中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
『まずは礼を言わせてくれ。シェリルが救援部隊を連れて来てくれなかったら俺は死んでた。感謝してる』
シェリルだけでなくイナベも交渉内容を把握出来るように音量を調整されているのだろう。
アキラの声が部屋に響き渡るが、その言葉にイナベは僅かに眉間の皴を強くした。
確かに危険を顧みず命を救われたのだから、上下関係があろうと礼を告げるのは間違いではないが、これから説得しようとしているのに弱みになるような事から始めるのは交渉下手にも程があるからだ。
「いえ、アキラが今までしてくれた事を考えれば、あれくらいでは足りないくらいです。それよりもシオリさんとかいう方の件では任せて下さいなんて大見得を切ったのに、何の役にも立てず申し訳ありませんでした」
だが、シェリルの反応にはアキラの言葉以上に驚きを隠せない。
都市の幹部である自分には一切引く様子も見せず、交渉の余地なんてまるでないとでも言いたげな態度が嘘のように殊勝な姿を見せているのだ。
この僅かな会話だけでイナベは理解した。
シェリルが突然心変わりして都市の援助を求めなくなった理由の全てはアキラにあり、アキラとの関係を把握しなければ真面な交渉さえ出来ないのだと。
『そこも結果は出なかったけど凄く頑張ってくれたって聞いてる。だから謝られるような事じゃないよ』
そして、話で聞いていたよりもずっとアキラは話が通じそうな人物だという印象を受けた。
これならば都市の方で治療費を持ち、強引に話を進めてしまっていても問題なかったのではと考えるイナベであったが――
その考えが間違いであった事に気付くのに時間は掛からなかった。
『それでシェリルは何か都市からの誘いを断ろうとしてるんだっけか? 俺に何か手伝える事はあるか?』
いくら交渉が不得手とはいえ、それでも都市の幹部であるイナベが話を聞いている可能性がある事くらい理解出来るだろう。
つまり理解した上で平然と全面的にシェリル側に就くと言い出したのだ。
迂闊に性格を判断して交渉を始めていい人間ではない。
「あの、そういう事言っても大丈夫なんですか? 私を説得するように言われているって最初言ってた気がするんですけど……」
『ああ。出来たら説得してくれって言われたけど、説得しないといけない義理もないし、依頼を請けている訳でもないんだ。それなら命の恩人であるシェリルのやりたい事を手伝うよ』
「命の恩人ですか。そこは近い内に愛するに変えられるよう頑張っていきます」
『それは――』
「今は無理で構いませんよ。ですが必ず夢中にさせてみせますので覚悟していて下さい」
どこか申し訳なさそうにシェリルの想いを断ろうとしたアキラの声をシェリルが即座に遮り、許さない。
上下関係、命の恩人、男女の仲。
複雑な立場が幾重にも絡み合い、単純にどちらが上や下では決められない不思議な関係が、そこにはあった。
『……それがシェリルの意志だって言うなら俺からどうこう言う気はない。応えるかは別だけど、好きにしてくれ』
「はい、好きにさせてもらいます」
『それでシェリルはどうしたいんだ? 前に聞いた時は都市との幹部の伝手を求めているって言ってた筈だけど……』
イナベは二人の話を静観している。
本音としては色々と言いたい事はあるが、今の段階で自分が口を挟んでも何もならない。
ここはシェリルの目的を図り、アキラがどういう人物なのかを推測する為にも感情を押し殺し観察に徹しようと黙する事に決めたからだ。
「その時にも言いましたがアキラに見捨てられない為に私は力が欲しかっただけです。でも、アキラは別に力なんてなくても私の事を見捨てる気なんてないんでしょう?」
『助けるって約束したし、今回の件では俺の方が助けてもらったからな。そっちが要らないって言うまでは見捨てたりする気はないよ』
「それは私が都市の幹部と繋がりをもって、その影響で派閥争いとかに巻き込まれてアキラの活動に影響が出るようになっても変わりませんか? 私と繋がりを持つのが面倒になったりとか……」
『あー、それで見捨てたりはしないけど確かに面倒臭いなあ』
イナベが自分を観察している事にシェリルは気付きつつ、それでもシェリルはアキラの言葉だけに、その意識の大半を注いでいた。
これは半ばわざとであった。
自分はイナベよりアキラの方が大事だと見せ付ける事は、シェリルに取って大きな意味がある事だからだ。
「勿論、今まで以上にアキラにお金を渡せるようにはなります。ですが、それよりもアキラは面倒臭い方が嫌ですよね?」
『面倒臭いのは確かに嫌だけど、そもそも何でシェリルが俺に金を渡す必要があるんだ? もう俺は後ろ盾じゃない筈だけど……』
「後ろ盾を辞めたいって提案は受けましたけど、話し合いの途中で離席されたので了承はしてないですよ? 今までもこれからだって、私の後ろ盾はアキラだけです」
後ろ盾じゃないと自分自身で言っている癖に、当たり前のように守り続けてくれようとしてくれる。
そんな人相手に、力を付けなければ見捨てられるなんて思い込んで勝手に怯えていた過去に自嘲しつつ。
それ以上に。
この人を好きになってよかったという愛しさで意図せず口元に笑みが浮かぶ。
「ただ、その、アキラが渡してくれたお金と遺物ですが、今回の件で大体使ってしまったので、あれが手切れ金代わりだったから後ろ盾を続けてほしいなら返せとか言われると困るんですけど――」
そして、ここで返せないなら後ろ盾はもう続けられないと言われたら、何も言い返せないと解っていながら。
あえてシェリルは、その言葉を伝える。
それはアキラなら気にするなと答えてくれるという打算からの言葉ではなく――
好きな相手に嘘や誤魔化しの駆け引きでの会話をしたくないという、シェリルのある種の決意からくるものであった。
『俺を助ける為に使ったんだろ? 返せなんて言う気はないというか、色々な組織を動かしたって聞いてるし、あれじゃ足りなかったんじゃないか? 徒党の運営とか大丈夫なのか?』
「そこは私だけじゃなくヴィオラも色々やってくれたみたいで――」
アキラから後ろ盾を続けられないという言葉でなく自分達の事を心配してくれる言葉が返ってきた事に心底ほっとしつつ。
余計な心配を掛けない為にも、今回の手柄は自分のものだけではないと伝えようとするシェリルであったが――
「歓談中に邪魔するが、私から話と提案があるがいいだろうか?」
見るものは全て見たし把握すべき事は大体出来たとばかりにイナベが口を開き、話が中断させられた。
ここからが都市の幹部として、権謀術数の政争を戦い抜いてきたイナベの手腕の見せ所であった。