「お姉様の声と音を奪ってしまった私に……生きる価値なんて無い!」
それは違う!
そう伝えたくても、私には伝える術がない。
私の世界は閉じてしまった。
その所為で────の世界まで終わらせるわけにはいかない。
なりふり構っていられなかった。
考えるより先に、体が動いた。
「おねえ……さま……?」
そんな悲しそうな顔しないで。
貴女には笑顔でいてほしい。
「いや……いやっ……!」
左側の脇腹に生暖かい感覚を抱く。
私がどうなっても構わない。
貴女の為なら命なんて投げ捨ててやる。
だって貴女は私の────だから。
*
後藤 ひとりside
扉越しにピアノの音色が聞こえる。
顔が見えなくても、誰が演奏しているのかはすぐに分かった。
きめ細かく、それでいて力強い旋律。
全ての音が鮮明に響き渡り、耳を、脳を、指先を震わせる。
おどろおどろしい雰囲気の中に見え隠れする優しさ。
彼女はどんな気持ちを込めて弾いているのだろうか。
絶望? 悲しみ? 希望? 愛? 怒り? 後悔?
……きっと、全部。
伸ばし切らずに叩きつけるような一音で演奏が終わり、そこで理解する。
今までの旋律は、この一音の為の前奏に過ぎなかったのだと。
今の彼女が何を思っているのかは分からない。
それでも、彼女は『一緒にいたい』と言ってくれた。
私はその想いに応えたい。
決意を胸に秘め、扉を開ける。
例えこれから何が起こっても……何が過去にあったとしても、後悔なんてさせない。
私もあなたと一緒にいたいから。
*
伊地知 虹夏side
「ん……ふわ〜……」
結局、昨日はまともに寝れなかった。
「珍しく眠そうだね」
リョウはそう言っていつものように机を向かい合わせ、弁当箱を広げた。
弁当箱の中に野草がギッチリと詰まってるのは、きっと私が寝惚けて見間違いをしているからだ。
「あ〜……まあ、ね」
「もちゃもちゃ」
寝惚けて見間違いなんてしてなかった。
もしゃもしゃと野草を食べ始めたよこいつ。
「私のお弁当、食べていいよ。今日は食欲ないから」
鞄から弁当箱を取り出してリョウの目の前に置く。
「有難き幸せ……いただきます」
昨日の件は誰にも話していない。
話せるハズがない。
「は〜……」
「姫榊のこと?」
「うっ」
こいつ、普段は頭からっぽのクセに勘付く時は勘付くんだよね……。
「まあ……うん」
「ふーん、そっか」
そう言ってリョウは弁当箱の中身を食べ始める。
「聞かないの?」
「…………虹夏が言いたくないならそれでいいよ」
口の中の物を飲み込み、いろはすを飲んでからそう言った。
所々で育ちの良さが垣間見れるんだよね。
「どうしろってんだか……」
机に突っ伏して独言るしかできない自分が情け無い。
*
喜多 郁代side
お昼休みになり、私は足早に音楽室へ向かう。
きっと、ひとりちゃんと姫榊ちゃんはそこにいる。
その予感は当たっていた。
ただ、この状況は流石に読めなかった。
「……なにこの状況?」
「えっ、あっ、あぅぅ」
ひとりちゃんの目の前で、姫榊ちゃんが土下座をしている。
……ほんとにどんな状況?
とりあえず、姫榊ちゃんの肩を軽く。
彼女は顔を上げて私の顔を見るなり、再び頭を下げた。
それはもう、床におでこをぶつけるような勢いで。
というか「ゴンッ!」って鳴ってる。
絶対に痛い。
「とりあえず……顔を上げて?」
聞こえてないだろうけど、そう言いながらそっと肩を撫でてあげる。
姫榊ちゃんが再び顔を上げる。
目を潤ませて、おでこが真っ赤になっている。
「大丈夫? 痛くない?」
コクンと頷く。
痩せ我慢なのが丸わかりだ。
『昨日は逃げてごめんなさい』
きっと彼女なりのケジメのつけ方なのだろう。
なら、その意思を汲んであげなくちゃ。
「いいのいいの! 私なんてライブの直前にバックれた事あるし、それに比べたら全然平気よ!」
「わっ、私もよくライブ前に逃げようとして虹夏ちゃんに捕まって連行されますし……それにいっつも溶けたり破裂したり変形したり迷惑かけっぱなしですし……」
「とにかく!」
ひとりちゃんがネガティブなスパイラルに入りそうなところを遮る。
姫榊ちゃんはぽかーんとした表情を浮かべてる。
「あれぐらいで嫌いになんてなるハズないから……戻ってきて、姫榊ちゃん!」
隣にいるひとりちゃんがヘドバンをかますかの勢いで顔を縦に振る。
姫榊ちゃんは目を瞑り、5秒ほど経ってから目を開けた。
『ありがとう』
その後、私たちは準備室からパイプ椅子を取り出して並べて座った。
「姫榊ちゃんに何があったのか……なんであの時逃げたのか、聞いてもいい?」
少し考える仕草をした後、メモ用紙にペン先を走らせた。
『5年前、私はピアノのレッスン中に倒れて病院に運ばれた。
レッスンのし過ぎによる過労とストレスが原因って言われた。
そしてその影響で私は声と音を無くした。
それから私はコンクールに出なくなった。
昨日はそれを思い出して辛くなったから逃げた』
私とひとりちゃんは黙ってメモ用紙を見ていた。
昨日のやみさんの言動が彼女のトラウマを刺激しまったのだろうか。
彼女の腕前は、まさしく血の滲むような努力の積み重ねによって成されたものなのだと再確認させられた。
……私は気が付くべきだった。
この時、ひとりちゃんが何を思っていたのかを。
そして、姫榊ちゃんの心の内を。
放課後になり、姫榊ちゃんをSTARRYへ連れていった。
伊地知先輩たちにはあんな風に土下座しなくてもいいからね、と言っておいたのにSTARRYに到着して二人が視線に入るや否や土下座をかまして再びおでこを赤くし、先輩たちをドン引きさせたのは別の話。