中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
(それだけの事してもらったんだもの。そりゃあ何も知らない相手に馬鹿にされて黙ってられないわよね……)
シェリルの態度にユミナは納得したように頷いていた。
ユミナも同じく恋する乙女だ。
だからこそ、自分の恋が終わろうとも、自分がどうなっても、好きな人を馬鹿にされたままで居られないというシェリルの気持ちは理解出来たし――
相手の強さや大きさなんて関係ない。
自分の命を賭けてでも好きな人の名誉を守りたいのだと、シェリルの剣幕の強さに何の疑念も抱かなかった。
(ドランカムそのものを敵に回しても恐ろしくない権力者が、シェリルさんの裏に居るっていうの!?)
けれど、ミズハは違った。
計算で物を考え自己愛が強いミズハにとって、恋というのは相手にどれだけの価値があり、どれだけ相手が自分に尽くしてくれるかでしかなく――
相手の為なら自分がどうなってもいいなんて考え方、理解どころか共感の一つさえ覚えられる訳もない。
その結果、小娘と言って差し支えない年齢でしかないシェリルが自分を怯ませる程の気迫の裏に、何か強大な後ろ盾があるようにしか、感じられなかった。
(自分は何があっても大丈夫。そんな世間知らずな御嬢様の脅しなら、私だって気にせず鼻で笑って受け流せたけど……)
先程の恐怖や不安を語ったシェリルの言葉には重みがあった。
それこそ普段の上品な態度で覆い隠されていた本性を垣間見たと思える程に。
アレは間違いなく本物の恐怖を知る者の言葉だった。
(それなのに、ドランカムを敵に回す事になるとしても、何の怯えも見せないなんて……)
むしろ、ドランカム如き相手にならない。
潰してやるという気迫さえ感じられた。
(そもそもスラムを牛耳っていた派閥が都合良く共倒れになって消滅するかしら? それも吹けば飛ぶような別派閥の倉庫を襲った直後に?)
そこでミズハの頭を過ったのは、今回の事件だ。
壊れた倉庫の傍には、シェリルが居たとカツヤ達から聞いている。
もしシェリルが怪我し兼ねない状況を生み出した事に激怒した何者かが、裏で手を引いた結果だとしたら?
(防壁の向こう側どころじゃない。その中でも有力な権力者が裏に居る!?)
そこまでは飛躍し過ぎかと思うものの。
少なくとも防壁の向こう側の住人でもなければ、こんな小娘が自分を怯ませる程に強気でなんて居られる筈もないとミズハは結論付ける。
(この女、私をハメようとしたわね!)
その瞬間、ミズハは自分は無関係な傍観者とでも言わんばかりに佇んでいるヴィオラへと憎悪の目を向けた。
そもそもこんな事になったのは、ヴィオラが寄こした情報が原因だったからだ。
(私がシェリルを誤解する情報だけを流しやがったわね! そうして私は何も嘘は吐いてない。勝手に判断したのはアナタでしょ、なんて全部が台無しになった後で笑いやがる気だったんだわ!)
そうでもなければ、わざわざ同席している癖に、今まで一言も口すら開かず背景か何かと言わんばかりに佇んでいる意味が解らない。
(スラム出身だなんて騙そうとしただけじゃなく、ここまで手の込んだ事をするなんて! なんて底意地の悪い女!)
睨み付けているというのに、むしろどこか楽しげに笑みを浮かべたヴィオラに周りの目も忘れて怒鳴り付けそうになるが――
「も、申し訳ありません。シェリルさんの気持ちも考えず勝手な物言い、怒りを覚えるのも当然です。こちらも出来る限りの対応をさせて頂きますので、どうかお怒りを鎮めて下さい……」
それより先にシェリルの機嫌を取るべきだと判断し、慌てて頭を下げる。
「……」
シェリルは答えない。
今更何を言われても許すものかとばかりに、怒りを隠さない目でミズハを見詰め返しただけだ。
(ここまで怒らせたんだもの。言葉じゃなく形に残る契約を見せないと、納得なんてされないのは解る。けど、どのくらい支払うのが正解なの……)
そこまで考えたところで、ミズハは気付く。
「ヴィオラさん。シェリルさんに遺物を提供した方の情報はありませんか? その方次第で私の出来る協力も変わってくるのですが……」
自分を散々弄んだ挙句、それでも無関係とばかりに微笑んでいるヴィオラの存在に。
(それなら、こちらも精々利用させてもらいましょうか……)
今更追加の情報を買う気なんて、一切ない。
どれだけの値段を付けるかで、シェリルの裏に居る存在の大きさを推し量り、補償額の目安にするつもりだった。
しかし――
「言いたくないわ。機嫌を損ねたら私なんて簡単に殺されてしまうもの」
ヴィオラの返答は、ミズハの想像を軽く超えていた。
(この女が情報を売る事さえ躊躇う相手だっていうの!?)
ミズハはヴィオラという女の事をよく知っている。
情報には嘘を吐かない。
しかも面白くなるならどんな情報でも売り捌く。
そのヴィオラが殺されてしまうかもではなく、はっきり殺されると言い切り情報を出し渋った。
ミズハは確信する。
間違いなくシェリルは防壁の向こう側の住人であり、それも相当な権力者が溺愛している本物の箱入り娘なのだと。
(これは金の卵なんてもんじゃないわ!)
そして、これは恋に溺れた金持ちの道楽。
自分の勘が警戒してたのは、シェリルを商売相手としては信用出来ないというサインでしかなかったのだ、とミズハは疑う事さえしなかった。
(この馬鹿女の恋愛ごっこを手伝うだけで最高の伝手が手に入る! これ以上のカモなんて居やしない!)
そう感じた瞬間、ミズハの目にはシェリルは恋に浮かれた愚か者にしか映らなくなった。
遺物を加工した服さえ成金趣味の道楽にしか見えなくなったし、どれだけの大金を見ても動じなかった姿は、金の価値さえ理解する必要がなかったボンボンへと印象が塗り替えられていく。
(多少の投資なんて問題じゃない! 恩さえ売れれば元なんていくらでも――)
そこまで考えた瞬間、冷水でも掛けられたように身体が冷えていくのをミズハは感じた。
(ま、マズイわ)
早まった事をしでかしたと後悔が募る。
上辺だけなら丁寧に対応していたものの、あからさまに疑って見下した態度を取っていた自覚があった。
おまけに、あれ程までに執心なアキラを馬鹿にする発言までしてしまった。
(ドランカム側の資金で対応出来なくなってるのは好都合。私の個人財産だけで投資出来れば伝手も儲けも独り占め。それなのに、今から補償だけじゃなく全面的に手伝いたいなんてあまりに掌返しが過ぎる!)
お金に興味がないという事は、逆も在り得るのだ。
投資という意味を理解してくれず、ただ貸した分が返ってくるだけ。
だからといってガチガチに契約してしまうと、常識的な利益しか得られない。
(必要なのは信用であり恩だって言うのに……)
それを今から取り返す方法が浮かばない。
「呆れましたよね」
迂闊な事も口に出来ず黙り込み考え込んでいたミズハだったが、シェリルから予想外に弱々しい声が飛んできて慌てて意識を向け直す。
「皆様は組織に属する者として仕事を果たそうとしているのに、私は自分勝手で感情任せな我儘ばかりで……」
そこには冷静になった途端、今までの自分が子どもの駄々っ子でしかないと気付かされたとでも言いたげなシェリルの姿があった。
「世間知らずな私ですが、これでも少しは解っているつもりです。ミズハさんが警備の時に図って下さった便宜と苦労も。それがこちら側を慮り、無理をして下さっていた事も」
事実、ミズハはシェリルとの伝手を欲しがり、恩を売るつもりで大分無理を通していた。
「その事を忘れて怒鳴り付けてしまうなんて、取引相手として認められないのも当然だと思います。ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした」
その時受けた恩だけで満足しておくべきだと自分に言い聞かせているように、シェリルは頭を下げて謝ったかと思うと――
ミズハは何も悪くないとばかりに微笑んだ。
内心の辛さを隠して気遣うような笑みは、どこか儚くも慈愛の色が混じり――
(大丈夫。この女は私が関係を切ろうとした事どころか、疑ってた事にさえ気付いてない。今からいくらでも取り返しは効くわ!)
ミズハには駆け引きも出来ないお人好しの間抜け面にしか見えなかった。
「確かにドランカムという組織としての補償は出来かねます。ですが、私個人が協力する事は可能です!」
恩を売る最大の好機が来たとばかりにミズハが声を張り上げる。
「よ、よろしいのですか?」
ミズハの言葉に一瞬、シェリルが嬉しそうに声を上げた。
けれど、すぐに表情を曇らせる。
「そうして頂けるとこちらとしては助かりますが、無理をさせる訳には……」
自分の恋路の為だけに他人に迷惑を掛ける訳にはいかない。
そんな人の好さを感じさせる態度であり――
(この様子なら、どれだけ私に感謝してくれるのかしら)
それは逆にミズハの投資欲を強く刺激した。
「私も女です。恋を叶えたいという気持ちは解ります。そして、シェリルさんの想いの強さも見せて頂きました。幾ばくかのお金でその恋の手助けを出来るというのでしたら、苦しいですが何とかしてみせましょう」
確かに無理はしている。
けれど、同じ女として無理をしてでもシェリルを助けたい。
内心とは掛け離れた言葉を連ねて、ここぞとばかりにミズハは恩を売りに行く。
「本当に、頼らせてもらってもよろしいのですか?」
「勿論です。どうか私にシェリルさんの恋のお助けをさせて下さい」
あくまでお金の問題ではない。
同じ女として恋を応援したいという気持ちを前面に押し出し、投資の話を進めていった。
(もし俺が同じ状況になってたら手を出さずに居られるか?)
その背後でカツヤが敗北感に打ちひしがれていた。
(私はあそこまでカツヤを好きなのかしら……)
ユミナは自分の気持ちに悩んでいた。
「これなら何とか立て直せそうです」
シェリルは上品に微笑み。
(アキラかシェリルが沈む時、俺も共倒れになるだろうな……)
カツラギは、自分が既にアキラ達と運命共同体になっていたのだと思い知らされる。
「……」
そんな面々を見てヴィオラは微笑んだ。
音も無く静かに、けれど本当に楽しそうに眺めていた。