リ・エスティーゼ王国首都、王都リ・エスティーゼ。現在この都市は全くと言っていいほど活気が無い。
……活気が出る要因が一つもないのだから当たり前の話だ。なにせついこの間、王都の英雄的存在にして国王が持つ最強の懐刀。王国戦士長ガゼフが死亡した知らせが届いた直後に、今度は城塞都市エ・ランテルの陥落。そして国民人気の高かったラナー王女の消息不明。人望高いランポッサ三世から評判の悪いバルブロ第一王子への強制バトンタッチ。これでどうやって活気付けと言うのだろうか。
王都市民にとってガゼフは馴染み深い名であり、戦士団が野盗討伐後の凱旋などを目撃した市民も非常に多い。
平民出身にして、王の右腕として名を馳せる最強の戦士。ガゼフ自身はそれを笠に着て傲慢に振舞うような人物ではなく、一般庶民の中には直接助けられたり救われた人物も少なくない。
故に国民からの評価が高かったと言うのに、ガゼフは志半ばで斃れた。それだけでも悲報としか言えないのに、エ・ランテルが落ちたニュースが飛び込んで来たのだから、市民は驚かずにはいられない。
続いて市民の間に、冒険者を通してラナーが行方知れずになった情報が出回った。度を越した天上の美貌を持ち、平民相手でも分け隔てなく接する心優しい王女。彼女が王都から姿を消した事で、ガゼフ死亡により活気を失っていた王都の熱はさらに冷えた。
しかしここまではまだ本当の意味では、庶民には全く関係のない話。最後のバルブロが戴冠して王になった。これは直接市民へ大打撃を与えていた。
王となったバルブロは、まず奴隷制度を復活させた。
数年前に第三王女ラナーの手により廃止された奴隷制度。これの復活を彼は宣言したのだ。
なぜバルブロは一度は廃れたこの制度を復活させたのか。……答えは八本指にある。
───八本指。それは王国に巣食う裏組織であり、裏社会を牛耳る犯罪集団の名前だ。そんな八本指は権力者、つまり貴族に取り入っており、鼻薬を利かされた貴族達は彼らのために多数の便宜を図っている。
分かりやすいところで言えば、八本指の幹部メンバーが万が一捕縛されて牢に入れられたとしても、二日もあれば釈放される。下位の構成員であっても、特例として減刑されることも珍しくない。それだけ八本指の影響が王国……特に王都では強い。
そんな八本指に黄金の饅頭で餌付けされたのは貴族だけではない。現国王───バルブロも美味しい美味しい餌をちらつかされたら、機嫌よく尻尾をふる一人だ。
王となったバルブロに、早速八本指からの要請があったのだ。それが奴隷制度の復活要請だった。
要請主は八本指の奴隷売買部門長、アンペティフ・コッコドール。
ラナーが提案し、ランポッサが押し通した奴隷売買禁止法により苦々しい思いをしてきたコッコドール。あの忌々しい黄金の小娘がと恨んでいた彼だが、バルブロが王になり邪魔な第三王女が行方不明になった今、ここしかないとバルブロに奴隷制度復活を打診したのだ。
この要望をバルブロは快く受け入れた。
元々ラナーの事を頭の悪い妹だと思い込んでいたバルブロは、父が家族への愛からくだらない事をするものだと常々感じていた。
奴隷にされる人が可哀そうだから、禁止にしましょう。実にくだらないとバルブロは吐き捨てる。奴隷にされるのは平民共であり、バルブロからすれば岩の下を歩く虫と変わりない。王家と貴族を支える事ことだけが生存理由の平民共を、偲んで何になるのか。
「ふん! あのアホな妹の悪法など、俺の統治下で許すものか!!」
奴隷制度を復活させたところで、売買されるのは生活に苦しむ雑草共。王である俺には何の関係もない。
バルブロとしては幸いな事に、これに反対する意見は王城では出なかった。執務官や尚書達は、むしろ賛意を示した。彼らとしても奴隷制度が復活したところで、何も痛まないのだから反対する理由もない。その他の貴族にしても、むしろ物扱いが公然として許されるようになる奴隷制度には大賛成なのか、素晴らしい意見だと受け入れた。
……数少ない反対意見を持つ者もいたが、彼らは口を噤んだ。バルブロ政権の下で下手な言葉を放てば、自分達の立場が危うくなると知っていたからだ。
それと同時期に、バルブロと財務尚書はもう一つ新たな政策を打ち出した。これこそが王都から完全に活気と熱気を消滅させた要因。
税率の大幅な引き上げ……これにより王都市民の顔から笑顔は消えた。
重税を超えた重税としか言えない重すぎる税率。なぜそんな重税を課したかと言えば、単純に財政が非常に苦しいからだ。
元々王国の財政は、毎年行われる帝国との戦争による戦費に圧迫されていた。仮にあと数年戦争が続けば、それだけで干上がる程に追い詰められていたのだ。そこに加えて、王家直轄領地のエ・ランテル陥落。
城塞都市エ・ランテルは王国一の経済都市だ。その上前線基地として、大量の物資があの年には運び込まれ貯蓄されていた。その全てを王国は失ったのだ。無能な貴族は王家の土地なのだから、自分たちには直接の関係はないと静観を決め込もうとしているが、あの都市を失った痛手は自分たちにも振り撒かれると想像すらしていない。
ともかくだ。
今まではどうにか民のためにと、ランポッサが王室の予算まで削りどうにかやりくりしてきた。しかしバルブロが自らの懐を痛めてまで、民を想うかと言えばそんな事はない。財務尚書も別に民想いではないので、容赦なく庶民に圧政を強いる。そうしなければ財政の都合がつかないのだから、負債は全て市民に背負わせるだけ。
無論そんなものを背負わされる一般庶民としては堪ったものではない。ランポッサ統治下時代でも、ギリギリの生活をしていた者は大勢いる。そんなところに重税を課されてしまえば、餓死者が続出してもおかしくはない。追い詰められた庶民は冒険者になるか、犯罪者になるか。どちらを選ぶにしても、明るい未来ではない。
犯罪者になったとしても、大多数は捕まった後奴隷に落ちるか、さもなくば八本指の使い捨ての駒として弄ばれるだけ。
冒険者になったとしても、大半はモンスターに殺されるのが関の山。
王都市民の生活は、貴族や上位の冒険者を除き日毎に悪くなるばかり。せめてラナーではなく、バルブロがエ・ランテルで命を落としていれば……しかしそれは既に過去。戻らない過去でしかなく、良識のある貴族や国を良くしたいと考えていた第2王子ザナックは、命の保身からバルブロ政権への口出しを必要以上にはしない。
……生活を切り詰めざるを得なくなった市民は、復活した奴隷制度を活用し始める。自分の娘を違法娼館に売る親が出始めたのだ。今までなら奴隷制度廃止があるため、諸手を振ってその手の人身売買を娼館は出来なかったが、国王からお墨付きを与えられたなら話が違う。
容赦なく商品として、若い女が違法娼館───コッコドールが経営するそこに集められ始めたのだ。その結果、一つの悲劇が王都の裏路地で繰り広げられていた。
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元々薄暗い場所であり、真っ当な人間はまず出歩かないような治安の悪い地域にその娼館は建てられている。
頑丈だと一目で分かる分厚い金属の扉───外からは入りにくく、中からは簡単に脱出できないように設計された───が建具として備え付けられており、そこが開いて一人の男がズタ袋を肩に担いで外に出てくる。
男はゴミでも捨てるように、そのズタ袋を狭い裏路地に投げ捨てた。
湿った肉が地面に叩きつけられる音が路地に響く。袋の中身が僅かに動き形を変える。男はそれを冷めた目で見た後、建物に引っ込み金属の扉は軋む音と共に閉じられる。
男は消え、残されたのは何かが入った袋一つ。その中身は少しずつ動き、自力で袋から出てくる。
出てきたのは若い女性……だったものだ。
全身が殴りつけられたかのように内出血しており、肌は水気を無くし枯れ木のようになっている。髪は栄養が全く足りておらずボサボサに広がり幽鬼のような有様だ。
目は強く殴られたのか陥没しており、ドロリとした液体が零れ落ち……内出血とは違う痣。性病の斑点が全身を蝕んでいる。
これを見て人間だと思うものは少ない。大き目のゴブリンか、人間に似たグールとでも思うのが関の山だろう。
女性は全身が壊れた痛みに苛まれる中、残った力で立ち上がろうとするが……倒れる。彼女は痛みが麻痺しているせいで気づいていないが、足の腱が逃走防止用に断たれているのだ。
倒れた際の衝撃で残っていた僅かな体力も使い切ったのか、女性はもう立ち上がらない。仰向けに倒れた彼女は、残っている片方の目で空を見つめる。
夕刻も過ぎ暗くなりつつある空。久方ぶりに眺める空に、ほんの少しだけ彼女の心は救われる。何か月振りの夜空だろうかと彼女は記憶を掘り返すが、そもそもこんな穏やかな気持ちで空を見れたこと自体が小さな頃以来だと気づく。同時に自分の命はそう長くないのだとも気づく。自分の鼓動が弱くなっている。それに気づいてしまったのだ。
違法娼館で嗜虐趣味を持つ男性達から、音のなる玩具として扱われた。まともな食事も取らされず、昼夜問わず欲の対象として命をすり減らされる毎日。
時には魔物───例えばスライム。人間の神経を削るかのような薬を作り出すスライムの中に、全身を浸からされた事すらある。そして性病による体の破壊。
あらゆる要素が女性の肉体を壊してしまっていた。それを見たコッコドールはこう判断したのだ。
これはもういらない。壊れた道具だ。
だから道端に捨てられた。これが以前までのリ・エスティーゼであれば、貴重な道具として女性は神殿に連れて行って貰えたかもしれない。しかし奴隷制度が復活し、幾らでも替えが効くようになった今。……壊れた玩具に固執する必要がなくなってしまった。
人間の壊し方を熟知した八本指が、もう使えないと判断した。だからもう……この女性は自力では絶対に助からない。命の火は消えかけている。
しかしながら、死の間際にいるのにこの女性の心は状況に似つかわしくないほどに澄んでいた。自分は捨てられたのだと理解して……もう苦しい思いをしなくて済むのだと。そう心から思えてしまったから……
彼女───ツアレニーニャ・ベイロンは最後の時間をかつての思い出を振り返ることに使う。それは楽しかった時間の数々。違法娼館のツアレではなく、村娘のツアレだった頃のアルバム。
両親がいて、大切な妹がいた時間。決して楽な生活ではなかったが、それでも後の事を考慮すれば……あの時間こそがツアレの人生で一番楽しかった時間だった。
しかしその生活はある日壊れた。可愛らしく綺麗だったツアレは、その地域の領主により誘拐と言っても差し支えない形で妾にされた。
そこからの日々は地獄としか言えない。まだ幼いツアレに領主は欲望の限りをぶちまけた。これが貴族の娘であり、正式に側室に入った者相手であれば絶対にできないような扱いをツアレはされたのだ。
無理やり攫われ、何の後ろ盾もない元村娘など家畜と変わらない。心身にそう覚えこまされるまで、ツアレは自分の体を使われた。嫌だと言えば殴られ、拘束されてひたすら声を上げさせられた。それでも……八本指の娼館に売られた後に比べれば、まだまだぬるま湯ではあった。
ある日領主はツアレに飽きた。成長して幼い体から、女性らしい体つきになった彼女はいらないと捨てたのだ。
それだけならば村に戻せばいいものを、領主は小金欲しさに彼女を八本指に売り払ったのだ。
そこからが本当の地獄の始まりだった。まだ領主はツアレを人間扱いしていた。そう感じさせるほどの壮絶な扱い。違法娼館に訪れる客など、誰一人女を人間としては思わない。人道などなく畜生達の群れに、お前は道具だと覚えこまされた。
時には寝ることを許されなくなったツアレは、壮絶な眠気に頭が壊れるのではと思うほどの恐怖の中、強烈な麻薬で無理やり意識を覚醒させられて奉仕させられる。生活のどこにも救いはなく、彼女を救ってくれる救世主も現れない。
そんな日々も彼女が致命的に壊れたことで終わった。辺りは暗くなる闇に呑まれる中、ツアレの意識も同じく闇の引きずり込まれていく。
それにツアレは安堵を覚える。これ以上苦しまなくてもいい。死なる慈悲が彼女を救ってくれる。だからその瞬間を待つまでの間、もう一度村の生活を思い出す。
思い出の中で妹が笑っている。自分に手を引かれた妹───セリーシア・ベイロンが笑いかけてくれている。
───元気かな……あの子……
遠く離れた妹に思いを馳せる。自分の人生───ツアレニーニャの人生はここで終わる。楽しいことなんて僅かにしかなかった、泥沼のような人生。だからせめてもと祈る。自分の肥溜めのような人生の代わりに、せめてあの子には幸福な生活を。
そう願いながらツアレの意識はぼんやりとした薄膜に包まれていく。意識とは裏腹に、体はまだ生きたいと虚空を掻き毟るが、その手はどこにも届かない。誰にも掴まれない。
……ここに老紳士はいない。彼女を救ってくれたかもしれない彼は、遠い地球で電子の海へと還った。第三王女に仕えた正義感の強い少年兵もいない。彼は城塞都市で王女と共に、その命を散らした。民を救わんと剣を振るえた王国最強の戦士も、王都から離れた遠い村で法国の謀略により葬られた。
もしかしたら救えたかもしれない怪物二人は王国にいない。
仮に……仮に誰かがここに通りかかったとしても、面倒ごとは御免だと見て見ぬふりをするだろう。重税により生活に余裕が無くなった中、誰かの面倒を見れるほど王都市民に余裕はない。
だから彼女は救われない。ツアレの人生は今日ここで終わる。
それでもツアレの心に恐怖はない。ようやく苦しさや辛さ、何もかもから解放される安堵だけが心を支配する。
───もう一度だけ……あの子に会いたかったな……
僅かな後悔に片目から涙を零し、ツアレの手が力を無くして地面に落ちる。
泣き叫ぶほどの力もなく。体を動かすほどの余力すらなく。最後に力強く一呼吸して……ツアレの心臓が動きを止める。
闇に包まれた路地裏で、性病に侵された娼婦が一人亡くなった。そんな風に書類上は処理されて、王都ではありふれた死体の一つとして、彼女の亡骸は回収され集団墓地に埋葬される。
誰にも看取られる事なく……誰にも惜しまれる事もない。そんな風に最期を迎えたのであった。
ツアレニーニャ:せめて妹と安らかに……