その噂話自体はジルクニフの耳にも届いていた。しかしくだらない噂だと一蹴していた。以前からジルクニフがイジャニーヤなる暗殺者集団を雇い、王国戦士長の暗殺を狙っているなどこの手の噂は今まで幾らでもあった。今回もその手の噂だろうと聞き流し……王国に潜ませている間者からの報告により、この噂が噂などではなく真実であると皇帝は知った。
「ふざけるな! 誰だ!! 誰が私に泥を被せた!!!」
帝国兵がリ・エスティーゼの村々を襲い、あまつさえ王国戦士長であるガゼフを殺害した。無論命令したのはジルクニフである───訳が無い。彼はそんな命など誰にも出していない。出す意味が微塵もない。
確かに毎年王国の力を削ぐために、穀物の収穫期を狙って帝国は小競り合い程度の戦争を仕掛けている。専業軍人による軍隊を結成している帝国は収穫期に左右されず、いつ戦争をしてもさほど影響はない。だが有事限定の徴兵制度で兵士を搔き集める王国は、収穫期を狙われると農村などに深刻な人手不足が生じて国力が少しずつ減衰してしまう。それなら王国も専業軍人の育成を行えば良いのではないかと普通なら考えるのだが……なぜか一部の貴族の私兵や国王直属の戦士団以外には戦力を持とうとしない。
王国の貴族は語る。【今までこれで上手くいってるのだから大丈夫だ。それに兵士なんて無駄飯食らいを増やしたら私達の大切な金が減ってしまうじゃないか】
……肥沃な大地を持ち、豊かな国になれる素養が幾らでもあった王国はかつて帝国と同じ国家であった。しかし代々優秀な皇帝を輩出し、ジルクニフの祖父から時間をかけて準備して現皇帝の代で膿を出し変わりつつある帝国と違い、王国には長い間侵略者もなく王も決して有能と呼べる程の人材は輩出されず。
歴代の国王が強い政策を取らず、国中の貴族を放置した事で盛大に腐敗。貴族達の中には領民に9公1民な桁違いの税を課している者まで出る始末。腐敗は腐敗を呼び、国全体がやらかした国家……それがサトル達が転移したバハルス帝国の隣国、リ・エスティーゼ王国である。
大貴族が当然のように犯罪組織と癒着していたり。次期国王であるバルブロ第一王子が犯罪組織と癒着していたり。愉快な人物が王国にはたくさんいるが……今は置いておこう。
……ジルクニフはこんな王国から出来れば肥沃な大地を奪い取りたかった。豊かな土地があれば、それだけ食料の生産数を増やしたり出来ることが大幅に増えるからだ。
しかし真正面から全面戦争を仕掛けると、少なからず損害が出てしまう。それを防ぐために、毎年少しずつ削るように小競り合いを仕掛けて王国の国力を落としていたのだ。ついでに戦争を仕掛ける際に、国家動員の名のもとに帝国内の貴族から金を毟り取って国庫を潤せる。一石二鳥だ。
そう……あくまでも少しずつ真綿で絞めるように力を削ぐことに意義がある。一気呵成に事を成しては駄目なのだ。少しずつ……ちょっとずつ。敵国の力は削ぎつつ、その間に自国の骨組みはしっかりした物に組み直す。それを念頭にして国家運営のプランを組んでいたのだ。なのに───
「どこの! どこの馬鹿が!! 俺の計画を狂わせた!! 辺境の村を襲う!! ガゼフを暗殺する!!! それに何の意味がある!!!」
……確かに。確かにガゼフ・ストロノーフは帝国からすれば強敵だ。四騎士全員より強靭で、その強さは確かに周辺国家最強の戦士と呼ばれるに相応しい強さだ。確かに毎年の小競り合いの際に、ガゼフには何度も手こずらされている。だがそれは別にいい。構わない。本気で殺すだけであれば、フールーダを投入すれば事足りるとジルクニフは踏んでいた。だからガゼフに関しては、何の問題もない。むしろ彼が生きているならば、帝国は攻めあぐねているのだと王国の連中に勘違いすらさせられる。なのに───ガゼフが死んだ。死んでしまった。それも帝国の……ジルクニフの命だと思われる形でだ。
「くそが……ふざけるなよ……」
髪を掻きむしりながらジルクニフは考える。ガゼフを自分が暗殺した。こう思われるのはあまり得策ではないと。なぜならガゼフとは王国ではある種の英雄のような存在なのだ。王国内の貴族には、平民出如きが我が物顔で王の傍にいるなど不敬ですらあるとまで思われているが……平民からすれば自分達と同じ農村の出身者が、王国最強の名と共に国王の傍仕えを許されているのだ。これほど誇らしい事はないだろう。
そんなガゼフを暗殺したと思われたら、ジルクニフは王国民からどんな扱いを受けるのか。これが戦場で堂々と真正面から打ち破ったなら、まだそこまで問題はない。だが今回のケースは一番最悪だ。民間人虐殺の末に、英雄を罠に誘い込んで抹殺する。これに良い印象を持つ人間がいるだろうか。
将来的には王国を滅ぼし、かの国の民をジルクニフが統治しなければいけない。それなのに王国の民からの悪印象を持たれて得なわけがない。現時点でさえ、王国の民からすればジルクニフとは悪しき侵略者なのだ。その称号に新しく、卑劣な暗殺者が加わってしまった……
「考えろ……間者から報告が上がった時点でガゼフの死亡は確実だ。襲われた村々の生き残りが襲撃者は帝国騎士だと証言した以上、俺の悪評はもう決定事項だ。考えろ……誰がガゼフを殺した? あの男の強さは本物だ。ガゼフ・ストロノーフを殺せる実力者などそうはおらん」
まず王国内の権力闘争による政治的暗殺。これはありえる。王国貴族は国王であるランポッサを失脚させるためなら、なんでもするだろう。しかし王国貴族にはガゼフを抹殺出来るだけの戦力はない。間者やジルクニフに付いた王国貴族の情報からもそれは確実。今回のガゼフの死は毒などではない事は判明している。つまり物理的な戦力で戦士長を潰し切った可能性が非常に高いのだ。これらの理由から有力な候補ではあるが決定的ではない。
次に帝国内部の誰かが、自分を陥れるために策略を練った可能性。これもまた非常に高い。それこそ貴族であれば、金に物を言わせてワーカーなりを雇う事も出来る。
「この線は念のために探らせておかねばならんな」
あとの候補としては、聖王国や竜王国。あるいはスレイン法国の謀略と言う可能性すらある。しかしこの三国がガゼフを殺し、その罪を帝国に着せるメリットは薄い。やる意味があまりないのだ。
「……結局のところ、大多数から見れば俺がやったようにしか思えんだろうな」
……間の悪い事に。現在のジルクニフには、ガゼフを確実に潰せる手札が揃ってしまっている。それは噂の中にもあった、リンウッド夫婦……今はゴウン夫婦となった二人の事だ。
「あるいはゴウン夫婦がどこかの国の間者で……俺を陥れるためだったりしてな……」
自分で言っておいてなんだが、それは一番無いなとジルクニフは首を振る。そんな面倒な事をしなくとも、あの夫婦であれば力業で自分諸共帝国を滅ぼしてしまえる。
「それに彼らが俺の敵ならば……俺は今すぐにでも自死を選ぶ」
くだらない事を考えてしまっている。ともかく今は頭を冷やして冷静になるべきだとジルクニフは自分を戒める。
深呼吸を数回行ったジルクニフがまず考えるべきは、これからどうするかだ。
「……俺の顔に泥を塗った黒幕を探さねばならん。そいつは確実に俺の敵だ。放置すればどんな悪行を擦りつけられるか……しかしどうやって探したものか」
一番確実なのは帝国兵に扮した下手人を探し出す事だ。幸いにも今回の襲撃事件では、ガゼフが命を落としたらしいカルネ村以外には生存者がおり、そちらから詳しい目撃証言を聞き出せば───
「待て。どうしてカルネ村だけ全滅させられた。他の村に生存者がいるのは、帝国兵の所業だと証言させるためだ。そうでなければ俺に罪を擦りつけられん」
何かがおかしいとジルクニフは察した。この違和感の正体はなんだと。
「しかしカルネ村住民だけは一人残らず殺害された。一番肝心なガゼフ抹殺を目撃させねば意味がない。今回あの男が死んだと判明したのも、ガゼフがエ・ランテルに戻らなかったことから、都市長であるパナソレイが偵察を出して死体を発見したから。もしパナソレイが行動を起こしていなければ、死亡の発覚はより遅れた。そんな偶然に頼るよりも、目撃者を残す方が確実。なのに全滅……なぜだ。いや……カルネ村の住民だけではない。報告書によれば王国戦士団も全員例外なく抹殺されている。あくまでもガゼフの暗殺だけが狙いであれば、数人は生き残らせて帝国兵の仕業だと証言を補強させる……もしや……まさか! カルネ村の住民と戦士団は襲撃者の正体に感づいたのではないか!」
ジルクニフは自分の言葉に推測を重ねていく。
「ガゼフを殺害できるだけの実力者となれば、襲撃者の候補は絞られる。それを住民と戦士団は知る機会があったのではないか……だからカルネ村だけは皆殺しにした」
この可能性は高いとジルクニフは考察する。襲撃者が帝国兵ではないと判明する何かを目撃された。だから口封じとして誰一人として生かさなかった。これなら筋は通ると皇帝は反芻する。
確かに。確かに死人は口を開かない。蘇生魔法があるにはあるが、それでも使い手は殆どおらず。死体を損壊させてしまえば、人類が使える蘇生魔法では蘇らせる事は出来ない。事実報告書によれば、カルネ村からエ・ランテルと言う王国の都市に運び込まれた戦士団の死体は原型を留めていないらしい。つまり蘇生対策が施されているのだ。だからこの時点で、襲撃者がなんであれ完璧な口封じが行われている。死体にしてしまえば喋らない。もう聞き出すことが出来ないのだから……普通は。
しかしジルクニフには普通ではない手札がある。彼が信頼している人物以外は未だ誰も知らない奥の手が。
執務室から一時的に追いやっていた秘書官をベルで呼び出す。
「すぐにゴウン殿とアイリス殿に使いを送れ。御二方に頼みたい事がある」
ジルクニフには手札がある。第九位階の蘇生魔法を使いこなす、最高位の神官と言う絶対の切り札が。
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「サトル・アインズ・ウール・ゴウン、陛下の命に従い参上いたしました」
「アイリス・リンウッド・ウール・ゴウン、同じく陛下の命に従い参上いたしました」
呼び出された二人は膝を付き臣下の礼を取る。それに一応皇帝らしく鷹揚に頷いたジルクニフは、すぐさまサトルとアイリスにソファーを勧める。夫婦は立場としてはジルクニフの部下であり帝国貴族と言う事になっているが、実態は帝国が抱える最上級戦力である。そんな夫婦に対して、心の底から偉そうな態度を取る気はジルクニフにはない。なにせ夫婦がその気になれば、普通にその日の内に帝国200年の歴史が潰えるのだから。
「急な呼出に応えてくれた事、誠に感謝するよゴウン殿」
労いの言葉を投げかけてから、ジルクニフは二人にガゼフに関する悩みを打ち明ける。
「───以上が私に届けられた報告の内容だ」
ガゼフの暗殺が事実であった。その事に少しだけ驚くサトルと、街に流れる噂と各国の情勢から高い確率で事実だと確信していたのか頷くだけのアイリス。
「私にはこの暗殺を命じた誰かを探さねばならない義務がある。そこでお二人にはカルネ村の住民か、戦士団の遺体を回収してきて頂きたい。その死体を蘇生させて情報を聞き出します」
「そうすればおのずと犯人が判明する可能性が高いのですね。承知いたしました……一応お尋ねしておきますが、件の暗殺された王国戦士長で無くとも良いのですか?」
「大丈夫です。蘇生魔法に使う金の消費量は、蘇らせる人物の強さに比例するのですよね? 今回は聞き取りのための復活ですので、あまり財を消耗させたくはありません」
今回ジルクニフは戦士団かカルネ村住民のどちらかが、襲撃者の正体を知っている前提で動いている。しかしこれが見込み違いで合った場合、蘇生に使った金などは無駄使いになってしまう。そのリスクを最小限に抑えたかったジルクニフは、消費量が一番多くなるガゼフの蘇生に関しては現状考えていない。
「ポジティブ。その旨了解しました。それでは戦士団の死体の回収が合理的だと私は判断します」
「その心は?」
「農村の住民に過ぎないカルネ村の住民よりも、王宮住まいで知識のある戦士団の方が襲撃者の正体に思い至る可能性が高いからです」
「ふむ。確かにアイリス殿の仰る通りだな。それでは改めて御二方に……皇国騎士団団長と副長に命ずる。エ・ランテルに埋葬されたと言う戦士団の中から、一人死体を回収して来て欲しい。その死体を尋問のために蘇生させるんだ」
「承知いたしました。皇国騎士団長サトル・アインズ・ウール・ゴウン。その命、必ずや遂行してみせます」
「皇国騎士団副長アイリス・リンウッド・ウール・ゴウン。拝命しました」
……このような仕事など伯爵にやらせるような行為では絶対ないが、誰にも知られる事なく敵国から死体を回収するとなると、転移魔法を自在に使いこなせる二人以上の適任が帝国にはいない。フールーダも転移を使えると言えば使えるが、それでもサトルとアイリスに比べると児戯の領域。更には二人と違い、フールーダは顔を知られている可能性が高い。
それに蘇生の件に関しては、ジルクニフはまだまだ秘匿しておきたい。現状アイリスが高位階の蘇生使いと知るのは、ジルクニフが信用し信頼している一部の重鎮のみ。有能な人物達ではあるが、今回の死体回収をこなせるような人材とはタイプが違う。
仮に夫婦以外に死体の回収を命じた場合、なぜそんな物を皇帝が欲しがるのか確実に疑問に思われるだろう。そこから蘇生魔法に思い至る可能性すらある。
…もし夫婦に汚れ仕事は御免だと断られていたら、大人しくジルクニフは引き下がるつもりではあった。襲撃者の情報は欲しいが、そのために夫婦の機嫌を損ねる気はない。今回も命令としているが、実際は頼みとしての側面の方が強かった。
ジルクニフから死体の回収と蘇生の命を受けた二人は、家に帰ってから装備を整えて戦士団の死体が埋葬されたらしいエ・ランテルへと向かう。
王国の都市であるエ・ランテルまでは、帝都から馬車で六日程。徒歩なら12日はかかるが、二人は転移魔法使いである。エリュエンティウに向かった時と同じく、一度上空に飛んでから<上位転移>で高速移動。1分かからずに城塞都市に到着した。
到着して……二人とも開いた口が塞がらなかった。編纂書で王国の地理などにもそれなりに詳しい二人は、そこにあるのがエ・ランテルだとは知っている。
リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国とスレイン法国。三国の境界線上に位置する都市であり、王国にとって非常に重要な拠点でもある大都市。三重の城壁に守られている事から城塞都市とも呼ばれ、商人の往来が激しく物資や金や人が大量に動く貿易都市としての側面もあり王国でも屈指に栄えている。それが二人が集めた情報から得ていたエ・ランテルの在り様だ。
そんなエ・ランテルは現在……アンデッドに埋め尽くされていた。三重城壁の一番外側にある城壁の上から、街の中を見渡すサトルとアイリス。二人の視界にはアンデッドの山しか映らない。あまりにも多すぎるせいか、城門の外にまでアンデッドが溢れだしてしまっている。
上空には数匹の
二人が改めて眼下を見やる。街にいるアンデッドの大半は低位のアンデッドではあるが、中には中位アンデッドの
腐った王国の中では、かなりまともな筈の大都市エ・ランテル。なぜかそこは生者が見当たらない、不死者達魑魅魍魎が跋扈する死都へと姿を変えていた。
エ・ランテル:コープスパーティーにより壊滅
カルネ村住民:全滅