中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
ナーシャがアリカの面倒を見始めてから暫く経った。
最初の予想に反して特に問題らしい問題も起きず、この程度の事に二百万オーラムも渡してくるなんて、そんなに遺物販売店の売り上げ凄いのかなんてナーシャが思い始めた頃。
事件は起きた。
「私の時は本当に大変だったんだから……」
始まりは些細な事であり、場所だって徒党の休憩室を兼ねたフロアという滅多に事件なんて起きない場所の筈だった。
少しずつ仕事を覚えてきたアリカを、他の幹部達に慣れさせる手始めにルシアと交流を持たせようとしただけであり――
話の内容もアリカと違って寄って来る男達を追い払う口実がなくて大変だったというもの。
「……その男の人達は、アキラさんに喧嘩を売ったルシアさんが悪い。ルシアさんの身体を好きにさせてくれればアキラさんから守ってやるって言ってたの?」
「そのままじゃないけど近い感じの事言ってたなあ。まあ本当にアキラさんが来てたら絶対逃げてたと思うけどねー」
特になんて事のない世間話。
傍で聞いているナーシャもルシアに巻き添えになる形で同じ苦労を体験をしており、そういう事もあったなあと懐かしむくらいで問題のある話題だとは思っていなかった。
「……アキラさんは、その事知ってるの?」
「知らないんじゃない? そもそもあの人って私達の事に興味なんてないんじゃないかなあ?」
けれど、普段は何も考えてないようにしか見えないアリカの様子がおかしい。
その事に僅かにナーシャが疑問を持った瞬間――
「絶対にアキラさんに伝えた方がいいと思う」
ナーシャには全く理解出来ない発言がアリカの口から飛び出した。
「え、と……」
けれどナーシャ以上に困ったのがルシアだ。
こんな下っ端同士の些細な揉め事、それもとっくに終わった話を一々アキラに伝えなければいけない意味が解からない。
が、ルシアはナーシャと違い、まだアリカがアキラのお気に入りでも何でもないという事実を知らないのである。
――これはアリカを幹部にする上では繊細な問題であり、親友であるルシアにもナーシャはその辺りの内容をまだ伏せていたからだ。
(……死刑宣告?)
つまりルシアに取ってアリカの提案を断れば、回り巡ってアキラの機嫌を損ねる可能性が高いから受けるしかないのだが――
こんなどうでもいい話を持っていけば、それはそれでアキラを不機嫌にして殺される未来しか浮かばず既に半泣きであった。
「あ、アリカ。そのね――」
あまりの驚きにナーシャが硬直していたのは数秒。
親友を心労の窮地から救うべく動き出そうとした瞬間に、事態は更に悪化する。
「何か俺が聞いておいた方がいい話があるのか?」
休憩室にアキラが入ってきたのだ。
しかも、一番聞いてほしくない部分は、しっかり把握しているらしい。
「…………」
それに気付いたルシアの顔面が一気に青ざめていき、それとは対照的にアリカが嬉しそうに頬を緩ませ笑顔を浮かべたかと思うと――
まるで友達が迎えに来たとでもいうような気楽さでアキラの元へと駆けていく。
(この子、何考えてるの!? 別にアキラのお気に入りって訳じゃないんでしょ!?)
ちょっと頭はアレだけど素直で一生懸命な子だという、ナーシャの中で比較的高評価だったアリカの印象は、この瞬間、一見扱いやすそうに見えるだけで突如として大爆発を起こす地雷女へと大暴落した。
「ええと、その、わざわざアキラさんに聞いてもらうような話じゃなくてですね……」
とはいえ、今気にしなければならないのはアリカの奇行ではない。
話を有耶無耶にしてアキラに立ち去ってもらい、死期でも悟ったみたいに遠い目をし始めた親友のフォローに回りたいナーシャであったが――
「それは俺の方で判断する。気になるから話してくれ」
どうやら既に手遅れらしい。
アキラはしっかりと聞く姿勢を取り、誤魔化されてくれそうにない。
「あのね――」
(これ以上、余計な事しないでー!!)
何とか有耶無耶にする手段はないかと思考を巡らすナーシャに全く気付く事もなく。
アリカが拙いながらも、一生懸命アキラへと事情を説明していく。
「…………」
最初こそ何でもない話のように聞いていたアキラだったが、話が進むにつれ表情は険しくなっていき――
今では逆に人形染みた無表情を浮かべている。
(あ、終わった……)
ナーシャは何度か見ているので知っていた。
アキラがこの表情をするのは人を殺す時だという事を。
余計な話をしてアキラを怒らせたアリカが撃ち殺される光景を、ナーシャは幻視するが――
「……ルシア。今の話に間違いはないか?」
想像に反して、アキラは別に銃に手を掛けるでもなければ暴れる様子も見せない。
ただ無表情のまま、ルシアに視線を向けただけ。
「…………」
けれど、ルシアはナーシャ以上に知っている。
何せこの表情を浮かべたアキラに殺され掛けたのだ。
その時の恐怖を思い出し、口を開く事さえ出来てなかった。
(ルシア! 答えて!)
ここで自分が代わりに答えれば、お前には聞いていないと余計に怒らせるかもしれない。
かといって何もしなければ今度こそルシアが殺されるかもしれない。
ナーシャは肘で軽く小突いて、ルシアに話すように促す。
「は、はい! 全部本当です!」
半ば悲鳴のようにルシアの返答が響く。
アキラは何かを確かめるようにルシアを少し眺めて――
「本当みたいだな。その取引を持ち掛けてきた奴等って呼び出せるか?」
「……えと、その、武力要員の担当は私じゃないので、エリオかボスに確認しないと難しいです」
「じゃあシェリルだな。人違いだったら困るし、確認の為に付いてきてくれ」
それだけ告げると、ルシアの返事も待たずにアキラは歩き始める。
迷う事無くアキラに付いていけたのはアリカだけだったが――
「?」
ナーシャ達が付いて来ていないのを不思議に思ったのだろう。
二人に向き直ると「来ないの?」と言わんばかりの表情で、首を傾げた。
アキラの後も追わず二人が立ち尽くしている理由が心底解からないとばかりに。
「……行くわよ、ルシア」
「……うん」
どうして休憩していただけで、こんな事になっているのだろう。
ルシアとナーシャは、やるせなさを覚えつつ、逃げ出したくなる足を必死で動かしてアキラ達の後を追う。
「お、おい。アレ……」
「とうとう何かやらかしたか……」
アキラ達四人が連れだって歩くだけで、拠点のあちこちから何事だとばかりに様子を窺う声が響いた。
それも仕方ない事なのだろう。
まずアキラが幹部連中を引き連れて拠点内を歩き回っている事自体が、相当に珍しい。
その上でアキラは見るからに不機嫌そうだし、ルシアとナーシャに関しては今にも死にそうなくらい青ざめた顔をしているとなれば、何かアキラの逆鱗に触れて罰でも受けるんじゃないかと想像するのも無理からぬ事。
「……アリカさんに失礼でも働いたか?」
「……というか、よくあんな顔したアキラさんの後ろで笑ってられるよな。アレがお気に入りの余裕ってヤツ?」
その邪推を加速させるのが、一人だけスキップでもしそうな程にご機嫌なアリカの姿だ。
死刑台にでも運ばれているんじゃないかという二人とは対照的に、満面の笑顔を浮かべ傍から見ていても一目で楽しそうだと解かる程である。
――ちなみにアリカに意図は何もなく、四人で並んで歩くのが何だか面白いだけだ。
(……もしかして絶対に徒党に必要な人材って、この面の皮の厚さ?)
けれど、気分的に突如として死地に放り込まれたナーシャとしては、この事態を引き起こした元凶でしかないアリカが楽しそうにしているのは、どうにも納得いかず、嫌味のようにそんな事を考えてしまう。
(そりゃまあ確かにアキラに物怖じしない人材ってのは貴重だとは思うけど――)
それは失礼な事をしない分別があって初めて意味がある。
その分別がない人間なんて、それこそいつアキラを怒らせるか解からない爆弾でしかないのだが、シェリルがその程度の事を解からない筈がない。
(ああ、もしかして教育って、その分別を付けてくれって話だったのかしら?)
思い返せば幹部として問題ない程度の常識を付けろとは言われたが、幹部として使えるようにしろとは言われなかった。
もしそうならば、優先順位を間違えたなんて。
業務を中心に覚えさせようとしていたナーシャは後悔を覚えたのであった。