皇城で一夜を過ごすといい。
ジルクニフの勧めにアイリスとサトルは従う事にした。応接室を出た二人は付き人として選ばれたメイドにより、とある場所へと連れていかれる。案内されたのは、皇城敷地内の貴賓館にある客室の一室だ。地球でサトルが住んでいたのは集合住宅であり、広さは1LDKしかなかった。それと比べるとなんとも馬鹿広い。
あまりにも広すぎて、サトルには少々落ち着かない。ウサギ小屋のような部屋から、富裕層が止まるようなホテルのスイートルームの如き部屋に通されたのだから仕方ないが。
「お着換え完了なのです」
白い祭服から、第七位階魔法<上位道具創造>で創り出した村娘風の服にアイリスは着替える。サトルも金と青が刺繍されたフード付きの黒いローブを脱ぎ、シャツにベストに皮ベルト付き黒パンツの若旦那スタイルに切り替えている。なお彼の服もアイリスの<上位道具創造>で創り出した物だ。サトルも<上位道具創造>を使えるのだが、彼の魔法では布やクッションのような柔らかい物体は作り出せない。アイリスが布系創造を可能とするのは、コスプレをするとサトルが喜ぶからと登録していたおかげだ。
「指輪も交換しておくか」
両者とも10本の指全てに嵌めていた指輪を取り外し、インベントリに入れておく。その代わりに取りだしたのは探知阻害の指輪を一つ。それをお互いの左手の薬指に嵌めておく。
わざわざ二人が
「御二方の服装ですが、如何せん目立ちすぎるかと。私でも思わず欲しいと思ってしまうほどです。もし不用意に人に見せびらかすと、それだけで妬まれたり狙われるかもしれません」
皇帝がそこまで言うほどなのかと疑問に思い、サトルはジルクニフの許可を貰ったうえで彼の法衣に<上位道具鑑定>を使って見たのだが───
(え? うわしょぼ……いやいや駄目だぞ俺! エーテル装備はチートで造った装備なんだから、それと比較するなんでずるいんだからな……それにしても低品質ではあるが……)
一国の皇帝が身に着けている衣服なのだから、相当良い品質だと思っていたサトルだが、魔法による鑑定結果は『ユグドラシル』のアイテムランク判定で言えば中級から最上級程度。ゲームを始めて2週間そこらの初心者が使うようなアイテム品質であり、1ヵ月も経つ頃には大抵のプレイヤーは上位ランクの遺産級や聖遺物級に切り替えていく。
つまるところ、申し訳ないがサトルの率直な感想はとてもショボいになってしまう……流石にそれを口にする気はサトルにないが。
ともあれ皇帝ですら、プレイヤー基準ではその程度としか思えない品質の装備を身に着けているのが実情だ。そこに世界級品質の装備を纏った二人組。サトルがやったように鑑定系の魔法を使わない限りは発覚しないだろうが、もしバレたりすれば面倒になる。
そんな事情からのお着換えである。幸いにも二人には世界級エネミー、ゲーム内最強レイドボス由来の超高ステータスや、馬鹿げた物理・魔法耐性が備わっている。世界級装備を身に着けていなくとも、世界の守りと言う特殊なバフ効果も発動している。仮にエーテル製の防具や武器を装備していなくとも、外部からの干渉は殆どをシャットアウト可能だった。だからこそ無用なトラブル避けのために、着替えるのには抵抗もなかった。
着替え終わった二人は、メイドを呼び彼女の案内で貴賓館の食堂を目指す。荷物を持っているように見えなかったサトルとアイリスが着替えている事に疑問を持つメイドだが、それを殊更指摘はしない。良きメイドとは必要以上に首を突っ込まないのだ。
さて……二人が食堂に向かうのは、当然食事を取るためである。
サトルは見た目人間だが、種族としてはアンデッドであり本来なら飲食不要。アイリスは人間種なので飲食をしないと疲弊するが、幸いな事に彼女はなぜか腹が減らないらしい。
「世界級エネミーには飢餓デバフ無効のパッシブスキルがあるので、それのせいです」
……他にも老化デバフ無効などもあるので、年も取らない筈とはアイリス談。つまり彼女は不老になっているのだ。
その事がサトルはとても嬉しかった。『ユグドラシル』におけるアンデッドは、フレーバーテキストとして不老の存在。つまりサトルも年をこれ以上重ねる事はない。これでアイリスだけ人間種として年を取るのであれば、いつか彼女は老衰で亡くなる。それを想像するとサトルは恐ろしくなる。どことも知れぬ世界でたった一人になってしまう。それほど怖い事があるだろうか。
そんな悩みが一つ解消したのだから、これほど嬉しい事はないだろう。
貴賓館の食堂に案内されたサトルだが、部屋の豪勢さに思わず目を見開いてしまう。サトルの知る食堂とはナザリックの食堂だが、あそこはギルドメンバー全員があまり興味がなかったのか些か殺風景だった。それと比較すると、マジックアイテムのシャンデリアがキラキラと輝き赤茶色の壁を照らし、真っ白なレースカーテンの窓などで彩られた食堂は異世界と言っても過言ではない。
食事を取る必要がないとはいえ、取らなければ不自然に思われる。飲食不要の肉体に食物を取り込んだら、体がどんな反応をするのか分からないが、良い機会なので実験がてら皇城の食事とやらをサトルは頂くことにする。
どんな食べ物が好みなのかは事前にメイドに問われていたが、サトルは食事に興味がない。地球時代の彼の食事とは良く分からない材料のチューブを啜り、ビタミン剤を胃に放り込む作業だ。
なので何でもいいと返そうとしたが、それでは逆に失礼かと思ったのでアイリスに決めて貰う事にした。彼女であれば何かいい感じに決めてくれるだろうと。
「ポジティブ。承知したのですよ!」
そこからどんな食事文化があるのかを聞き出したアイリスは、食事の量などを事細かにメイドに伝えていた。
席に着いた二人の前に、まず食前酒が用意される。それを興味なさげに口に含んだサトルは驚愕。地球時代にもアルコールを口にする機会はあったが、その時に飲んだのは全て化学薬品を煮詰めたかのような酷い味で何度も辟易したのだが……白ワインらしき食前酒はすっきりとした甘さで、喉を抵抗なく滑り落ちていく。
食になど興味はなかった。しかしこの食前酒により、サトルの魂に一気に火が付いた。アイリスを見れば、彼女も肉体を得て初めての食事に若干興奮している。
そこから運ばれてきたのはオードブルにスープ。白パンに魚料理。一度口直しに甘い果実を口にしたら、メインの肉料理。
食事のマナー形態がこの国とは違うと予め伝えておいたので、フォークやナイフの使い方に慣れない二人に控えていたメイドは何も言わない。出来るメイドとは客人の不手際に目を瞑るのも必須技能なのだ。
サトルもアイリスも素晴らしいコース料理に口が喜び、舌が口内で踊る。地球では味わえなかった美食が齎す、あまりの上手さにサトルは思わず涙が流れそうになるが、流石にそれは不味いとなんとか堪える。
それにメイドは気づいていたが、口出しはしない。優秀なメイドとは、時には客人の心情を察すのが仕事なのだ。
満腹になった……飲食不要なのに満腹にはなるんだなと、サトルは思ったがそれは脳の片隅に置いておく。今感じるべきなのは、異世界転移して初めて幸福を学べたと言う事だ。
夕食を取り終わった二人は、メイドから湯浴みをしてはどうかと勧められた。
(浴場があるのか? ……お風呂なんてスチームバスしか知らないから興味あるな)
サトルが住んでいた地球は大規模環境汚染により、水源が殆ど死滅していたことから風呂文化が死滅していた。庶民は僅かな水を蒸気に変えてバス内をサウナのようにし、そこで体を擦って垢を取るのが一般的だ。
それに対してこの世界の浴場とはどんな場所なのか。そんなの……興味があるに決まっている。
「是非案内をお願いしたいですね」
サトルの言葉にアイリスも「ポジティブ」と返答。不思議な回答だが、口は挟まない。出来たメイドとはどんな口調にでも対応できるのだ。
二人が案内されたのは少し広い、石造りの浴室だった。20人ぐらいが同時に使っても問題ないだろう。
「ここって男女はどこで別れるのですか?」
メイドにそうサトルは聞いてみたのだが、返ってきた答えは混浴だった。サトルは絶句するが、メイドは何をそんなに驚いているのだろうと不思議がる。
サトルとアイリスは夫婦。そんな間柄の男女が混浴したとして、何か問題があるのだろうか。貴賓館を使うのは主に貴族だが、彼らは大抵お気に入りの側室を連れてくる。そんな時に浴室でやることをやるのも珍しくない。有能な貴族であれば、多少羽目を外してもジルクニフは何も言わない。
「まぁ……ほどほどにな」
言及してもそれくらいだ。翻ってみればサトルとアイリスは美男美女の夫婦なのだ。それが同じ浴室に入ったとて、何の問題があるのだろうか……そこまで考えたところで、メイドは相手が違う文化で育ったのを思い出す。もしかして自分は何か不味い提案をしたのではないかと。それはまずい。メイド失格だ。出来るメイドではない。かくなる上は指を詰めて詫びるしか……
「大丈夫なのですよ! 私たちは混浴でも全然問題ありませんよ!!」
その心情を読み取ったアイリスが即座に、メイドの提案を肯定する。サトルはギョッとしているが、メイドはホッと一息ついている。自分の出来るメイド像は守られたのだ。
「ではごゆっくりおくつろぎください」
そう言い残してメイドは去っていく。男女の間を邪魔はしない。それが出来るメイドなのだから。
取り残されたサトルは「混浴……マジか……」と呟く。異世界初日からアイリスと同じ風呂に入るなど、あまりにも難易度の高いミッションである。流石に彼女も嫌がるだろうとサトルは思ったのだが───
「オーナーは服を脱がないのですか?」
「ぶぅおぉおおお!!」
アイリスは既にショーツ一枚だけになっていた。思わず吹き出すサトル。自らの眼を覆ってしまう。
「アイリス! なにやってるんだ!!」
「何って……これから湯浴みをするのですから、服を脱いだのですよ? オーナーは脱がないのですか? 着たまま入ると、纏わりついて気持ち悪いとおもうのですが……」
「え!? マジで一緒に入るつもりなのか! こういうのって、普通女の子の方が嫌がるもんじゃないの!?」
「ポジティブ。確かにアイリスも羞恥があります。男性に見られるのは恥ずかしいですよ? でもでも、オーナーであれば何の問題もないのです! だってオーナーはアイリスの告白に応えてくださいました! ならアイリスの一糸纏わぬ姿を見る権利があるのですよ」
アイリスの言葉に一瞬サトルは頷きそうになるが、告白されたのは数時間前の話。そこから裸を見るところまで行くのは、幾ら何でも早すぎるだろうとサトルは思ったのだが───
「ほらほら、そんなに目を覆っていても時間が勿体ないのですよ」
アイリスに腕を握られた途端、サトルの力が抜ける。どうやったのかは分からないが、何かしらの技を使われた事だけは理解出来た。
「うっ……」
これまたどうやっているのか分からないが、なぜかサトルは目を瞑る事が出来ない。彼の眼に飛び込んできたのは……豊満であった。サトル好みの豊かな大地。地母神を思わせる体付きのアイリスがそこにはいた。
AIにちなんでIカップに調整したと言う胸は、ゆっさゆっさと言う言葉が似あってしまう。デカくて凄い。肌には染みや黒子すら見当たらず、作り物めいた芸術品。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる素晴らしいプロポーション。
思わずサトルは唾を呑み込む。視覚に対する暴力に目を奪われてしまう。一度見たら最後、もう一度目を瞑る気にはなれない。覆う気にもなれない。ずっと見ていたいと思う美術品がそこにはあった。
そして───
「いい湯なのです」
「そう……だな」
広めの石で出来た浴槽に、アイリスと二人で仲良くサトルは浸かっている。シャンプーなどはないが<清潔>の魔法が籠められた布が置かれており、それで髪や体を拭いて汚れを取るようだ。ただしサトルはアンデッドであるから老廃物は出ず、アイリスも世界級エネミーのパッシブスキルの複合効果により汗や髪の油は出ないので、髪に付いた埃取りに使っただけだが。
温かいお湯に全身を浸す感触に、サトルは感動していた。スチームバスとは全く違う。これが風呂なのかと。大量の水を使い捨てるなど地球ではありえなかった。だからこその感動だ。日本人の魂にはきっと入浴に対する愛が刻まれている。そうサトルは考えていた。考える事で───それを思考からとにかく追い出そうとする。
(本当にデカいな……これが、Iカップ! アーコロジーの中だと、整形技術による肉体改造でこの程度珍しくもないらしいけど……)
脳から追い出そうとしたがサトルには無理だった。一緒に浸かるアイリスの豊かな胸、それはサトルの好みに合致する。映像や画像で見た事はあっても、生で見た事など一度もない。なのに初めて肉眼で見る胸が、たゆんとかたぷんと言う擬音でも出ていそうなサイズなので。これから視線を外すなどサトルには出来ない。彼にだって男の本能があるのだ……自分の体はアンデッドであり、肉の部分は外装に過ぎないが……それがちゃんと機能する事にサトルは驚く。
体の一部が彼の意思を無視して力を蓄えているのだ。本能によるものなので、体の意思は無視してないからやっぱり彼の意思かもしれない。雄々しく力を誇示するそれに、自分の体なのに現金過ぎるとサトルは顔から火が出そうになる。
しかしいつまでもアイリスの裸身観察をしていても仕方がない。せっかくこうやって二人きりになれたのだから、サトルはアイリスに一つ考えていた事を伝える。一応念のため、盗聴などがされていないかだけ確認してから口を開く。
「なぁ、アイリス。これからの事なんだけどな……エル=ニクス陛下の下で魔法詠唱者として、働く事になるじゃないか。それなんだが……世界級エネミーの力に関しては伏せておかないか?」
「ポジティブですよ。オーナーは切り札として温存したいのですね?」
「───そうだ。第十位階ってだけで陛下が俺たちを特別扱いしようとしてくれたってことは、それだけこの世界では高位階の魔法を使える奴が貴重って事だろ? あの御爺さん……パラダインさんは特殊な力で俺たちを見ただけで、土下座するぐらいの反応をしたんだ。もし十よりも上の力がある事がバレたりしたら、陛下にも怖がられると思うんだ」
「ポジティブ。きっとみんな怖くて引いちゃうのです」
「だろ? それに存在Xに対しては無力かもしれないが、それ以外には有効かもしれない。なら手札は温存しておきたい」
それはサトルの根っこに染み付いたPVPの考え方。情報を制する者が勝利する。本当はこの世界での高位階魔法の貴重さを事前に知っていたら、十位階を使える事も秘匿しただろうが……バレた事が却って好待遇に繋がったのだから結果オーライだ。
しかしその上の力……世界級エネミーの力に関してはフールーダにも見えなかったらしい。ならばそちらはいざと言う時のためにサトルは置いておきたい。幸いにも世界級エネミーの力は日常生活で便利に使える物が少ないので、封印しても問題ない。レイドボスとして設定されていた事もあり、<清潔>や<水生成>のような魔法などは設定されていなかった。
そこからアイリスと打ち合わせて、不意打ちに対する対策として防御系のパッシブスキルや無効化耐性などをそのままにして、HPとMPを除くステータス増加スキルや攻撃スキルを全てオフにする。世界級エネミーの能力で普段使っていいのも、便利に使用できそうなお供召喚系や側から見ても分からない耐性貫通付与効果などに限定する事にした。
打ち合わせはそこそこに、ゆっくりと入浴を済ませてから二人は部屋へと戻る。
そこでサトルはそれに気づいてしまった。
(この部屋……ベッドが一つしかない!)
側室を連れてくる貴族向けの客室と言う事もあり、寝具が一つしかないのだ。二人どころか四人ぐらい寝転んでも問題ないサイズではあるが……そんなことはサトルの動揺を抑える薬にはならない。
(まさか……アイリスと一緒に寝るのか!? 数時間前に告白したばっかりで! その日の晩が同衾!)
サトルは童貞。そんな彼に女の子と……それも好きだと自覚した子と寝るなどハードルは非常に高い。夫婦なのだからとジルクニフが気を利かせたのだが、それが逆にサトルを追い詰める。
(いや、待てよ。そもそも俺は睡眠無効のアンデッド。なら別に寝る必要なんてないんじゃないか? ……そうだ。何か別の事をして夜を過ごせばいいんじゃないか!)
バスローブに着替えていたサトルは、同じくバスローブ姿のアイリスは見ないようにする。彼女の方を見ると、ついついうなじやローブを盛り上げている胸に目がいってしまう。これ以上そちらに注目すると、理性が持ちそうになかった。
「オーナー。何をされているのですか?」
「これかい? インベントリの中身をチェックしているんだ。何を入れていたのかまるで覚えてないからね」
アイリスの方は見ないようにしながら、サトルは四次元空間のようになっているインベントリから次々とアイテムを取り出していく。課金により拡張されたアイテムボックスには、雑多に道具や装備が詰め込まれている。コレクター気質の彼は捨てられないタイプなので、どうでもいいアイテムですら大事に保管していた。
「それでしたらアイリスが分かりますよ! オーナーのアイテムボックスには───」
スラスラと中身を答えていくアイリス。まさかの記憶力に驚くと同時に、夜の時間を潰す手段が一つ消えてしまった事にサトルは愕然とする。
答え終わったところで、アイリスはベッドに移動してサトルを手招きする。その意味が分からないサトルではない。
「オーナー! 一緒に寝ましょう! 地球で使っていた寝具とは別物ですよ!」
それは分かっている。分かっているが……抗わなければいけないとサトルは踏みとどまりそうになるが……駄目だった。誘蛾灯に惹かれる虫の如く、体が自然とアイリスに引き寄せられる。
ベッドの縁に座るアイリスの隣にサトルも座る。会話もなく。ただ時間が過ぎるだけ。どれほどそうしていただろうか。サトルの腕にアイリスが頭を預けてくる。
「───しないのですか?」
短い言葉。動いていない筈の心臓がサトルの胸で爆ぜる。何をするのかとは問わない。サトルは童貞ではあるが、知識がないわけではない。彼はちゃんと理解している。誘われているのだと。
その誘いにどうしたものかとサトルは思案する。アイリスから告白して、サトルはそれを受けた。愛する男女なのだから、いずれはそういう事もするだろう。だが異世界生活初日から男女の営みに励む。それは良いのだろうかと。それに───
(ウルベルトさんは俺を信じてアイリスを託してくれた。そんな希望の花を……俺なんかが散らしていいのか?)
友への迷い。自己評価の低さ。それがサトルの雄の本能を縛り付ける。アイリスの誘いに応じていいのか……それが分からなかった。しかし彼女をいつまでも待たせるのは、駄目だと。そう思ったからこそ、サトルは自分の胸中を明かす。
「───ウルベルトの想いをこの手に携えて、アイリスはオーナーの下に来ました。それをオーナーが尊重してくれるのは、とても嬉しいです。でも……アイリスはアイリスです。ウルベルトではありません。ウルベルトとアイリスは別個体。ウルベルトへの想いで……アイリスにどうするのかを決められるのは……大好きなオーナーでも困るのですよ」
元ギルドメンバーのウルベルトと、ここにいるアイリスはどこまで行っても別人。彼に悪いから欲望に流されてはいけないと戒められても、誘っているのは彼女なのだ。アイリスが好みじゃないから。そんな気分じゃないから。それならまだ理解できるが……もう会えない彼への誓いでアイリスを抱いたりしないと誓われたら、一生そんな事は出来なくなってしまう。それは寂しいとアイリスは訴えているのだ。ウルベルトの方を見るだけで、アイリスは見ていない。そんなのは、とても悲しいと。
「そうか……それは分かった。ならさ……どうしてここまで急くんだい? 例えばもっと恋人とか夫婦らしい事をしてから、事に及んでも良いと思うんだが……」
「ふふ……アイリスとオーナーはほぼ毎日、『ユグドラシル』でデートしていたのですよ? その期間は一年以上。男性と女性が行為に及ぶまでの時間としては十分なのですよ。それに……オーナーとアイリスは明日を生きているのか分かりません。実体化をした体が、明日も同じである保証はどこにもない。あるいは存在Xが今にも現れて、アイリスやオーナーの御命を奪うかもしれない……時間を置いて大丈夫。そんな根拠が……ないんです」
「あ……」
それを聞いてサトルは失念していたと思い至る。皇帝であるジルクニフからスカウトを受けた事で……異世界での就職先が決まった事で安心していたが、自分達は5分後生きているかどうかも分からない身なのだ。明日どころか、今日を生き延びられるかも分からない。そんな不安定な立場なのだ。
「あるいは誰かに無理やりアイリスは手籠めにされるかもしれません。十位階の魔法にジルクニフは興味を示してくれましたが……魔法とは別の技術がこの世界にあり、その力でアイリスを無理矢理洗脳したりできるかもしれない」
アイリスが洗脳されるかもしれない。それを聞いた瞬間にサトルは自分が甘い考えを持っていたのだとようやく理解する。異世界なのだから、未知の技術があってもおかしくはない。大丈夫だと安心したら、足元をひっくり返される。その可能性は十分に高い。
「お城の兵士達の反応からして、アイリスの容姿は彼らにとって、とても魅力的に映っていると思います。皇帝であるジルクニフが直々にスカウトした魔法詠唱者である以上、そんな真似はしないでしょうが……この国の外にいる男性はどうか分かりません。それこそ力づくでアイリスの純潔を奪いにくるかもしれない」
サトルの脳裏に描かれるのは、地面に押し倒されたアイリスが手足を抑えられて……それを想像した瞬間、サトルの思考が掻き回されそうになる。人間の思考が地球人と変わらないのであれば、その可能性はあり得てしまう。そんな事件のニュースは幾らでも流されていた。
「そうなる前に……アイリスの初めてはオーナーに貰って欲しいんです。こうやって一緒に寝る時間がある内に……そしてアイリス自身の欲を言うのであれば……オーナーの初めての相手は……私がいい」
それがアイリスの本心だった。チートプログラムによる無敵状態ならまだしも、今のアイリスは世界級エネミー16体分程度の力しかない。チートプログラム───ワールドスキルの組み込みが完了していたら、数百光年を消し炭に変えられるだけの力を手に入れていた。それに比べたらなんともこじんまりとした力だ。そんな不安を抱えているからこそ、権力者でありなおかつその性質が信用できると踏んだジルクニフがスカウトに動くように、アイリスは蘇生魔法の情報を渡した。ああ言えば、実力主義の傾向が見える皇帝なら確実にサトルと自分を保護しようと動くと。
その言葉を聞いてサトルはアイリスも不安なのだとようやく分かった。サトルがアイリスの不老を喜んだのは、異世界で一人取り残されると恐怖してそれが解消されたから。それと同じで、アイリスにはサトルしか知り合いがいないのだ。
だからこその不安を……抱きしめたりして解消して欲しい。そういう事なのだとサトルは魂で理解した。だから───
(ごめんなさいウルベルトさん……俺は貴方が喜ぶのか悲しむのか分かりません。それでも……アイリスを守るなら、彼女の心も守りたい。もしそれが不満なのであれば……いつか俺を殴りに来てください。いつでもその拳を受けて立ちます)
覚悟を決めたサトルは一度目を閉じてから、再度開く。自分の腕に頭を乗せていたアイリスの肩に手を回し、力強く引き寄せる。
「先に言っておくが……アイリスが言うように俺も初めてだから。上手くできるかは自信がない。それだけは先に言っておくぞ」
「ポジティブ。アイリスも知識はありますが、肉体を持ったのはこれが初めてなのです。だから上手くオーナーに喜んで頂けるかはなんとも。───そんな女ですが……初めてに選んで頂けますか?」
「───当たり前だろ。アイリスじゃなければ、抱く気になんてなるものか」
サトルは引き寄せたアイリスの顔に、自分の顔を近づける。
主従二人の異世界初夜。二人が同衾に至ったのはなんとも後ろ向きな理由ではあるが……途中から二人ともそんな事は頭から飛んだのか、お互い初めてなのに激しく求めあう。こうして時空転移に巻き込まれた主従の一日目は終わりを迎えるのであった