中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
「その話をするなら只で済ませる気はないって言ったよな?」
早まった事をしたなあ、とナーシャは後悔していた。
あれから掏りの件は完全に徒党内では禁句のように扱われている上に、わざわざ謝りにいったにも関わらず蹴り飛ばされたルシアを悪く言う人間は居なくなっている。
その事への感謝を伝えた結果が、先の返答である。
「俺の言葉、聞いてなかった訳じゃないだろ? なんで来たんだよ……」
(やっぱアリカの言う通りなのかしらね?)
けれど、言葉とは裏腹にアキラは別にナーシャを蹴り飛ばそうともしないというか――
只で済まさないと言った手前、何かしないと示しが付かないが危害を加えるのはどうかと困っているようであった。
「今まで徒党の後ろ盾をしてくれているのに怖がってばかりで感謝の言葉一つ言えてなかった上に、今回は個人的に助けて頂いたんです。黙っていられませんでした」
「それでわざわざ礼を言いに来たのか……」
増々困ったとでも言いたげにアキラは表情を歪めていく。
交渉だの駆け引きだのが全く出来ていないその姿は、年齢以上にナーシャの目には幼く見えて。
「もう一つ、どちらかと言えばこっちが本題かもしれません」
この様子なら本題に入っても、蹴り飛ばされるような事はないだろうと酷く冷静な自分が居る事に気付きながら、ナーシャは口を開く。
「ああ、やっぱりそうだよな。あれだけ脅したのに来るんだから、何か俺個人に頼みたい事とかか?」
「……勘違いなら勘違いだと言ってください。アキラさんは、その、私の事を優しい人間だと思ってくれていますよね?」
(……なんか凄く自意識過剰な勘違い女みたい)
言ってるナーシャ自身、自分の口からこんな事を言いたくはなかったが、それでも言わなければ話が始まらない。
やるせなさだか羞恥だか解からないものを必死で押し殺し、本題を伝える。
「いや、勘違いじゃないぞ。凄く優しい奴なんだなって思ってる」
「私はアキラさんが思ってくれているような優しい人間じゃないですよ」
自分を優しい人だと思っているかなんて聞く方も聞く方だが、それに対して優しい奴だと迷いなく言い返す方も言い返す方だと驚きつつも。
それでも話が早い分には問題ないとナーシャは話を続けていく。
「私は徒党の新入りや仲間達の面倒をよく見る事が多いですし、ルシアを庇った件で優しいと思うのは解かりますが、それらは全て自己保身の打算のようなものです」
アキラみたいに大人でさえ恐れるような力を持っているならともかく、子ども一人の力なんて微々たるもの。
だから寄り集まって群れる事で大人の食い物にならないようにしないと、捨て駒として利用されて生きていけないのだとナーシャは説明する。
「私は自分が生き残る為に周りの世話を焼いているだけであって、そこにあるのは優しさとかではないんです」
アキラにはそれが優しさに見えたのかもしれないが、自分はそういう生き汚いスラムの住人でしかない。
だから、同じスラム育ちでもこんなに違うのかなんて変な落ち込み方はしなくていいと言外に伝えるナーシャであったが――
「別にお前が優しいと思った事に、新入りの面倒とか積極的に見ているとかは関係ないぞ。というか今言われるまで、そんな事知らなかったしな」
そもそも名前すら真面に覚えてくれてなかったのだ。
よく考えなくても、自分の普段の様子なんて全く知らなくて当然だという事にアキラに言われて初めて気付いた。
(……何やってるのよ、私)
いくらアキラと一対一で正面から話す事に緊張していたからって、これじゃ本当に自意識過剰の勘違い女だ。
本当に柄でもないなんて、羞恥で顔が熱くなっていくのをナーシャは感じる。
「ル、ルシアの件もアキラさんが考えているような事じゃないんです」
だからって、それで黙り込んで変な雰囲気を出す訳にはいかない。
そんな場面をシェリルに見られたら、どんな風に思われるかなんて予想すらしたくもない。
「ルシアには大きな借りがありました。私はそれを返そうとしてただけ」
「その借りってのは自分の命を懸けてもいい程に大きかったのか?」
「はい」
アキラの言葉に迷いなくナーシャは答える事が出来た。
そもそもルシアが掏りなんて危険な真似をして生きていく原因の大元は、ある意味では自分だったのだから。
「元々、私とルシアは同じグループに居ました」
それは徒党とも言えない数名の、本当に小規模な人間の集まり。
一人の大人に、複数の子どもが寄り集まっただけの集団。
「アキラさんには理解し難いかもしれませんが、何の後ろ盾もない子どもが一人で生きていける程、スラムは甘い場所じゃありません。私達は大人の男に見捨てられないように過ごしてきました」
鉄屑を掻き集め、何の価値もないと捨てられた遺物をゴミの中から探し出し。
それらを換金して大人に渡す事で殺されないように他の人間から守ってもらう。
そんなその日暮らしの生き方。
「けれど、ある日から男は、こんな端金なんて要らないから身体で払えと私に言うようになってきました」
最初は抵抗があった。
自分だけ稼ぎが悪いとか、そういう事ならナーシャだって稼ぎが悪い自分のせいだと無理やり納得出来たのかもしれない。
けれど、シェリルの徒党入りしてからすぐに幹部候補として頭角を現していたナーシャだ。
要領自体は良く、むしろ稼ぎ自体は子ども達の中でも上の方だったのに。
どうして、自分がこんな目に遭わないといけないのだろう、と。
「ですが男に見放されれば力のなかった私に生きていける場所なんてありません。だから、もう仕方ないかって諦めようとした時に、それじゃあ端金じゃなかったらいいんでしょって、私を庇ってくれたのがルシアだったんです」
そこでルシアが始めたのが掏りであり、幸か不幸か。
スラムに住むしかない程度の稼ぎしか持たない駆け出しハンターくらいからなら、一切気付かれずに財布を盗み取れる程の才能があった。
「鉄屑を掻き集めてた頃とは比べ物にならない稼ぎになりました。けど、結局は一時凌ぎみたいなもので意味なんてほとんどなかったです」
「……だろうな。想像付くよ」
結局はナーシャに他に行く当てがない限り、男が搾取し続ける図式は変わらない。
ナーシャを犯されたくないなら、もっと金を持って来いと言われ続け――
ルシアが死ぬまで使い潰されるだけ。
「さすがにそれで全員分の稼ぎまで要求されるようになってくると我慢出来なかったみたいで、自分達二人が過ごしていくくらいのお金は稼いでみせる。だから、こんな場所なんか抜けて二人で生きていこう、なんてルシアは言ってくれたんですけどね」
「……どうして一緒に行かなかった?」
「どれだけルシアに掏りの才能があったとしても、女二人でスラムを生き続けるのは不可能だろうなって思ったからですよ」
仮に掏りが絶対にバレなかったとする。
それでも掏りと関係なく、強い相手に因縁を付けられ暴力で来られたら自分達だけじゃどうしようもない。
「暴力に対抗出来る力がない限り、スラムという場所で生き抜いていく事なんて出来ないでしょう?」
だからこそ自分は多くの子どもの世話を焼き、寄り集まり群れるのだ。
もう二度と、大人に大事なモノを奪われないように。
――そこにあるのが優しさなんて温かいものじゃない事くらい、ナーシャ本人が誰よりも理解していた。
「強いな……」
「アキラさん程じゃないですよ」
「……俺は運が良かっただけの行き当たりばったりさ」
おそらくルシアが居なくなった後の顛末も。
その後、群れれば子どもだけでも少しは戦えるなんて考えに至った自分が、大人の男をどうしたのかも気付いただろうに。
それでも当たり前のように頷いて一言で済ませたアキラの姿に――
どれだけ自分達と掛け離れた存在になろうと、根幹は同じスラム育ちの人間なのだとナーシャは感じる。
「それで過去にルシアに助けられたし、一人で掏りやっていく羽目になった原因が自分だと思ったから見捨てられなかったのか?」
「……それだけじゃありません」
だからこそ、そんな上辺だけの言葉では済ませない。
そんな綺麗な言葉だけで信じる人間なんて、スラムに居やしないのだから。
「私はどこかでルシアが掏りなんかじゃ生きていけないと悟って、私を頼って来る事を望んでいたんです」
「それは死なない程度に失敗でもしてほしかったって事か?」
「はい。だって、もしルシアが掏りだけで生きていけたなら、何の為に私が残って辛い思いをしたのか解らなくなるじゃないですか」
自分の選択は間違いなんかじゃなかった。
現実を正しく見て対策を整えていたのは自分で、ルシアは現実逃避しているだけだなんて思わなければ――
自分が何の為にスラムの色に染まっていったのか解らなくなる。
「けど、願っただけで別にお前が何かした訳じゃないんだろ?」
「そうですけど、庇ってくれた相手へ逆恨みしているようなものじゃないですか。さすがに罪悪感くらい湧きますよ」
「なるほどな。その上で借りまであれば見捨てられなくもなるか……」
アキラが頷く姿に、ナーシャは僅かに意外に思う。
(結構あっさり信じてくれるのね……)
それでも自分の命が掛かれば見捨てるのが人間というものであり、特にスラムの住人はそういう傾向が強いものだが――
(この様子だと借りの話だけでも信じてくれたのかしらね?)
だとすれば、同じスラム出身でも随分と純粋で真っ直ぐだなんて。
逆にナーシャは自分の汚れ具合を浮き彫りにされ、自嘲の笑みを浮かべた。