姫榊 花奏side
あれから、私を取り巻く環境はちょっとだけ変わった。
結束バンドの練習がある時は、そこにお邪魔するようになった。
最初は「あの時はごめんなさい!」とリョウさんに深々と頭を下げて謝られたが、『げろっぱ』と返したら呆然とされた。
喜多さんは「それはもういいから」と呆れた様子だった。
やはり同じネタを2回もやるのはくどかっただろうか。
そんなこんなで、私は結束バンドの練習を見学したり、時には一緒に演奏したり……そんな日々を送っていた。
結束バンドのみんなは私を邪険にする事もなく、いつも心地よく歓迎してくれる。
心の中が満たされていく感覚を味わう。
でもそれは、見せかけだ。
いつも通りの登校風景を眺めていると、不意に1人の少女が視界に入った。
私と同じぐらいの背丈の、クルクルとパーマがかかった黒髪の少女。
その子の元に急いで駆け寄った。
早く会いたい。
早くお話ししたい。
逸る気持ちを抑えて、その子の肩を軽く叩く。
*
???side
未だに気怠さが残る朝。
風邪を引いて1週間も休んでしまったのだから、熱が下がったなら学校へは行かなくてはならない。
……まあ、気怠いのは風邪の所為だけではないのだけど。
正直、学校にはあまり行きたくない。
交友関係や勉強は別に問題ない。
ただ、会いたくない人がいる。
ぽんっ、と軽く肩を叩かれた。
嫌な予感。
振り返る。
予感的中。
『おはよう、カスミ』
姫榊 花奏。
やっぱりだ。
「……おはようございます、姫榊さん」
目を逸らして挨拶を返す。
彼女はこちらの意など解さず、私の横に並ぶ。
『風邪はもう治った?』
「おかげさまで」
1週間も安静にしてれば熱は引く。
何を分かりきった事を……。
彼女の闇色に淀んだ目が、私に突き刺さる。
その目だ。
その心の内を見透かしてくるような目が……私の心を居た堪れなくさせる。
「……結束バンドとやらに入ってバンド活動をし始めたそうですね」
聞きたくはなかった。
でも、自然と口に出てしまう。
『入ってないよ、見学したりたまに音を合わせたりするだけ』
「そうですか。まあ、私には関係のない事です」
そう言ってそっぽを向く。
彼女は少しの間、私の方を窺った後……急に腕を掴んで、持ち上げてきた。
「や……やめてください、姫榊さんっ……!」
袖を捲られ、制服で隠れていた細腕が露わになる。
見られたくなかった。
この人にだけは、見られたくなかった。
『まだ、こんな事をしてるの?』
彼女は腕から手を離し、私を睨み付けながらメモ用紙を見せてきた。
「あ……あなたには、関係のないこと……」
『関係ある』
いやだ。
『もっと自分の体を大切にして』
「やめて、くださいっ……!」
聞きたくない。
『貴方は私の────だから』
「やめてっ!!」
彼女を力任せにつき飛ばし、私は逃げるようにその場を走り去った。
*
喜多 郁代side
「姫榊ちゃん、大丈夫っ!?」
姫榊ちゃんが女子生徒に突き飛ばされる瞬間を見てしまった。
姫榊ちゃんが受け身を取れずに尻餅をつく。
急いで彼女の元に駆け寄り、手を握る。
「……!」
立ち上がろうとした時、姫榊ちゃんは目を瞑って表情を歪めた。
「もしかして……ちょっとごめんね、靴脱がすから!」
思った通りだ。
左足の付け根が赤く腫れあがっていた。
倒れた時に捻ったのだろう。
私は彼女を背負って歩き出す。
「保健室まで、我慢してね……!」
*
後藤 ひとりside
姫榊さんが怪我をした。
教室に入ると先に登校していた喜多ちゃんからそう聞いた。
なんでも、他の生徒と口論になって突き飛ばされた際に足を捻ってしまったそうだ。
今は保健室で安静にしているらしい。
「それにしてもあの子、なんなのかしら……!」
ここまで怒りを露わにする喜多ちゃんは珍しい。
無理もない、喜多ちゃんは友達を大切にする人だ。
友達が傷付けられれば、自分の事のように憤る……そんな人だ。
私だって……良い気はしない。
むしろ……
「……姫榊さん、大丈夫でしょうか……?」
込み上げてくる気持ちを飲み込む。
一番辛いのは、姫榊さんだ。
「少し安静にしてれば収まるって保健室の先生は言ってたけど……」
問題はそこじゃない。
「……姫榊ちゃんが他の人と喧嘩するなんて、考えられないわ」
それもそうだ。
知り合ってからまだ日は浅いが……彼女は他人から一歩引いたところに居たがる。
私も人の事は言えないけど。
そんな彼女が、誰かと意見をぶつける様が……想像できなかった。
他人の為に、自分が折れる……そんな風に見える人だ。
モヤモヤした気持ちを抱えながら、午前の授業を終える。
いつも通り、誰にも気付かれることなく教室を抜け出す。
まずは保健室だ。
いない。
なら次は……音楽室?
いた。
ピアノの前に心ここに在らずといった面持ちで佇んでいる姫榊さんが……そこに居た。
*
姫榊 花奏side
「あ……あの」
視線を感じた。
振り返るとそこには後藤さんがいた。
『こんにちは、後藤さん』
「あ、はい、こんにちは……」
喜多さんは見当たらない。
なんだかんだで、私の中ではこの二人がペアで行動している印象がある。
その所為か、この状況が新鮮に感じてしまう。
「あの……足の怪我は、大丈夫ですか……?」
喜多さんから聞いたのだろう。
彼女はやっぱりお節介焼きだ。
『歩くのは大丈夫だけどペダルを踏むのがキツい』
「あ……」
後藤さんが狼狽える。
『明日には治るって先生が言ってた』
「よ……よかった……」
今度は安堵の表情を浮かべる。
百面相という言葉がこれ程まで似合う人はそういない。
鉄仮面だの昼行灯だの言われる私とは真逆だ。
準備室からパイプ椅子を2つ引っ張り出して並べる。
そこに腰掛ける二人。
傍からみたらシュールな絵面なんだろうなと、我ながら思う。
『わざわざ様子を見に来てくれてありがとう』
あ……う……、と後藤さんが吃る。
本当にこの人、先輩なのか? と思う。
まあ、実際に先輩じゃないんだけど。
「とっ……友達の心配をするのは、当然ですから……」
喜多さんもそうだけど、後藤さんも割と他人との距離感がぶっ飛んでる気がする。
まあ……悪いとは思ってないけれど。
『友達っていいものだね。今までそういう人っていなかったから新鮮』
「えっ……?」
後藤さんが目を丸くしてこちらを見つめてきた。
「……今朝、喧嘩していたらしい人は……友達じゃ、ないんですか……?」
あの子の事も喜多さんから聞いたのか……?
『あの子は友達じゃないよ』
「そ……それじゃあ……?」
『幼馴染み』
「……??????」
分かりやすいリアクション。
頭の上に疑問符が何個も浮かんで見える。
「幼馴染みって……友達とは違うんですか……?」
『他の人にとってはどうか知らないけれど、私にとっては友達ではないのは確か』
「????????」
目に見えて、後藤さんの脳内がパンクしそうだというのが分かる。
『ちょっと長くなるけど、いい?』
「あっ、はい……?」
息を深く吸い込む。
『あの子……白雪 カスミっていうんだけどね。
小学校の時は毎日、私の家で遊んでたの。
でも中学に入ってからは学校が別々になって疎遠になっちゃった。
高校は一緒になれたけど、色々あって仲違いしちゃった』
我ながら、短くかつ簡潔に纏められたと思う。
「そ……そう、なんですか……。
……それってやっぱり、友達なのでは?」
『違う』
「……仲直りとか、したいとは……」
『カスミが元気なら、それでいい』
私が側に居なくても、あの子が無事ならそれでいい。
私があの子の側に居られる資格なんてないから。
「……特別な存在、なんですね」
特別な存在。
確かにそうだ、だってあの子は私の……
「あっ、予鈴が鳴っちゃいました……そろそろ教室に戻らないと……」
『私が片付けておきます』
「えっ、あ……お、お願いします……」
立ち上がり、パイプ椅子を片付けようとした途端……後藤さんに、肩を掴まれた。
闇色に染まった瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「……なっ、なんでもない、です。それじゃあ……ま、また……!」
後藤さんが走り去っていく。
その後ろ姿をぼーっと眺めていると……ポケットに入ってるスマホが振動した。
予鈴が鳴る時刻にセットしてあるアラームが起動したようだ。
後藤さんは、さっき予鈴が鳴ったと言った。
……まあ、予鈴かタイマーが多少はズレる時もあるか。
浮かび上がった疑問を隅に追いやり、パイプ椅子を引き摺って片付けた。