【完結】沈黙のピアニスト   作:高科奈紗

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太陽の交響曲

 姫榊 花奏side

 

 私はお風呂の時間があまり好きじゃない。

 このだだっ広い空間で、独りで居るのが寂しくて堪らなかった。

 私だけの世界、世界から切り離された私という存在。

 そう感じてしまうから。

 

 けれども慣れとはかくも恐ろしいもので。

 このだだっ広い空間も、立ち込める湯気も、穏やかに畝る水面も、今となっては私の日常の1つとなっていた。

 

 使用人が用意してくれた部屋着に袖を通し、髪の毛を整える。

 自分の身の回りの事は、極力自分でする。

 この家に来た頃は、訳も分からず使用人に囲まれ、あれやこれやと身の回りの事を全部……着替えも、掃除も、入浴も……全部、やってくれた。

 

 イヤだった。

 

 私は私だ、お人形じゃない。

 

 お父様とお母様は、私の意思を汲んでくれた。

 私たちの命を救ってくれただけではなく、私を縛り付けるような事は一切、課そうとはしなかった。

 放任主義……そんな風に言われるかもしれないけど、確かに愛情は感じた。

 

 お母様は子宝に恵まれない人だった。

 事故の所為で両足と左腕が思うように動かず、車椅子での生活を余儀なくされているから。

 そして、その所為でピアノの道が閉ざされてしまった事も。

 

 お母様の代わりに……私が、お母様の夢を叶えたい。

 世界一のピアニストに、私はなる。

 そう思って、私はピアノを始めたいと言った。

 それがお母様に出来る、恩返しだと……そう思ったから。

 

 声と音を失いピアノの道を断たれた私を、お母様は優しく抱きしめてくれた。

「あなたはあなたの道を歩みなさい。あなたの夢が何であろうと応援しますから」

 私の道は……私の夢は、結束バンドと共に……

 

 

 〜〜〜♪ 

 

 ロインの通知音が鳴り響く。

 参考書を閉じて私はペンを置き、スマホを手に取る。

 花澄からだ。

 

『申し訳ありません、体調が優れないので明日の予定はキャンセルさせてもらいます』

 

 体調が優れない……花澄は昔から風邪っぴきだ。

 こればっかりは体質だから仕方ない。

 とはいえ……これは困った。

 

『しっかり養生してね』

 

 そう返信して、スマホを机の上に置く。

 そして机の上に置いてある2枚のチケットを手に取る。

 1枚は、花澄の為に買った物だ。

 しかし花澄が風邪をひいてしまった今、このままでは無用の長物と成ってしまう。

 それは勿体ない。

 ならば……このまま腐らせるより、誰か代わりに誘う方が有用だ。

 

 問題は、誰を誘うか……だ。

 

 私は少し考えた後、スマホを再び手に取る。

 

『明日、私と一緒にクラシックコンサートに行きませんか?』

 

 *

 

 喜多 郁代side

 

 待ち合わせ時間は3時。

 そして今は2時50分。

 下北沢駅に到着して、周囲を見渡す。

 姫榊ちゃんの姿は見当たらない。

 とはいえ、彼女は遅刻してくるような子じゃないから……もうじき来るだろう。

 

 そう思ってスマホを手に取り、画面に視線を落とした瞬間。

 

 〜〜〜♪ 

 

 ロインの通知を知らせる音が鳴った。

 差出人は……姫榊ちゃん。

 何かトラブルがあったのだろうか? 

 そう思ったけれど……文面は何も書いておらず、画像ファイルが1つ添付されているだけ。

 とりあえず、そのファイルを開いてみると……

 

「えっ!?」

 

 思わず大声が出てしまった。

 私の後ろ姿の写真が表示されたからだ。

 慌てて後ろを振り返る。

 

「……………………」

 

 姫榊ちゃんが、いつもの無表情フェイスで手を振っていた。

 

「もうっ! こんなイタズラして!」

驚いた?

「ビックリするに決まってるでしょ!」

ならよかった

 

 よかった、じゃない! 

 まったく……この子は本当に茶目っ気が強い。

 特に最近はその傾向が強く出ている気がする。

 ……それだけ、心を開いてくれているって事なんだろうけど。

 

 最初に会った時は、クールというか……淡白というか……とにかく、他人に無関心な子だと思っていた。

 けれども、喋れないだけで内面はとても明るくて……いたずら好きな子なのだと、交流を深めていく内に知っていった。

 

時間に余裕はあるけど、早めに行きましょう

「んっ……そうね」

 

 切符を買って改札を通り、電車に乗る。

 渋谷で降りて、別の電車に乗り換え。

 

「どこで降りるの?」

溜池山王

 

 赤坂のあたり……あんまり行ったことがないところかも。

 路線図を見ると、5駅で着くらしい。

 

「ところで、なんで今日は私を誘ってくれたの? 他にも誘える人はいたんじゃないの?」

 

 ちょっとした疑問だった。

 白雪さんが風邪をひいて、チケットが余ったから私を誘った……とは聞いたけれど、私以外にも誘える人はいたハズだ。

 

まず後藤さんは論外

「論外!?」

 

 まあ、ひとりちゃんはちょっと遠いし出不精だから……? 

 

あの人は絶対にジャージで来る。クラシックコンサートにジャージとかあり得ないから

 

 ああ……そういうこと……? 

 

伊地知さんは忙しそう、リョウさんは来たがらない。日向さんはバイト、大山さんはそこまで仲良くない

 

 なんだか、消去法で選ばれた感があるんだけど。

 

何より、喜多さんとお出かけしてみたかった

「ん、んっ……そっか!」

 

 そう言われると悪い気はしない。

 ……いや、ちょっと待って? 

 

「私、ドレスとか持ってないわよ?」

ドレスコードのあるクラシックコンサートなんて基本的に無いから気にしなくていいですよ。カジュアル過ぎる格好じゃなければ大丈夫

「な、なるほど?」

 

 コンサートにはコンサートの作法があるんだろう……姫榊ちゃんの言う通りに従おう。

 姫榊ちゃんもいつものロングワンピだし。

 

 程なくして、溜池山王駅に到着して降りる。

 駅から出たところで、これから見に行くコンサートのチケットを受け取った。

 

「……んんっ!?」

 

 思わず声を上げてしまった。

 姫榊ちゃんにドッキリを仕掛けられた時以上に大きな声が出た気がする。

 

「……………………」

 

 思わず2度見する。

 ……やっぱり見間違いじゃない。

 

「SS席って……グレードが一番上の席よね?」

 

 姫榊ちゃんがコクンと頷く。

 

「ついでに聞くけど……いくらしたの?」

11000円

「いちまんいっせんえん!?」

 

 コンサート1回で5桁って……。

 しかも、姫榊ちゃんの事だ……おそらく、2人分を自費で買ったのだろう。

 

「えっ……は、払うわよ……?」

いらない。私が誘ったんだから受け取れないよ

 

 凄く申し訳ない気持ちが……それに、緊張感が……。

 

大丈夫?

「だだだだだダイジョウブよ!」

「…………?」

 

 溜池山王駅から少し歩き、エスカレーターに乗る。

 すると広場に出て……その奥に大きなホール会場が見えた。

 

あれが今日コンサートが開かれるサントリーホール

「へ〜……なんだか美術館とか図書館みたいな外観ね」

 

 ホールの入り口付近に来て、1つのモニュメントが目に入る。

 シンバルに見えなくもない、黄金に光り輝く地面に刺さったような半円のモニュメント。

 

「これってシンバル?」

違うよ。漢字の響って字を元にしたシンボルマーク

「響? なんで?」

このホールが、世界一の響きを求めて作られたから

「ふ〜ん?」

真上から見ると分かりやすいんだけどね

 

 横から見ても、なんか複数の半円が複雑な構造で並んでるだけにしか見えないけどなぁ。

 ……芸術ってのはよくわかんない! 

 

 ホールに入ろうとした時、急に姫榊ちゃんに肩を掴まれた。

 姫榊ちゃんに視線を向けると凄い目力でこっちを見つめられていた。

 私、何かしたかな……? 

 

「どうしたの、姫榊ちゃん?」

ここ、中はロビー以外の撮影禁止だから

「えっ!?」

 

 いっぱい写真撮って、SNSにアップできない……って事!? 

 

「い、入り口とかロビーならいいのよね!?」

「っ……」

 

 姫榊ちゃんの両肩をガッチリと掴んで詰め寄る。

 姫榊ちゃんはコクコクと小刻みに頷く。

 

「ならちょっと外観とか撮っちゃうから待ってて!」

「……………………」

 

 ふう〜……満足! 

 

早く行こう。開場時間過ぎてる

「あっ、そうね」

 

 そうこうしてホール内に入ると……

 

「おおー……広くて明るい!」

 

 キラキラと眩い玄関、広々とした空間に荘厳な雰囲気のある階段! 

 そして真上を見ると……

 

「何アレ!? シャンデリア!?」

 

 半球型の巨大なライトオブジェが天井に設置されていた。

 いくつもの面で構成されているオブジェから、様々な方向に光が放たれている……そんな風に見えるデザインだ。

 

光のシンフォニー 響、30面体のシャンデリアだよ

 

 30面体……文字だけで聞いたら想像できないだろうけど、実物を見ながらだとそのスケールに圧巻される。

 

中にクリスタルガラスが6630個敷き詰められてるらしいよ

「い、いったいいくらかかったのかしら……」

 

 想像もつかない……。

 

 受け付けを済ませて、指定された席に座る。

 1階席の真ん中だ。

 

「やっぱりコンサートって、こういう1階の真ん中がベストポジションなの?」

バランスよく聞こえるけど、サントリーホールだと2階の方が音響が良かったりする

「へ〜……じゃあなんでそっちにしなかったの?」

耳が死ぬ。聞こえるようになったとはいえ大音響はキツい

「あぁ……なるほど」

 

 だからやや後ろ寄りな……音が響き過ぎない(ように素人目には見える)場所を選んだのかな。

 ……それにしても、周りを見ると……煌びやかな人が多い! 

 私たちみたいな高校生が場違いに思える……! 

 ライブとは違う緊張感が……! 

 

「…………ん」

「ひゃっ……姫榊ちゃん……?」

 

 急に頬をむにーっとされた。

 いた……くは、ない。

 

「……………………」

「……………………」

 

 パッと手を離し、こちらの視線をジッと捉えてくる。

 視線がぶつかり合い、そのまま時間が過ぎて……次第に私の中で高まっていた緊張感が和らいでいく。

 

「……………………」

 

 私は何も言わずに姫榊ちゃんの頭をポンポンと軽く叩く。

 そして会場内にベルの音が鳴り響く。

 途端、会場内が静寂に包まれる。

 そして5分後に2回目のベルが鳴り響き……目の前にあるステージに光のシャワーが降り注ぐ。

 

 これから演奏が始まるんだ。

 姫榊ちゃんの表情を横目で窺う。

 ライブ直前の時のような……茶目っ気の一切ない、真剣な眼差しでステージを見つめている。

 この子は本当に、音楽に真摯に向き合って生きているんだ……。

 

 演奏が始まった。

 様々な楽器の音色が重なり、耳に響いてくる。

 心の中に僅かに残っていた緊張感や雑念が、その音色で掻き消される。

 

 たまに姫榊ちゃんが聞かせてくれるピアノとは違う……迫力、臨場感、重圧感。

 クラシックの事なんて全く分からないけれど、心に響いて木霊する。

 心の中に残って響き続ける……そんな感覚に襲われ続ける。

 

 こんな世界があったなんて……普段の練習やライブでは味わえない感覚。

 呼吸の感覚さえも、時の流れさえも、隣にいる友達の表情を窺う事さえも忘れて……ただただ、音に魅せられていた。

 

 

「凄かったわね〜! クラシックコンサートってもっとこう、くら〜いイメージがあったけど……とにかく凄かった!」

楽しんでもらえたようで何より

 

 2時間に渡る公演が終わり、私たちは駅前のファミレスで食事を摂る事にした。

 ホール前に並んでるお店に行こうと提案したら『ああいうお店は時間かかるしコスパ悪い』と言われて却下された。

 姫榊ちゃんは妙なところで庶民派だったりする。

 

「姫榊ちゃんも、ピアノやってた頃はああいう所で演奏するのを目指してたの?」

 

 ふとした疑問を投げかけてみた。

 ちょっと気にかかった、軽い質問。

 

コンサートよりもリサイタルを夢見てたかな

「どう違うの?」

コンサートは複数人で演奏、リサイタルはソロで演奏

「なるほどね〜」

 

 姫榊ちゃんの家に遊びに行った時……人生初のリサイタル、って言ってたのを思い出した。

 ……そういえば、気になる事があった。

 

「さっきのコンサート、ピアノがいなかったわよね?」

 

 姫榊ちゃんがコクンと頷く。

 クラシック音楽といえばピアノ……という素人な考えがあったけれど、先のコンサートにピアノは無かった。

 

ああいうコンサートにピアノが居ないのはよくあるケース

「そうなの? どうして?」

ピアノ協奏曲やソロで呼ばれるのが殆どだから。オーケストラ向きじゃないの

「ん〜……?」

ピアノの役割は全体の音の補完。けれどピアノは音の強弱や変化が他の楽器に比べて弱い。弱い部分は木管、強い部分は金管で事足りちゃうの

「あ〜……そう言われれば」

 

 確かに、姫榊ちゃんのキーボードもそうだ。

 彼女の役割は全体の土台、そして補完。

 前面に出て演奏する事じゃない。

 

だからピアニストは孤独な存在。常に自分との闘いを強いられる

「……………………」

つまり私もある意味《ぼっちちゃん》

「んふっ!」

 

 思わず吹き出してしまった。

 ……うん、この子はこういう子だ。

 

「……姫榊ちゃんはぼっちじゃないでしょ、それにひとりちゃんも」

そうだね

 

 互いにクスクスと微笑み合う。

 

また一緒に観に行こう

「ええ、もちろん。……次は自腹で行けるようにするわ」

 

 節約しないとなぁ〜……。

 

 *

 

 姫榊 花奏side

 

 今日も充実した1日だった。

 自分の部屋で椅子に座り、背中を伸ばす。

 ……花澄の体調はどうだろうか。

 

『体調はどう?』

 

 程なくして返信が返ってきた。

 

『明日は学校休む事になりそうです』

 

 やっぱり長引きそうか……昔から、最低でも3日、長ければ1週間は寝込む。

 

『お大事に』

 

 そう送ってスマホを机の上に置く。

 しばらくは花澄の顔を見れないのか……ちょっと憂鬱だ。

 机に突っ伏して顔を埋める。

 

 

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。

 その音を聞いて全身がビクッと跳ね上がった。

 うたた寝していたみたいだ。

 

「お嬢様、奥様から手紙が来ております」

 

 お母様からの手紙。

 お盆と年末年始にしか帰って来れない両親からの、月1の手紙だ。

 私は身体を起こし、ドアを開ける。

 

「こちらです。……寝る時はきちんとベッドで寝てくださいね?」

 

 小林さんはそう言って手紙を渡してドアを閉じた。

 うむぅ……うたた寝してたのがバレてたか。

 まあいいや、今はお母様からの手紙だ。

 

 薄ピンク色の封筒を開け、白色の便箋を手に取る。

 逸る気持ちを抑えて、手紙を読み進める。

 ……手紙を読み終わる頃には、高ぶる気持ちは完全に静まりかえっていた。

 

 そうか……もう、なんだ。

 思ったよりも早かった……せめて、来年の3月頃かなって思ってたけど。

 

 私に残された時間は、もうない。

 私は……どうすればいいのだろう。

 

 後藤さん……喜多さん……伊地知さん……リョウさん……。

 

 便箋をぐしゃりと握り潰す。

 握り拳にポタポタと涙が滴り落ちる。

 

 いやだ……別れたくないよ……。

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