姫榊 花奏side
『すみません遅れました』
肩で息をしながらバッグを降ろす。
そして中からキーボードを取り出し、急いでセッティングする。
「いいよそんなに急がなくて〜、リハビリで疲れただろうし息切れしてるでしょ?」
毎回そう言ってくれるけれど、やはり遅刻するのは気掛かりになる。
耳が聞こえるようになったとはいえ、私はまだ他の人たちに合わせられる技術は未熟。
だからスタ練の時間は1分1秒でも惜しい。
「姫榊ちゃん、お水飲んで落ち着こう?」
喜多さんがいろはすのペットボトルを差し出す。
私はそのペットボトルを数秒ほど眺めた後、受け取って蓋を開け、口付けた。
「ん……」
ゴクゴクと喉を鳴らして中身を飲み込んでいく。
半分ほど飲んだところで口を離し、蓋を閉めて机の上に置く。
『ありがとうございます、喜多さん』
「一気に半分も飲んじゃうなんて、よっぽど喉乾いてたのね?」
「普段はチビチビ飲んでるのにね〜……よし、1回合わせて休憩にしようか!」
伊地知さんの言葉にみんなが頷く。
「んん……」
みんなでテーブルを囲んで少しの間休憩。
私は残った水を一気に飲み干し、ペットボトルをぐしゃぐしゃに潰す。
この飲料水は飲み終わった後に嵩張らないのが便利な点だと思う。
「もう飲み終わっちゃったの?」
喜多さんに視線を向けてコクンと頷く。
どうやら、自分が思っている以上に体力を使っていたみたいだ。
「リハビリもスタ練も一生懸命なのは結構だけど、倒れちゃったら元も子もないからね」
リョウさんが私の目をジッと捉えてそう言った。
普段は冷たい感じがするし、悪ノリもするけど……私たちの事や音楽の事はいつも真剣に、そして真摯に考えてくれている。
『自分の領分は弁えてるので』
「……ならいいけど」
そう言ってリョウさんは別の方向へ視線を外した。
「さて、そろそろ再開しようか!」
手をパンッ! と伊地知さんが叩く。
こういった一挙手一投足の日常的な音さえ、新鮮に感じてしまう。
いずれはこういった感覚も薄れてしまうのだろうか?
……いや、思い出はいつでも色褪せないのと同じように……この感覚も心の中に大事に仕舞っておこう。
そして今日のスタ練が終わった。
制汗シートで汗を拭い、キーボードをバッグに仕舞う。
喜多さんと後藤さんは先にスタジオから出た。
伊地知さんは細かい掃除と戸締りをしていて、リョウさんは机に頬杖をついている。
『リョウさんは帰らないんですか?』
「今日は虹夏の家で晩ご飯食べるから」
「しょっちゅう集りに来るからね〜、まったく」
なるほど。
……やっぱりこの人、ロクデナシだ。
そんでもって、伊地知さんはジト目でリョウさんを見てるけど、この人も甘いよな……って思う。
まあ、それが伊地知さんの本質というか……優しさなんだろうな。
「花奏ちゃんもウチに来る?」
突然、思いも寄らない言葉を投げかけられた。
脳が理解に追いつく前に、伊地知さんは更に言葉を紡ぐ。
「3人分も4人分も大して変わらないからさ、どうかな?」
……まあ、せっかく誘ってくれたのなら乗ろう。
リョウさんの表情を横目で窺ってみても、不服そうな雰囲気はしていない。
『わかりました、お邪魔します』
「オッケー、じゃあ戸締りして出よっか」
小林さんに夕ご飯は要らないという旨のロインを送り、私たちはスタジオを後にした。
「ただいま」
「お前は『お邪魔します』だろっ!」
伊地知さんのチョップがリョウさんの脳天に炸裂する。
気心の知れた仲って感じで微笑ましい。
「ささっ、上がって花奏ちゃん」
そういえば伊地知さんの家に来るのは3回目だけど、こうしてちゃんとお邪魔するのは初めてだ。
……うん、普通に意味わかんないよね。
でもこうしてちゃんとお呼ばれされるのは……嬉しかったりする。
「帰って来たか、虹夏」
「ただいま〜、お姉ちゃん」
リビングに着くと、ノートパソコンで何か作業をしていた店長さんがこちらを向いた。
視線がぶつかりお辞儀をする。
「いらっしゃい、姫榊」
「店長、私は?」
「帰れ」
「酷くない?」
こういうのを『残当』って言うのだろうか?
「すぐに晩ご飯の準備しちゃうから、寛いで待っててね〜」
「うむ」
「お前は少しは手伝おうって気概はないのか?」
リョウさんの頭を伊地知さんがガクガクと揺らし、伊地知さんはキッチンで準備を始めた。
伊地知さんがリョウさんの頭を振った時、カラカラと音が鳴ったのはきっと気の所為。
とりあえず、適当に椅子に座る。
対面にリョウさんも腰掛ける。
「ん〜……!」
作業を終えたらしい店長さんは畝り声を上げて体を伸ばした。
そして立ち上がり、私たちが座っているところにやってきて……私の隣に座った。
『お疲れ様です、店長さん』
「ああ、ありがとう姫榊。……どこぞのボンクラと違って出来た子だ」
「誰のこと?」
店長さんはリョウさんの言葉をスルーして立ち上がり、冷蔵庫を開けた。
そしてコップを2つ取り出し、茶ポットに入っている麦茶を注いだ。
そのコップのうち1つを私の前に、もう1つを自分の席に置いた。
「さっきまで練習してたんだろ? 飲みな」
「ん……」
私は店長さんの目をジッと眺める。
店長さん、優しい。
「なっ、なんだ?」
『ありがとうございます、いただきます』
私はメモ用紙を置いてコップを手に取り、口付ける。
湯出しの麦茶だろうか、香りとコクが深い。
結構、好みの味だ。
「安物の徳用だけどね〜」
伊地知さんがキッチンで作業をしながらそう言った。
「……私の分は?」
「自分で取れ」
「悲しい……よよよ」
バレバレの嘘泣きをするリョウさん。
なんていうか……店長さんもリョウさんの事、遠慮なく接してるなぁ。
「そういえば姫榊は、さ」
店長さんが机に肘をついて私の方を向く。
なんだろうか?
私も店長さんの方を向き、目線を合わせる。
「コイツ……山田の事だけ名前で呼ぶだろ? なんでだ?」
「あ〜、確かに。他のみんなは……白雪さん以外はみんな苗字で呼ぶのにね〜」
ああ、そんな事……。
……リョウさんを横目で窺う。
いつものクールフェイスで私を見ている。
……バカ正直に言うのもなんだし、適当な事を言おう。
『リョウさんの顔が好みなので』
「うわ〜……マジか。コイツなんかが好みって……」
「ふふん、私はカッコいいからね」
「え〜、花奏ちゃんも喜多ちゃんや日向さんと同じタイプ!?」
うん、面白い反応。
「じゃあさ、花奏。私と付き合う?」
『イヤです』
「……冗談でも、キッパリ言われると結構クるな」
「調子に乗ったバツだ」
そうこうしている内に伊地知さんは晩ご飯を作り終え、みんなで食べた。
ちゃんとリョウさんの分も作ってあって安心した。
「オートミールじゃなくてごめんね?」とか伊地知さんが言ってたけど気にしない。
「さて、部屋で勉強してるね」
「私はそろそろ帰るよ」
伊地知さんとリョウさんが立ち上がる。
私も帰ろう……そう思った刹那。
「姫榊、ちょっと話がある。残ってくれ」
店長さんに呼び止められた。
「……?」
「あんまり遅くならないようにね〜」
「分かってるよ。山田はさっさと帰れ」
「んっ……じゃあね、虹夏、花奏。それと店長も」
リョウさんは特に気にしない様子でリビングを後にし……玄関のドアの開く音がした。
「それじゃあね〜、花奏ちゃん」
伊地知さんはフリフリと手を振って廊下に出た。
リビングには私と店長さんの2人きり。
「悪いな、残ってもらって」
私は首をフルフルと横に振る。
別に門限とかはないし、何より店長さんからのお話だ。
「……今日、虹夏に何て言われてウチに来た?」
思わず首を傾げる。
何と言われて……
『晩ご飯食べに来てよ、と』
「そうか。……ったく、アイツは」
「……?」
「私が虹夏に頼んだんだよ、お前と話がしたいからウチに呼んでくれって。その様子だと私の事は聞かされてなかったみたいだけどな」
そうだったんだ。
私にお話し……。
……心当たりは、ある。
「姫榊」
店長さんの真っ直ぐな視線が、私の瞳に突き刺さる。
私はその視線に……捕らわれ、逃げられずにいた。
もっとも、逃げる気はサラサラないけれど。
「……お前、このままだと身体壊すぞ」
予想していた言葉とは違う事を投げかけられた。
「ぇ……?」
「今日のスタ練……いや、最近のスタ練でさ。……私が様子を見に来てたの気付いてなかっただろ?」
えっ?
……知らなかった。
いや、気付かなかった……。
「前まではすぐに気付いてたハズなのにな。それに、リハビリも頑張ってるって虹夏が言ってた。学校の勉強も、成績優秀者に名前が挙がってるって大山が言ってたし……明らかにキャパオーバーだ。お前の事だ、家に帰っても練習してるんだろう?」
「……………………」
何も言い返せなかった。
そして、目を逸らす事も出来なかった。
「何を急いでいるんだ?」
「っ!?」
……私は。
「虹夏たちに言い難い事もあるだろう。でももっと、周りの人間を頼れ。
お前が音を取り戻せたのは、お前だけの力じゃないだろう?」
そうだ、私は独りじゃない。
でも……。
『結束バンドのみんなには秘密にしておいてください』
「ああ、約束する。……だが、いつかは自分からみんなに話せよ?」
私はコクンと頷き、メモ用紙にペン先を走らせる。
『────────────────────』
「なっ……!?」
店長さんが目を大きく見開く。
茫然とした様子で私を見つめ……真剣な面持ちになり、口を開く。
「……だとしたら、尚更だ。もっとメンバーに甘えろ。お前はもう……結束バンドの一員なんだ」
「……………………」
「……あと、そうだ。お前のバイトの件だけど」
やっと思った通りの話題が出てきた。
そう、私は前のライブの翌日、店長さんに履歴書を提出してバイトとして働かせて欲しいと頼んだ。
しかし……
「ちゃんとリハビリが終わったら雇ってやる……って言っただろ?」
そう、不採用……一時保留? みたいな扱いになった。
『それがどうかしたんですか?』
「いや、あの時は気にならなかったんだが……お前の履歴書を見直してたら気になる点があって」
そう言って店長さんはノートパソコンの置いてある机から1枚の紙を取り出した。
私が提出した履歴書だ。
「通ってる学校は秀華高校の1年……大山と同じ学年で合ってるよな?」
コクンと頷く。
「で、年齢は16。誕生日は1月3日。これも合ってるんだよな?」
再びコクンと頷く。
……ああ、気が付いたんだ。
それはそうか、店長さん……経営者なら当然か。
『矛盾してますもんね』
「別に問題があるわけじゃない。ただ……何か事情があるなら話してほしい。何かあった時に対応出来なかったら、お前もお店も困った事になるかもしれないから」
『いいですよ、お話します。────────────────────────────────────』
「そうか……なるほど、合点がいった。
……その事を他のメンバーには?」
フルフルと首を横に振る。
「まあ……これは無理に明かす必要もないか。ただ、何かあったら相談しろよ?」
小さくコクンと頷く。
「お前の事も……私はちゃんと見てるからな」
店長さんの厳しくて、それでいて優しくて暖かい表情が私の闇色の瞳に映った。