中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
「――さん! 大丈夫、シェリルさん!」
自分の名前を必死で呼ぶ声に。
シェリルは自分が誰かに肩を揺さぶられている事に気付いた。
(誰だっけ?)
確かに見た事ある女なのに、すぐに名前が浮かばない。
それ以前に妙に頭も身体も重たくて、何も考えたくなかった。
「えーと……」
それでも自分を呼んでるんだから、何か返した方がいいだろうと頑張って口を開いたシェリルだったが、それ以上言葉が出て来なくて。
「ああ、よかった。ちゃんと意識とかはあるのね。呼び掛けても顔の前で手を振っても反応しないし、このまま反応無いなら回復薬でも飲ませた方がいいかのかもって思ってたところよ」
それなのに、返事とも言えない自分の言葉に心底安心したとでも言いたげに喜んだ女の顔を見て――
怒りに似た嫌悪感のようなものを覚えて、その濁った感情が少しずつシェリルの頭を動かしていく。
「ユミナさん、どうしてここに?」
理由を思い出せないけど確か嫌いな女だった筈。
そんな相手にこれ以上弱みを見せる訳にもいかず、必死で普段の対応を思い出しながら状況を確認しようとする。
「えっと、アキラから聞いてないの?」
短く自然に紡がれた言葉で、急速にシェリルの頭が動き始めていく。
アキラから何か言われているなら、自分はそれに応えなければいけないと想いが徒党のボスである自分へと意識を切り替えた。
(どうして私の部屋にこの女が居るのよ? そもそも今どういう状況?)
最初に思ったのは部下は何をしているのかという小さな怒り。
次いで感じたのは何か大事な事を忘れてしまっているような頭にモヤでも掛かっているような感覚。
けれど、次のユミナの言葉で全てが解った。
「アキラの代わりに後ろ盾をしてほしいって頼まれて、それで自分は何も解かってなかったみたいだから、詳しい話はシェリルに聞いてくれって言われたから来たんだけど……」
(……なるほどね)
仮に、シェリルの客で急ぎの用事だから通してやってくれとアキラに言われたのだとしたら、止められる人間なんて組織内に居る訳もない。
そして――
(……そう。この女が代わりの後ろ盾、ね)
自分が何を忘れて――
いや、何から目を逸らしていたのかシェリルは理解する。
アキラと二度と会えなくなったという事実を認識したくなくて、必死で何も考えないように頭の動きを鈍らせていただけ。
「あはははは!」
けど、そんな事は一気にどうでもよくなった。
あまりに滑稽過ぎて、笑い出してしまう自分をシェリルは抑えられない。
「シェ、シェリルさん!?」
けれど、笑っていられたのもそこまで。
訳が解らないとばかりに戸惑うユミナの顔を見た途端、込み上げてきた想いが身体を支配していく。
「これが笑わずに居られる? アキラから見たら私が必死で大きくした徒党でも、好きな女への気の利いたプレゼント程度の価値しかなかったって事でしょ!?」
結局、自分はどれだけ頑張ってもアキラから見たらどうでもいい存在でしかなかった。
惨めで泣きたくて。
それでも目の前の女に、そんなところを見せる方が何倍も嫌で。
怒鳴り付けて泣かないようにする事しか出来ない。
「ち、違っ! アキラが好きなのは私じゃなくて――」
「ふざけないでよ! そうじゃなきゃ何でアンタなんかにアキラが後ろ盾を頼むのよ!」
ここで訳が解らないとばかりにユミナが戸惑っていれば、まだシェリルは落ち着けたかもしれないが――
自分と違ってアキラに大事にされてる癖に、それに気付こうともせず否定しているようにしか見えないユミナが気に食わなくて。
「アンタなんかにお情けで守ってもらうくらいなら、死んだ方がマシよ! さっさと出てけ!」
顔も見たくないとばかりに怒鳴り付ける。
頭では解っていた。
今、後ろ盾が居なくなれば他の徒党に好き放題食い物にされた挙句の果てに、自分も徒党もこの世から消えるだろう。
それでも、どうしてもユミナに頼るなんて我慢出来なかったのだが――
「……何よ、その顔」
いつの間にか、呆れるような目でユミナが自分を見ている事に気付いて。
何だか怒ったままで居るのは負けたような気分になり、少しだけシェリルは落ち着きを取り戻す。
「……いや、私なんかと違ってアキラの事よく解ってるんだろうなって思ってたけど、全然解ってないんだなって思ってね」
「……何ですって?」
「アキラがそんな洒落た事出来ると思う? 気に入られたいなら、頼まれたら何でも断らないとか、欲しいと言われた物をそのまま渡すとか、そういう事しか出来ないタイプよ」
確かに大きな徒党の後ろ盾になれば、下手に物をもらうのと違い定期収入が見込めるだろうし、そちらの方が喜ぶハンターは多いだろう。
だが、そんな気の利いた事をアキラが考えるか、とユミナは問う。
「解ってないのはアンタの方よ!」
(確かにそういうタイプだと思うけど!)
内心では激しく同意しつつも。
けれど、ユミナの言葉を認めるのが癪で、アキラが来る少し前から着けっ放しにしていたペンダントを見せ付ける。
「これ、解る!? アキラが後ろ盾になってすぐにプレゼントしてくれた物よ。自分が後ろ盾になった証明みたいな物があった方がいいだろうって言ってね! その後も私を殺そうとした相手から私に気付かれないように守ってくれたのよ!」
「そうなの? 確かに私よりずっとアキラの事知ってるみたいね」
アンタが思うより、ずっと周囲に気を配れる人なんだからと言いたげに叫ぶシェリルの言葉に。
(……ごめん、アキラ。そういう気は一切遣えないタイプだと思ってた)
ユミナは内心だけでアキラに謝りつつ。
それでもシェリルと真面に会話が出来るようになった事に意気を上げ、慎重に言葉を探していく。
「それじゃあシェリルさんの知ってるアキラって凄い狡猾で血も涙もない人なのね。よくそんな人を好きになったわね」
「そんな訳――」
確かにアキラは躊躇もなく人を殺すし、本音を言えば自分が知っている人間の中で一番恐ろしいまである。
だけど、それは何に切れるか解からない理解不能な思考回路が理由であって。
狡猾なんて言葉とは程遠い人だとシェリルは思い、反論しようとするが――
「シェリルさんが言ったんじゃない。私へのプレゼント代わりに後ろ盾を頼んだって。それって、そういう事じゃないの?」
「…………」
ユミナの言葉にシェリルは黙り込む事しか出来なくなった。
確かに自分の発言通りなら、自分の気持ちを知っていながら、平然と他の女に自分を売り飛ばした冷酷で計算高い男でしかないが――
(……どこの世界のアキラよ)
それは自分の知っているアキラとは、天と地以上に掛け離れていた。
「少しは落ち着いた? そりゃあ好きな人が自分の前から居なくなったんだし、辛いとは思うわ。それで別の女がやってきたら、ふざけるなって感じるのも解る。知った風な口聞くなって言いたいかもしれない」
ユミナは別にアキラの事を悪く言いたい訳ではないし。
自分を恋敵と勘違いして怒鳴り付けてきたシェリルに対する怒りだってない。
「けど、今だけでいいからちゃんと考えて。アナタの知っているアキラは、どういう人? アナタの知っているアキラなら、どういう理由で私に後ろ盾を頼むの?」
(アナタは私なんかより、よっぽどアキラの事知ってる筈でしょ?)
ただ悲しくて、それ以上に許せなかっただけ。
憧れていたのだ。
ミズハ相手に幸せそうにアキラへの想いを語っていたシェリルの姿に。
そのシェリルがアキラの想いに気付こうともせず、踏み躙ろうとしている様を見ていられなくて。
「……言葉通り、信頼出来る相手だったから、でしょうね」
本当はシェリルだって頭のどこかで解っていた。
アキラが信頼出来る人に頼んだって言うのなら、多分それ以上の意味なんてない事くらい。
「けど、それがなんだって言うのよ! 結局私なんてどうでもいいから捨てた事に変わらないじゃない!」
それでも八つ当たりでもしてないと耐えられなかったのだ。
あれだけ一緒に過ごしてきたのに、信じてもらう事さえ出来なかった事実に。
――自分と違って信頼しているなんて言われたユミナが羨ましくもあった。
「……その様子だと本当みたいね。シェリルさんとは仕事上の付き合いみたいなもので、恋人でも何でもないってアキラの言葉」
「……喧嘩でも売りたいの?」
わざわざ言葉にされなくても、そんな事は痛い程にシェリルは知っている。
ハンターであるユミナ相手に何をしたところで勝てる訳なんてないと思いながら、それでも射殺すような鋭い視線を向けるが――
「本当に何もないのね。そりゃあシェリルさんがそこまで夢中になるのも解かるわ」
次に放たれたユミナの言葉があまりに予想外過ぎて。
シェリルは睨み続ける事も出来ず、呆気に取られて間抜け面を見せるのだった。