山田 リョウside
眼が覚める。
朝の日差しが眩しい。
そして体が痛い。
昨日は姫榊とロインでやり取りして……インスピレーションが湧いてきたから、作業して……そのまま寝落ちしてしまったらしい。
変な体勢で寝ていたからか、肩が硬くなってる気がする。
重苦しい上半身を起こす。
机の上に置いてあるスマホを手に取り、画面を確認する。
「……やば、遅刻だ」
集合時間は10時。
そして只今の時刻は9時38分。
「……とりあえず、連絡しておくか」
*
姫榊 花奏side
『ごめんなさい、30分ぐらい遅れます』
リョウさんからロインの通知が入る。
まあ、今日は私のワガママに付き合ってもらうわけだし……時間に追われるスケジュールじゃない。
腕時計に目を向ける。
あと1時間ぐらいか……どうしようか。
……とりあえず、適当に柱にもたれ掛かってよう。
行き交う喧騒を眺める。
人目に晒されるのは慣れてるけど、人混みは好きになれない。
駅前なのだから、人が多いのは必然なわけで。
……別の場所を集合場所にすれば良かったかな。
……まあ、いいや。
とりあえずは適当に時間を潰そう。
ポーチの中から小冊子を取り出す。
栞の挟んであるページを捲る。
何度も読み返して擦り切れた表紙や角。
それでも、私はこの本を何度も、何度も……読み返す。
いくらか時間が経過した。
ふと、視線が向けられている事に気付く。
小冊子から顔を上げる。
リョウさんだ。
*
山田 リョウside
遠目だが、柱にもたれ掛かっている姫榊の姿を確認する。
白いロングワンピースにベージュのキャスケット。
いかにもお嬢様然とした彼女は、手に持っている小説に視線を落としている。
私に気付いている様子はない。
彼女は耳が聞こえない。
最初にそう打ち明けられた時は内心、驚いた……が、すぐに腑に落ちた。
技術はズバ抜けているのにリズム感が無い事への辻褄が合うから。
ぼっちとはまた違った、ある意味で問題児。
でも、それも個性だ。
私はそれを……彼女の音を否定しない。
ただ……最初にセッションした時に感じてしまった。
彼女の音は、どこにも向けられていない。
どこにも向けられていない音楽に、人の心を揺れ動かす力はあるのだろうか?
ライブの時は違った。
最初はいつも通り、リズムが合わず音が宙ぶらりんに漂うだけ。
でも途中から変わった。
私たちの音と彼女の音は重なり合い、観客へ向けて解き放たれた。
彼女の中で何が起こったのかは分からない。
でもきっと、あれが彼女の本当の音。
あの音は、観客の……そして、私たちの心を確かに揺さぶった。
姫榊が顔を上げる。
どうやら、やっと気が付いたようだ。
「遅れてごめん」
彼女は首を横に振る。
怒っている様子はない。
開いていたページに真っ白な栞を挟み込み、小説を閉じる。
「幸福な王子……確か、童話だっけ」
小説をポーチに仕舞い、コクンと頷く。
小学生の時、習ったような気がする。
内容はあんまり覚えてないけど。
「どんな内容だったっけ……あんまり後味のいい内容じゃなかったような」
彼女はポーチからメモ用紙とボールペンを取り出す。
『自我を持った王子像が、1羽のツバメに頼んで自分に飾られてる金や宝石を貧しい人々に分け与えるお話し』
ああ、確かそんな感じのお話しだったな……。
「でもさ、最後……王子像とツバメは死んじゃうよね?」
姫榊の視線がこちらをジッと捉える。
私の次の言葉を待っているのだろうか。
「……私はああいう終わり方、好きじゃないな」
報われないじゃないか。
他人の為に自分を犠牲にして、死んで……そして捨てられるなんて。
『私は好きだよ、王子像とツバメの生き方』
「えっ……?」
『確かに2人は死んじゃうし、他人から見たら不幸かもしれない。でも、2人は確かに幸福だった』
2人が幸福……?
『だって、最期まで2人で人生を歩いていけたんだもの』
「……姫榊は、自己犠牲が自己満足でも構わない……って思ってる?」
姫榊は頷いた。
『それが大切な人の為になるなら』
彼女の本質が垣間見えた気がした。
彼女は自分の為に演奏しない。
常に「誰か」の為にその手腕を奮っている。
彼女はツバメなんだ。
「……そっか。……さて、立ち話を続けるのも何だし、そろそろ行こうか」
姫榊は黙って頷く。
「ここなら姫榊の目的も果たせるんじゃないかな」
下北沢から電車に5分揺られ、渋谷のキーボード専門店へやって来た。
昨晩『自分のキーボードを買いたいから付き合ってほしい』と榊姫からロインが来た。
結束バンドに正式加入したのなら、借りっぱなしではなく自分のキーボードで演奏したい……らしい。
今日は特に予定も入れていなかったし、私はその誘いを受けた。
店内に入ると、姫榊は忙しなく周囲を見渡す。
歓迎会の時のようなキラキラした目をしている。
本職はピアニストでも、彼女はなんだかんだでキーボーディストなんだなと見て取れた。
「何か欲しいキーボードの要望はある?」
姫榊は我に返り、ペン先を走らせる。
『家でも練習したいから持ち運び出来るタイプがいい』
持ち運びが出来る……そうなると……
「軽量キーボードが良さそうだね。……姫榊?」
彼女が陳列されているキーボードを指差してている。
『かっこいい、これがいい』
姫榊が指差しているのはショルダーキーボード。
肩に掛けてギターのような格好で弾くキーボードだ。
『ギターみたいでかっこいい』
「……鍵盤の数が少なすぎ、それじゃあ姫榊の持ち味を生かせない」
姫榊がムスッと頬を膨らませる。
しかしすぐに表情を戻す。
彼女も自分の「強み」を理解したようだ。
「色々見て回ろうよ。きっとキミに合うキーボードがあるハズ」
並んで店内を歩き回る。
彼女は興奮しっぱなしのようで、色々なキーボードに視線を取っ替え引っ替えしている。
……まあ、気持ちは分かるけどね。
「そういえば、予算ってどうなってるの?」
姫榊は頭に「?」を浮かべて首を傾げる。
……何故?
「金額はいくらまで、とか……」
少し考え込んでからペン先を走らせ……
『上限は設けてない』
とんでもない発言が飛び出した。
……マジか?
「いくらかかってもいいの?」
何事もないようにコクンと頷く。
……なんとなく、彼女の家庭環境を察した。
結局のところ、購入したのは88鍵盤の軽量キーボードとキャスター付きのバッグ(あとついでにスタンドとスタンドケースも)。
かなりの値段がしたハズだが彼女は顔色を1つ変えず、寧ろ浮き足立っている様子だ。
「……満足できた?」
何度も首を縦に振る。
……バッグが歩いてるみたいで後ろ姿がちょっと面白い。
「ちょうどいい時間だし、お昼にしようか」
アンティーク風の小洒落たカフェに入る。
席に通され、腰掛ける。
初めて入ったけど、結構いい雰囲気のお店だ。
バッグを下ろした姫榊が深く息を吐く。
舞い上がっていたとはいえ、88鍵盤を持ち歩くのは疲れるハズ。
「郵送で送ってもらえば良かったのに」
『今日からでも練習したかったから』
「……そっか」
ならば何も言うまい。
店員さんにカレーを2つ注文する。
「オートミールが無くて残念だったね」
少し意地悪な事を言ってみた。
『喫茶店にオートミールが無い事ぐらい知ってます』
彼女は頬を大きく膨らませる。
「ごめんごめん。……そういえば、あれから昼食はちゃんと食べてる?」
『カロリーメイトにした』
「おい」
『冗談、仕返し』
……姫榊は結構、茶目っ気がある。
根っこが虹夏や郁代のような陽キャ寄りだが、振り切っているわけではない。
ニュートラルな存在だ。
どちらにも傾くし、どちらにも傾かない。
彼女はそんな人物。
カレーが2つ並ぶ。
喫茶店のカレーというのはどうしてこう、唆られものがあるのだろうか。
「いただきます」
……うん、美味い。
姫榊の方に視線を向けてみる。
黙々とカレーを食している。
……そもそも、喋れないけど。
「ごちそうさまでした」
カレーを食べ終わり、水を飲み干す。
……さて、ここで1つ問題がある。
「……姫榊、お金貸して?」
姫榊が目を大きく見開き、パチクリと瞬きする。
『私がお金出します。付き合ってもらったお礼です』
「……えっ?」
「…………?」
「……うん、まあいいや。ありがとう」
会計を済ませて喫茶店を後にする。
さて、今日の用事は済ませたわけだけど……
『もう解散します?』
それでも構わない……が、それだと面白くない。
「姫榊はこの後、予定あるの?」
『特には』
「じゃあさ、今度は私に付き合ってよ」