【完結】沈黙のピアニスト   作:高科奈紗

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その苦しみは私だけのもの

 貴女はいつも私の側に居てくれた。

 貴女はいつも私の演奏を側で聞いてくれた。

 貴女に喜んでもらいたくて、レッスンを積み続けた。

 貴女が向けてくれる暖かい笑顔が好きだった。

 貴女さえ居てくれれば、他には何も要らなかった。

 私が──になっても……貴女が────である事は変わらないのだから。

 

「いつも私の演奏を聞いてばっかりで、退屈しない?」

「退屈なんてしませんよ。私、お姉様のピアノ大好きですから」

 

 燻んだ景色を彩り鮮やかにしてくれたのは、貴女だった。

 貴女が側に居てくれなければ、何の意味もない。

 貴女が居ない世界なんて、何の価値もない。

 

「それに、お姉様は世界一のピアニストですもの!」

 

 *

 

 姫榊 花奏side

 

「なんていうか……壊滅的にリズムを取るのが下手だね……?」

 

 伊地知さんから下された評価はこうだ。

 

「ま、まあ初めて触る楽器だし慣れないのは仕方ないよ!」

 

 周囲を見渡す。

 後藤さんと視線がぶつかる。

 かと思えば、俯いてしまった。

 

 私の事は、私がよく知っている。

 私の欠点も、よく知っている。

 私の演奏は、他人に合わせるという事が出来ない。

 譜面通りにしか弾けない。

 完全にソロ向けなんだ。

 

 失望されてしまっただろうか。

 あの時のように。

 

「姫榊、ちょっといい?」

 

 リョウさんに視線を向ける。

 

「……キミの音は、どこにあるの?」

「っ……」

 

 いやだ。

 

「そのスコアを書いたのは私だから、よくわかる。姫榊の技術は確かにズバ抜けてる」

「私とひとりちゃんも、その事は理解してます!」

 

 聞きたくない。

 

「でもそれじゃあ、バンドとしてはダメ」

 

 体の中にある物が、全て込み上げて来る。

 

「バラバラの個性が集まってひとつの音楽になるんだから。個性を捨てたら死んでるのと一緒だよ」

 

 私の個性。

 そんな物、とうの昔に否定されてしまっている。

 なら、私の音は死んだも同然。

 音楽は私の全てだった。

 

「っ……!」

「姫榊ちゃん……?」

 

 必死に堪えようと、左手で口元を覆う。

 肩が痙攣しだす。

 耐えられない。

 鍵盤に触れる度に込み上げてくるこの感覚を、もう抑えられない。

 

「〜〜〜〜!!」

 

 体の中にある物を床に全てぶちまけて、私の意思はそこで途切れた。

 

 *

 

 伊地知 虹夏side

 

 姫榊さんが吐いて倒れた。

 突然の事で、呆然としていると……

 

「っ……私、店長呼んでくる!」

 

 リョウの言葉で意識がハッとした。

 

「しっかりして、姫榊ちゃん!」

「待って喜多ちゃん! 頭を打ってるかもしれないから無闇に振っちゃダメ!」

 

 姫榊さんに駆け寄る喜多ちゃんを制止する。

 まずは状況確認が先だ。

 

「脈は……ある、息は……ちょっと浅くなってるね……それに、発熱がある……喜多ちゃん、姫榊さんを運ぶの手伝って!」

「はっ、はい!」

 

 足を上げて頭を下の方にし、喜多ちゃんと二人で姫榊さんを持ち上げる。

 

「虹夏、何があった!?」

「お姉ちゃん……! 詳しい事は後で話すから、この子を家にあげるね!」

 

 お姉ちゃんは力強く頷いてくれた。

 お姉ちゃんの横には、息を切らしてバツの悪そうな表情でこちらを伺っているリョウがいた。

 

「山田とぼっちちゃんは、片付けるの手伝ってくれ」

 

 リョウとぼっちちゃんは、お姉ちゃんの言葉に黙って頷いた。

 

「大丈夫だよ、大丈夫だから……心配しないで、リョウ」

 

 *

 

 姫榊 花奏side

 

 目が醒めると、そこには見知らぬ天井が広がっていた。

 朦朧としていた意識をゆっくりと手繰り寄せていく。

 

「よかった、意識が戻ったんだね」

 

 顔を横に向ける。

 そこには伊地知さんがいた。

 

「ここ、私の部屋。姫榊さんが倒れちゃったから……ここに運んで安静にしてたの」

 

 額にひんやりした感覚がある事に気が付く。

 濡れタオルだ。

 伊地知さんは、私が気を失っていた間ずっと看病してくれていたのだろう。

 

「他のメンバーはみんな帰ったよ。リョウは残る、って言ってたけど……遅くなるかもしれないから私が帰した」

 

 時計に目を向ける。

 長針は7時を指し示していた。

 

「姫榊さんのスマホで、お家に連絡しようと思ったんだけど……ロックが掛かってたから出来なかったんだ」

 

 普段の防犯意識が仇となってしまったようだ。

 ゆっくりと上半身を起こす。

 

「まだ寝ていていいよ! 無理して動くと危ないから!」

 

 伊地知さんに促され、再びベッドに横たわる。

 全身が汗ばんで、肌に制服がこびり付く感覚に嫌悪感を覚える。

 

「お家に連絡して迎えに来てもらう? なんだったら、今日は泊まっていっても……」

 

 そこまで面倒を見てもらうのは悪い気がした。

 私はスマホを取り出し、家に連絡を入れる。

 迎えに来て欲しいとショートメールを送った後、メモ帳の機能を起動させる。

 

『迎えに来てくれるそうです』

 

 スマホの画面を伊地知さんに向ける。

 

「そっか、それなら一安心」

 

 部屋の中に静寂が訪れる。

 その静けさに耐えられない様子だった伊地知さんは、重苦しい表情を浮かべて口を開いた。

 

「ごめんね、私たちの所為で……」

 

『伊地知さんが謝る必要はない』

 

 スマホの画面を見せる。

 

『みんなと演奏できて、光栄だった。憧れてた結束バンドと協奏できて、私は嬉しかったよ』

 

 結果は散々だったけど……心の中で独りごちる。

 伊地知さんと視線がぶつかり合う。

 

「……ありがとう、姫榊さん」

 

 伊地知さんが手を握ってきた。

 

「よければまた、練習を見に来てよ。他のメンバーも……きっと喜ぶから」

 

 私の小さな手が伊地知さんに包まれる。

 私は心地よさを感じながら、静かに頷いた。

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