中立から内側へ 健全版 作:シオリスキー
「どうして……」
ただ腕を回しただけの抱擁。
しかも、アキラが目を瞑っている間にシオリは強化服を脱いだらしくインナー姿だった。
「俺はシオリを騙してたんだぞ?」
強化服を着たままのアキラなら振り解くのは簡単で。
けれど、抱き着かれている事さえも自分に対する何かの罰の延長なのではないかと思い、振り解いていいのか解らない。
「ええ。聞いたので知ってます」
戸惑いを隠せないアキラの声に。
まるで悪戯でも成功させたかのように楽しそうに軽く笑い、シオリはそれだけ答える。
「一緒に護衛をやれるような戦闘力も索敵能力もない。シオリに好きになってもらえるような部分なんて一つも――」
「温泉での私の話を忘れましたか? 私は戦闘力など関係なく、アナタの人柄が好きだと伝えたでしょう?」
アキラの言葉を遮って、それ以上自分を傷付けるような言葉を言わせない。
シオリは決めたからだ。
まだ恋も愛もよく解らず、ただ騙していたという罪悪感に押し潰さている事なんて全て承知の上で。
弱みに付け込んでいるだけと解っていても、放っておいてなんてやらない、と。
「第一、今の私はメイドではありません。ただ一人の女として、お嬢様の事も関係なくアナタの前に居ます」
強化服でもあるメイド服を脱いだのは、別に身体で迫ろうと思ったからではない。
今アキラの目の前に居るのはレイナのメイドではなく、一人の女であるシオリだという意志表明であり。
アキラと、わざと様を付けず呼び捨てにしたのも、その一環だ。
(アキラ様が悪いのですよ……)
好きでも何でもない自分の事なんて忘れて、本当に大事な人を見付けてほしいと一度は突き放そうとしたのに。
それでも逃げなかったのはアキラだ。
これで我慢して引き下がれる程に分別のある女なら、他に好きな相手が居るかもと思っていたのに告白なんてしないし。
(あんな事を聞かされて、騙されたなんて嫌いになれる訳ないでしょうが!)
アキラは自分が何を言ったのか、まるで解ってないのだ。
そりゃあ確かに騙してたと言えば騙していただろう。
だが、旧領域接続者なんて事を誰にも言えないのなんて、当然の話でしかないし。
本気で隠し通したかったら、そもそも助けになんて来なければいい。
そうすればアキラはアルファと共に今までと同じように、輝かしいまでにハンターの道を歩み続けられた筈だ。
(命も未来も捨てる覚悟で助けに来てくれたなんて言われて、それで他に好きな女を作ってくださいなんて逃がしてあげられる程、私は出来た人間ではないのです……)
それなのに本人には何の自覚もない挙句。
むしろ捨てられてしまった子どもみたいな心細そうな顔をして。
それでも必死で助けさせてくれと手を伸ばしてくるのだ。
(こんなの放っておけません……)
アキラがアキラ自身の事を大事に出来ないなら、その代わりに自分がどこまでも愛してあげたい。
傷付く必要なんてないんです、と守ってあげたい。
誰よりも素敵な人ですと自信を持てるまで愛を囁きたいし。
アキラを自分だけのモノにして。
アキラにも自分のモノだと身体にも心にも刻み付けてほしい。
「忘れたのなら何度でも言わせて頂きます。私はアナタの人柄が何よりも好きなのです。アルファ様とやらが居なくなって弱くなったからといって、私の気持ちが変わる事はありません」
そんな溢れてしまいそうな気持ちを必死で抑えて。
前回のように乱暴に口付ける事はおろか。
ただ包み込むように回しただけの腕に力を入れる事もせず、シオリは静かに言葉だけで語り掛けていく。
「私の言葉は、信じられませんか?」
自分の欲望を押し付けたい訳でも、アキラが手に入れば何でもいい訳でもないから。
今はただ、自責の念に押し潰され自分を見失う程に傷付いているアキラに。
傷付く必要なんてないと伝えたかった。
「だから、それがあり得ないだろ。俺なんてアルファの力使って強い振りしてシオリだけじゃなく周りを騙してただけの人間だぞ。それのどこが優しくて誠実な人間なんだよ……」
「ちゃんと覚えててくれたのですね」
「当たり前だろ。あんな事言ってもらえたのなんて初めてだったんだ。忘れられる訳ない」
思ってたよりもずっと、自分は大事にアキラに想われていた。
その嬉しさに思わず乱暴に口付けそうになる自分を、シオリはアキラを抱き締めて必死で抑え込んだ。
「シオリ?」
「……暫く、お待ち頂きたく」
突然力いっぱい抱き着かれたからか。
不思議そうな声がアキラの口から漏れるが、説明してる余裕はシオリにない。
少しでも力を抜けば我慢出来なくなりそうだが、今の状態では、アキラなら騙していた罰に身体を弄ばれるなんて考えるかもしれない。
そんな風に思われるくらいなら死んだ方がマシだ。
「……アキラ様。私がエレナ様達を殺そうとしてたのに、中立を貫いて下さった時の事を覚えていますね?」
抱き締めていた腕を緩め、出来るだけ冷静にシオリは語り掛けていく。
勘違いを正し、アキラには十分愛されるだけの資格があると納得してもらう為に。
「恩がある相手ならともかく、ほとんど赤の他人でしかなかった私にそこまで義理立てして下さる方を、誠実で優しいと言わずに何と言えばいいのですか?」
「あれだってアルファの力があったからで――」
「もし他の方がアルファ様の協力を受けて力を持っていたとしても、あの状況で私とお嬢様を助けてなんてくれないでしょう。良くてエレナ様達と共に私を取り押さえるくらいで、普通は恩人に襲い掛かる狼藉者でしかない私を殺して終わりです」
あるいは助けた報酬として、もっと色々な物を要求するだろう。
それを弾を一発しか撃ってないからと当たり前のように自分から何も求めて来ない時点で、優し過ぎるにも程がある。
「御自覚ください。私もお嬢様も、力を持っていたのがアナタだったから助かったのです」
それが当然の対応だなんて言われたら、大多数の人間はどれだけ薄汚れた人間だという話だ。
アキラはあまりに人間というものに幻想を抱き過ぎている。
「アナタは極端過ぎるのですよ」
白に対しては真っ白でなければと願い。
黒い部分があれば、それが全てだと思い込んで自分を傷付ける。
(そんな善人はどこまでも善人で、悪人はどこまでも悪人だなんてのは解りやすい物語の中だけの話でしょうに)
良い部分もあれば悪い部分もある。
人間なんてそんなものでしかないのに、あまりにアキラは潔癖過ぎるのだ。
「私はアナタの誠実さが好きですが、それは徹頭徹尾、頭の天辺から足の爪先まで誠実でなければ駄目だという話ではありません」
そんな機械的なお堅さなんて最初からアキラに求めていない。
義理堅くて自分の優しさにも気付かないくらい不器用な、今のアキラが好きなのだ。
「話せない事は話せなくて当然でしょう? 確かに旧領域接続者という事で多くの得をしたのだと思います。ですがバレたら終わりというそれに見合うリスクを背負っているではないですか」
「いや、でも……」
「でもも何もありません。そんなのは危険度が高い代わりに効果も高い装備を使っているようなものでしょうに。一々気にする方が真面目過ぎるのです」
そもそも体質的な話であって。
美形だったり運動神経に優れた人間が、そうじゃない人間と比べて卑怯なんじゃないかと気にするかという程度の話にしかシオリには思えない。
「大体ですね。温泉の時も今もそうですが、ここまで女性に迫られているのに手を出そうとしないのも如何なものかと」
語っている内にアキラの分からず屋っぷりに段々苛々してきたシオリは。
もうこの際だから言ってしまえとばかりに内心で抱いていた不満を叩き付けていく。
「それが既成事実を作られるのが嫌だとか、他に好きな女性が居て義理立てしているとかなら仕方ないとは思いますが、そういう訳ではないでしょうに」
自衛の為に手を出さないというなら、それは正しい思考だ。
けれど、アキラが自衛なんて意識すらしないまま自分に手を出さなかっただろうという確信がシオリにはある。
「いや、だって好きかどうかも解らないのに、そういう感情向けるのって何か申し訳ないじゃないか」
案の定としか言いようのない言葉が返ってきて。
ここまで純粋だと逆にシオリの方が申し訳なく思うくらいだ。
「私はアキラ様との口付けを思い出して何度も一人で自分を慰めましたよ? それこそ口付けだけで我慢出来なくなったアキラ様が私を襲って下さるところを想像さえしました」
だからこそ、シオリは普通なら伝えなくてもいい事をあえて伝える。
これではあの時の事を思い出して自分を慰めるどころか、恋心を向けてくれている相手になんて感情を抱いているんだとか、見当違いの事で自分を責めていそうだから。
――事実、アキラが温泉旅行以降、ハンター稼業を熱心にこなしていた理由の一つに、その時の事を思い出さない為に忙しさが欲しかったという面もあった。
「いいんですよ、そこまで自分に厳しく生きなくても」
そんな生き方をしていたら、いつかアキラは理想や幻想に押し潰されてしまう。
現に今がそうだ。
アキラはその生き方に囚われ、その命を散らそうとしているのだから。
「……駄目なんだよ。そうしてないと俺なんて誰にも認めてもらえないんだ」
シオリの言葉は届かなった訳ではない。
心の深いところにまで響いたからこそ、アキラは自分がどうしてそんな生き方をしているのか。
無意識にしか知らなかった事を認識する事に繋がった。
「そうやって義理や契約なんてものを意識せずに生きていた頃の俺は何をしたって一人で、誰からも認めてなんてもらえなかったんだ」
むしろ認めてもらえたと思った矢先に踏み躙られてばかりで。
だからこそ、俺だけは俺を踏み躙った連中達みたいになって堪るかと、当て付けのように意地を張り続けてきただけだったのに。
「けど、そうやって意地を張り続けて、思い返せば自分でも馬鹿だと思うくらい必死で貫き続けてたら一人じゃなくなってたんだ」
いつの間にか、その当て付けで続けていたような意地のお陰で。
スラムで過ごしていた時には見付からなかったものが見付かった。
この世界には敵とそれ以外の人間だって居たし――
「シオリだってそうだろう? 俺がエレナさん達よりも、義理を取るような人間じゃなかったら、好きになんてなってくれなかっただろ?」
シェリルやシオリのように。
自分の事を好きだと言ってくれる人まで現れてくれた。
――ネリアの事は微塵も思い出さなかった。
「だから色々心配してくれてるのに申し訳ないけど、今更、生き方は変えられない」
その全てがアルファの力だけではないとシオリが教えてくれたからこそ。
アルファの力を失くした上にこの意地まで手放してしまえば、本当に何もかも失ってしまいそうで。
だから、アキラは意地を貫き続けて生きていく事しか出来ないのだ。
「……不本意ですが、今はそれで良しとしましょう」
「えっと?」
そんな生き方は駄目だと否定されると思ったアキラは。
あまりに予想外の言葉が返ってきて、思わず戸惑いの声を漏らしてしまう。
「そんなアナタだから好きになったのは事実です。壊れてしまう前に少しは息抜きの仕方くらいは覚えてほしいとは思いますが、アナタが私に好かれているのはアルファ様の力ではないと。アナタ自身の魅力だと自信を持って下さったのなら、今回はこれで引かせてもらいます」
誰からも好かれる事なんてない言い切っていたアキラの口から、自分に好かれているという言葉が出てきた。
アルファが居ない自分なんて無価値だなんて。
自身を無駄に傷付けるような思考の渦から抜け出してくれたなら。
それだけで十分だと、シオリは自分の気持ちを押し殺す。
「忘れないで下さい。私はアルファ様とやらの力を持っていたから、アナタを好きになったのではありません」
本当は力いっぱい抱き締めて、自分だけは何があってもアナタを嫌いになんてなりませんと言いたかった。
何があっても傍に居続けますと誓いたかった。
(出来ない約束をする訳には、いきません)
だけど、そんな誓いを捧げてアキラが受け入れてくれた後に自分が死のうものなら。
このどこまでも純粋なアキラでは、きっと壊れてしまう。
(スラムの子どもでしかなかったアキラ様を、ここまで引き上げたアルファとやらの言葉。考慮しない訳にもいきませんからね)
嫉妬を抜きに胡散臭い存在だと思うが。
それでも能力だけは確かのようだし、おそらく自分は死ぬのだろう。
「意地っ張りな程に義理堅くて、周りの優しさには気付く癖に自分の優しさに気付けないアナタだから好きになったのです。どうか、それだけは本当に忘れないで下さい」
それならせめて、アキラの心の中に残りたい。
言葉だけでも、遺ってほしい。
シオリはそんな気持ちを心に秘めて――
アキラを抱き締めていた腕を解いたのだった。