
それを聞いた教会の神父が『聖教』の本拠地である宗教国家オルムに遣いを送り、「浄化」を依頼した。
その後、オルムからの要請を受けた聖職者たちと見知らぬ騎士団たちが男たちの村に赴き「浄化」を行ったのだという。
「詳細はあたしたちにもわかんないけど、“悪魔憑き”は村全体に広まっていたみたいでねえ……
村にいた者は老若男女問わず天に帰されたそうだよ?」
終始他人事として語る女が最後に言ったその言葉は男たちの耳には届いていなかった。
その後、男たちは各地へ散った。
ある者は冒険者となり、ある者は別の居住地を求め、ある者は人知れず姿を消した。
――ただ1人、男だけは廃墟と化した村に残りそこで再び暮らし始めた。
だが、その暮らしはもはや「人の営み」と呼ぶにはあまりにも虚しすぎるものであった。
朝に目を覚まし、昼すぎまで近くの森や山でその日の食事となるものを探す――
そしてその傍ら、村の外れにいくつもの穴を掘った。
それは死んだ妻子や村の者たちを葬るための墓穴だった。
――そうして作られた墓に納められた者は誰1人としていなかったが。
夕方になると食事の支度をはじめ、やがて夜に食事をするとそのまま眠りにつく――
そのような生活が何年も、何十年も続いた。
いつしか男は、もう自分が生きているのか死んでいるのかすらわからなくなった。
「うわっ!?
人いたの……?」
すっかり男が年老いたある日、1人の少女が村にやってきた。
その少女は獣人だった。
男が獣人と出会うのは実に数十年ぶりのことである。
「イヨ」と名乗った銀色の髪と灰色の瞳をした獣人の少女を男は家に招くことにした。
特に理由はない。
単に久しぶりに人と会えたことが嬉しかったのか、はたまた寂しさからか――
ともかく、男は自宅に少女を招き、少女もそれを承諾した。
「お前さんのそれは“悪魔憑き”だ」
「アクマツキ?
これってそういう病気なの?」
「……知らんのか?
この世界に生きている者なら誰もが知っていることだぞ?」
「獣人を診てくれる医者を探している」という少女に対して、男は自らも少しだけ医学の知識があると語った。
すると、それを聞いた少女は男を医者と勘違いしたのか、いきなり服を脱いで「じゃあ早速診てくれ」と男に自らの胸元や左肩周辺を見せてきた。
――アザのように黒くなった皮膚がそこにはあった。
「悪魔憑き」の初期症状だ。
「自慢じゃないけど、生まれてからずっと少数の部族だけで暮らしている里の外から出たことがなかったものでね」
「つまり、自分は知らなかったが“悪魔憑き”を発症したからそこを追い出されたってわけか?」
「――違う。
1年くらい前に里を盗賊っぽい連中が襲撃してきてわたし以外みんな死んだ。
里も燃えてなくなった」
「……すまん。辛いことを思い出させたようだ」
「ああ、いいよいいよ。
里が燃えちゃったのはわたしが原因だし……」
苦笑いを浮かべる少女の顔に若干の影がかかっていることを男は見逃さなかった。
この世界では少女の身に起きたようなことは珍しくないが、それでもこうして目にすると男をどこかいたたまれない気持ちにさせた。
――少女の顔に影がかかった実際の理由は、辛い過去を思い出したからではなく、魔法を暴発させてしまった当時の己の未熟さからなのだが、ここではそれは置いておく。
「――お前さん、これからどうするつもりだ?
その様子だと長く持っても1年かそこらで死ぬぞ?」
「どうするもこうするもないよ。
とりあえずこのまま旅は続ける。
行けるところまで行ってみるだけさ」
「……正気か?」
「正気だし本気。
誰だっていつかは死ぬ。遅かれ早かれね。
だから“余命1年です”なんて言われてもわたしは自分を曲げたくない。
わたしを信じてくれた人たちを裏切るようなことだけはわたしは死んでもしたくない」
少女――壱与はそう言って男に対して白い歯を見せながらニッと笑った。
その顔は「死」を否定しているのではなく、「死」を受け入れているからこそ浮かべることができるものだと男にはすぐに気づけた。
――かつて「悪魔憑き」を発症した最愛の娘が見せていた笑顔とはぜんぜん違ったからだ。
強がりでこのような顔を他人に――それこそ家族のような心許せる者に対しても――見せることなどできはしない。
「……なんのためだ?」
「はい?」
「自分の“死”を受け入れているのに、なぜお前は生きようとする?
それになんの意味があるんだ?」
思わず男の口からそのような言葉が壱与に対して飛び出してしまった。
実は男は壱与がこの先どう生きていけばいいかわからなければ、自分の家でこのまま暮らすように言うつもりだった。
――そう言おうとした理由は、やはり男自身にもわからない。
もしかしたら壱与をいつの間にか自分の娘と重ねて見ていたのかもしれない。
だが、壱与が男に対して放った言葉はそんな彼の気持ちを否定――いや、男に対して別の答えを示そうとしていた。
男にはそんな壱与の言葉が胸に刺さり、同時にそれを口にした壱与が眩しすぎたのだ。
「なぜ生きる――
なんのための“生”か――」
そのようなことを口にしながら壱与はう~ん、と考える。
「別に大層な理由はないんだけどね……
やりたいことがまだあるっていうのもあるし、たぶん今死んだら満足できないんじゃないかなっていうのもある――」
だけど、と言って壱与は男のほうに顔を向けて再び笑みを浮かべる。
「たぶんみんな同じなんじゃないかな?
自分がなんで生まれたのか、自分がなんで生きているのか――
その答えや意味を知りたいから生きてんじゃない?」
――男は自らの視界と脳裏に光が差し込んだ幻を見た。
「――本当にいいの?
気休め程度とはいえ手当してもらって一泊させてくれたうえに、こんなものまでもらっちゃって?」
そう言う壱与の手には鞘に納められた一振りの短剣が握られていた。
数十年もの間男の家の棚の奥で眠っていた代物である。
しかし、それだけの歳月が経過していながらも短剣には錆びついた様子も刃こぼれなども見られなかった。
――もしかしたらただの剣ではなくアーティファクトの類なのかもしれない。
「構わねえ。
そいつは俺が若い頃故郷を発つ時に親父から渡されたもんだ。
先祖代々伝わるものらしくて、そいつだけは最後まで手放すことができなかったんだが……」
「ふぅん……
まあ、タダより安いものはないからありがたく受け取っておくよ」
剣をマントの中にしまい込んだ壱与は、隣にいた漆黒のヒッポグリフ――カリゴの背に軽々とした身のこなしで飛び乗る。
ひとまず向かう場所は昨夜すでに決めていた。
「確か“ミドガル”って国でいいんだよね?」
「ああ……
数十年も前に聞いた話のうえに、所詮は噂だから信じていいかはわからんが……」
「可能性がゼロじゃないなら賭けてみるよ」
そう言って壱与は昨日のように白い歯を見せながら男に向けて笑顔を見せる。
今さらながら見ていると安心する笑顔だな、と男は思った。
――ミドガル王国。
数十年前、「悪魔憑き」の治療法を探していた男はこの地にまつわるある噂を聞いた。
それは「ミドガルには“悪魔憑き”を治すことができる治癒師がいる」というものだ。
かつてこの話を耳にした男はこれにすがろうと娘たちが待つ村に大急ぎで戻ったが、すでに手遅れであったため真実を知る機会を得られなかった。
もしこの噂が事実であり、今もその治癒師がこの世に存在するのであれば――
「たぶんお前さんならこの先なにがあっても大丈夫だろう。
理由はわからんが、そんな気がする」
「ありがとう。
おじいさんも長生きしなよ?
――それじゃ!」
壱与を乗せたカリゴが勢いよく大空へ向かってその両翼を広げながら飛翔していく――
男はそれを見送りながら「今のが最後に交わした会話にならなければいいな」と心の奥底で思った。
――コンコンと家の入り口の扉をノックする音で男は目を覚ました。
男には最初、それが老いたがゆえの幻聴かと思ったが、再び扉がノックされたために現実だということに気づく。
だが、残念なことに男にはもう扉を開けるどころか起き上がる力すら残されていなかった。
あれから2年ほどの歳月が経過し、男はさらに年老いた。
もはやいつ死を迎えてもおかしくないほど彼の体は限界を迎えていたのである。
「思っていた以上に早いもんだ……」
自嘲気味に男がそうつぶやくのと同時に、扉から音が消えた。
――それにしても、昔のことを夢に見るとは。
これはとうとう最期の時が近いのかもしれない。
男はそう考えるのと同時に、2年前に出会った獣人の少女――壱与のことを思い出す。
あれから彼女はどうなったのだろうか?
結局噂の治癒師は見つかることなく、「悪魔憑き」によってその生涯を閉じてしまったのか――
それとも、聖教の連中に捕まり「浄化」と称して処刑されてしまったか――
「あいつとまた会うことが俺の生まれた意味なんじゃないかと思っていたんだがなぁ……」
現実というものはやはり残酷だ――
男がそう言おうとしたところで、彼の耳に奇妙な音が聞こえた。
――それは入り口の扉にかけられた鍵が開く音だった。
(こじ開けられた!?
まさか、さっき来たのは盗人だったのか――?)
男がそう思い扉のほうに目を向けると、扉が開きひとつの影が陽の光を背にして男の視界に映し出された。
――その人物は黒衣と黒いマントを身にまとっていた。
マントにはフードが付いており、それを深々と被っているため相手の素顔はわからない。
(やはり盗人――!)
その姿を見た男はそう確信して今の自分が出せる精一杯の声を相手に向けて放った。
「残念だが、この家には金になるものなんてなにもねえ……
この俺の命に価値があるのなら別だがな――」
男のその声に、黒衣の人物の体が一瞬だけビクリと跳ねるように反応する。
――だが、その言葉に対する相手の行動は男が想像していたものとは違った。
「ご自身の命には価値がない、と?
とんでもない。あなたの命に価値はありますよ。
少なくともわたしにとっては――」
若い女――いや、まだ幼さ残る少女の声。
それと同時に、黒衣の人物は被っていたフードを外した。
「そう……
金貨を何十枚、何百枚重ねても足りないほどの価値が――!」
銀色の髪、灰色の瞳、そしてフードが外されるのと共にぴょこんと飛び出すように上に伸びた犬のそれのような耳――
およそ2年前よりやや大人っぽくなっているが、男はその顔を忘れてはいなかった。
「お前さんは……!
まさか、あの時の――!?」
「はい……!」
黒衣の人物こと壱与は一度力強く頷くと、男が横たわるベッドに近づく。
そして彼と同じ目線の高さになるようにその身を屈めた。
「――本当はもっと早く会いに来たかったです。
こっちもいろいろとあったもので……」
「お前さん……本当に壱与なんだな?
“悪魔憑き”は、どうなった――?」
男のその言葉に壱与は白い歯を見せて笑う。
そしてゆっくりと立ち上がると同時に、彼女が身にまとっていた黒衣とマントがその体を伝うように溶けて床に落ちた。
――あらわになった壱与の体は全身が白く輝いており、かつて「悪魔憑き」の症状が出て腐敗していた箇所も本来の美しさを完全に取り戻していた。
「おぉ……!」
「あなたが教えてくれた噂は真実でした。
まあ、そのせいでちょっとめんどくさいことに巻き込まれてしまいましたが……」
苦笑いを浮かべる壱与の体に黒い液状のものがまとわりつく。
それは次の瞬間、先ほどまで壱与が身にまとっていた黒衣とマントに姿を変えた。
「――あなたのおかげでわたしはこうして生きています。
だからわたしにとってあなたの命にはどれだけの金貨にも勝る価値がある――」
再び身を屈めた壱与はそう言って男の右手をそっと握る。
たった2年ほどしか経過していないのにその手は当時よりもはるかに細くなっており、今にもポキリと音をたてて折れてしまいそうだった。
――しかし、そこに込められた熱だけはあの頃のままである。
「――俺がこうして生きていられたのもお前さんのおかげだ」
男の口から声が漏れる。
それは明らかに喜びで震えていた。
「きっと……今この瞬間こそが、俺の生まれた意味だったに違いねえ」
男のその言葉に壱与は黙って頬を緩めながら頷いた。
彼女の目から雫が落ちるのはそれと同時だった。
――男が世を去ったのはそれから3日後のことである。
それまでの3日間は壱与が常に男のそばにいた。
「――ちょっと派手に作りすぎたかな?」
完成した
彼女の目の前にあるもの――それは墓だった。
そこは死んだ男が暮らしていた村の外れにある共同墓地――
中に誰も入っていない簡易の墓がずらりと並ぶそこに、新たな墓がひとつ加わった。
石でできた立派な墓標に葬られた男の名前が彫られた、まさに「墓」と呼べる代物である。
とあるエルフの大商会に頼んで手配した特注品――
さすがの壱与もこればかりは魔法で作る気にはなれなかった。
「――それ、結局返さなかったんですね」
突然そんな声が聞こえると共に、背後から人の気配を壱与は感じ取った。
その声と気配には覚えがあったので、壱与はニッとその顔に笑みを浮かべながらその場で振り返る。
「やあ、ニコレッタ。
半月――いや、20日とちょっとぶりかな?
新しいお仕事大変じゃない?
パワハラとかされてないかい?」
「……前々からおっしゃってますが、その名前で呼ぶのはやめてください」
「なんで?
本名なのに……」
壱与が振り返った先にいたのは、壱与同様黒衣と黒いマントを身にまとった女性だった。
「ニコレッタ」というらしい女性は、フードを被って隠している顔に呆れの表情を浮かべながら再び口を開く。
「今は“ニュー”とお呼びください。
ニコレッタ・マルケスはすでにこの世界からは抹消された存在なのですから……」
「これまで何度も言ってるけど、それは一時的な話だよニコレッタ。
教団がなくなって歴史の真実が明らかにされれば、君たちはまた本来の生活を取り戻せるはずだ。
まあ、君の場合はマルケス家が御家取り潰しとかにならなければの話だけど……」
「ですから……」
なにか言いかけたところでニコレッタはわざとらしくため息をつく。
言っても無駄だと悟ったからである。
壱与とのこのようなやり取りは今日まで何度もやってきたことも理由のひとつだ。
――作戦行動中や特定の状況でなければ、壱与は必ずと言っていいほど相手を本名で呼んでくる。
「繰り返し尋ねますけど、その剣お返ししなかったんですね?」
「ああ、うん……
もう使わないだろうと思って返そうとしたんだけどね……
“俺にももう必要ない”って言われて突っぱねられちゃった。
そう言われた手前、勝手に棺に入れるわけにもいかなかったしね……」
そう言う壱与の左手には約2年前に男から譲られた短剣が当時の姿のまま握られていた。
あれから何度か使われたことはあったが、結局壱与からは「サイドアームとしても不要」と判断されてしまったのである。
「――ニコレッタ、よかったらこれいる?
よくわからないけど、君ならボク以上に使いこなせそうな気がするんだ」
「結構です」
「そうかぁ……」
どうするかなぁ、などとつぶやきながら壱与はその短剣をひとまずマントの中に収容した。
「それよりも、アルファ様から言伝を預かっております」
「またか!?
あのインテリ面クソエルフ、今度はボクになにをやらせる気だ!?」
「詳細は直接お伝えするとのことですので、私からは――」
「あ~……ハイハイ。
それじゃあ、話は移動しながら聞きますよ~……」
壱与はそう言ってマントのフードを深々と被りながら歩き始める。
その横につくようにニコレッタも歩き始めた。
やがて2人が去ったその場には新たにできた墓だけが残った。
その墓標には次のような文字が刻まれている。
――我が偉大なる恩人フィグ、ここにやすらぎ横たわる。
道征く者、どうか我が恩人のための土を持ち去ることなかれ。
その言葉を刻んだ者の真意を知るのは、当然それを刻んだ当人だけである。
壱与の一人称が「ボク」になっているのは作者のミスじゃないです。
そしてイッチは奇しくも前世での恩人と同じ名前の人に恩を受けていたという話。