エンリ・エモットは深い海の底にいた。あらゆる生命がいつか還る場所。そこは魂と呼ばれる何かが行きつく最後の場所だ。
エンリの意識はあるようでない。意識は肉体にあり、魂に付属しているわけではない。しかし無かった筈の自我が魂に芽生える。
エンリの自我はここがどこなのか判断しかねると思った。けれど分からなくとも、一つだけ理解出来ることがある。誰かの手が水底から自分を引きずり上げようとしている。エンリはその手を取るのかどうか、一瞬迷う。ここに来る前の自分に起きた出来事。それを思うと、この手を取って良いのかどうか躊躇ってしまう。
……躊躇った後、一つの名を思い出しエンリはその手を握る。自分は戻らないといけない。自分は死んだのだと分かる。この手は死から自分を救い出そうとしている。そして……最後の光景。戻ってネムを、妹を自分が守らないといけない。その使命感から彼女は手を握り、手は水面から引きずりだしてくれる。
とても体が重かった。エンリの全身を疲労感が襲う。風を引いた時の気怠さを何倍、何十倍にもしたような感覚だ。
簡単に持ち上がらない瞼を力を込めて開かせる。眩しい光が眼を焼くが、徐々にそれも収まっていく。自分はベッドに寝かされている。自宅のちょっと固いベッドではない。とても柔らかくて、なのに芯がありしっかりと体を受け止めてくれる寝具。なぜ自分はそんな場所にと思ったら───
「エンリ!!!」
良く知る声が自分の名前を呼んだ。
「ンフィーレア? どうしてンフィーレアがいるの?」
エンリが顔を動かせば幼馴染の少年がいた。いつもと同じ目が隠れるほどの伸ばした髪に、白いシャツ。エ・ランテルにいる筈の薬師。そんな彼とは別に、エンリが見た事もない人物が二人彼の後ろに立っている。
恐ろしく整った顔立ちの男女にンフィーレア。帝国兵士に自分は殺された。殺された筈なのに、どうしてか自分はまだ生きている。
……何か嫌な事が起きたのだと勘付いたエンリの背に、嫌な汗が噴き出てくる。混乱するエンリはンフィーレアに質問した。ここはどこなのかや、自分に何が起きたのかを。
少しだけ躊躇する様子を見せた後、幼馴染は全てを教えてくれた。カルネ村で帝国兵に扮した誰か達が虐殺を行い、帝国にその罪を擦り付けようとしたこと。カルネ村の住民は全員亡くなり、救援に駆け付けた王国戦士団も全員戦死したこと。
……その後エ・ランテルが、ズーラーノーンと呼ばれるカルト集団の手によって陥落したこと。その時にンフィーレアだけが生き残り、帝国に保護されたこと。保護してくれた人達が、偽装兵調査のためにカルネ村の住民を一人だけ蘇生させたこと。
その蘇生対象に自分が選ばれた事。
全てを聞き終えたエンリは何も言えなかった。自分の中で情報を上手く処理出来ていない。自分が一度死んだ。それは分かる。分かるが、だからと言ってカルネ村とエ・ランテル自体が全て死に絶えたなど……
「ンフィーレア……そこにいる人たちが私を蘇らせてくれた?」
「うん……ゴウンさんとリンウッドさん。二人は帝国の……これは言っても大丈夫なんですか?」
「問題ない。これからエモットさんには、カルネ村で何があったのかを証言して貰わなければならない」
「分かりました。この人達は帝国の特殊部隊を率いる人たちで、今はカルネ村で起きた偽装兵による虐殺が誰の手で行われたのかを調査しているんだ」
帝国の特殊部隊隊長のサトルと副長のアイリスだと、エンリは軽く挨拶をすませる。恐ろしい美形の二人に、これがいつもの日常風景の延長線上であればエンリは凄い美形だと驚いただろうが……自分だけがカルネ村の住民で蘇生されたと聞いた直後に、そんな反応が出来るわけがない。
蘇生魔法と聞いても、魔法とはそんな事が出来るのかと思うだけだ。王国では知識層ですら魔法に疎いのに、ただの村娘に過ぎないエンリが位階魔法の何それと聞かされたところでピンとくる訳がない。彼女が知る魔法とは、目の前にいる薬師───ンフィーレアが使える魔法ぐらいだ。
「エンリは……自分に何が起きたのか覚えてる?」
「……うん。いつもの朝と同じで井戸に水を汲みに行ってね。甕を持って帰る最中に大きな音がして……そうしたら悲鳴がたくさん聞こえてきて。何かまずい事態が起きたんだって慌てて家に帰って……その途中帝国の兵士かな。鎧を着た人達がみんなを剣で斬ったり……」
そこまで話したところで、エンリの手が小刻みに震えだす。かけられたシーツを力強く握りしめ、荒い息をエンリは吐き出す。思い出しただけで体が震える。カルネ村は小さな村だ。村人なんて全員顔見知り。殺された人の名前や、どんな人物なのかを全て覚えている。
そんな知人はみな亡くなった。殺される瞬間をエンリは目撃している。だからこその……震え。
「エンリ? 辛いなら後日でも良いんだよ? エンリが無理に思い出す必要もないんだ」
「……大丈夫だから。私が証言出来ないと、犯人が分からないんだよね」
「……エモットさんが辛いようであれば、魔法で記憶を調査する事も出来る。無理に話す必要はない」
「魔法で記憶を? ……ごめんなさいゴウンさん。今は喋らせてください……私一人で呑み込むには……」
「そうか。そうなのであれば仕方がない。続けてくれ」
<記憶操作>の魔法でエンリの記憶を閲覧すれば、無理に彼女から訊き出す必要もない。まだサトルは<記憶操作>に慣れていないが、アイリスは持ち前の学習能力で既に習熟している。だから操作はまだしも、閲覧だけは出来ると嘘をついて提案するつもりではあったが、口にして楽になりたいと言うのであればサトルに邪魔する権限はない。
「家に着いた私は、待っていてくれたお父さんとお母さん。それとネムと一緒に逃げようとしたの。でも家には帝国兵が入ってきて。すぐにお父さんがその兵士に飛び掛かってくれて。その隙に私とお母さんとネムは家から逃げられたけど……その後をお父さんが追ってくることはなかった」
……何があったのかなど問うまでもない。帝国兵だと一目で見間違うほどの重武装兵と、精々ナイフが扱えるかどうかの村民。そもそも誰一人として生き残っていないのだから、エンリの父がその後どうなったのかなど言うまでもないだろう。
「私はネムの手を引いてお母さんの後ろをついていったけど……行く先に別の兵士がいて。お母さんが囮になってくれて……そこからも走って逃げようとしたけど兵士の一人に追いつかれて。私は抵抗しようとしたけど斬りつけられて、怪我をして……なんとかネムを逃がさなきゃ。この子を助けなきゃいけないって必死になって……そこから先は覚えてないの」
誰も何も言わない。村を襲撃した偽装兵は手練れだったのだろう。重武装でも動けるほどに訓練を積んだ兵士。そんな相手から逃げられるような訓練をエンリは積んでいない。だから仕方がない。彼女には何の落ち度もない。
……サトルとアイリスは何も言わない。被害者であるエンリが悪い訳ではないが、少し落胆もしていた。彼女なら何か見ていないかと期待したが、証言から出て来た言葉は帝国兵としか分からないだ。とは言え今のは言葉のみ。
記憶の方を閲覧すればまた何か分かるかもしれない。<記憶操作>の魔法はあくまでも記憶を操作する魔法であって、記録を操作する魔法ではない。当人の海馬と大脳に残っていなければ手掛かりは得られないが、エンリが見た記憶を別の視点からみればまた何か別の発見があるかも知れない。サトルに目配せされたアイリスがエンリへと近づいていく。
「アイリスさん……でしたよね。どうされたんですか?」
「ごめんなさいエンリ。貴女には辛いことが多くあったと思います。そんな貴女にこれ以上負担を掛けるのは決していい事じゃない。それでも私達帝国は、誰が貴方達の村を滅ぼしたのかを知らなければなりません。そのためにも、現在唯一の手掛かりは貴方の記憶にしかない……今から貴女の記憶を覗きます。それを許して貰えますか?」
アイリスの言葉にエンリは悩む。蘇って眼を覚まして、まだそれほど時間が経っていない。そんな僅かな時間の間に村が滅んだと聞かされて、今度は記憶を読みたいと来た。あまりにも事態が急変し過ぎているが……エンリはアイリスの頼みを聞き入れることにする。
誰が自分達を殺したのか。帝国ではないなら、下手人がどこかにいるのだ。王国戦士団がなんなのかはエンリは良く知らない。村長であれば何かを知っていたかもしれないが、村娘のエンリに知識を要求されても困るだけだ。
それでも王国戦士団と呼ばれる王国の兵士達も皆殺しにされたならば、今でもどこかで自分を殺した兵士。あるいはネムを、両親を、村のみんなをその手にかけた連中が今ものうのうと生きている。
エンリの胸にどす黒い感情が湧き上がってくる……正直なところ、どうして自分を蘇らせたのかをアイリスとサトルに問いたい。あるいはンフィーレアにその感情をぶつけたい。私じゃなくネムを蘇らせてと。父と母も蘇らせてと。しかしその願いは届くことはない。
温かな生活は遠い過去に行ってしまった。二度と届くことはない。農村の生活は決して楽な物ではなかった。エ・ランテルには水が湧き出る快適なマジックアイテムなどがあるらしいが、農村にはそんな便利な道具などなく。エンリが毎日やっていたように井戸から水を汲み上げ、家の甕に水を補充する作業から一日が始まる。
薪拾いや畑の手伝い。エ・ランテルに集まるような美食など村にはなく、硬い黒パンや塩気のない干し肉のスープを啜り腹を満たす。偶に猟師が取って来てくれた野生動物の肉をお裾分けして貰い、焼いた肉を食べるのが偶の御馳走だ。
畑仕事から帰って来た両親と一緒に、厨房の窯の火の前で服の解れを直したりしながら団らんをして一日を終える。
なんてことのないつまらない毎日。それこそ貴族階級の人間や、そこまで行かなくとも知識階級なり才能を持つ人間からしたら退屈な日々。それでもエンリにとっては両親の温かな顔に見守られ、手の焼ける妹と他愛ない話をしたりする日常は……二度と戻って来ない。それを奪い取った敵がまだ生きている。誰にも鉄槌を下される事なく、自分を殺した時のような嘲笑を浮かべて日常を満喫している。
許せない。許さない。許せない。許さない。許されるわけがない。眼を閉じれば両親の顔が浮かんでくる。ネムの顔がちらつく。
帝国の兵士を騙った憎き羅刹ども。そいつらを帝国の特殊部隊員だと言う二人は探し出そうとしている。エンリは所詮ただの村娘。例え見つけ出したとしても復讐する力なんてない。でもこの二人なら───
「……アイリスさんとゴウンさんは……帝国に罪を擦り付けた人達を探し出して、どうするんですか?」
「……どうするかは陛下の御心次第だが……帝国兵を騙った連中には、相応の罰があるだろうな。その行動により、我が国が損益を被る可能性がある以上は、な」
サトルの言葉を聞いて、エンリはもう一度だけカルネ村のみんなを思い浮かべる。彼らはもう二度と戻って来ない。二度と、だ。自分が蘇ったのは特例らしい。二度はない例外。だから自分が協力しなければ、彼らの無念すら晴らせない。自分達を襲撃したのが帝国兵ではないならば、バハルス帝国もまた被害者。だから彼らに賭けるしかエンリには手が残されていない。皆の無念を……両親の、ネムの思い出を守るためにも───
「お願いしますアイリスさん。私の記憶を見て、襲撃者の正体が分かるなら……お願いします! みんなの敵が誰なのか……ネムやお父さんやお母さんを殺したやつらが誰なのか! その真相を見つけてください!!」
瞳の裏にあるカルネ村住民の多くの笑顔。それを守るためならば、記憶の一つや二つ差し出そう。その代わりに自分の敵が誰なのかをエンリは知りたい。知っておきたい。誰を恨めばいいのかを。ちゃんと知っておきたいのだ。
「───ポジティブ。必ず見つけ出します……ご協力感謝します」
短く返答したアイリスは、エンリの頭に手を添えて無詠唱で<記憶操作>を発動。彼女が見た光景をアイリスは追体験する。
記憶の中では確かに帝国兵と思わしき連中しか映っていない。全員が
この姿を見れば、誰でも帝国兵が襲ってきたとしか認識出来ない。侵略戦争を仕掛けている帝国には、王国の村を襲撃する理由があると思われてもおかしくないからだ。
アイリスはエンリの記憶を隅々まで探し、とにかく手掛かりを見つけようとする。彼女は名前を聞いていないか。
……そこでアイリスは一つ気づく。襲撃者の動きの大半に、そこまで練度が無いと感じたのだ。この練度の低さとはアイリスと比べてではない。帝国騎士の平均よりもほんの僅かに練度が劣ると感じた。あくまでもエンリの記憶を覗き見ているアイリスの直感だ。
そこでアイリスは再度エンリの記憶から、彼女の父親が組み付いた兵士に注目する。
───どうしてこの兵士はこんな簡単に組み付かれた。村長が2レベル以下とするなら、この父親も2レベル以下の可能性が高い。そんな相手に抑えかけられる兵士を偽装部隊に組み込む? ありえない。失敗してはいけないような作戦にこんな手合いを組み込む余裕はない。
アイリスの脳は答えを手繰り寄せようとする。
───それにこの兵士達が周辺国家最強を捻じ伏せた? バジウッドより遥かに強い手合いを? 動きを見る限りそれは絶対に不可能。速度があまりにも遅すぎる。2レベル以下の可能性が高いエンリでも見える速度で動いてる。そんな兵士達がバジウッドより上を……違う。こいつらは
アイリスの中で点が繋がっていく。得た情報を繋ぎ合わせて答えを得ようとする。
───村を襲撃した別動隊は本命じゃない! あくまでも帝国兵だと見せかけるための囮……だから練度の低い兵隊で十分だった。なら本命の部隊はどこかに潜んでいた筈。潜むとしたらどこだ? ……可能性が高いのはカルネ村近くトブの大森林。あそこになら隠しやすい……もう一度カルネ村に戻って再調査をするべきか
……方針を組み立て直したアイリスはエンリの頭から手を退ける。
「もう大丈夫なんですか?」
「ポジティブ。どこから手を付けるのか方針が決まりました。貴女のおかげですエンリ。ご協力に感謝します」
もう一度だけエンリを励ますように言葉をかけた後、アイリスはサトルにもう一度カルネ村に向かいたいと願い出る。それを受けたサトルは了承。バルキリーの一人にンフィーレアとエンリの護衛を頼んだ後、二人は<転移門>を開き辺境の村へと飛ぶのだった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
カルネ村に飛んだ後、アイリスは記憶を覗いた事で覚えた違和感をサトルに伝える。バジウッド以上の戦士を討つにしてはあまりにも練度が低かった事。練度の低さから帝国偽装兵が本命の部隊では無く、釣り餌だったのでは無いかと言う考察だ。
その考察にサトルも少しハッとする。囮の部隊を出して、本命の部隊で囲んで潰す。それは『ユグドラシル』でも当たり前に行われていたGVG戦術の一つだ。わざと後衛職で固めたグループで本体を引きずり出した後、本命の強職業部隊が強襲を仕掛けて叩き潰す。
「なら本命の部隊がどこかに潜んでいた可能性がある」
「ポジティブ。その場所の可能性として近くの森であるトブの大森林はうってつけなのです。薄暗く、森の奥深くが見通せないあそこなら、どれだけの戦力でも隠し通せます」
「確かにな……ならあそこに痕跡が残っていないかを探したいってことか」
「ポジティブ。それにエンリの記憶を覗いたことで、帝国偽装兵が身に着けていた鎧などを<
「……それが村の近くにないかも探せるか」
とにもかくにも、まずは現場調査からもう一度始める。二人は手分けしてまずは村に遺留品がないかを探していくが……これは不発。何も残っていない。
村の周辺を<
大森林は鬱蒼と生い茂った木々で光が遮られているが、暗視能力を持つサトルとアイリスには何の問題もない。初めての森林をひょいひょいと二人は走っていく。無論<完全不可知化>を使い姿を隠してだ。人がいた痕跡が無いかを探っていくが……これも不発。
「……アイリスの推測が間違っていたのかも知れません。本命の部隊がいたとしても不可知化や不可視化で姿を隠せるかも知れない。あらゆる可能性を考慮したら、もっと手段が増えます」
少し落ち込み始めたアイリスに、この世界に来てからこんな姿を見せることが多くなったなとサトルが思い始めたところで……アイリスがとある方向を見始めた。
その反応がエ・ランテルの時に、<
「……何かみつけたのかい?」
「───ポジティブ。偽装兵の鎧の反応があります」
「!! ……まさかの大本命を引き当てたか?」
顔を見合わせた二人は、いつものように
そこはどこかの洞窟であった。何かの住処と思わしき洞穴だ。そこの中から鎧の反応がするのだ。偵察に向かわせるために
その洞穴には一体の魔物がいた。洞穴の中は真っ暗ではあるが、
そこにいた魔物は魔獣であり、いびきをかいて眠りこけていた。その姿を確認したサトルとアイリスはまさかと顔を見合わせる。こんなのがこの世界にいていいのかよとでも言わんばかりの反応だ。
その気持ちを籠めて、サトルはそのモンスターの姿を口にした
「なんでデカいジャンガリアンハムスターの巣穴から鎧の反応がするんだ?」
不思議そうにアイリスも首を捻るのであった。