「お姉様のピアノ、嫌いです」
「えっ?」
嫌い? えっ?
「ですので、もう私はお姉様のピアノを聞きに来ません」
「ウソ……だよね?」
そんなハズない。
ずっと側で、微笑みをくれながら聞いてくれていたじゃない。
「ウソじゃないです。二度とここには来ません」
「待って! 私の演奏は……あなたに……!」
「迷惑なんです」
迷惑……?
「……さようなら、お姉様」
*
白雪 カスミside
憂鬱だ。
何もかもがイヤになる。
消えてしまいたい。
でも、そんな勇気は私にはなかった。
いつも……あの人の顔が脳裏にチラつく。
姫榊 花奏。
私の言葉はあの人の呪いとなり、あの人の人生を蝕んでいった。
あの人の人生を……あの人の世界を閉ざしてしまった私に、存在する価値なんてあるのだろうか?
「おはよ〜、白雪ちゃん」
「んっ、おはよっ」
登校中、クラスメイトの人に挨拶をされ、無難に挨拶を返す。
高校生活を送るための……上っ面だけの付き合い。
それでいい。
この苦しみを誰かに分かってもらおうとは思わない。
この苦しみは私だけの物だから。
突然、肩を軽く叩かれる。
いやだ、振り向きたくない。
会いたくない。
どの面引っさげて顔を合わせればいいんだ。
『おはよう、カスミ』
「……おはようございます、姫榊さん」
なんでいつも貴女は……私に微笑みを向けてくれるの?
『寝不足?』
「ええ、まあ、そうですね」
顔を背けて適当に遇らう。
……そういえば、この前……怪我した……いや、私が怪我させたんだっけ……。
「……足の怪我は、どうですか?」
「…………?」
キョトンとした表情で私を見つめてくる。
……喜多先輩の言ったことはウソだったのか?
そう思った時、彼女は目を見開いて首を縦に振る。
『1日で治った』
「ん……そうですか」
ならよかった。
……いや、ここは謝るところだろう私!
いくら彼女相手とはいえ……怪我させたのなら、謝るのがスジってもんだろ!
……言葉が出ない。
口を開こうとしても……脳がそれを拒む。
「……………………」
彼女は私を視線で捉えたままだ。
私を見ないでよ。
私を……放っておいてよ。
彼女の視線が、私の左腕に移る。
その瞬間、目付きが急に変わった。
いつものような、優しく暖かい目が……鋭く冷たい目に。
私は咄嗟に左腕を後ろに回そうとした。
しかし、それより先に彼女は私の左腕を掴み、私の体ごと引っ張った。
「や……ぁ……!」
袖を捲くられ、左腕の生肌が露わになる。
『いつまでこんな事をしてるつもり?』
「そ、そんな……の……」
喉が震える。
うまく声を出せない。
彼女の闇色に淀んだ目が、私の瞳に突き刺さる。
『あなたが傷付いたらパパとママが悲しむ』
「あっ、あなたには……関係ないでしょう!?」
その時だった。
パシンッ!!
「え……」
左の頬がヒリヒリする。
何をされたのか分からなかった。
左の頬に手を当て……彼女の目を見る。
怒り。
その目に宿るのは……怒りだ。
理解した。
私は……彼女に頬を打たれた。
頬を押さえていた左手を払われ、再び彼女は右腕を振りかぶる。
反射的に目を瞑る。
また打たれる。
……何も起きなかった。
恐る恐る、目を開ける。
視界が徐々に広がり……そこに映ったのは、彼女の腕を掴んで制止している……喜多先輩だった。
*
喜多 郁代side
「おっはよ〜、ひとりちゃん!」
「あっ、はい、おはようございます」
こうしてひとりちゃんと一緒に登校するのもルーティーンになりつつある。
できれば姫榊ちゃんも一緒に……っていきたいけれど、彼女は方角が違うから合流するとなると学校に着く直前になってしまう。
「……あっ、姫榊ちゃ〜ん!」
彼女の後ろ姿が見えた。
聞こえないのは分かっているけれど、大声で呼ぶ。
「あっ、一緒にいるの……白雪さん、ですか……?」
「んっ、多分そうね」
「……なんだか、様子がおかしくないですか?」
ひとりちゃんにそう言われて2人を注視する。
……なんだか、険悪な雰囲気……かも?
姫榊ちゃんが白雪さんの腕を強引に掴んでるように……見える。
そして……
パシンッ!!
姫榊ちゃんが、白雪さんの頬を叩いた。
「えっ?」
信じられなかった。
あの姫榊ちゃんが……他人を傷付けるような事をするのが。
再び姫榊ちゃんが腕を大きく上げる。
ダメっ!!
私は即座に足を全力で走らせる。
そして腕を伸ばす。
すんでのところで、姫榊ちゃんの右腕を掴む。
「何してるの、姫榊ちゃん!?」
腕を掴んだまま、姫榊ちゃんの表情を窺う。
「……………………」
「っ!?」
その目はとても冷たくて、刃物のように……鋭かった。
姫榊ちゃんのこんな表情を見たのは、初めてだ。
「はぁ、はぁ……っ……は……」
ひとりちゃんが息を切らして追いついてきた。
膝を手に置いて俯く。
私はひとりちゃんを横目に、姫榊ちゃんと白雪さんの間に割って入る。
「何があったのかは知らないけれど……こんな事はしちゃダメ!」
姫榊ちゃんの目をジッと見る。
彼女はずっと鋭い目付きのまま……私の腕を振り払う。
『口を挟むな』
「なっ……!?」
この子は……本当に、姫榊ちゃん……?
あの、優しくて……茶目っ気があって、温かい……そんな子が、こんなに冷たい表情を出来るの?
「は……っ……!」
背後で走り抜ける音がした。
振り向くと、白雪さんの後ろ姿が遠ざかっていった。
視線を姫榊ちゃんに戻す。
姫榊ちゃんの表情はそのままで、私の横を通り過ぎていった。
「待って!」
咄嗟に姫榊ちゃんの肩を掴む。
再び鋭い視線を向けられる。
なんでそんな目をするの?
何があったの?
……その言葉が出なかった。
気圧されたわけじゃない、ただ……彼女の知らない一面を知るのが、怖かった。
姫榊さんは視線を前に向け、再び歩き出す。
……私には何も出来ないの?
そう思った時だった。
「ひっ、姫榊さん!」
ひとりちゃんが、姫榊ちゃんに向かって走り出した。
そして……その勢いのまま、腰に抱きついた。
……タックルするような形になってしまい、姫榊ちゃんは突き飛ばされるように膝をついた。
姫榊ちゃんはジタバタと抵抗する。
ひとりちゃんはしがみつくようにして、離さない。
揉みくちゃになり、転がるように互いの体が暴れ回る。
「はぁ、はぁ……は……」
「……………………」
ひとりちゃんが姫榊ちゃんを押し倒すような体勢になったところで、互いの抵抗が収まる。
2人とも、肩で息をしている。
「……………………」
姫榊ちゃんは冷たく鋭い目でひとりちゃんを睨み付ける。
「ひとりちゃ……」
声をかけようとした、その時だった。
「っ……ふ……は……」
ひとりちゃんの咽び泣く音が……聞こえた。
*
姫榊 花奏side
「はっ、ぁ……っ……!」
頬に生温かい感覚が、ポタポタと降り落ちる。
体を押さえつけられている形になっている私は、何も抵抗出来ない……いや、抵抗する気力を奪われてしまった。
泣いている。
後藤さんが……大粒の涙を零し、すがるように嗚咽する。
なんで……あなたが泣いているの?
「なんで、なんでっ……素直にならないんですか……!」
何を言っている?
「なんで……自分の気持ちに蓋して、自分で苦しんで……それで、誰かが幸せになれると思えるんですかっ……!」
あなたに何が分かる?
「5年前の事件……を、起こしたの……姫榊さんじゃない……そうですよね!?」
「5年前の事件?」
なんで……それを知ってるの……?
「ずっと、気付いてました……ウソついてる、って……私も、よくウソつくから……分かるんです、姫榊さんが逃げた時……話してくれた事、信じてますけど……何か隠してる、って……!」
この人は……なにを……。
「とも、友達……じゃない、ですか! 仲間じゃ、ない……ですか! ふっ、ふざけないで、ください……もっと、頼ってください……!」
あなたは……。
「はぁ、は……ぁ……」
後藤さんが立ち上がり、そのまま私を見下ろす。
目の下には涙の跡がくっきりと残っていた。
《もっと他のメンバーを信用してみたら?》
……逃げて、遠ざけて、蓋して。
私はバカヤロウだ。
何が、一緒に居たいだ。
何が、共に歩みたいだ。
演奏だってそうだ、私が合わせる事ばかり考えて……合わせようとしてくれる事に気づかないで。
『さっきはごめんなさい』
私は立ち上がり、2人に向き直り制服に付いた砂を振り払わずに頭を下げた。
「いいのよ、でも何があったのかは……ちゃんと話して?」
私はコクンと頷く。
包み隠さず話そう。
この人たちを信じて……。
*
白雪 カスミside
気分が重い、モヤモヤする。
午前中の授業の内容が頭に入って来なかった。
……何をしているんだろう、私は。
「白雪ちゃん、先輩の呉って人が呼んでるみたいだよ」
「んっ?」
呉?
留学生?
そんな人、いたっけ?
クラスメイトにそう言われ、教室の出入り口に視線を向ける。
挙動不審なピンクジャージの女子生徒がそこに居た。
確か……結束バンドの人。
あの人、留学生だったのか。
「ありがとっ、ちょっと行ってくるね」
お昼は先の食べてていいから、と言い残して私はピンジャーの人のところへ向かう。
「何か用ですか、呉先輩」
「えっ、あ、あぅ……」
自分から呼び出しておいて、なんで吃ってるんだこの人は。
「ごっ……後藤、です……」
後藤。
……留学生じゃなかったよ!
いや、見た目普通に日本人だしそりゃあそうか。
「名前を間違えて申し訳ないです」
私を軽く頭を下げる。
「いっ、いえ……そっ、それより……お話したい事があって……い、いいっ、ですか?」
「まあ、構いませんけど」
そうこうして、私たちは人気の無い階段の踊り場に場所を移した。
……あの時、喜多先輩ともここで話をしたな。
「しっ、白雪さん……ですよね?」
「はい、白雪です」
あの人か、もしくは喜多先輩経由で私を知ったのだろうか。
そんな風に思考を巡らせていると、後藤さんがにじり寄ってきた。
気持ち悪い表情をして。
「んふっ……ちっちゃ、かわいっ……ぐふっ……お話しよう……?」
「は?」
にちゃっ……っとした笑顔とも言えない、とにかく気持ち悪い表情から繰り出された気持ち悪い言葉。
全身の身の毛がよだつ。
なんだこいつ、気持ち悪い。
「ここが法治国家じゃなかったらぶっ飛ばしてますよ?」
「ひぃぃっ!? ごごごごごめんなさいいいいいいイキって申し訳ありませんっ!」
「いや、そんなに怯えなくても……」
なんなんだこの人は。
喜多先輩は至って普通な人だったのに。
……バンドやってる人ってのは変人なのか?
「……で、話ってなんですか?」
「あっ、はい……そ、その……これっ……」
後藤さんは俯いたまま、1枚の紙切れを差し出した。
……何かのチケット?
「なんですかこれ?」
「そ、その……次の日曜、新宿のFOLTというライブハウスで私たち、ライブするんですけど……」
「……観に来い、と?」
「あっ、はい、ぜひ」
「イヤですけど」
「そっ、そこをなんとか!」
なんで食い下がってくるんだ。
「私たちと……姫榊さんの演奏、見せたいのでっ……!」
「えっ?」
あの人の名前がどうして出てくる……?
……まさか。
「……あの人、結束バンドに入ったんですか!?」
私は思わず、後藤先輩の肩を掴んでにじり寄る。
何をしているんだあの人は……!
「は、はい、私が誘って……」
「っ……! あなたという人は!」
大声を上げて大きく目を見開く。
後藤先輩はこちらから目を逸らしたままだ。
「あの人は耳が聞こえないんですよ!?」
「し、知ってます」
「なっ……!?」
「それが……なんだって言うんですか」
「迷惑をかけるに決まってる!」
「迷惑なんかじゃ、ない……です!」
真剣な眼差しを向けられる。
とても力強くて……覚悟の決まった目だ。
「姫榊さんと……仲直り、してください」
「は……?」
「全部、知ってるんです……5年前の事件の真相も……」
「は?」
5年前の事件?
……あの時の?
しかも……本当の事を?
「しっ、知り合いに……ネット記事のライターがいまして……その人に、調べてもらったんです……」
後藤さんは一呼吸置いて、再び口を開く。
「あの時……自殺しようとしたのは白雪さんで、それを止めようしたのは……姫榊さんだったんですよね……?」
脳天をカチ割られるような衝撃を受けた。
視界が歪む。
そうだ、あの事件は……表向きはあの人の自殺という形で処理された。
……あの人が、そうしてくれって言って。
「……姫榊さんはずっと、あなたを……ずっと想い続けていました」
「なにを……! 私にあの人の側にいる資格なんてない!」
そうだ、私はあの人の世界を壊した。
そして命まで奪おうとした。
……そんなヤツが、あの人の隣にいていいわけがない。
「……これを見てください」
後藤さんが手を差し出す。
手のひらに乗っているのは……チェーンの括り付けてある小さな古ぼけた指輪。
「これって……」
「姫榊さんが8歳の時に、白雪さんがプレゼントした指輪……そうですよね?」
「なっ、なんであなたがそれを……?」
「姫榊さんから……借りたんです。彼女は……ずっと、身肌離さず、持ち歩いているんです」
ずっと……?
「資格がないだとか、迷惑だとか……そんな事よりも、自分の気持ちに向き合ってください……!」
自分の、気持ち。
「嫌ってる人の自殺を、止めるわけないじゃないですか……嫌ってる人の思い出の品を、持ち歩くハズないじゃないですか……嫌ってる人の為に、志望校を変えてまで会おうとするわけが……ない」
「私は……っ……あ……っ!」
体の感覚が徐々に無くなっていく。
膝から崩れ落ちる。
私は……
「ライブ、観に来てください。そして……姫榊さんの音を、聞いてあげてください」
あなたの側に、もう一度……居てもいいんですか?
次回が第1部の最終話です。