【完結】沈黙のピアニスト   作:高科奈紗

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君の音は。(後編)

 姫榊 花奏side

 

「……姫榊さん、あなたは……耳が聞こえていないですよね?」

 

 思考が全て停止した。

 後藤さんは……何と言った? 

 

「練習曲作品10第3番ホ長調『別れの曲』。

 ……あの日、姫榊さんが演奏していた曲です」

 

 これに入っているのは、と後藤さんはポータブルオーディオプレイヤーを指差す。

 

「思い返したら、何もかもがおかしいんです。

 最初に会った時、私を無視する気があったのなら……『どうだった?』なんて聞かない。

 私たちを無視するつもりだったら『げろっぱ』なんて茶化したりしない」

 

 そして……

 

「私たちと音を合わせる時、リズムが合わないのは……私たちの手元を目視で確認しながら演奏しているから……そうですよね……?」

 

 返す言葉が見つからない。

 後藤さんの言っている事は……正しい。

 そうだ、私は言葉を話せないだけじゃない。

 

『最初から気付いてたんだ』

「あっ、いえ……違和感を覚えたのは、最初にスタ練で私たちの演奏を見せた時で……。

 ……なんで、音を聞くよりも、私たちの手元を見ることに集中してるのかな……って……」

 

 他人の視線には敏感な方なので……と苦笑いを浮かべる。

 

『後藤さんの言う通りだよ。私は音を発せられないし音を聞き取れない』

 

 もう、隠し通せはしない。

 

『失望した?』

「……そんな事で、あなたを拒んだりしません。他の人たちも……喜多ちゃんや虹夏ちゃんやリョウさんだって、同じはずです。

 あなたが音楽に直向きになのは……演奏を聞いていれば、分かります……から……」

 

 やっぱり後藤さんは優しい。

 他人の痛みを分かってあげられる……そんな人だ。

 ……それに甘えていいのだろうか? 

 

『でも迷惑をかけてる』

「迷惑なんかじゃ、ありません……!」

 

 後藤さんが力強い眼差しで、こっちの視線を捉える。

 

「私たち……とっ、友達じゃないですか……私は、姫榊さんと……もっと、一緒にいたいんです……みんなで、一緒に……いたい、から……」

 

 後藤さんはそう言って視線を外して俯く。

 私は……私も……

 

『あなた達と一緒にいたい』

 

 それが私の、心からの気持ち。

 

 

 後藤さんのお母様に呼ばれ、昼食を頂いた。

 後藤さんの両親も、後藤さんと同じように優しそうな人たち……って印象を受けた。

 

『少し羨ましいな』

 

 えっ? と素っ頓狂な表情になる後藤さん。

 今は昼食を摂った後で、二人で寛いでいるところだ。

 

『両親と一緒にご飯食べたことってなかったから』

 

 気不味そうに言葉を濁す様が、ちょっとだけ面白い。

 

「姫榊さんの、両親って……その……」

『お父様もお母様も、お仕事で海外にいる』

 

 別に死別してるわけではない。

 お父様もお母様も、私の事を愛してくれているのは知っている。

 それでも、寂しくない……って言ったら嘘になるけど、私にはピアノがあったから辛くはなかった。

 それに、カスミという────も居たから。

 

 自分の置かれている環境が、一般家庭から大きく乖離しているのは幼い時から理解していた。

 だからと言って、それを恨んだり妬んだ事はなかった。

 年に1、2回しか会えなくても……両親には感謝している。

 お父様とお母様がいなければ、私も……カスミも、どうなっていたか。

 

 チェーンを通して、ネックレスに仕立て上げた指輪を手のひらに乗せて想いを馳せる。

 唯一の、思い出の品。

 学校では流石に身につけられないから、鞄の中に仕舞ってあるけど……休日の時は、こうして身につけてる。

 

「あの……そのネックレスって、親からもらった物ですか……?」

『カスミからもらった物』

 

 驚いた表情を浮かべる後藤さん。

 この人、本当に表情豊かだな。

 

『8歳の誕生日にくれたの。もうサイズが合わなくて指にはめられないから、こうしてネックレスにして身につけてる』

 

 ネックレスを外して、差し出す。

 後藤さんは古ぼけた指輪を手に取り、眺める。

 

「子供用にしたって、指輪にしては……小さくない、ですか……?」

『ピンキーリングだからね』

「ぴっ、ピンキーリング……?」

『小指用の指輪』

「なっ、なるほど……」

 

 ネックレスを返してもらい、再び首にかける。

 安物でも、私にとってはかけがえのない品物。

 

「……白雪さんは、姫榊さんにとって本当に大切な人……なんですね」

 

 私は何も言わずに、後藤さんに視線を向けた。

 

「……やっぱり、良くない……と思います。大切に思っているなら……ちゃんと、仲直りしないと……」

 

 後藤さんの気持ちは、分かる。

 それでも……

 

『いいの、私の側にあの子の幸せはないから』

 

 後藤さんは黙って俯いた。

 沈黙が二人の間を支配する。

 静寂を破ったのは、後藤さんの方からだった。

 

「……姫榊さんと、行きたいところがあるんです」

 

 

 後藤さんに連れられてやってきたのは金沢八景駅の近くだった。

 買い物でもしたいのだろうか? 

 まあ、駅前や駅中はお店がいっぱいあるし……。

 

 そんな風に巡っていた思考は、1つの光景を目の当たりにした瞬間、一気に吹き飛んだ。

 

 簡易的だが……ライブの機材がそこに設置してあった。

 誰かがここで路上ライブでもやるのだろうか? 

 後藤さんは、それを見せたくて私を連れて来たのだろうか? 

 

「おー、来たねぼっちちゃん!」

 

 簡易ステージの前で女性がこちらに向けて大きく手を振っているのが見えた。

 ぼっち……後藤さんのあだ名だ。

 という事は、後藤さんの知り合い? 

 

「こっ、こんにちは、お姉さん……今日は無茶なお願いに協力していただいて、ありがとうございますっ……」

 

 後藤さんが頭を下げた。

 この状況は、後藤さんが用意したもの? 

 何の為に? 

 ……後藤さんが、これからここでライブをするのか? 

 

 それにしては、違和感がある。

 だって……

 

「キミがぼっちちゃんの言ってた子だねー、準備は出来てるから」

 

 酒くさっ。

 ……この人、どこかで見たことある。

 ……ああ、文化祭の時にこんな人、居たな……。

 いや、今はそんな事はどうでもいい。

 

『後藤さん、どういうこと?』

 

 何故、キーボードがそこに設置してあるのか。

 

「わ、私と……姫榊さんの、二人で……路上ライブ、しましょう……!」

 

 正気なのか、この人は……? 

 

「……………………」

「……………………」

 

 二つの視線がぶつかり合う。

 後藤さんの目は、真剣そのものだ。

 なら、私が取る行動は1つしかない。

 

『最高のライブにしよう』

 

 ここまでお膳立てされて引き下がるようじゃ、前に進めない。

 

 人が疎らに集まってくる。

 こんなの、いやでも目立つ。

 横目で後藤さんを伺う。

 

「私の手元は見ないで、したいように演奏して」

 

 後藤さんの唇がそう動いた。

 本気なのか? 

 そんな事をしたら、めちゃくちゃなリズムになる。

 

「大丈夫、私がサポートするから」

 

 この人は、本気だ。

 なら……この「賭け」に乗ってやろう。

 あとはどうにでもなれ、ケ・セラ・セラ。

 

 鍵盤に指先が触れる。

 いつものように……実感の湧かない旋律を奏でる。

 額に伝わる汗なんて、気にしない。

 今はただ、この音をみんなに届けよう。

 

 ふと、あの時の……1年前に見た光景が脳裏に浮かぶ。

 結束バンド。

 あの時……聞こえないはずなのに、私には確かに聞こえた。

 彼女たちの音が……聞こえたんだ。

 

 刹那、意識がクリアになる。

 思考は真っ白なのに……指先が滑らかに動く。

 あの時と同じだ。

 あの時感じた熱と重さが、私に触れてきた。

 

 聞こえる。

 

 後藤さんの奏でるギターの音色が……はっきりと聞こえてくる。

 胸の鼓動が高まる。

 

 楽しい。

 

 誰かと演奏するのって……こんなにも楽しかったんだ。

 合わせてもらってばっかりじゃあ、つまらない。

 今度は……こっちが引っ張る番。

 

 演奏が終わる。

 心の中にあるのは、充実感だけ。

 送られてくる拍手の音が心地よい。

 

 次第に、音の世界が閉じていく。

 あの時の……あの音と熱と重さが、一時の……泡沫の夢だったとしても、構わない。

 私たちの音は、そこに確かにあったのだから。

 

『ありがとう、後藤さん。楽しかった』

 

 片付けが終わり、後藤さんと並んでベンチに座る。

 

「い、いえ……そんな……でも、私も……たっ、楽しかった……です」

 

 汗を拭い、深く息をする。

 

『こんな風に人前で演奏するなら、ドレス持って来ればよかった』

「えっ……?」

「お疲れ様!」

 

 お酒を持った女性が私たちの肩を叩いてきた。

 この人、めっちゃお酒飲むな。

 

「あ……お姉さん、今日は本当にありがとうございました……」

 

 私も後藤さんにつられて頭を下げる。

 よくわからないが、この人が準備をしてくれていたのは確かなのだろう。

 

「いいっていいって、可愛い後輩の為だからね。それに、いいもんを聞かせてもらったし」

 

 なんだかんだ、いい人なんだろう。

 酒くさいけど。

 

「キーボードのキミ!」

 

 私……? 

 なにかやらかしたか……? 

 

「……自分の音を見つけなよ! きっとキミならできる!」

 

 この人……気付いてる? 

 

「あの!」

 

 思考の海を泳いでいると、二人組の女性が話しかけてきた。

 多分……大学生ぐらい? 

 

「ひとりちゃんと一緒に演奏してた、ってことは結束バンドに新しく入る人ですか?」

 

 えっ……? 

 いや、違うけど……? 

 

「あ、はい……今度のライブから、加わる事になってます……」

 

 否定しようとするより先に、隣に座っていた後藤さんがそう口走る。

 

 待って、私ただ一緒に練習してるだけの部外者だからね? 

 

「そうなんだ〜、今度のライブ楽しみにしてるね!」

 

 待って、違うの。

 

「なんだ、それならそうと言ってよぼっちちゃん!」

 

 酒くさい人も勘違いしてるじゃんか。

 

「……そういうわけですので、これから……よっ、よろしくお願いしますね……?」

 

 ……やっぱりこの人、ヤバイ人だって。

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