ピアノ少女は語らない
いつからだろう、この音に魅せられたのは。
いつからだろう、この音が当たり前だと思うようになったのは。
どうしてだろう……私がこの音を拒んでしまったのは。
……違う、私が壊したんだ。
何もかもを。
自分の音を……自分の全てを。
だから私はもう二度と、鍵盤にこの指先の熱を伝える事はないと……そう思っていた。
それでいい、それが私の選んだ道だ。
でも違った。
あの日、あの時見た光景が……あの時の音が……私の中でバラバラに砕けていたナニカに響いて、木霊した。
わからない。
私はロックンロールの何たるかなんて、知らない。
それでも分かる事はある。
彼女達の熱と音の重みが……これこそが、ロックなんだって。
もう一度言うが、私にはロックンロールの知識なんて何一つない。それでも、ソレに私は救われた……気がした。
一歩踏み出してみよう。
あの日、失ったナニカを拾い上げて……もう一度、あの音を奏でてみよう。
許されるのなら……もう一度、この音を届けよう。
私の……────に。
*
???side
昼休みの過ごし方は人それぞれだ。
友人と昼食を囲み談笑する人もいれば、グラウンドで友人と遊んで過ごす人もいる。
いずれも私には縁の無い話。
もっとも、それを羨ましく思った事は一度もない。
私は最初から孤独……いや、孤独であり続ける道を選んだのだから他人を羨む道理などない。
そんな私はお昼休みである今現在、何をしているのかと言うと……音楽室の前に佇んでいた。
手には職員室で教師から借りた鍵が握られている。
この時間なら、誰にも邪魔される事はない。
しかし、鍵穴に鍵を差し込み鍵を回そうとした刹那……その思いは疑問へと変貌した。
鍵が既に開いている。
鍵穴に鍵を差し込んだままドアノブに手をかけて、静かに回す。
キィィ……とドアの軋む音が鳴り響く。
やはり開いている。
何故?
誰かが既に居る?
疑問を払拭出来ないまま、音楽室に足を踏み入れる。
誰もいない。
室内を見渡しても人っ子一人もいない。
きっと午前の授業で使ったクラスが鍵を閉め忘れたのだろう。
自分の中でそれっぽい答えを導き出し、この疑問に終止符をうった。
準備室からパイプ椅子を引きずり出し、ピアノの前に置いて腰掛ける。
すーっ……っと鍵盤を指先でなぞる。
久しぶりの感覚だ。最後にこれに触れたのは……5年前だろうか。
鞄から譜面を取り出し、譜面台に立て掛ける。
何度もしてきた動作なのに……新鮮な感覚に襲われた。
練習曲作品10第3番ホ長調、別名『別れの曲』
私が一番好きな曲。
そして……私から全てを奪った曲。
いや、この曲に罪はない。
全ては私が選んだのだから。
深く息を吸い込み、静かに吐き出す。
内側から込み上げてくる感覚を飲み込む。
鍵盤に手を置き、這わせた指が4分30秒の旋律を奏でる。
ただただ、無心に。
あの頃の再現をするかのように。
*
後藤 ひとりside
私はいつも独りで居られる場所を探している。
人の輪に入るのが苦手だから。
人と向き合うのが苦手だから。
お昼休みの時間になると、私はさっさと教室を抜け出し独りになれる場所を探していた。
そしてたどり着いたのがここ、音楽室だった。
日当たりが悪く湿気の高く、人気もないこの場所は私にとって好都合だった。
幸い、鍵は開いていたので今日の昼休みはここで過ごそうと決めて音楽室の隅っこで膝を抱いて座ってると……突然、音楽室のドアが静かに音を立てて開いた。
誰かがやってきた。
本能的に気配を消し、体が縮こまる。
その甲斐があってか、音楽室に入って来た人物は私の存在に気付いた様子はなかった。
その人物は隣の準備室に入り、パイプ椅子を持ってきてピアノの前に置いた。
ピアニストだろうか?
チラッと見えた横顔と体つきはまるで五月人形をそのまま人間にしたような少女だった。
下級生なのかもしれない。
思考を巡らせていると、その少女はパイプ椅子に腰掛けて譜面を取り出し、ピアノを演奏し始めた。
その旋律で張り巡らされていた思考から現実へと引き戻された。
どこかで聞いたことのある音楽。
クラシック音楽なのは分かるが、名前までは分からない。
それでもこの曲が難しい曲だというのは理解できた。
寸分の狂いもなく、決められたリズムで奏で続ける。
そんな彼女の音に……私は、魅せられていた。
儚さ、悲しさ、苦しさ……様々な負の想いが混ざり合い、それでいて各々の想いがハッキリと聞こえてくる。
音が鳴り止んだ。
演奏が終わったのだろう。
考えるより先に私は立ち上がり、惜しみない拍手を送った。
そこでハッとなり、再び音楽室の隅に座り込んだ。
「いきなりしゃしゃり出てごめんなさい。私みたいなクラシックを知らないミジンコ以下の下等生物が出過ぎた事をしてごめんなさい……」
早口でごめんなさいと復唱していると……ピアノ少女はこちらに一瞥する事もなく立ち上がり、荷物を纏めて音楽室の出入り口まで歩を進めた。
完璧に無視された!?
そうですよね……私なんか、誰にも相手にされないゴミクズ……。
暗い気持ちを抱え込みながら俯いていると、音楽室のドアが開き、聞き慣れた声が室内に響いた。
その方向に視線を向けると……
「やっと見つけたわ、ひとりちゃん!」
喜多 郁代ちゃん。
クラスメイトで、同じバンドに所属する……友人がそこに居た。
そして同時に、こちらへ振り向いた黒髪束髪のピアノ少女とも……目が合った。
*
???side
指先に残る熱に名残惜しさを感じつつ、私は譜面を鞄に仕舞って立ち上がった。
あの頃と何も変わらない。
いや、あの頃よりも……実感が湧かなかった。
私にはもう、あの音を感じる事は出来ないのだろうか。
あの時感じた熱と重みはもう、二度と味わえないのだろうか。
思考の海を深々と潜りながらドアノブに手を掛けようした刹那……ドアが開いた。
「あっ、どうもー……?」
巻き髪に整った顔付きを引き立てるナチュラルメイクが印象的な上級生、喜多 郁代さんと目が合った。
会釈を交わし、音楽室から立ち去ろうと思った刹那……背後から視線を感じた。
視線の正体を見つけようと振り向くと……そこにはピンクジャージで身を包む上級生……後藤 ひとりさんが体育座りしながらこちらを窺うように視線を向けていた。
*
後藤 ひとりside
「あっ、その……えと……」
喜多ちゃんが私とピアノ少女を交互に見て、口を開いた。
「ひとりちゃん、この子と知り合い?」
「いっ、いえいえいえ!?!? 私なんかが知り合いだなんて烏滸がましい事……あっ、勝手に演奏を聞いてごめんなさい……かくなる上はギターで切腹を……」
「一年の子よね? 名前は確か……」
喜多ちゃんがピアノ少女に尋ねた。えっ、喜多ちゃんの知り合い?
『姫榊 花奏』
ピアノ少女は制服の内ポケットからメモ用紙とボールペンを取り出し、文字を書いて私と喜多ちゃんに見せた。
「ヒメサカキ……カナデ?」
フルフルと首を横に振るピアノ少女。
『ヒサカキ』
再びメモ用紙に書いてこちらに見せた。
「そうそう! ヒサカキ カナデちゃん! 確か同じ中学だったわよね?」
コクンと頷くピアノ少女。
その動作も含めて、まるでお人形さんのような印象を受けた。
ピアノ少女……もとい、姫榊 花奏さんは喜多ちゃんから私へ視線を移す。
「……………………」
あ……圧が凄い……!
なんでか知らないけど、睨まれてる……!?
勝手に演奏を聞いた挙句、名前を間違えたから!?
『どうだった?』
「へっ?」
姫榊さんはメモ用紙にそう書いて、私に見せた。
ドウダッタ? ……どうだった?
あっ、さっきの演奏の事……?
「あっ、えっと……モーツァルト?」
当てずっぽうでさっきの曲の作曲家を答えてみた。
『ショパン』
姫榊さんは即座にメモ用紙を見せて私の回答を訂正した。
「ごごごごごめんなさい! 打ち首獄門だけはご勘弁を……!」
『後藤ひとりさん』
「あっはい?」
あれ? 私、名乗ったっけ?
そう思考を巡らせた瞬間、不意に手を握られた。
「……!?!?!?!?!?」
えええええええええっ!?
なに!?
なにごと!?
なぜ!?
あっ……姫榊さんの手、小さくて柔らかい……それに喜多ちゃんや虹夏ちゃんとはまた違ったいい匂いがする……うへへへへ……
『施錠と鍵の返却、お願いします』
「うへ?」
いつに間にか手を離していた姫榊さんは、メモ用紙を見せて踵を返し音楽室から出ていった。
呆然としていると、手の中で何かを握っている事に気がついた。
私の手には音楽室の鍵が握られていたのだ。
あれ、これってもしかして……
「パシられたーーーーー!?」