中立から内側へ 健全版   作:シオリスキー

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二十章 傍若無人な子ども達
力よりも大切な事


「何か要求はないのかね?」

 

 クガマビルの上層階。

 

 防壁の内側に住んでいる者の中でも特別な者以外では入る事さえ許されないその場所の中でも、更に特別。

 

 市経営に関わる重要人物以外は入れないその場所で、都市の幹部であるイナベは僅かに苛立ちを漏らしながら、それでも努めて冷静にシェリルとの交渉を続けていた。

 

「こちらとしても要求を伝えてもらえなければ、応じようもない」

 

 イナベが苛立ちを隠せなくなるのも無理からぬ事だろう。

 

 シェリルとの交渉が始まってから一週間が経過していたが、何の進展もないのである。

 

 それも都市の幹部であるイナベ自ら、スラムの一徒党のボスでしかないシェリルに下手に出て交渉を続けているにも関わらずだ。

 

「先程から申し上げているように、こちらとしてはイナベ様からの配慮に深く感謝しております。これ以上こちらから何かして頂く事など、とても――」

 

 無論、シェリルだってそんな事は解っている。

 

 都市の幹部からの頼みをスラムの住人が断り続けるだけでも本来なら大問題であり、ましてやイナベの名前を勝手に使った今や大罪人と言っていい立場なら尚の事。

 

「何度も伝えているが、こちらも一方的な命令をする気はない。お互いが納得のいく取引をしたいのだ。その為に出来得る限りの要求を呑む準備も覚悟だってしてきている。私としては、お互い不幸な事にならない為にもそちらにも譲歩してもらいたい」

 

 その上でイナベは更に様々な条件を出してきている。

 

 そもそもシェリルとイナベの関係は、都市の思惑から外れ暴走した二大徒党に代わり、シェリルの徒党がスラムの治安維持に努めるから、イナベ個人ではなく都市の力で援助してくれと願い出ていたところから始まっている。

 

 この提案に一理あるとしつつも、それでも自分や都市がわざわざ援助してやる程の力がシェリルにあるのかと思い、具体的な返答は保留にし連絡を取り合える程度の繋がりを残した程度の状態であった。

 

 そして、イナベとしてはシェリルが自分の有用さを見せ付ける為に暴走したのが、今回の事件の顛末だろうと思っていた。

 

(それならば話は簡単だったのだが……)

 

 いくら力を疑問視されたとはいえ、それでも身の程を弁えない越権行為の数々は本来なら認められるものではない。

 

 とはいえ、それで処分してしまうには既にシェリルの存在は表に出過ぎている。

 

 だからこそ今回の件はシェリルの暴走ではなく、裏でイナベから事態の収拾を命じられていたという事にしてしまえば、ほとんど口封じ等の手間も費用も掛からないし、シェリル自身がそう振る舞って各方面を騙して動かしたのだから辻褄合わせも必要ない。

 

 おまけに今回の事態解決の功績自体はイナベが、そのまま手に入れる事が出来る。

 

 その上で、これだけ都市に従順で有能な者がスラムを統治してくれるなら有難いと思わないかと都市の会議で提案すれば、シェリルの希望通り都市からの援助を取り付ける事だって不可能どころか、現実になる可能性の方が遥かに高いくらいだろう。

 

「こちらとしても最大限の譲歩をしているつもりです。今回の件は私個人が身の程も弁えず起こしてしまった不祥事であり、そちらが後始末をして下さるというなら感謝の言葉もない程です。そして今回の件で私は自らの非力さを痛感しました。この上でイナベ様に援助してもらいたいなんて厚かましい事など出来ず、援助の申し出を取り下げる事の何が不満なのでしょうか?」

 

 ところが、自ら援助を願い出ていた筈のシェリルが都市からの援助は必要ないと言い出しているのだ。

 

 この心変わりには、イナベも心底困り果てていた。

 

(都市の傘下に入る訳には、いかないわ……)

 

 かつてのシェリルなら喜んでイナベの申し出を受けていただろう。

 

 だが、ユミナのお陰でアキラの優しさに気付けた今のシェリルには別のものが見えている。

 

 都市からの援助を受ければ確かに徒党は今までとは比べ物もない力を手に入れ、確固たる地位を築く事が出来るのは間違いない。

 

 だが、同時に都市のしがらみや幹部達による勢力争いに巻き込まれていくのは避けられない筈だ。

 

(そうなればアキラは自分が援助している徒党の力が強くなったと喜ぶよりも、変な面倒事が増えたと疎ましく思う可能性が高い。そんなのごめんだわ)

 

 アキラを助け、支えられるような力は欲しい。

 

 けれど、力を付けた結果、アキラから関わり合うのを面倒臭いと思われてしまえば本末転倒。

 

 ここでシェリルは引く訳には、いかないのである。 

 

(私を処分すればイナベも共倒れになるだけ。これが最初で最後のチャンス……)

 

 おそらくイナベと対等に近い状態で交渉が出来る機会なんて、皆無と言っても過言ではない。

 

 ならばこの最初で最後になる好機にシェリルの狙いは一つ。

 

 全ての後始末をイナベに押し付けるだけ押し付け、今後一切都市との繋がりを絶つ。

 

 アキラを助ける為の力は、一足飛びに手に入れようとせずに別の方法で身に付けていく。

 

(焦る必要はないもの。見返りが足りないからって見捨てるような人じゃないんだから)

 

 下手な力の付け方をしてアキラの足枷になるくらいなら、多少弱くても活動の邪魔をしない存在で居た方がいい。

 

 シェリルの中に、力を付けなければアキラに見捨てられるかもなんていう被害妄想の心は完全になくなり。

 

 それがシェリルの心に大きな余裕を生んでいた。

 

「……先程も言ったが、双方不幸になるだけだ。私も強引な手段は取りたくない」

 

 逆にイナベは焦らざるを得ない状況だ。

 

 今は最大功労者のアキラ抜きに話し合いは出来ないと嘯いてドランカムや企業との交渉を引き延ばしているが、それで抑えておけるのはもう限界だ。

 

 だが、今回の件で何を仕出かすか解らない相手と成り果てたシェリルを先に抑えておけなければ、安心してドランカム達との交渉に臨める訳もない。

 

 どうしても傘下に入らないというのなら実力行使も止むを得ないと仄めかすが――

 

「その時は仕方ありません。イナベ様の名前を使い、無法を働いたのはこちらです。如何なる裁きも受ける覚悟は出来ています」

 

 スラムの小娘と都市の幹部が相討ちなんて笑い話にもなりませんよ、と殊勝な言葉とは裏腹な意味を込めた刃をシェリルが返す。

 

 これ程の事を仕出かした人間の手綱を握っておく為にも傘下に収めておきたいイナベ。

 

 イナベ派閥に組み込まれるくらいなら関係を切りたいシェリル。

 

 双方の願いは完全に平行線であり絡み合う事はない。

 

「…………」

 

 それでもこのままシェリルが動かないならば、自らも滅びの道に進むと解っていてもイナベは強硬策に出るしかないが――

 

 そこでイナベの情報端末に秘匿通信が入る。

 

「少し失礼する……。ああ、確かに私が現在交渉をしている者だが――」

 

 シェリルに断り通信相手とイナベは会話を始める。

 

 短い会話ながら相当に面倒な相手なのだろうか。

 

 僅かに眉間の皴が深くなる。

 

「君宛ての通信だ。おそらく君にとって喜ばしい連絡の筈だ。出たまえ」

 

 それでもこの連絡は、イナベに取っては福音を告げるものであったのだろう。

 

 これで長く続いた交渉も終わると言いたげな様子で情報端末をシェリルに差し出した。

 

「代わりました。シェリルです」

 

 ここが正念場。

 

 隙など見せるものかとある種の覚悟を持ってシェリルは情報端末からの声を待つが――

 

『アキラだけど、何かシェリルを説得してほしいって言われてるんだ。今、話せるか?』

 

 それは確かにイナベの言うとおり。

 

 シェリルに取っても喜ばしい通信であり、シェリルはイナベとの交渉が始まってから初となる。

 

 心からの笑みを浮かべてしまうのであった。

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