リスタート外伝 バハルス帝国二人旅   作:リセット

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その頃の皇帝陛下

 帝国皇帝ジルクニフ。彼の仕事は多忙であり、多岐に渡る。

 

 ジルクニフが皇帝になる際、多くの事件があった。当時の皇帝だった父が皇后の手により暗殺。即位したジルクニフは皇后及び兄弟を皇帝暗殺容疑で次々と処刑し、処刑の難しい相手は事故死させる。

 

 ついでに邪魔な無能貴族も大量粛清。国内統治にあたり、自身にとって邪魔になる存在は全て歴史の闇へと葬った。それがジルクニフが鮮血帝と呼ばれる所以だ。流した血により、その手は赤く染められている。だからこその鮮血帝。彼の覇道は血により染められている。

 

 そんな彼はフールーダも歴代皇帝で一番優秀だと認める器の持ち主だが、一つだけ大きなミスをしてしまった。

 

 無能だからと、あまりにも貴族や文官どもを始末し過ぎたのだ。そのせいで酷い文官不足に帝国は陥っており、書類仕事を任せられる人材や、現場管理を任せられる役人が非常に不足している。そのせいで皇帝であるジルクニフまでもが、本来であればもっと下の人間がやるような人材配置のような仕事をやる羽目になっている。

 

 どこに予算を振り分ければ最も効率的なのか。どの人材がどんな能力を持っていて、何が出来るのか。

 

 本来適切な文官に割り振ればいいような仕事も、現在はジルクニフが処理せざるを得ない事態に陥っている。

 

「………………………………はぁあぁあぁああああ……」

 

 そんなジルクニフから極大のため息が漏れる。決して下の人間には聞かせられないような、巨大なため息だ。

 

「陛下?」

 

 今日のお付きとして執務室にいたロウネは、常にないジルクニフの盛大すぎるため息に反応する。普段であれば下の人間に、上に立つものとしてこんな失態をジルクニフは見せない。なのに見せたということは、それだけ何かがあったことを示す。では一体何があったのか。それをロウネは聞き出そうとする。

 

「お疲れでしたか?」

「……いいや。肉体的な疲労はない。これがあるから、体が疲れるようなことはまずありえん」

 

 そう言って、ジルクニフが右手の中指に嵌めた指輪をロウネに見せつける。ロウネはそれが何かのマジックアイテムなのかと思うが、見ただけで効果などを判別する能力を持たないので不明だ。

 

「これは八欲王の遺産の一つ。名は維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)。睡眠と食事を不要とする、強力なマジックアイテムだ」

「睡眠と食事が不要とは! ……陛下には下手な金銀財宝よりも、よほど価値がある宝ですね」

「違いない。これがあるおかげで、多少の無茶をしても肉体に影響はないからな」

 

 八欲王の遺産。それはとある二人組が、南方の廃棄された都市から持ち帰った超級の遺物の数々だ。この指輪だけでなく、ジルクニフが普段身に着けている服も大部分は八欲王の遺産へと変化している。

 

 この大陸を一度は支配した怪物達の遺産は全てが恐ろしい性能を持ち、何気なしにジルクニフが指に嵌めているこの指輪にしても、値を付ければ恐ろしい価格になる。睡眠と食事を不要とする効果はそれだけ貴重なのだ。特に睡眠不要効果が欲しい者は多い。純粋に一日の活動時間が延びるだけでも役立つのに、寝ている時───無防備な時間が減る事で睡眠時の暗殺を警戒する必要性が無くなる。

 

 ───こうやって一日全てを動けるようになった今だからこそ分かる。爺に研究させていた、アンデッドを労働力とする案件。あれはやはり有用だったと……くそ! 法国の宗教狂い共さえいなければ、凍結させる必要が無かったものを……

 

 魔法省でフールーダに研究させていたアンデッド使役実験。人間と違い疲労せず、眠る事なく労働に従事する不死者は農業のような肉体労働に非常に向いている。

 

 帝国の農業は王国や法国と変わらず、各地方の農民が農耕に携わる。作られた農作物は各村の村長が纏め上げ、領主から遣わされた役人が量を確認してから、各主要都市に集められる。

 

 この人間が関わる部分を、ジルクニフは人間からアンデッドに置き換えたいのだ。

 

 現状農業に関わるのは農民───つまり農村の村人であり、大半は脆弱な人間種の中でも更に弱い個体が大部分を占める。サトル達『ユグドラシル』プレイヤーから言えば2レベル以下、冒険者で例えれば(カッパー)以下の弱者だ。

 

 そんな農民は一定以上の実力者からすれば、あまりにも体力がなく、すぐに疲労する。ちょっとしたモンスターに襲われればたちまち村は半壊し、野盗に襲撃されれば女子供が攫われる。

 

 しかしアンデッドを配置できればどうだろうか。

 

 多少のモンスターや野盗など返り討ちにし、24時間労働させても文句を言わない都合の良い働き手。似たような事であれば魔法で創り出したゴーレムでも可能ではあるだろうが、ゴーレムを産み出せるような位階魔法の使い手を大量に用意するよりも、自然発生するアンデッドを支配した方が効率が良い。

 

 そして現在農業に携わる人材を別の仕事へと回せるならば、それだけ国の発展に繋がる。それこそなんてことのない農民の中から、優秀な文官や武官が出てくる可能性もある。

 

 そんな効率優先の政策からフールーダにアンデッド支配の研究をさせていたのに、法国が行ったガゼフ暗殺から続くエ・ランテルの騒動により、当面の間は研究を凍結せざるを得なくなってしまった。

 

 ───反アンデッド思想が市勢の間にも出回りつつある。この情勢で研究を続けていたことが世間に漏れたら、私の地盤はかなり緩くなる事は確実。それだけは絶対に避けねばならん

 

 ジルクニフはアンデッド研究を凍結はさせたが、人間に代わる働き手の模索を止めるつもりはない。

 

 ───いっそのことあの二人が召喚するらしい、天使でも借りるか? ……ふっ、何を馬鹿な事を。個人に依存した国なぞ失敗にも程がある。生活基盤まであの二人に握らせたとして、それで離反でもされればたちまち国全体が麻痺してしまう。あくまでもあの二人は防衛の要であって、それ以外に関わらせてはいかん

 

 国家運営の属人化など笑えんとジルクニフは自嘲する。現時点でさえ、帝国の行く末はジルクニフ次第なのだ。もしも皇帝が倒れればその時点で帝国は終わる。

 

 滅ぶ最大の原因はジルクニフが未だに正妃を決めていないせいだ。なぜ決めていないかと言えば、ジルクニフが一部───側室の一人であるロクシーや、カルサナス都市国家連合のベバードを治めるカベリア都市長と言った面々───を除いて信用も信頼もしていないからだ。

 

 父親を暗殺したのは皇后、つまりジルクニフの母親が父を裏切り殺したのだ。身内ですら女は感情で裏切る。それを肌で感じ取ったジルクニフは以降、よほどの事が無い限り女と言う生き物を信用するのは辞めた。

 

 ……本当はロクシーを正妃としてジルクニフは扱いたいが、彼女の生まれから正妃として扱うには反発が多すぎるのと、ロクシー自身が正妃争いから一線を引いているため強要は出来ない。

 

 そして正妃がいないと言うことは、正式な世継ぎもまたいない。つまり帝国には後継者が現在存在しないのだ。そんな状況でジルクニフが倒れたりすれば、間違いなく全貴族を巻き込んだ醜い内部抗争が勃発する。

 

 後継者のいない専制君主。ジルクニフ単独に権力を集めたメリットは大きいが、同時にデメリットが大きい事も彼は熟知している。

 

 ともかくとジルクニフは思いなおす。どこぞの夫婦が裏で色々と暗躍した事で、法国はこの先かなりの苦渋を舐める羽目になる。それだけである程度の溜飲も下がる上に、目論見通り進めば帝国が得られる物も非常に多い。

 

 ……そこまで思考を進めたところで、その夫婦もまたジルクニフを悩ませる頭痛の種なのだと思い出す。あらゆる意味で優秀なのだが、度を越えて優秀過ぎるのと恐ろしすぎるせいで簡単に手綱を握れない二人の顔が脳裏にチラつく。

 

 自分が部下の前で盛大に溜息をついてしまう最大の要因。どんな障碍でも瞬く間に蹴散らすであろう、二大巨頭。その二人について、ジルクニフはロウネに秘書官としての見解を求めてみる事にした。

 

「……あの二人がな。今日、朝から訪ねてきたのだ」

「……御二方が……ですか」

 

 ジルクニフがあの二人と呼ぶ人物。それが誰を指すのかを、すぐに察せぬロウネではない。と言うか、察せぬのであれば、すぐにでもジルクニフは彼を秘書官から人事異動させる。それぐらい帝国の、それも一定以上の地位に立つ人物の間では、あの二人と言ったら一組しか指さない。

 

「南方の天空都市に赴いて、そちらで何かをしていると聞いておりましたが……こちらに帰ってきていたのですか?」

「あの二人は転移魔法の使い手だ。帰ってくるのも、向かうのも自由自在。昨日帰ってきて、第一騎士団の新兵の訓練を行ったのと───」

 

 ジルクニフが机の引き出しから、3冊の本を取り出す。

 

「これを書き記していたそうだ」

「この本は何でしょうか?」

「信仰系魔法の教育についてと、六大神の系譜……神人に関する書物だ」

「神人……ですか?」

 

 聞いたことがない言葉なのか、疑問をロウネは問うてくる。

 

「この本によれば、だが。六大神……スレイン法国が信仰する神。あるいはこの国でも、神殿勢力が四大神として祀っている神々は、元は二人と同じ国。『ユグドラシル』の出身者である可能性が高いそうだ」

「なんと!?」

 

 六大神。それがスレイン法国の建国神話に名を残す神であり、同時に今日まで続く信仰の対象である事はロウネも文官として存じている。

 

「今から六百年前に、夫婦と同じ場所から転移事故によりここに来た六人。彼らは夫婦のように、強大な位階魔法の使い手であった可能性が高い。それが当時の人類目線で見れば神のように見え、信仰へと繋がったのだとよ」

「なるほど……確かに夫婦のような別格の強者であれば、天から舞い降りた神と見間違えても、おかしくはありませんね」

「ああ。私たちもあの夫婦の素性を知らなければ、神と呼んでいたかもしれん……違うな。あの二人に対する扱いは厄災や天災に対する物と変わらん以上、私たちは知らぬ内に夫婦を神として扱っている、か」

 

 決して機嫌を損ねてはならない絶対者。あの日見せられた御前試合で、帝国近辺の人間種とは別格の生物だと思い知らされている。

 

「しかし六大神は夫婦と同じ地域の出身であり、神と呼ばれる種族ではなくどうやら我らと同じ人間だったようだ。……スルシャーナと呼ばれる、闇の神だけは違ったようだが」

「はぁ……私が知る法国神話では、人間をお選びになられた六大神は人の姿を真似て地上に降りたとあった筈ですが……ただ恐ろしく強い人間だったから、人に似ていた訳ですか」

「そのようだ。私も法国神話は幼少期に読んだきりで少し記憶は曖昧だが……確か闇の神だけを残し、残りの神々は天へ還ったとあったが、あれも人間だから寿命で亡くなっただけなのを、物語として脚色を重ねた代物だったようだな」

「そうでしたか……では六大神が人間だったとして……六大神の子孫が神人ですか?」

「正解だ。六大神は全員男性で、当時保護した人間種の女性から、それはそれは熱心にアプローチされたようだ」

 

 ようだと不確かな断定を降すジルクニフだが、彼は夫婦からこの情報が真実であると教えられている。

 

 情報源は法国がひた隠しにしてきた、闇の神が創造した自由意思のあるアンデッドである事も教えられている。そのアンデッド───ルーファスをサトルが支配することで、数百年の情報を全て手に入れたのだとジルクニフは説明を受けた。

 

 サトルは桁違いの死霊使い(ネクロマンサー)。相手がアンデッドであれば支配可能なのだと聞けば、魔法に詳しくないジルクニフは信用せざるを得ない。それを抜きにしても、法国内の秘匿情報の数々を持ち帰った二人の情報は、真偽はどうあれ無視できるものではない。

 

 ……真偽で言えば真なのだが、この話には一つだけ嘘がある。ルーファスをサトルが支配した件だ。この一点に関しては、サトルとアイリスは嘘をついた。

 

 ルーファスに関しては確かに当初、サトルは彼女をアンデッド支配で自分の管理下に置くつもりであった。しかしそれはしなかった……と言うよりも出来なかった。

 

 能力が足りないわけではない。『ユグドラシル』時代のサトルでは100レベルのアンデッドの支配などは出来ないが、現在のサトルなら簡単に洗脳できる。だから出来なかった理由は、能力面の問題ではなく精神面の問題。

 

 ルーファスが数百年の間、どんな気持ちで法国の維持を続けたのか。それにサトルが共感したのが一つ。そしてもう一つ。ルーファスがどんなコンセプトでこの世に産み出されたのか。ルーファス───ラテン語で赤を意味するルフスの英語読み。この名前が何に由来するのか。そもそも彼女の出自に……アインズ・ウール・ゴウンのモモンガをリスペクトしたスルシャーナが、何を見てNPCを作成し()()()()()()()()()()()()()()。ミニマムな見た目で変に古風な喋りで、アンデッドなのに非常に整った顔立ちをした赤いゴシックドレスを着こんだルーファス誕生秘話。それをアイリスから伝えられたサトルは酷く動揺した。

 

 一つ目の理由だけであれば、サトルは怒りから所詮は法国の神擬きが創造したNPCだろうがとアンデッド支配、あるいは<記憶操作>で意思を書き換えて利用しただろう。

 

 だが二つ目の理由がある限り、それを出来ない。もっと言えばしたくない。それをするにはサトルは鈴木悟過ぎた。

 

 だから支配をしたと嘘をついた。今現在の恩人であるジルクニフを騙すことになったとしても……ルーファスの洗脳など出来なかったのだから……

 

「熱心に求婚された六大神は、当時の法国女性との間に子を多く遺した。そんな子供たちは父親である六大神の血を継いだことで、人間としてはありえないほどに強靭で頑丈な肉体を生まれながらに持っていたそうだ」

「……羨ましい体質ですね」

「違いない」

 

 ジルクニフは一度だけ頷く。生まれながらにして、人間とは思えない程の天才。国の始まり自体が強大な保護者に支えられ、その後も人材に困らない。人手不足に喘いでいる身としては、本当に羨ましい話だとジルクニフは薄く笑う。

 

「そんな神人だが、父親と同じように人間としての弱点である寿命は克服出来なかった。その結果寿命で次々と亡くなり、神人の血も薄くなって自然と強者は減っていったが……時折先祖返りを起こして、英雄の領域を超え逸脱者すら超えた超越者が誕生する。それをスレイン法国は神人と呼んでいるのだとよ」

「は、はぁ……」

 

 そんな情報をどこから手に入れたのですか。

 

 そうロウネは問いかけようとしたが、これを深く探ると自分は抜け出せない泥沼に引き込まれる。そんな予感がしたので、ロウネは口を閉じる。

 

 そんな彼を見て、ジルクニフは卑怯者めと少し睨む。その目線には俺も巻き込まれたくはなかったと書かれているが、法国を放置していては帝国に大打撃が与えられる可能性が高すぎた。

 

 ───欲を言えばあの夫婦だけで、勝手に法国をどうにかして欲しい。俺は安全な場所で宗教狂いの国が自滅する様を眺めていたい……

 

 最近疲れることが増えつつあるジルクニフはこう思うが、思うだけで実行には移らない。本気で夫婦の手綱を離して暴走させると、帝国以外この世に残らないのではないか。そんな末恐ろしい予感がするからだ。

 

 ───現状ですら、俺の命を聞いてくれるのは恩に対する返礼と個人的な感情の面が強そうなのが難だ

 

 ジルクニフはサトルの精神的な動きはほぼ正確に掴みつつある。なんとなくサトルが友諠を自分に感じているのは分かっている。そんな風に転移初日から接してきたのだから、その目が出たのだと喜ぶべき場面なのだろう。しかし圧倒的な実力差がある間柄に、いわゆる友情が芽生えるだろうか。

 

 ───無理だな

 

 ジルクニフはバッサリと切り捨てる。その気になれば指一本でこちらを害せる相手は、言葉が通じても猛獣と大差ない。それこそ友同士の軽いじゃれあいでこちらが死ぬ可能性すらあるのだから、ジルクニフとしては勘弁してほしいところだ。

 

 もっともそんな泣き言をジルクニフが口にすることは許されない。あの夫婦の機嫌がこの国の……下手をすれば世界の命運に繋がるのかもしれない以上、この先も自分はひたすらサトルのご機嫌を伺うのが宿命だ。

 

 ───最悪俺が病死でもすれば、次代に任せられる

 

 そう思えば心労も少しは減る。いつかは必ず解放されるのだから、気が滅入っていても仕方ないのだ。それよりも考えるべきことがあるとすれば───

 

 ───ゴウン殿よりも、奥方……アイリスの事だ

 

 この本を書き上げた張本人。サトルの妻を名乗り、人前では一人称は私だが、家では一人称がアイリスになるらしい人物。

 

 人外としか表現できない美しさに、聡明な頭脳───ひょっとすれば、王国の第三王女。現在帝国内では死亡説が流れている、ジルクニフの嫌いな女ランキング1位にランクインしているラナーに匹敵するかもしれない領域の怪物。

 

 ジルクニフ自身はラナーに直接会ったことはないが、彼女の動きはなんとなく察していた。わざとこちらに情報を流しているかのように振る舞う、思考の読めない魔女。それがラナーに対する、ジルクニフの評価だ。

 

 そんなラナーと同類の匂いがアイリスからはするのだ。

 

 ───嫌な女だ

 

 それがアイリスに対するジルクニフの率直な感想だった。ラナーと比べれば、サトルに関する態度などで非常に分かりやすい。その筈なのに、真意を掴もうとすると途端に本心が掴めなくなる。何を考えているのか。何を軸として行動しているのか。

 

 まるで霞だ。あるいは食虫植物か。奇麗な花だと油断したら、いつの間にか取り込まれて殺される。そんな嫌な女の気配が、アイリスからは漂うのだ。

 

 ───ゴウン殿は良くもまぁ、あんな女を懐で飼っているものだ

 

 ジルクニフはこの点に関しては、サトルに尊敬の念を抱いている。出会った当初はアイリスの外見から側室にしたい程だと考えていたジルクニフだが、現在はそんな思考はすべて消えた。あれは簡単に懐くような愛玩犬ではない。一見は優しく穏やかに見える手合いだが、内面は煮えたぎった活火山のような女で狂犬に違いないとジルクニフは確信している。

 

 明確な根拠はない。だが常日頃から、女には裏があると疑い、警戒しているジルクニフは傍にいるのに実体を掴めず、これ以上ないほどに朗らかな笑顔を他者に振りまく生き物を信用するつもりはない。あれは女狐だと直感していた。

 

 アイリス・リンウッド・ウール・ゴウン。ジルクニフの脳内嫌いな女ランキングで、堂々の二位にランクインしているのが彼女である。二位ではあるが、きっかけさえあれば一位に即繰り上がる。そんな感じでアイリスはジルクニフから嫌われていた。

 

 ……この事実にアイリスは気づいているが、サトル以外からの評価はどうでもいいので無視している。知られているのに無視している。そんな事実をジルクニフが知れば、そういう所が気に食わないのだと即座に嫌いな女ランキング一位にアイリスはなるだろうが……帝国内の平和で安全な統治において、この事がサトルに伝わらなければそれで良い。伝わった時には……これは考えないほうが良いだろう。

 

「なるほど。ともかく神人と呼ばれる、神の子孫がいるのですね」

「お前自分が関わりたくないからと雑ににげ……まぁいい。そうだ、神人なる神の系譜がいて、それは現代に至るまで残り続けている」

 

 そう……残り続けている。残り続けていたせいで、またもや自分の心労の種が一つ増えたのだ。

 

「そしてだな。今日の朝から訪ねてきたあの二人だが、エルフの王国に向かっても良いかの許可を取りに来た」

「エルフの王国と言うと……あの大森林の?」

「あの大森林のだ。スレイン法国と絶賛戦争中のあの国にな。なんでもバルキリー曰く、あの大森林にあるエルフ王国の王は八欲王の実子なのだそうだ」

「え……えぇ!! 八欲王に子供がいたのですか!!?」

「バルキリーは八欲王が遺した魔法生物。あれらは八欲王に関する事であれば、大方は知り尽くしている。……ともかく八欲王の実子が存命だと知った夫婦は、神人に関する研究のために、直系子孫であるエルフの王に会いたいのだとよ」

「そう、ですか……」

 

 ロウネの視線が許可を出したのですかと問う。現在エルフ王国はスレイン法国と戦争中であり、そこに帝国の重鎮である夫婦が訪ねるのは外交上問題ではないのか。秘書官であるロウネは直接言葉を投げかけはしないが、そう尋ねたいのだ。

 

 そんなロウネに対して、ジルクニフは諦めた笑顔を浮かべるだけだ。ニッコリではなく、ニヘラとした笑い。

 

 じゃあお前なら、あの凶悪な夫婦に駄目だと真正面から否定を突きつけられるか?

 

 意地の悪い質問をジルクニフはロウネにぶつけてやりたいが、それはグッと堪える。流石にそれはみっともなさすぎると、国家元首として自重した。

 

 ジルクニフは法国絡みでサトルと……嫌いではあるがアイリスに感謝はしている。行動自体は全て帝国の明日のためにと、奮闘しているのも理解はしている。

 

 それでもその気になれば、帝国の明日を閉ざせる夫婦は怖いのだ。人間と言う弱者として、遥か格上の怪物に恐怖しているのだ。

 

 それでも戦闘能力が恐ろしいだけであれば、ジルクニフは言葉巧みに転がして上手く利用したかもしれない。しかしあの二人は戦闘能力だけが怖いのではないと、ジルクニフは一度肝を冷やしたことがある。

 

 それはメイドに絡む問題を、夫婦から直談判された時の事だ。

 

 ……ジルクニフが紹介したメイド。彼女達の中に数名、こちらに情報を流す諜報員のような役割を果たしている者がいる。ただし情報を流すと言っても、弱みを握らせたりと言った方向性ではない。あくまでも現状の生活に満足しているか。あるいは何か不満を持っていたりはしないか。それを探らせるためだ。

 

 確かに諜報員を送り込むような真似をして、それを気取られればサトルは不満を持つだろう。しかしあの二人の機嫌次第で、帝国は滅ぶかどうかが決まるのだからジルクニフとしては放置できない。だからあくまでも、生活全般において補助するための情報を収集する役割を持たせたメイドを送り込んだのだ。

 

 ───陰口を叩いたメイドの件で、夫婦が訪ねてきた時は肝が冷えたがな

 

 あの時は恐ろしかったものだと、ジルクニフは思い出す。

 

 異常に不機嫌だと分かるサトルと、そんなサトルをどうにか宥めようとするアイリスが一人メイドを解雇したいと申し出て来たのだ。

 

 何があったのかを聞いたジルクニフは当初、そんな事で自分に直談判してきた夫婦の狭量さに少し頭を抱え、主人に聞こえる範囲で陰口を叩くメイドの愚かさに失望し……その後、どうやって二人が陰口を聞いたのかへと思考が進み戦慄した。

 

 普通に考えるならば、ジルクニフがわざわざ雇い入れたメイドが主人に聞こえる範囲で陰口を叩くわけがない。件のメイドは諜報員として送り込んだ者ではなかったが、それでも非常に優秀な者を紹介したのだ。そんなメイドが聞こえる範囲で陰口を囁くだろうか……

 

 ありえない。それがジルクニフの出した結論であり、同時に夫婦がどうやってそれを知ったのかに思い至った。

 

 あの二人は十位階魔法の使い手。ならばこちらの知識にない秘密を探る魔法すら行使できる可能性があるのだと、ジルクニフは考察してしまった。

 

「まさかあの二人は……俺が送り込んだメイドの素性に気が付いている?……」

 

 それに思い至った時のジルクニフの恐怖は計り知れない。なぜ時間を割いてまで直談判したのか。それはジルクニフに……つまり自分に対して警告するためだと。

 

 お前の紹介したメイドの正体は全てお見通しだ。私たちはメイドの動向を全て把握しているぞ。現状ではあくまでもご機嫌取りのためだろうが、これが弱みを探るような真似をするようになれば……分かるよな。

 

 サトルもアイリスも言外にそう伝えに来たのだと、ジルクニフは察した。だからこその直談判なのだと。

 

 思い至ってしまったジルクニフは、慌てて件のメイドをすぐに王城へと呼び寄せた。彼女がどんな状況でそんな軽口を叩いたのかを聞き出した後、更に顔を青褪めさせた。通常なら聞ける筈もない陰口だと知ってしまったからこそ、ジルクニフの肝は冷えた。

 

 ───やはりこれはけん制! 今は恩義があるから他のメイドの件は見逃すが、今後も同じようであれば次はない! そう伝えたいのだ!

 

 だからこそ陰口なんてどうでもいい事情で、あの夫婦は直談判しに来たのだ。こちらが真意に気づくのであれば、そのままけん制になる。気づかない程愚かなのであれば、逆に利用すれば良い。そんな思惑があるとジルクニフは睨んだ。

 

 この直談判以降、ジルクニフは現在送り込んでいるメイドの件が発覚しなければあの夫婦をどうにか出来ないかを探るために、更に人員を増やすつもりであったがこれを凍結。陰口を叩いたメイドには、この一件を知る人物は少ない方が良い事から()()()()()

 

 ───法国に関しても、力技で解決できるところを遠回りな謀略を仕掛けて叩き潰そうとする。力に訴える手合いも出来るだろうが、それ以外も可能。ああ……悩ましい! あの夫婦の帝国への尽力は目覚ましいが、同時に俺の悩みを増やそうとする!! ……せめてあの二人が馬鹿なら利用できた……それかもう少し弱ければ!! せめてフールーダの数倍程度なら、ここまで悩まなくてもよかったものを……

 

 帝国皇帝ジルクニフ。彼の仕事は多忙であり、多岐に渡り……心の癒しがロクシーぐらいしかいない。彼の心が真に救われる日は多分、いつか、きっと……もしかしたら来るかもしれない。

 

 その日までは頑張れジルクニフ。その双腕と双肩に、この世界の未来が全て詰っているのだから。





ジルクニフ:アイリスの事が大分嫌い。欲を言えば利用し易そうなサトルだけ残して死んでくれないかなと淡い願いを抱いている
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