中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
「シェ、シェリルさん?」
変貌とも言えるシェリルの剣幕にミズハは戸惑っていた。
恋なんていうミズハからしたら下らない理由とはいえ、それでも遺物販売店に賭けていたというのなら土下座でも何でもして自分から金を引き出すべきだと思っていたし――
逆に言えば、そんな事も出来ない時点で所詮どこまでいっても御嬢様。
望むものを得る為に戦う事も出来ず、与えられるのを待つ事しか出来ない人間なのだと高を括っていた。
「突然スラムで一人きりにされ、食べる物さえ手に入れられない。安心して眠れる場所もない。そこから助け出してくれたアキラに私が抱いた感情が何か解りますか!」
けれど、今ミズハの目の前に居るシェリルには、そんな弱い御嬢様の印象なんて微塵もなく。
声を張り上げ、己の意志を誇示し君臨する姿は間違いなく戦う者の風格があった。
「か、感謝?」
勢いに呑まれたように、カツヤが反射的にシェリルの問い掛けに答える。
「恐怖、です。出会った頃の私には、アキラへの好意はおろか感謝という気持ちさえ微塵もありませんでした」
そのカツヤの反応を皮切りに、場がシェリルに支配されていく。
彼女の許可なく口を開く事は許されない。
そんな空気に部屋が包まれた。
「助けてもらっておいてと軽蔑されるでしょう。ですが、私はアキラが多くの人を殺す場面を間近で見せられました。唯一の頼れる相手だからこそ、そんなアキラが恐ろしくて堪りませんでした……」
(まあ、アレ見せられたらそうなるわよね……)
ユミナはシェリルの言葉に、倉庫警備の時に見た殺意に満ちたアキラの姿を思い出していた。
(誘拐されたシェリルさんを助けた時、アキラが誘拐犯を皆殺しにした姿を見てしまったって感じかしらね?)
そして、シェリルの言葉をそういう風に解釈していた。
――実際はシベアが率いたシェリル達徒党がアキラを襲い、返り討ちにあったという話なのだが。
「この人は私を助けてくれる見返りに何を求めるのだろう。求められて返せるものなんて何があるだろう。そう考えた私は覚悟しました。命には代えられない。もし彼が求めるなら、身体を差し出すのも仕方ない、なんて……」
その時の事を思い出しているのか、僅かにシェリルの気迫が薄れる。
それと同時に場が弛緩し、シェリル以外にも口を開きやすい空気が生まれた。
「アイツ、弱みに突け込んでなんて事を!」
雰囲気に導かれるようにカツヤが怒りに任せて叫ぶ。
カツヤの中では嫌がるシェリルを無理やり押し倒し、アキラが襲った事は確定事項になっていた。
しかし――
「けれど、アキラは私に指の一本さえ触れようともしませんでした」
そんなものは何も知らない外野の下卑た想像でしかない、と一瞬でシェリルは切り伏せた。
「襲われなかった事に安心出来たのは一瞬だけ。その後は不安だけが私に残りました」
「な、なんで……」
襲われてなくてよかった、なんて内心胸を撫で下ろしていたカツヤは、ギクリと表情を強張らせる。
「解らないですよね? アナタはそういう人でしょうから」
予想通りの反応をしますね、と言わんばかりにカツヤを見たシェリルの目は――
酷く冷たかった。
「っ……」
かつて悩みを解決してくれた時の優しさはまるでなく、本当に興味なさげに自分を見詰めるシェリルの瞳に耐えられずカツヤは目を逸らす。
「その時の私は何もかも失った上に一人きり。着ていた物だって貧相で、あの頃の私を助けても見返りがあるなんて考える人は居ないでしょう。それこそ価値があったものなんて自分の身体くらいのものです。それさえ求められないのに、どうしてその先も助け続けてくれるなんて信じられるのですか……」
「そ、それは……」
アキラを嫌うカツヤだからこそ、その言い分には納得出来ても反論は出来ない。
今だってアキラがそんな無条件で助けるような善人な訳がない、と否定したい気分でいっぱいなのだから。
「アキラは本当によくしてくれました。スラムで生きていく力なんてなかった私に食べ物も惜しむ事無く与えてくれましたし、暮らしていく場所だって用意してくれました」
「……」
信じられないとばかりにカツヤは黙り込む。
だが、シェリルが言うならば嘘ではないのだろうという気持ちも同時に心の中にあり、相反した想いが心を掻きむっていく。
「ですが不安は募るばかり。いつ捨てられるのか。アキラの気紛れが終わってしまったら、私はどうなるのか。よくしてもらう度に不安は膨れ上がり。ある日、限界を超えて涙が止まらなくなりました」
(傍に俺が居たなら泣かせなんてしなかったのに……)
シェリルが一人で涙する光景を想像したカツヤは、一人そんな事を思う。
「どれだけ泣いたのかも、自分が何をしていたのかも思い出せません。気が付いた時、私はアキラに抱き締められていました」
「それはっ――」
今度こそ本当にシェリルは辱められた。
確信と共にカツヤが悲痛の声を上げるが――
「泣き止まない私を、本当に、ただ抱き締めてくれただけ。それ以上を求められたって拒みなんてしなかったのに。その方が安心出来たのに。それでもアキラは抱き締める以上の事なんて一切しませんでした」
そんな想像しか出来ないアナタとは違うのだ、と言わんばかりの冷めた目でカツヤを見ながらシェリルは話を続けていく。
「だからこそ私は怖くて怖くてアキラを精一杯抱き締め返しました。この手を離せば居なくなってしまうんじゃないかと。私から離れないでと。この終わらない不安から助けてほしい。それだけを願って」
そこでシェリルは言葉を止めると、はにかむように笑う。
「…………」
それはカツヤどころか、同性であるミズハやユミナ達でさえ息を呑まずに居られない程美しく、幸せそうな笑顔であった。
「アキラは言ってくれました。わかった、助ける、と。その言葉を聞いた時、不安は消えて、私はこの人とずっと一緒に居たいと願うようになっていました」
あの瞬間が人生で一番幸せだった。
言葉にこそしなかったが、シェリルの顔を見た全員がそんな言葉を聞いた気がした。
「今までアキラから私に触れてくれたのは、その一度だけ。私を安心させる為の、そのたった一度だけです。身体を求められる事はおろか、邪な視線で見られた記憶さえありません」
あえて言えば攫われた時に抱き抱えられた事があるが、それを数に入れるのはシェリルの女としての自尊心が許さない。
「もう一度抱き締めてほしいと私が頼んでも、決して、です」
頼めば頭を撫でたり背中に手を回してくれた事はある。
それでもアキラの方から積極的に触れてくれたのは、あの一度だけだった。
「っ……」
カツヤが悔しげな表情で息を呑む。
シェリルにそれだけ求められているアキラへの嫉妬もあった。
けれど、真っ直ぐ自分を見詰めて語るシェリルの目が「同じ立場ならアナタに同じ事が出来ますか?」と問い詰めてきているようで――
それが何よりもカツヤの心を激しく波立たせていく。
「それをっ……」
思い出話はここまでだと言いたげに、シェリルはカツヤを睨み付ける。
その目には自分の何より大切にしていたものを土足で踏み躙られた事への、激しい感情が渦巻いていた。
「それを、よくもっ!」
次いで、シェリルの瞳がミズハを捉えた。
(この年で、なんていう眼をするのよ!)
目は口程に物を言うという言葉があるが、今のシェリルにそれは当てはまらない。
どれだけ言葉を並べても伝わらない怒りがシェリルの目に宿っていた。
敵意や殺意なんて一過性のものではない。
地の果てまで追い詰めても、それでも決して許しはしない。
憎悪や復讐心といったものに似た、暗く深い妄執の目が、カツヤとミズハを映し出す。
「お、俺はただシェリルさんが心配で……」
それはモンスターと戦い慣れたカツヤでさえ思わず怯み、自分は心配しただけだから悪くないと正当化しようとする程の激しさを持ちながら――
「も、申し訳ありません! 出来得る限りの補償はさせて頂くので、どうか穏便に……」
海千山千の相手と権力争いを続けてきたミズハでさえ、計算も何も忘れて頭を下げずには居られない底知れなさを感じさせるものであった。
「今更補償なんて結構です! これがドランカムの総意だと判断し、私も相応の対応をさせて頂きます!」
それでも怒りは収まらないとばかりにシェリルは叫んで、さっさと出ていけとばかりに扉の方へと視線を向ける。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
これに驚いたのはカツラギだ。
こちらから補償を求めようとすれば、舐められて補償どころか交渉が終わるだけ。
だからこそ、あえて突き放すような態度を取ってるのかと思っていたし、補償の話が出てきた時には、よくやってくれたと内心喜んでいた。
だが、折角話が上手く纏まりそうだったのに、それを自らぶち壊そうとするのは想定外が過ぎた。
(御嬢様口調を崩してないから演技を続ける余裕があるもんだと思ってたが、こいつ、アキラを馬鹿にされて完全に切れてやがる!)
このままシェリルの暴走を無視すれば、遺物販売店は終わる。
いや、それどころではない。
(俺の商売人としての道が終わっちまう!)
遺物販売店への今までの投資。
集めた商売仲間達への信用。
その全てを失えば、カツラギは商売人として二度と立ち直る事が出来ない程の痛手を負う事は確定的であった。
「シェリルさん、落ち着いて。補償さえ出れば立て直せるんです。アキラの役にだって立てるんです。認めてもらえるかもしれないんでしょう? だから、どうか考え直して下さい……」
だからと言って、今更シェリルはスラムの住人で自分は騙されていた被害者だなんて居直る事も出来ないし、ここまでシェリルが中心であるように振る舞ってきたのに自分だけでミズハと交渉する訳にもいかない。
本気でカツラギは焦っていた。