姫榊 花奏side
どこでもよかった。
できるだけ遠くなら、どこでも。
気の向くまま、趣くままに……電車に揺られ続けた。
芝浦埠頭……ここら辺でいいか。
電車から降りて、スマホを手に取りロインでメッセージを送る。
……適当に時間を潰そう。
海岸沿いを歩いていると、喫茶店が目に入った。
どうやら開店時間は過ぎているらしい。
そういえば朝食、食べてなかったな……よし、入ってみよう。
内装は広々としたスペースにモダンな空間が広がる、お洒落なカフェって感じだ。
綺麗に並んでいる色取り取りなテーブルと椅子を横切り、レジで注文をする。
セルフサービス式のカフェのようだ。
注文した品を受け取り、適当な席に座る。
私が頼んだのはクロワッサンサンドとサラダ、そしてソイラテ。
これで1コインで済む安さなのはちょっとびっくり。
男の人には物足りないかもしれないけれど、女子には充分な量といえるだろう。
事実、疎らに見かける店内の他のお客さんはみんな女性だ。
そして味の方は……うん、ゆったりとした店内にマッチした、しっとり滑らかな口当たり。
それでいてしっかりとした味付けがされている。
これは女子受けが良さそうなのも頷ける。
ソイラテをストローで飲みながら、店外に飾られている植物を眺める。
みんなどうしてるだろうか。
喜多さんと後藤さんは……私の心配をしてくれているだろうか。
だとしたら……私は幸せ者だ。
そして私はその厚意を無碍にする、大バカ者だ。
どうすればいいのかなんて分からない。
ただ、みんなと顔を合わせるのが怖かった。
別れの時が来るのは分かっていた。
覚悟は出来ていた……つもりだった。
でも、いざその時に直面すると……その時を想像すると、腕が震えて涙が止まらなくなった。
怖い。
みんなと離れ離れになるのが、怖い。
だから私は逃げた。
このまま朽ち果てるのも悪くない。
そうすれば……楽になれる。
喫茶店を出て、少し歩いた。
芝浦埠頭公園……目的地に着くと、待ち合わせていた人が既に居た。
『おはようございます、志麻さん。私からお呼びしたのに遅れて申し訳ありません』
「いえ、私も今来たところですので」
SICK HACKの志麻さん。
ちょくちょくFOLTに遊びに行ってるうちに、それなりに交流を持つようになった。
と言っても、こんなお願いを聞き入れてくれるとは思ってもいなかったけれど。
「言われた通りの機材は用意してあります。あとはチューニングを済ませるだけです」
志麻さんの後ろには、キーボードの演奏に必要な機材が既にセッティングされていた。
さっきの「今来たばかり」ってには完全に社交辞令だな。
喫茶店で感傷に浸り過ぎた……反省。
『本当にありがとうございます、こんな事に付き合ってもらって』
「私がしたいからしただけです、イヤなら断ってますよ」
志麻さんは私の目を真っ直ぐに見つめて……私も、その視線に応えた。
『どうして、そこまでしてくれるんですか?』
「あなたの音が好きだからです」
「ぇ……?」
「それに廣井もイライザも、あなたの事を一目置いてるので」
『買い被り過ぎです』
「……何があったか、これから何をするのかは聞きません、ですがこれだけは約束してください」
志麻さんは大きく息を吸う。
そしてこちらを力強い目で捉える。
「独りになる道だけは、選ぶな」
志麻さんと別れ、キーボードのチューニングを済ませる。
「撤収する時にまた連絡してください」と別れ際に言ってくれた。
本当に、何から何まで……感謝してもしきれない。
でも、ごめんなさい……あなたの約束は果たせそうにありません。
私はもう、ここまで来てしまったから。
どれだけの時間が経っただろう。
今の私はただ、指先で鍵盤を押す。
ただ、それだけの存在。
行き交う往来も、差し向けられる視線も、時折放たれる賞賛も、うつし世から切り離された今の私という存在には何も響いては来ない。
私の心は満たされない、乾いたままだ。
「こんにちは、姫榊さん」
その一言で、私の意識は鍵盤から現実へと引き戻された。
顔を上げる。
PAさんだ。
いつものような、ピアスゴリゴリな顔に似つかわない穏やかな笑顔を向けてきていた。
『こんにちは、PAさん』
どうしてここに?
……なんて疑問は海に投げ捨てた。
私は再び視線を鍵盤に向け、指を置こうとした。
その時だった。
「店長の命令で、あなたを連れ戻しに来ました」
私の腕が止まった。
PAさんは今、何と言った?
私を連れ戻す?
……どこに? なんで?
「今、トゥイッターで軽く話題になってるんですよ。芝浦埠頭で謎のキーボード少女が朝からずーっと演奏してる、って」
PAさんがそう言ってスマホの画面を見せてきた。
……だから、私を連れ戻す?
「こんな事をしてるの、あの件が原因ですね?」
「っ!?」
PAさんは……あの件を、知ってる?
店長さんが話した?
他の人には言わないで欲しいって……いや、結束バンドの人たちには、とは言ったけれどSTARRYのスタッフさんには……とは言っていない。
「大丈夫です、他の人には話してしません。知ってるのは私と店長だけ。私も他の人に話すつもりもありませんし」
「……………………」
私はPAさんを睨み付けるように視線を向ける。
「そんな表情しちゃって、可愛らしいお顔が台無しですよ?」
……何だっていい、私はもう戻る気はない。
「まぁ、さっきはああ言いましたけど……実際に連れ帰る気はないんですけどねぇ」
「…………?」
「だってそんな義理も権利もないじゃないですか? あなたはSTARRYのスタッフでもアルバイトでもないんですから」
「……………………」
「なのでここからはSTARRYのスタッフとしてではなく、私個人としての意見を言わせてもらいますね」
PAさんがニコニコと笑顔を浮かべる。
……底が知れない笑顔だ。
「結束バンドのみんなに、お別れぐらいは言った方がいいですよ」
お別れ……それが言いたくないから、私は……
「言葉だけが想いを伝える手段じゃない……そうでしょう、姫榊さん?」
「……………………」
私は……私は……!
『このまま何も言わずにお別れするなんてイヤだ』
「ふふっ、なら決まりですね」
私はスマホを操作し、ロインのビデオ通話を立ち上げる。
そしてスマホをPAさんに預け、私が演奏している姿を撮影してもらう。
私は……
初めて自分で書き起こした譜面を、譜面台に立て掛ける。
そして指先を鍵盤に叩きつける。
気持ちが重い。
指の動きが鈍い。
よく知ってる曲のハズなのに……こんな曲じゃない。
こんな演奏、こんな曲じゃない。
伝えたいのはこんな曲じゃない。
イヤだ。
イヤだ、みんなと離れ離れになりたくない……!
もっとみんなと一緒に居たい!
みんなとずっと同じ音を奏でていたい!
パチ、パチ、パチ……と手を叩く音が聞こえる。
その音に、賞賛の意が込められてはいない事は明らかだ。
その音の鳴る方へ顔を上げると……
「いやー、すごいね姫榊ちゃん!」
廣井さん。
PAさんの横に、いつも通りの酔った表情の廣井さんが居た。
そして何故か、PAさんが撮影を始めた時よりも後ろに居る。
……待って、そんな位置に居たら。
「何処に居るか、みんなにバレちゃいましたねぇ」
この人は……最初からそのつもりだったんだ!
「いくら気軽に来れる距離ではないとは言え……彼女たちなら、きっとやって来るでしょうね」
「……………………」
「さて、観念して……着いて来てもらいますよ?」
私は……
「まあまあ、ちょっと待ってよ。私にもお話しさせてよ〜?」
「なるべく手短かにお願いしますね?」
廣井さんが朗らかな笑顔を私に向けて来る。
この人も……何を考えているのか分からない。
「さっきの演奏、すごいすごい」
再びパチ、パチ……と大袈裟に手を叩く。
やっぱりそこに賞賛の意など存在しないのは明らかで……
「キミってそんなにツマンネー音出せたんだね」
真剣な眼差し。
そして……軽蔑。
「さっきのキミの音は、音楽への侮辱だ。……キミの手を見れば分かる、キミは音楽に人生を捧げてきた人間だ。そんな人間があんなクッソくだらねぇ音を出すなんて……例え神様が許したって私が許さないね」
私は……何をしているんだ。
この人は……私の世界を開くキッカケを与えてくれた。
そんな人の期待を……裏切っていいのか?
……いいハズが、ないっ!
『ちゃんとみんなと向き合ってみます』
「おっ、やっといい表情するようになったじゃん」
「ふふっ、それじゃあこれはお返ししますね」
PAさんからスマホを受け取り、グループメッセージを送る。
『放課後、STARRYで待ってます』
「後片付けは私と志麻でやっとくからさ、先に帰ってな」
「それではお願いしますね。……さっ、姫榊さん、行きましょうか」
私は小さく頷き、キーボードを仕舞ってPAさんの後ろに着いて行く。
「あっ、途中で何か食べて帰りましょう。何か食べたいのありますか?」
なんとなく……唐揚げが食べたい気分になった。