【完結】沈黙のピアニスト   作:高科奈紗

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糸と糸(前編)

 喜多 郁代side

 

「うおぉぉ……すっごいね」

「ですね〜」

 

 目の前に広がる光景に、伊地知先輩が声を震わせてそう言った。

 私もびっくりしてる。

 

「まあ、明らかに浮世離れした感性というか……箱入り娘っぽさがあるなーとは思ってたけどさ」

「ここまでとは思いもしませんでしたよね〜」

 

 私たちの目の前にあるのはまさに、ザ・豪邸って感じのお家。

 こんなの、ドラマの世界でしか見たことない。

 

 事の発端は、先日のスタ練での出来事。

 

『みなさん、ウチに遊びに来てください』

 

 いつもと感じの違う服装を身に纏った姫榊ちゃんが、そう書いたメモ用紙を私たちに見せてきた。

 歓迎会やら普段から色々とお世話になってるから、是非ともお礼がしたい……との事。

 しかも泊まりで。

 

 そして今の状況に至る、という訳である。

 そう、ここは姫榊ちゃんのお家の真ん前。

 ついでに、ひとりちゃんは姫榊邸から漂う優雅なオーラによって溶けてしまい、リョウ先輩に至っては「祖母が峠で云々」と欠席。

 

「とりあえず、ぼっちちゃんが元に戻るまで待ってようか」

「ですね」

「そういえば、この前の花奏ちゃんの服さ!」

「あ〜、なんだかいつもと感じ違いましたよね。なんだかリョウ先輩みたいな趣向っていうか」

「そうそう! アレ、絶対にリョウの入れ知恵だって!」

「いいんじゃないですか? 似合ってましたし」

 

 当の本人は、みんなから(というか私と伊地知先輩から)「似合ってる」とか「かわいい」って言われても、全くと言っていいほど嬉しそうにしてなかったけれど。

 

「何か脅されて無理矢理、着させられたに違いないよ!」

「そんなわけ……いやでも、リョウ先輩だしな〜」

「……んぁ、あれ……?」

「あっ、やっと起きた。ぼっちちゃん、おはよ〜」

「お、おはようございます……? あ、あれっ、私……あっ、溶けちゃってたんですね……すみません……」

「仕方ないわよ、ひとりちゃん」

 

 こんな光景を目の当たりにしたら、誰だって大なり小なり衝撃は受ける。

 

「……ひぃ!?」

 

 急にひとりちゃんの表情が青ざめ、奇声を上げる。

 その視線の先は、伊地知先輩。

 

「んー、ぼっちちゃん? 私がどうかした?」

「ちっ、ちが……う、うし……後ろ……っ!」

 

 後ろ? 

 伊地知先輩の後ろに視線を移す。

 

 馬がいる。

 もう一度、言う。

 馬がいる。

 

「伊地知先輩! 後ろ! 後ろー!!」

「喜多ちゃんもどうしたのさ〜、そんなに大声をあげ」

 

 伊地知先輩が後ろを振り向く。

 お口あんぐりで目を見開く伊地知先輩。

 

「馬だ〜!?!?!?!?」

 

 そして伊地知先輩が大声で叫んだ瞬間だった。

 

「ぱくっ、むしゃむしゃ」

 

 伊地知先輩の頭を、馬が齧り初めた。

 アホ毛ごと。

 

「伊地知せんぱーい!?」

「食われてるっ! 私、馬に頭食われてる〜!?」

「今助け……こいつ、めっちゃ力強い!」

「あ、あ……ぁ……!」

 

 腰を抜かしてへたり込んでるひとりちゃんが、何かを指差している。

 私はその指の先……伊地知先輩を丸齧りしている馬の、更に上の方を見る。

 

 そこには、馬に跨っている姫榊ちゃんの姿があった。

 そう、姫榊ちゃんがいた。

 大事な事なので2回言いました。

 

『おはようございます』

 

 何食わぬ顔でメモ用紙を見せてくる姫榊ちゃん。

 馬に跨りながら。

 伊地知先輩の頭を丸齧りしている馬に跨りながら。

 

「誰か助けてよ〜〜〜〜!!!!」

 

 伊地知先輩の悲痛な叫び声だけが木霊した。

 

 

 少し経って馬は飽きたのか、伊地知先輩から口を離した。

 そして姫榊ちゃんは馬から降りて、リードロープを引いて馬を裏手まで連れて行き、そして戻ってきた。

 

『ナポレオンが私以外に懐くなんて珍しい』

「あれは懐いてたの? 明らかにエサと勘違いしてたように見えたんだけど?」

「私、馬にエサと勘違いされたんだ〜……」

 

 伊地知先輩の頭が馬の唾液でべっちょりしてる。

 そんでもって、すごく臭う。

 

「っていうか、姫榊ちゃんのお家ってすごいのね〜……めちゃくちゃ大きそうだし、馬飼ってるし」

「そ、そもそも……なんで馬に乗って……?」

『まだみんなが来るまで時間あるから、散歩してた』

 

 まあ確かに、予定の時間よりも結構早く着いたけど……。

 

『とにかく、いらっしゃいませ。さあ、入って』

 

 姫榊ちゃんがメモ用紙を見せると、大きな鉄の扉が開きだした。

 なんていうか……色々とスケールが違う。

 

 私たち3人は姫榊ちゃんに促され、玄関の大扉前まで歩く。

 途中で噴水とか大きな花壇とか見えたんだけど、ここって本当に現実世界よね? 

 

 姫榊ちゃんが扉を開ける。

 まず玄関からして、超立派。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 私たちを出迎えたのは、メイド服を着た初老(ぐらいに見える)女性。

 

「伊地知様に後藤様、喜多様ですね。お嬢様から話は伺っております。

 どうぞお上りください」

「あ、はい」

 

 私たちは戸惑いを隠せぬまま、姫榊ちゃんの家にあがった。

 ……使用人? 家政婦? 

 

『小林さん、伊地知さんにシャワーを使わせてあげて。その後は私の部屋に案内をお願い』

「畏まりました。それでは伊地知様、バスルームまでご案内致します」

「えっ、あ、はい」

 

 伊地知先輩が使用人らしき人に奥へ連れられていく。

 

『私の部屋に行きましょう。着いて来てください』

 

 私とひとりちゃんは姫榊ちゃんの横に並び、姫榊邸の中を歩く。

 いったい、何部屋あるんだろうか……? 

 

「さっきの女の人ってメイドさん?」

『ウチで雇ってるハウスキーパーの小林さん。メイドさんで大体合ってる』

 

 リアルメイドさん。

 初めて見た。

 

『ここが私の部屋。入って』

 

 姫榊ちゃんが部屋の扉を開ける。

 そこに広がるのはだだっ広い空間。

 生活感はあるけど、隅々まで掃除が行き届いているのが見て分かる。

 

「めっちゃデカい……どれぐらいの広さなの?」

『30畳』

 

 個室ってレベルじゃない! 

 

「あわ、あわわ……こんなご立派なところに、私なんかが居ていいんでしょうか……!」

「ひとりちゃん溶けないで! クリーニング代とかバカにならなそうだから!!」

『私は着替えてくるから、寛いでて』

 

 乗馬服を着てメットを被っている姫榊ちゃんが部屋から出ていった。

 ひとりちゃんは今にも泡を吹いて倒れそうだ。

 

 部屋の中を見回してみる。

 大きな机やら、大きな棚やら、大きなシングルベッドやら……1人では持て余しそうな広さだ。

 逆に落ち着かない。

 

「それにしても、姫榊ちゃんの部屋って……もっとこう、何もない感じなのかな〜って思ってたけど、実際はそうでもないのね〜」

「あっ、そ……そうです、ね」

 

 ひとりちゃんはなんとか正気を保ったようだ。

 

「たっ、棚の中は模型が占領してますし……その横には箱が山積みですし……テーブルの上には、ボードゲームがいっぱい置いてありますし……」

「意外と……多趣味なのかしら?」

「かっ、かもしれませんね……」

 

 この生活感というか、親しみやすさ感がひとりちゃんを正気にさせたのかもしれない。

 

 部屋の中を2人で眺めていると、部屋の扉が開く音がした。

 姫榊ちゃんが戻ってきたのかな? 

 そう思って振り向くと……

 

「あ、あはは……やっほー……」

 

 頬を真っ赤にした伊地知先輩が、顔だけ出して部屋の中を窺っていた。

 

「伊地知先輩、シャワー浴び終わったんですね」

「ま、まあ……ね?」

「……? 入って来ないんですか?」

「……………………」

 

 顔を背ける伊地知先輩。

 明らかに様子がおかしい。

 

「何かあったんですか?」

「いやー、なにかあったというか、なにかあるというか……」

 

 要領を得ない返答だ。

 

「……私が部屋の中に入っても、笑わないでね?」

「理由もなく笑ったりしませんよ! ねっ、ひとりちゃん」

「は、はい! 虹夏ちゃんを笑うなんて……ぜっ、絶対にするわけないです……!」

「それじゃあ……失礼しまーす……」

 

 恐る恐る、姫榊ちゃんの部屋に入ってきた。

 

「い、伊地知先輩……!?」

「にっ、虹夏ちゃん……!?」

「あーもう! あんまり見ないでー!」

 

 白色で裾が長いパーティドレスを着飾った伊地知先輩がそこに居た。

 

「めっっっっっっちゃ可愛いじゃないですか〜! どうしたんですかその服装!」

「あぁー! 写メ撮るの禁止!! シャワー浴び終わったらメイドさん達に囲まれて無理矢理に着させられたのっ!!」

「虹夏ちゃん……」

「ぼっちちゃんも! ジロジロ見ないでってばー!」

「あっ、ごっ、ごめんなさい……つい……」

『何を騒いでるの?』

 

 姫榊ちゃんがいつの間に戻って来ていた。

 伊地知先輩の色違いのパーティドレスを着て。

 こっちはエメラルドグリーン。

 

『似合ってますよ、伊地知さん。用意しておいた甲斐がありました』

「花奏ちゃんの指示かー!!」

「似合ってるんだからいいじゃないですか〜、姫榊ちゃんもすっごく可愛い!」

 

 姫榊ちゃんはペコリと頭を下げた。

 そして……

 

『小林さん、後藤さんと喜多さんにも着せてあげて』

「へっ?」

「え……?」

「畏まりました。さあ、お二人とも行きましょう」

 

 私とひとりちゃんはメイドさんに引っ張られ、姫榊ちゃんの部屋を後にした。

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