中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
それから半日程度の時間が過ぎた。
「露天風呂。全然空かなかったけど、そんなにアキラ気に入ってくれてたの?」
旅館の一室。
就寝前にアキラと別れたシオリは、レイナ達と合流していた。
「ええ、大変満足したご様子でしたよ」
嘘偽りのない、本音でレイナの言葉にシオリは答える。
事実、あの後は少し態度が変わったものの、それでもアキラは露天風呂を満喫していた。
「あんまり長いもんっすから、上せて溺れてるかもしれないから様子見に行こうって、お嬢が騒いで大変だったんっすよ」
通常ならばレイナの心配は正しいが、それなりの格のある温泉においては、あまり気にする事のない心配である。
お湯に溶け込んでいる回復薬の影響で、いくら浸かっていても上せる事はないからだ。
だからといって回復薬の効果だけでは溺死までは防ぐ事は出来ず気持ち良さのあまり眠ってしまい、そのまま溺れてしまう事故というのは確かに存在する。
だが、その可能性も極めて低かった。
顔が一定以上浸かって暫く経過すると安全装置に探知され、お湯が抜けるようになっているからだ。
「あんなに長かったら心配になるでしょ。それなのにカナエったら、お楽しみ中だったら邪魔になるだけとか、それでも確認して来た方がいいかとか言い出すのよ? 酷いと思わない?」
「……ご心配をお掛けして申し訳ありません」
(カナエには感謝ね……)
実際、確認の為に入って来られたら非常に気まずい事になっていただろう。
内心だけでカナエに感謝しつつ、レイナの信用を裏切った行為だったと改めて気付かされ後ろめたいものをシオリは感じる。
「お嬢の方が酷いと思うっすけどねえ」
「どこがよ?」
「姐さんが付いてて溺れさせるなんて、あると思うっすか?」
「そ、それは……」
「そんな有り得ない心配するよりは、せめて少しでも恩を返させて下さいとか言って暴走した姐さんが、アキラ少年を無理やり手込めにする可能性の方が百万倍は高いと私は思うっす」
「そっちの方が酷くない!?」
二人の会話を黙ってシオリは聞く事しか出来ない。
(……大体カナエの予想どおりなので何も言えません)
カナエの方が正解に限りなく近いというか、大体合ってる。
とりあえず何か言える立場でもないので、話が終わるまで黙っていようと考えたシオリであったが――
「で、実際どうなんっすか? 襲っちゃったんすか?」
嵐が過ぎ去るまで待つ事をカナエは許しては、くれなかった。
「襲ってないわ」
シオリは顔色一つ変えず、迷わず答える。
これからする事を許してほしいと言ったし同意だって貰えた。
それに口付けだけでは襲ったとは言えないだろう、という考えもあった。
「ほら、言ったとおりじゃない。シオリに謝りなさいよね」
あまりに平然とシオリが答えたものだから、レイナは一切疑う事無くシオリの言葉を信じる。
「……姐さん。お嬢を他の人に任せている隙にそれは、さすがに私もドン引きっすよ」
けれど、騙せたのはレイナだけ。
カナエの目を誤魔化す事は出来なかった。
「もし本当に姐さんに後ろめたい事が何もないなら、襲う訳ないでしょうなんて呆れたように返してた筈っす。その反応は何かしたって言ってるようなもんっすね」
自信満々に推理を披露しつつ――
私じゃなくてお嬢が訊けば答え変わるっすよ。
なんてカナエは付け加えて、レイナから質問するように促す。
「その、シオリ? 襲ってないわよね? 後ろめたい事なんて何もしてないわよね?」
「……口付けだけです。同意も取りました」
「何やってるのよ!」
レイナの口から思わず悲鳴のような声が漏れる。
というのも、レイナの印象的にアキラがそういう事をする想像も出来なければ、逆にされて喜ぶ印象もない。
更に先程のカナエの言葉の印象も加わって、乗り気でないアキラに無理やりシオリが口付けしたという構図が一瞬で頭の中に組み上がってしまったからだ。
「キスだけっすか。態度的に、てっきり完全に頂いちゃったのかと思ったっす」
一人盛り上がるレイナとは打って変わって。
逆にカナエは、期待外れだと言わんばかりに溜息を吐く。
「その、言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、一つ訂正するのをお許し頂きたく……」
別にカナエの期待に応える為にやった訳ではないと言いたげにカナエは完全に無視し。
レイナに大体どういう想像をされてしまったか察したシオリは、ここだけは伝えておかねばならないと声を上げる。
「恩は関係ありません。一人の女としてアキラ様をお慕いしていたので、しました」
確かに恩を建前にした。
後ろめたい事だってあるが。
それでも気持ちに嘘もなければ、隠さないといけない不純な気持ちでもない。
「そ、そう。つまりアキラとシオリ二人の問題って訳ね。それで同意も取ったって事は、晴れて恋人同士になったって思っていいのね?」
それならばいくら主と言えど、とやかく言うような事ではない。
これ以上何か言うのも違うだろうと、引き下がろうとしたレイナであったが――
「そうなればよかったのですが、今は応えられないと断られてしまいました」
「何でそれでキスしてるのよ!」
(え、何なの? 付き合えない。けどキスはしてもいいって同意もらえるってどういう事? 私が世間知らずなだけ?)
口付け以上の行為もしていたなら身体だけの関係かとも思うし、それはそれでどうかと思うが――
それ以前に理解すら出来ない関係性にレイナは頭を悩ませる。
「あまりにも女として意識してもらえなかったので、少しくらいは意識してもらおうと思いまして――」
裸を見ても何も反応してくれなかった事や身体を洗った話など、大まかに温泉での話をシオリは説明していく。
――レイナが人質に取られた時の話は、口付けを許可してもらった理由とは直接関係ないと自分に言い訳して、話さなかった。
「……そこからキスしたくらいで意識してもらえるの?」
そもそもタオルすら付けずに混浴していたのかと色々と突っ込みたいところはあったが、それでも何も意識してないアキラが凄まじ過ぎて、レイナは突っ込む気力も起きない。
「ええ。その後は態度も大きく変わりましたし、女として意識してくれていたように思います」
(今更だけど二人だけで混浴は、どうかと思う。なんてアキラ様が言い始めた時は、本当に今更過ぎて少し笑ってしまいましたけれども)
さすがにもう身体を洗わせてくれなくなったし、近寄れば距離を取り始めたのはシオリとしては僅かに寂しく感じたものの――
それでも女として意識してもらえてると実感出来て、こそばゆくもあり嬉しくもあった。
「それは驚きっすね。そんな凄いキスしたんっすか?」
「というかキスだけよね? 本当に、それ以上は何もしてないのよね?」
「お嬢様が疑うのでしたら、詳細をお話ししますが――」
アキラの反応や態度を話すのは違うだろうと思い、出来るだけ自分がした口付けの内容を懇切丁寧に説明していく。
最初は興味深そうにレイナもカナエも聞いていたのだが――
「ず、随分と激しくしたんっすね」
カナエは珍しく本気で照れ臭そうに顔を赤らめ、気まずそうに目を逸らし。
「襲ったようなものじゃない!」
レイナは再び叫び声を上げてしまう。
「いや、本当、何してるのよ……。というか明日、どんな顔してアキラに会えばいいのよ……」
「顔見たら、ちょっと色々想像しちゃいそうっすよね……」
二人は訊かない方がよかったかも、なんて口では言いつつも――
「それで、その、いつから好きだったの? あ、これは主とか従者とか気にしなくていいから、話したくないなら話さなくていいから」
「私は前にお嬢を助けた時から怪しいと思ってたっす」
それはそれとして、身近な人間の恋愛事情には興味津々らしく。
抑え切れない様子で質問攻めにしていく。
「その、自覚したのは実は温泉に入った時でして――」
(ありがとうございます、お嬢様、カナエ……)
応えられないと断られた。
その事に一切触れようとしない二人の優しさを感じながら。
二人の質問にシオリが律儀に答え、それにレイナが叫び声を上げたりしつつ――
夜は更けていったのであった。