リスタート外伝 バハルス帝国二人旅   作:リセット

43 / 90
世界で唯一の── 前編

 それは熊に似た生物だった。全体のフォルムはどこにでもいる、ずんぐりとした熊のそれ。

 

 しかしエイヴァーシャ大森林に住む熊は、勿論ただの熊ではない。モンスターだ。

 

  連甲熊(アンキロウルスス)。四本の前足を持ち、全身をうろこ状の鎧とでも呼ぶべき毛皮に覆われた恐ろしい魔獣だ。

 

 この魔獣は非常に強い縄張り意識を持ち、自分のテリトリーに部外者が踏み入ることを絶対に許さない。そしてとあるアンキロウルススも同様の性質を持つ魔獣だった。

 

 それは通常のアンキロウルススよりも、二回りは巨体。王種(ロード)と呼称される特別な個体だ。

 

 このロードは特殊な能力は持たないが、巨体から繰り出される膂力と鋭い爪やハンマーのような尾だけで大抵の相手を叩き潰し破壊できる力を持つ。仮に人間種の英雄級が相手でも勝ち得る怪物。それがこのロードなのだ。

 

 そんなロードはとある場所に向かって歩いていた。ふごふごと大気を震わせる重低音を喉から鳴らし、地面に足跡をつけながら歩く姿は鎧のような毛皮と相まって重戦車にも見える。

 

 ロードが目指すのは縄張りに侵入した匂いの元だ。森の中では嗅いだことのない匂いであり、もし地球人にその匂いを嗅がせたら、桃やココナッツの匂いだと言うだろう。

 

 そんな謎の匂いに敏感に気づいたロードは、排除するべく目的地へと急行する。ロードは腹は減っていないが、自分の縄張りに入った獲物を逃すつもりはない。殺した後土にでも埋めて、後で掘り返して食せばいい。

 

 それがこのロードの日常生活。大森林の食物連鎖の頂点側に立つ魔獣にとって、大半の生物は狩る獲物に過ぎず、恐れるものは殆どない。だから今日もいつもと同じように、獲物を狩って、殺して、食い尽くす。それこそが自分に許された特権なのだと、ロードであるアンキロウルススは自覚している。

 

 目的に近づけば近づくほど匂いは強くなっていく。ある程度近づいたところで、アンキロウルススが唯一使える魔法<芳香>で体臭を消す。これで獲物の鼻が良かったとしても、ロードを感知できないようになる。

 

 そして獲物が見えた。それはロードに比べて非常に小さく、小柄な獲物だった。あまり食い応えが無さそうな薄い肉付きをしている。

 

 ロードはそれと同じ生物を何度かこの森で見かけた事があり、今までにも何度か口にしたことがある。足が遅くて力も弱い簡単に狩れる獲物だ。

 

 それはこちらに気づいていないのか振り返りもしない。道端に蹲り何かを集めている最中だった。

 

 好都合だとロードは嗤う。簡単に狩れる獲物の癖に警戒心が薄い生き物だと内心嘲笑する。

 

 今までは音を立てないようゆっくりと歩いていたが、獲物の足が遅いのであればこれ以上隠す必要も無い。一気に接敵して、いつも通りに威嚇の咆哮を仕掛ける。これだけでこの獲物達は動けなくなるか、慌てふためいて逃げ出すのだ。それをゆっくりといたぶり、己の縄張りに入った事を後悔させながら食する。それが堪らなくロードは好きだった。生き甲斐の一つと言ってもいい。

 

 さぁ脅えろ。逃げろ。後ろから追いかけ足を折り、絶望の顔を───

 

「おー……大きな熊さんなのですよ」

 

 獲物は逃げない。何か鳴き声を発しているが、その意味はロードには不明だ。しかし意味が分からないだけで、その鳴き声に不安や恐怖が一つもない事だけは理解できる。

 

 少々不愉快な気持ちにロードはなる。生を諦めて弛緩した肉が一番美味いのに、その反応が一切見られないのだから不愉快にもなろう。

 

 ロードは苛つきと共に立ち上がり、獲物の足を折るために前足を勢いよく振り───

 

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

「オーナー! 今日の晩御飯は熊肉なのですよ!!」

「……熊?」

 

 グリーンシークレットハウスで一夜を過ごす事に決めたサトル主従。彼らは今日の晩御飯を作るにあたり、せっかくだから大森林で取れる食材を使ってみようと決め、手分けして野草や茸や木の実などを集めていた。

 

 これは食えるのだろうかと、命の残機が増えそうな顔付きの赤白キノコを眺めて観察していたサトルの元に、少し離れた場所に木の実集めに行っていたアイリスが帰って来た。なんかデカい熊っぽいモンスターを引きずりながら。

 

「……それは?」

「森の中の熊さんです」

「それは見たら分かる。なんでそんなのを取って来たんだい?」

「意図して取ったわけではないのです。恐らくこの辺りは、この魔獣の縄張りだった可能性があります。多分匂いか何かでアイリスに気づいて、排除しに来たのだと思われますが……」

「排除?」

 

 一瞬サトルの目が吊り上がり、アイリスが引きずる熊の死骸に鋭い視線が向けられる。が、完全に死んでいるのか全く動かない熊と、アイリスに怪我らしい怪我がない事を確認してすぐにいつもの雰囲気に戻る。

 

「それで返り討ちに?」

「ポジティブ。前足でこちらの足を狙っていたので、ジャンプで避けて、そのまま延髄を踵で蹴ったら絶命しちゃったのです。そのまま捨ておくのも勿体ないので、持って帰って来たのですよ」

「ふぅん。しかし熊肉か……熊って美味しいのか?」

「ネガポジなのです。文献によれば、地球では処理方法や熊さんの食事により風味が大幅に変わるらしいですが、この世界での魔獣となると、ちょっと分かんないのです」

「魔獣肉なんて、帝国では殆ど出回ってないものな。この間食べた、ギガントバジリスクの香草焼きは鳥肉みたいで美味かったが……」

 

 帝国内の領土に出現し、即座に戦乙女(バルキリー)に狩られたギガンドバジリスクを食した時の事をサトルは思い出す。

 

「主。お土産です」

 

 そんな感じで持ってこられて、帝国の自宅の庭に置いて行かれたバジリスクをアイリスは食えないか色々と試した。全身に毒があり、毒耐性のない者が食べると死ぬバジリスクの肉。しかし毒が良い感じにアミノ酸のような旨味成分になっていて、常人が口にすると死ぬ毒にさえ目を瞑れば非常に美味な肉であり、毒に対する完全耐性を持つサトルとアイリスにとってはただの美味い肉でしかない。

 

 ……今となっては魔獣の肉に抵抗はないが、当初サトルは食すことに難を示した。食用として育てられた牛や羊であれば抵抗もないのだが、サトルにとって魔獣───モンスターはドロップアイテムや経験値目的で狩る対象でしかない。『ユグドラシル』にもモンスター食材はあったが、DMMOでは味覚がオミットされているのと、サトルの種族であるオーバーロードは飲食によるバフが不可だったのでゲーム内でもモンスター食材には全く縁がなかった。

 

 転移後の自然が豊富なこの世界では荒廃した地球に比べあらゆる食材が豊富であり、食欲に精神が支配され気味なサトルだが、どうしても見た目がモンスターとなると難色を示したくもなる。羊などが十分に美味しいのだから、別にそんなワイルドな食に拘らなくとも……と言ったところだ。

 

「ネガティブ。ギガントバジリスクはモンスター素材としてはとても微妙ですし、このまま置いといても腐っちゃうのですよ。保存をかけたとて、使わないのは目にみえていますし……ともかく! 折角ですし、バジリスクのお肉を食べちゃいましょうなのですよ!!」

 

 と気合を入れたアイリスが腕を振るった。「まぁ、アイリスが作ったなら……」とサトルは最初渋々とバジリスクの衣揚げや香草焼きを食し……見た目を裏切る美味さの虜になり、今ではすっかりモンスターグルメにも慣れてしまった。

 

「茸や野草がありますし、新しく作った豆の発酵食品もあるので、それらを使って熊汁にしてみるのです。出来るまでの間、オーナーには食器の用意をお願いしたいのですよ」

「了解。それじゃ、グリーンシークレットハウスに帰ろうか」

「では帰る前に、ここで血抜きをしておきますね。……『抜けろ』」

 

 誰にも見られてない事を一瞬確認してから、アイリスは権能で言霊を発する。対象はアンキロウルススの肉体。アイリスの言葉に支配された死骸の口から大量の血が吐き出される。

 

「<浄化>」

 

 地面に零れた血を綺麗にし、ついでに内蔵も全てアイリスは殺菌する。

 

「『幾億の刃』よ。この熊さんをお肉にするのですよ!」

 

 さらに追加でロードの体を使いやすいブロック状に切り分ける。道具として使うのは、転移前にナザリックから持ち出された世界級アイテム二つの内の一つ。一瞬だけ何かが空間を裂くように閃き、アンキロウルススを小さな肉片にまでバラバラにしてしまった。

 

「そして<保存>なのです」

 

 ロードの体積は一度に食べきれる量ではないので<保存>の魔法をかけてから、アイリスは今日使う分以外の肉は全て自分のインベントリに突っ込んでおく。

 

 そして───

 

「オーナーの肩車なのです! とても気持ちがいいのですよ!!」

「これするの『ユグドラシル』以来だな。こっちに来てからは、アイリスの外装を変更してた関係上、やりにくかったからな」

 

 コテージまでの僅かな距離を、主従は肩車で移動する。ユグドラシルの頃は二人とも良くやっていたのだが、こちらに来る直前に外装を変えた関係で微妙にやりにくくなったのと、人目を気にして控えていた。

 

 しかしここは森の中で気兼ねする必要がなく、アイリスがある程度自分の外見を変更できるのが発覚したなら話は違う。さっそくアイリスはサトルに甘えていた。

 

 サトルもアイリスに甘えられるのは嫌いではない……どころか、こうやって素直に甘えられて、彼女に何かをしてあげるのはかなり好きなタイプだ。

 

 どうでもいい連中や名前も知らない誰かが頼ってきても、明確なメリットが一つもないのであれば冷酷に見捨てるが、ギルドメンバーにギルド長として頼られたら何でもしてあげたく、アイリスにこうやって甘えられたら快く引き受ける。彼はどこまで行っても、そんな性格だった。

 

 自分の頭の上で機嫌よさそうに森の中で熊に出会う童謡を口ずさむアイリスに、彼女が楽しそうで良かったとサトルは非常に機嫌が良くなる。……この世界特有の熊型モンスターにアイリスが襲撃を受けたことに少しばかりのしこりを残しつつも、それを指摘してアイリスを不安にさせたくはないので今は黙っておく。

 

 グリーンシークレットハウスにたどり着いた二人は、手分けして夕食の準備をする。大半はアイリスの仕事だが、サトルも野草の苦みが強そうな部分などは千切って捨てたりと手伝えることはある。

 

 サトルがおっかなびっくり作業するのを横目で見ながら、アイリスはアンキロウルスス肉の処理をする。処理と言っても、人間向きの処理はあまり必要ではない。そのままでは非常に硬い肉なのだが、生憎この主従にとっては、金属でも柔らかい。二人ともアダマンタイトをクッキー感覚で嚙み砕けるので、肉が硬いままでも問題ないのだ。仮に肉に変な病原があったとしても<浄化>で死滅するし、残っていたとしても二人の体質上何の支障もない。

 

「ようやくこれの出番が来たのですよ……ふっふっふ」

 

 雑に切った野菜や根菜、茸と熊肉が詰められた鍋を前に、アイリスがニヤリと笑いながらインベントリから何かを取り出す。一体また何を持ち出したんだと、サトルはアイリスの後ろからそれを見る。

 

 それは陶器で出来たカメだ。カメの中には黄土色の何かがたっぷりと詰め込まれている。

 

「それは?」

「これですか? これはこちらの世界の豆を元に発酵させて作った、お味噌擬きなのです。老化デバフを応用したら、発酵食品が生成可能な事が判明したので、作るのに時間がかかる食材や調味料が数分で作成できるのですよ」

「ふぅん……美味しいのかい?」

「それは食べてのポジティブです。……味見はしているので、保証するですよ」

「そうか。それは実に楽しみだ」

 

 アイリスの手料理は大抵美味なので、彼女が保証すると念押ししたのであれば、それが旨いのだとサトルは疑わない。鍋を火にかけ沸騰具合を確かめながら鼻歌を歌う彼女を、サトルは椅子に座りながら観察する。こうやって料理している最中のアイリスを観察する機会は、実のところあまりない。帝国にある自宅では、厨房と食堂は別々の部屋だからだ。だから改めてコテージの中で、別荘を思わせるグリーンシークレットハウスには似つかわしくないアイリス自作のシステムキッチンでちょこまか動く後ろ姿を、サトルは愛おしそうに見つめる。

 

 そんなサトルに気づいたのか、アイリスは後ろを振り返りウィンクを一つ飛ばす。サトルはそれに片手をヒラヒラさせて応じる。穏やかな日常だった。とても穏やかな日常。

 

(本当に二人だけで過ごすのは久しぶりだからな……てか初めてじゃないか?)

 

 サトルが思い返す限り、誰にも邪魔されない二人だけの時間は皆無。この世界に来てから最初に過ごした皇城の貴賓館ではメイドがいたし、屋敷に移り住んでからはお付きの近衛兵がいて、すぐに元奴隷のエルフメイドが屋敷の一員になった。

 

 それ以降もアイリスと二人っきりになる時間はあったが、大抵何かしら忙しい目にあっていた。具体的にはクレマンティーヌを追ったり、法国用の仕込みをしたり、混沌世界で世界級エネミーと対決したりだ。クレマンティーヌの時に宿で情事に耽ったりもしたが、あれも宿だから今見たいにアイリスが料理している姿を眺められたわけではない。だからこれは、あまり記憶力に自信がないサトルが覚えてる限りでは、初めての時間であった。

 

「さぁさぁ出来たのですよ! アイリスお手製味噌を使った熊鍋なのです! 熱いうちにお召し上がれ! なのですよ!!」

 

 煮えたぎった土鍋を素手で掴み、<上位道具創造>で作った鍋敷きにアイリスが乗せる。サトルが鍋の中を見ると、茶色いスープの中に肉やら根菜やらが雑多に詰め込まれている。

 

「匂いは……かなり良いな。これが味噌の匂いなのか」

 

 地球時代では自然が壊滅したことで天然の食材───大豆などが消滅。富裕層用のアーコロジー内ではまだ栽培が続いていたらしいが、サトルの口に入ることはない。接待用の高級店でも、まず本物の豆なんて早々お目にかかれない。そんな豆の加工食品なんて、もっとお目にかかれない。ついでに言えば、『ユグドラシル』にも味噌はあったが、嗅覚はオミットされているので味噌の匂いなんて嗅げるわけもない。

 

 だから今鍋から漂う匂いが味噌なのかどうかは、サトルには何とも判別し難い。違いますよと言われたらそうなのかと納得せざるを得ないし、そうですと言われたらやっぱりかとなる。サトルの食に対する知識とはその程度。錠剤やら謎のアンプルやら原材料不明の謎の液体で体のバランスを整えるのが、2100年代の一般庶民に許された食事なのだから。

 

「オーナーの分を取ってあげるのですよ」

 

 アイリスがサトルの器に、肉やら野菜やらをバランスよく入れていく。自分で取るよと言おうかと思ったが、アイリスが機嫌よく世話を焼いている姿を見て別にいいかとサトルは思い直す。

 

 たっぷりと具と汁の入った器をアイリスから受け取り、「頂きます」と命に感謝する。命に感謝と言われても、アンデッドになった影響なのか生命に対する恩など感じなくなったサトルだが、アイリスが普段から「頂きます」としているので合わせている内に習慣化された。

 

 体温が低いサトルにはかなり熱く感じる木の器から、一口分汁を啜る。

 

「おっ! これは……なるほど……」

 

 ほのかな塩気と共に、なんとも表現しにくい味がサトルの口内に広がる。熊肉の脂なのか、かなり濃厚な甘さもする。味噌擬きの旨味と脂の甘味。サトルは美味いと感じた。

 

「これが熊肉か……」

 

 薄くスライスされた肉を持ち上げる。それを口の中に放り込む。

 

「少し癖があるな。弾力もある」

 

 薄切り肉なのに、それを裏切る噛み応えのある肉質だとサトルは感じた。……噛み応えどころか、常人にとっては鉄より硬い肉質をしているのだが、サトルには大した硬さでもない。噛めば噛むほど脂と旨味があふれ出る美味い肉としか思えなかった。

 

 箸が一切止まらず、次々と喰らうサトルを見ながら、アイリスも自分の分に箸をつける。彼女は自分で作った味噌熊鍋に65点の点数を付ける。まだまだ試作段階の味噌を使ったのと、質が左右される野草類にジビエ肉を使ったのが原因だろうと結論づけた。

 

 そんなこんなで夕食に鍋を食した後、二人はコテージの中でのんびりと過ごす。サトルは食後のデザートとして、アイリスお手製のぶどうを原材料とした蒸留酒───老化デバフで制作した、20年もののブランデーと、こちらの世界の原料で無理矢理再現したビターチョコレートケーキ擬きを嗜む。

 

(本当に、穏やかだな)

 

 ふとサトルはそんな風に思ってしまう。生まれついてからこっち、穏やかさとは無縁な生活をサトルは送って来た。サトルの物心がついた時には、サトルの両親は彼を育てるために家にいる事は少なかった。

 

 地球の自然が破壊されて以来、庶民の生活は非常に苦しくなっていた。親の身分が直接その後の生活に左右される時代。決して下級層が上級になる事はない。もし芽が生えそうになれば、上級に叩き潰される。それがサトルの生まれた2100年の当たり前だった。

 

 親は家にいない。両親が命を削ってまで送り出してくれた小学校では、生活水準の差故か友達など出来なかった。そうこうしている内に両親は他界。サトルは否応がなく、社会に放り出されてしまった。

 

 どこまでも穏やかさなど一切ない生活。孤独の中でいつか死ぬのだろうと、諦めていた凡人のサトル。

 

 そんな生活の中で『ユグドラシル』と───ギルドメンバーとの邂逅を得て、楽しさを人生で初めて手に入れた。だがそれはリアルではない生活。現実の鈴木悟には穏やかな生活などなかった。仮想世界では未知への冒険が主なのだから、平穏な生活とは無縁に決まっている。

 

 そんな中で初めて平穏無事な生活を手に入れられたのは───

 

「我ながらポジティブな甘さなのです! 自画自賛百点満点なのですとも!!」

「……口元にチョコがついてるぞ」

「おっと失敬。これはネガティブでした」

 

(この子がくれたんだ。ずっと傍にいてくれるって約束してくれた。アイリスがくれた)

 

 地球の頃からそうだった。思い出しかなかったサトルに、今をアイリスはくれたのだ。みんなが立ち去ってから空っぽだったナザリック。そんな空っぽな場所に、ひたすら労力を注ぐだけの毎日を変えて─

 

「オーナー? 手が止まっていますが、美味しくなかったですか?」

 

 アイリスの言葉にサトルはハッと気づく。慌ててケーキを口に放り込み、ブランデーで流し込む。

 

「なんでもないよ。地球の頃には食えなかったデザートと酒に感動してたんだ」

「そう……ですか。少しネガティブな物を感じましたが……」

 

 他人ならいざ知らず、オーナーであるサトルへの読心は極力控えているアイリスはそれ以上踏み込むことはしない。

 

 少しだけサトルの思考に陰が見えつつも、食後のデザートタイムを終えた二人はもうやることもない。あとは寝るだけだが、寝るには少し早い。さてどうやって時間を潰そうかとサトルが考えていたところ───

 

「お暇でしたら、これを読んでみませんか?」

 

 とアイリスが紙束を差し出す。

 

「これは?」

「時間がある時に、アイリスがチマチマ描いている漫画なのです」

「えっ。そんなの描いてたのか?」

「描いてたのです。クリエイティブな事をすると、脳が活性化するのですよ」

「そうか……漫画か」

 

 サトル自身はあまり漫画を読む方ではない……どころか本自体あまり好きではない。上司から勧められてビジネス本を読む事もあるが、興味が無さ過ぎて内容なんて一つも覚えていない。興味があれば読みはするのだが……

 

「アイリスだけで描いても内容が偏ってしまいます。なのでオーナーにも読んで頂いて、感想が欲しいのですよ」

「まぁ……そういう事なら」

 

 暇なのと、アイリスが描いている漫画とやらがどんなものなのかは気になったので、サトルは紙に目を通してみる。

 

 内容は元人間のタキシードを来た胸に白い花を挿した骸骨が、数百年ぶりに墓場から蘇り虫と山羊と鳥を相棒に旅をす───

 

「アイリス? 初っ端から既視感あるんだが? いきなり言いたい事がたくさん出て来たぞ」

「まだ序盤なのですよ?」

「序盤の内に突っ込んでおきたいんだよ。まずここ」

 

 サトルの指が主人公紹介ページに突きつけられる。

 

「名前がモモンガって……捻りもねえ! 虫はたっちで山羊はウルベルトで鳥はペロロンチーノはもう少し捻ろう! あとこれナマモノじゃねえのか!? 当人に感想求めるもんじゃねえ!!」

「チッチッチ。違うのですよ」

「え。あ、そう、か? 実在の人物をモチーフにしてたら、生ものがどうとか茶釜さんから聞いたことがあるんだが……」

 

 どうして実在の人物をモチーフにすると生ものなのかは全く検討もつかない。しかしペロロンチーノが生ものは引くわーと反応していたことがあるので、あまり良い物ではないのだろう。だがアイリスはサトルより方が頭は良い。そんな彼女が違うと言うのであれば、そうなのだろうかとサトルは考え───

 

「この御本のオーナーは骨なのです! ならばナマモノではなく、カンブツと呼称するのが正しいのですよ!!」

「誰もそんなとんちは聞いてねえ!! そもそも虫や鳥や山羊のモチーフがあの三人なら、結局生ものじゃねえのかな!?」

 

 思わず突っ込みを入れるサトル。それをアイリスがまぁまぁと宥め、続きを読んでくださいと促す。

 

 少しアイリスに懐疑的な目を向けつつも、サトルは漫画の続きを読み進める。

 

 内容はいわゆる日常物であり、旅の最中に波乱などはあまりない。主人公のモモンガと三人───人ではない───の会話を中心とした四コマだった。

 

 その会話の内容にサトルは郷愁を感じる。あの三人との会話。もし自分が話をしたらそう喋るだろうと思う内容で、三人の喋る内容も概ね「あー、こんな感じこんな感じ」と懐かしく思う代物。

 

 漫画のページ数はあまりなく、すぐにサトルは読み終えてしまう。

 

「どうでした。ポジティブでしたか?」

「そう……だな。内容は凄く平凡だと思う。そういう意味ではネガティブ……かな?」

 

 ネガティブと発言するサトルだが、その顔につまらないとは書いていない。むしろ満足そうな表情を浮かべている。

 

「どうして───」

 

 どうしてこの漫画を描いたのか。そう問おうとしたサトルだが、すぐに口を閉じる。サトルをモチーフにした主人公が、白い花とあの三人を御供に旅をする漫画。そこに籠められた意味と、それを自分にどうして読ませたのか。

 

(それを聞くのは無粋だな)

 

 だからサトルが言う言葉はそれではなくこれだ。

 

「続きを描いたら、読ませてくれないか」

 

 アイリスの頭に手を伸ばし、小さな彼女の頭を柔らかく撫でながらサトルはお願いする。

 

「───ラージャ!」

 

 犬のようにポジティブな笑顔で、アイリスはいつものようにサトルのお願いを快諾するのであった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。