姫榊 花奏side
いつものように振分髪を左右で束ねる。
エメラルドグリーンのラップスカートを身につけ、黒色のTシャツに袖を通す。
Tシャツの前面に書かれているのは『結束バンド』の五文字。
首元には思い出のリング。
いまだ実感が湧かない。
今日は人生初のライブ(後藤さんとの路上ライブはノーカウント)、そして結束バンドのキーボードとして観客の前で演奏をする日。
そう、ピアニストとしてではなく……キーボーディストとして。
人生というのは何が起きるか分からないものだ。
思い返せば私の人生は……悪い事がたくさんありすぎた。
人生楽ありゃ苦もあるさ、なんてのは嘘っぱち。
4歳の時、私は養子になった。
私は別に、それが悪い事だとは思ってはいないけど……他人から見たら哀れに映るのだと幼いながらも理解していた。
その後、ピアノを習い始めた。
先生は私を天才だとか神の子だと言って褒め称えてくれた。
嬉しいとは微塵も思わなかった。
でも、カスミが私のピアノを好きだと言ってくれて……私は頑張って上手になろうと決意した。
5歳の時、初めて出場したピアノコンクールで最優秀賞に選ばれた。
周囲の人たちは先生と同じように褒め称えてくれたけど、やっぱり心に響いてこなかった。
カスミの言葉だけが、私の景色に彩りを与えてくれた。
8歳の時、指輪のお礼がしたくてカスミの誕生日に手料理を振る舞ったらゲロを吐かれた。
これは素直にショックだった。
美味しいのに……。
11歳の時、私は精神的ショックで声が出せなくなり耳も聞こえなくなった。
神経や代謝の治療は完治したが……それでも、私の世界は閉じたままだった。
お医者様曰く、心の問題……らしい。
そして、カスミと会えなくなった。
カスミが私から離れていった。
私から逃げるように別の中学へ彼女は通った。
空虚な3年間を過ごした。
中学3年の夏、カスミが秀華高校を受験する事を知った。
第一志望を下北沢高校から秀華高校へと変えた。
両親にはあまり反対されなかった。
別に両親が私に無関心だとか、そういうのじゃない。
私の事を……私とカスミの事を、案じてくれていたのは知っていたから。
中学3年の秋、私は秀華高校の文化祭へ赴いた。
自分が受験する学校がどんなところなのか知りたかったから。
そこで結束バンドに出会った。
彼女たちの演奏に……魅せられてしまった。
中学3年の冬、私は人生最大のピンチを迎えた。
受験を受けるために秀華高校へ向かう道中、受験票を紛失した。
大慌てで受験票を探しているところに、1人の女子が声をかけてきた。
「あれ、確か同じ中学の……姫榊、だよね?」
知らない人だ。
ただ、秀華高校の制服を着ているということは……在校生なのだろう。
「さっき道端でこれ拾ったんだけどさ、あんたの?」
私の受験票……!
私は受験票を受け取り、何度も深々と頭を下げた。
あの人は私の大恩人だ。
そういえばまだあの人にお礼、言えてなかったな……名前も学年も知らないけど、いつかお礼を言いたい。
高校1年生になり、私はカスミとの再会に胸を躍らせた。
再び貴女に会える。
だが、その気持ちは早々に打ち砕かれる事になる。
『久しぶりだね、カスミ』
「あ……」
カスミの肩をそっと叩く。
「……お久し振りです、姫榊さん」
返ってきた言葉が、脳天を金槌でぶっ叩かれたような衝撃で響いてきた。
カスミは私の事を……姫榊さん、と呼んだ?
『冗談はやめてよカスミ』
「冗談? ……私は至って真面目ですよ?」
カスミは無表情で言葉を投げかけてくる。
『昔みたいにお姉様って呼んで』
「っ……何をバカげた事を!? そもそもなんで貴女がこの学校に……!」
『貴女に会いたかったから』
「はっ……?」
カスミは大きく目を見開き、声を震わせた。
「声と音を奪って、命まで奪おうとした相手に……なんで会いたがるんですか……!」
『貴女は私の大切な妹だから』
「っ……!?」
『例え私が姫榊家の養子になっても、貴女が大切な妹である事に変わりはないから。
貴女のためなら命だって投げ捨てるよ』
「っ……!」
カスミは苦しそうな表情を浮かべて走り去っていった。
もう戻れないのだろうか?
あの頃の様に……私のピアノを、貴女が側で聞いてくれている日常に。
カスミへの想いに蓋をして、私は家を出る。
今日から私は、結束バンドの姫榊 花奏だ。
ピアニストではなく……キーボーディストとして、その手腕を奮ってみせよう。
願わくば……私の音色が貴女に届きますように。