後藤 ひとりside
「なっ、なんだったんでしょうね……?」
凄腕ピアノ少女《姫榊 花奏さん》に音楽室の鍵を押し付けられた私は、喜多ちゃんと音楽室で昼食を摂る事にした。
「なんだったのかしらねー」
「んっ……あ、あの……喜多ちゃんはあの子と知り合いなんですか?」
口の中に放り込んだ唐揚げを飲み込む。
喜多ちゃんは彼女と同じ中学校だと言っていたのを思い出した。
「直接話した事は無かったけど、顔と名前は知ってたわ。というより、私と同じ中学の人だったらみんな知ってると思う」
「へ、へえー……」
私と違って、音楽の腕前をみんなに披露していたのだろうか。
あっ……黒歴史が……
「彼女、あんまり良くない意味で目立ってたから」
「あっ、あんまり良くない意味で……?」
喜多ちゃんはバツの悪そうな表情を浮かべ、重苦しそうな面持ちで口を開いた。
「緘黙なんだって」
「カンモク……?」
「失声症って言えば分かりやすいかしら?」
「それってつまり……喋れない、って事ですか……?」
喜多ちゃんは静かに頷いた。
そうか……だから、彼女は私たちに筆談という手段を用いて意思疎通を図ってきたんだ。
「それにしてもあの子、ピアノなんて弾けたのね〜」
「えっ、中学で弾いてなかったんですか……?」
「一度も見た事ないわ」
意外だ。
あんな技量は一朝一夕で身につくような代物じゃない。
何年も、血の滲むような練習を重ねてきた者の演奏だ。
「姫榊ちゃんの演奏、聞いてみたかったな〜」
「わっ、私も……もう一度、聞ける機会があるのなら……聞いてみたい、です……」
喜多ちゃんが驚いた表情で目を見開く。
しかし、即座にキラキラと輝いた目でこちらを見つめて両手を掴んできた。
い、いやな予感がする……。
「それじゃあ放課後! 一緒に姫榊ちゃんの所に行って頼んでみましょう!」
あ……眩しい、溶ける……
*
姫榊 花奏side
まだ、私の中の奥底でナニカが燻っている。
けれども私はそれをどうにかする手段を持ち合わせてはいない。
もうどうしようも出来ない。
お昼休みの時に奏でたあの旋律で……否が応でも理解してしまった。
結局のところ、私の演奏を必要としてくれる人はもういない。
……帰ろう。
これからは、ピアノの事は忘れて生きていこう。
あの時、そう誓ったんだ。
教室から廊下へ出て、下駄箱へ向かおうとしたら……背後から肩を軽く叩かれた。
振り向くとそこには、お昼休みに見かけた顔触れが並んでいた。
後藤さんと喜多さんだ。
「姫榊ちゃん、ちょっといいかな?」
私は頷き、構わないという意思を示した。
家に帰ってもすることないし。
「吹奏楽部に頼んで少しの時間だけ音楽室を空けてもらったから、私たちに姫榊ちゃんの演奏を聞かせて!」
なんだろう、喜多さんが凄くキラキラ光って見える。
これが所謂ひとつの《陽キャ》というやつなのだろうか。
そして喜多さんの横で佇んでいる後藤さんは今にも死にそうな表情をしている。
こっちは所謂ひとつの《隠キャ》というやつなのかもしれない。
そんな凸凹コンビに連れられて(というより私と後藤さんが喜多さんに連れられる形で)音楽室にやって来た。
実に約3時間振り。
またここにやって来る事になるとは思いもしなかった。
音楽室の中は閑散としていた。
喜多さんが話を通して、あらかじめ人払いをしておいてくれたようだ。
大勢の観客に囲まれながら演奏するのは遠慮したかったから、ありがたい。
準備室からパイプ椅子を3つ引きずり出し、それぞれを並べて席に着く。
『何かリクエストはある?』
二人の方へ向き直り、メモ用紙をかざす。
「う〜ん、姫榊ちゃんの好きな曲でいいわよ」
「あっ、はい……私も……」
鞄の中を漁り、譜面を1つ取り出す。
この楽曲なら二人も知っているだろう。
譜面台に立て掛け、鍵盤に手を乗せた。
私の音を必要としてくれる人がいるのなら……何度でも奏でてみせよう。
例えそれが、私にとって無価値な物であったとしても。
*
喜多 郁代side
稲妻が迸るかのような感覚に襲われた。
姫榊ちゃんの奏でる旋律が、耳を貫き、全身を駆け巡る。
力強く、それでいて繊細な音色に支配され、指先がビリビリと痺れてくる。
音楽に触れてからまだ日が浅く、アマチュアの域を出ない私でも分かる。
凄い。
その一言に尽きる。
中学時代の合唱コンクールで見た、どの伴奏者よりも……比べ物にならないレベルだった。
きっと、伴奏者賞を余裕で獲れるだろう。
姫榊ちゃんの手が止まる。
演奏が終わったみたいだ。
私とひとりちゃんの拍手が室内に充満する熱気を包み込む。
「感動〜! 姫榊ちゃんってすっごくピアノ上手なのね!」
姫榊ちゃんは余韻に浸っているのか、左手を天高く掲げて見上げた。
「くっ、クラシックだけじゃなくて……テクノ・ポップもいけるんですね……」
「そういえばこの曲、聞いたことあるけど題名は思い出せないのよね」
「らっ……RYDEEN、です……ピアノソロで聞くとまた違った良さがありますね……」
「姫榊ちゃん、ほんとにありがとうね〜!」
再び、音楽室に拍手が鳴り響く。
姫榊ちゃんは手を掲げて天を仰いだままだった。
*
姫榊 花奏side
左腕つった。