伯爵は馬車に乗ってDはサイボーグ馬の背に乗ってヴァルキュアの軍勢を追いかけた。D達の追跡を食い止める為に殿となって雲霞のごとく群がる敵兵のど真ん中を二人は平然と突っ込んでいく。そのことを二人とも不思議とすら思っていない。
「これを持て」
と伯爵がヴァルキュアの軍勢との戦いの中でDにゴーグル状の品を放った。
「情報端末だ。すでに偵察用無人飛行体を出してある。二分としないうちに発見できるはずだ。そうなったら、わしが血路を開く。救うのはおぬしだぞ、Dよ」
無論、返事はない。Dはゴーグルをかけた。装着具合に不備はない。というか、重さは感じられないし、かさばりもしないのである。視界も肉眼と変わらない。
「指令は声で送れ。すぐに━━」
そう言った伯爵の視界に、緑色の輝線が地形図を広げた。四つの光点が移動していく。
「光点を拡大しろ」
たちまち、それはヴァルキュアの支配下のアンドロイドと三人の人間━━人型に化けた。スーラと、アンドロイドの両肩に担がれたスーとマシューである。
「西の森だ」
と伯爵が口にしたとき、逃亡者たちは足を止めた。同時に二人の周囲を真紅の光条が流れた。流れ弾でそれを浴びた城壁の一部がみるみる蒸発する。一〇〇メートルほど前方から、敵兵が押し寄せてくる。その前方に巨大な火柱が立ち上がった。ふくれあがった火球は直径五〇メートル以内の敵を、ことごとく呑み込んだ。砦がカウンターとして放ったミニ・ミサイルの成果である。なおも灼熱する空気の中へ、Dは躍り込んだ。憑かれたように疾走する白馬へ、敵兵が迫る。馬上から白光が薙ぎ落とされた。そのとき空気が、ぎんと凍結した。敵の怒号とざわめきと━━あらゆる物音が、ぴたりと沈黙した。風さえも熄んだのである
「おおっ!?」
叫んだのも道理だ。疾走するDの前方で、馬の蹄にかかった兵たちが忽然と枯枝に変わったのである。数千数万とも見える軍団の真っ只中を、Dは走り抜け、その後ろには踏み砕かれた木の枝ばかりが蜒蜿とつづく。なんと!敵兵士の正体はヴァルキュア━━“絶対貴族“の魔力によって作られた兵士だったのだ!そしてそれがDによって破れて元の枯枝に戻ったのだ!
「あいつは一体━━何者だ」
呻くように放って、伯爵はようやく馬にひと鞭くれた。
砦から走りだして二〇分も経った頃、スーラは背後に鉄蹄の響きを聞いた。スーとマシューは後ろに乗せたアンドロイドに担がせてある。ふり向いて、
「甘く見すぎたな」
とスーラは無表情に言った。
「あの軍勢を突破して追撃してくるとは、間違いなくDと呼ばれる男。━━大公さま、いかがいたしましょう?」
彼は虚空に問うた。重々しい返事が戻ってきた。
「そのまま進め。手は打ってある」
「はっ」
応じながら、スーラは背中を冷たいものが走るのを感じた。あと一〇〇メートル。Dのサイボーグ馬は、ぐんぐんと前方の巨馬との距離を詰めていく。さらに一〇〇メートル後方で馬を駆る伯爵は眼を剥いた。
「なんたる速さだ。あの男に追われる身でなくてよかったわい」
呆れるほどの速度で小さくなってゆくDの黒影を見送って━━次の瞬間、伯爵はあっと叫んだ。Dの姿が不意に沈んだのだ。いや、前方の巨馬も。地面が崩れた。――そして、黒い亀裂はこちらへ向かってくる。
「い、いかん!」
手綱をしぼって急制動をかけた身体が、勢いよく空中に跳んだ。空中で伯爵は、つんのめるサイボーグ馬と、それに激突する背後の馬車を見た。道は幅六メートル、長さ一五〇メートルにわたって崩壊した。爆破でも地震でもなかった。地面の分子構造が、極めて脆弱な状態に変成してしまったのである。ヴァルキュアの“打った手“とはこれか。それにD達は呑み込まれたのである。しかもDだけではなく自分の部下のはずのスーラと兄妹の呑み込まれた。
音が聞こえてきた。水音であった。地底を川が流れているに違いない。土砂の沈降が急に速度を増した。水に流されはじめたのだ。スーラたちが暗黒に吸い込まれた。Dが水中に落ちるまで、一〇秒ほどかかった。サイボーグ馬は人間が背の立たない川でも何とか泳ぎ抜く。だが、水流はその能力を越えていた。馬ともども流されながら、Dは前後に視線を注ぎつづけた。スーラも兄妹も伯爵も見えない。巨大な地下の空洞を流れる黒い水だけだ。空洞の高さは一〇メートルもあるだろう。不意に馬が沈んだ。何かが水中へ引きずり込んだのだ。Dも後につづいた。
「私の国にようこそ、Dよ」
水から天女の如く白い長衣をした美しい女が妖しい声音が現れた。
D達を引きずり込んだモノの正体はヴァルキュアの刺客の一人の水妖ルシアンであった。
どうやらヴァルキュアの打った手の策の正体は水妖ルシアンの領域にD達を引きずり込んで始末することだったらしい。
「地上では無敵でも、ここでは誰も私に勝てぬ。いずれ、ブロージュ伯爵もミランダ公夫人も貴族メル・ゼナも、私の世界で八つ裂きにしてくれる。その第一号がおぬしだ」
Dの身体に巨大な白い布が迫ってきた。ルシアンがまとった衣を剥いだのである。もともと何枚もの布を縫い合わせた品であったに違いない。Dは一刀をふるった。布は切れなかった。それは刀身に水のようにやわらかく巻きついて、切れ味を奪い去った。ルシアンは妖しく笑った。水衣はすでに何条もの布に分解し、その裸身の周囲を名残惜しげに旋回中だ。Dと戦っているこの妖女は比類なく妖艶で多くの獲物を水中に引きずり込んで殺してきた怪物であった。
右手がDを指した。布は肩から二の腕、手首へと絡まりつつ流れ出し、Dの右肩から腰に巻きついた。利き腕は封じられた。もう一枚が、白い腕のように喉を巻いた。
布で拘束されて水と一体化していくDの身体から急速に力が脱けるのを、ルシアンは絞殺布を通して感じた。五千年前にも何名かの貴族やダンピール、ハンター達と戦ったことがある。すべて斃した。今度の若者はそいつらより強敵ではあったが、倍も絞めておけばいいだろう。すでに、Dの身体から生体反応は消えている。ルシアンは邪悪に笑った。水を切ってDに近づく。念のため、得意の鉤爪で、骨と肉とをばらしておくことにしよう。
そう思った瞬間、ルシアンはいつの間にか脳天から乳房の間まで綺麗に一刀両断されていた。Dの斬撃によって生じた凄まじい痛みに断末魔をあげてわななきながら、ルシアンの視界は紅く染まった。
水を自由自在に操り動く妖女の
黒い水の中を流れつつ水に赤く溶けてゆく妖女の姿を確かめ、Dは水を蹴ってスーとマシューが流されていった方向に行った。
頬を叩かれて、マシューは眼を開いた。見覚えのない男の顔が上から覗き込んでいる。その背景を占める青い闇を意識する暇もなく、彼は激しく咳き込んだ。
「水は吐かせた」
と男は言った。それからこう言って、マシューの咳を止めさせた。
「おれは“伝道師“クールベ。ヴァルキュアの七人のひとりだ」
愕然とふり向くマシューの顔は、溺死体のようであった。
「おまえの妹も拾い上げる手筈になっていたが、それは相棒の歌唄いが行っておる。少々流れがきつすぎた。だが、おまえだけは捕まえたぞ」
にんまりと笑う土気色の顔へ、
「おれを、どうするつもりだ?」
とマシューは嗄れ声で訊いた。
「なにこれでも神を崇め、教えを伝える伝道師でな。慈悲で死に方は選ばせてやろうと思ったのだ」
殺気と嘲笑からできているような声であった。
「もう一度、溺れ死にたいか。自分の手で首を絞めるか、喉を斬るか、それとも━━」
マシューは絶叫して跳ね起きた。頭からクールベへ突進する。時間がかかりすぎた。“伝道師“は左へ身をかわし、マシューの首すじへ手刀を叩き込んだ。
「好意を理解できぬ奴だの」
彼は笑って右手をのばした。かたわらに木の枝が突き出ている。比較的真っすぐな一本を、手首のひと捻りでへし折り、槍のように構えて、彼は俯せで呻くマシューに近づいた。
「ヴァルキュア様の下僕として、おれは貴族と戦ったこともあるが、伝説の方法を使ったことはない。人間に試してみるのも、皮肉で面白いかも知れんな」
折れ口の鋭く尖った木の枝を、杭のごとく両手でふりかぶり、伝道師はふり下ろそうとした。その位置で、彼は膠着してしまったのである。何かが木の枝の端を掴み止めたのだ。Dかと思った。枝には拘泥せず、両手を離してクールベは後方へ跳んだ。もとの位置にはメル・ゼナがいた。驚いて夢中で呪いの言葉を吐こうとした時、首すじを氷のような息が這った。
「木の杭は、やはり貴族に使うがよい。或いは、忌まわしいその下僕に」
━━まだ後ろに!?そう思った瞬間、心臓を背中から、灼熱の杭が貫いた。最後の吐息を放って、クールベはよろめいた。空気を吸い込もうとして、肺は別のものを吐いた。足もとの草に鮮血が跳び散った。数歩進んで、彼はふり向いた。白いドレスの女は、ひとめで貴族とわかる美貌と品と妖気を備えていた。
「き、貴様は・・・ミランダ・・・」
「公爵夫人とおっしゃい」
ミランダは音もなく近寄り、クールベの胸から生えた枝の先を掴んで左右にねじった。絶叫が闇を切り、噴き上がる血潮は白い公爵夫人の顔と胸とを赤黒く染めた。衣通姫━━衣を通して美しさがかがやいていたという美姫のごとき美貌の主が、口もとについた血を舐め取りながらキュリアにたかれられて残りの精気を吸われていくクールベを平気そうに見ている姿を見て、マシューは気が遠くなって気絶した。
「大公さま・・・お許しを・・・」
エネルギーを吸われながらもクールベは主への赦しの言葉を吐き、草を乱して倒れ、ミイラになって動かなくなった。
「愚かな男よな」
公爵夫人は、倒れたマシューを見て軽侮の眼差しを隠そうともせずに言った。
「あのハンターと伯爵がついていて、ひとりこのような時間にこのような場所におるとは━━男なのに情けない」
「言い過ぎだと思いますわよ」
メル・ゼナがそう言ってもミランダは文句を言い続けた。
「あれは妹と貴様に惚れている。そしてDに複雑な感情を抱いて、心の中で男らしい行動をしたいと望んでいる。それなのにそれが出来ないとは・・・」
「━━もしかして昔のヴァルキュア戦に来て自分達の命を救ったマシューの先祖の人間を比較対象にしてらっしゃる?」
直に見てないメル・ゼナがマシュー達の先祖がどのように勇敢な人物か知らないとはいえ話を聞く限り人間讃歌を体現したかのような人間をミランダが比較対象にしているのでは?と思って聞いた。
「そうかもしれんな。私はあの二人より計算が好きでな。メル・ゼナよ、単独行動をさせてもらうぞ」
メル・ゼナと話しながら、白い貴族は青白い光に溶けて消えていった。
ミランダ夫人は単独行動ですか・・・わたくしは━━どう行動しましょうか?今はD様やブロージュ伯爵の位置は分からないからあの森にある空間の歪みを利用させて北部辺境区まで先回りして待ちましょう。
そう思いながらメル・ゼナは翼や尻尾をキャストオフし、普通の人間のように擬態したと思うとマシューを担いで近くの森の中にある空間の歪みに入って消えていった。
水に流されたスーは陽光に起こされた。周囲に張りつめた光は、もはや暁光であった。スーは岩場にいた。身体の節々が痛んだが、動くには十分だ。周囲を見廻した。足下にスーラの巨体が倒れていた。岩のようにぴくりとも動かない。スーは仰向けの巨体の左胸に耳を押しつけた。地響きのような鼓動がやって来た。自分が安堵しているのを知り、スーはひどく驚いた。この巨人は流される間、ずっと彼女を水の上に支え上げていたのだ。たとえ任務とはいえ、簡単にこなせることとは思えなかった。その足下に一〇メートルもありそうな裂け目が口を開けている。周囲を囲むように奇岩、巨岩がそびえ、ほとんどが裂け目に向かって傾いている。水音が聞こえた。巨人のスーラは、スーを地下水路から連れ出し、ここへよじ昇ったのはいいが、力尽きたらしかった。負傷しているのかも知れない。眼を走らせ、スーは息を引いた。右胸の下あたりに赤い染みが広がっている。中心に白いすじが生えていた。
「━━Dの?」
針である。地下水路に落ちるいつの間にかDが針を投げてスーラの防御を貫通して刺していたのだろう。ある感情が身内を支配し、それに従いかけてスーは驚いた。
それは、この場合極めて当然な精神の動きであったが、同時にスーを破滅へと導きかねぬものであった。苦しんでいる人を助けなくては━━そう思った。だが、巨人は彼女をヴァルキュアの死の罠へと連れ去らんとする刺客だ。それを止めるためのDの針であり、死闘であった。自らの精神の動きに従うことは、Dの戦いを無為に変えてしまう。
━━逃げよう頭の中で誰かがささやいた。スーがよく知っている誰かだった。だがスーは身を翻し、数歩前進した。足が止まった。ひと呼吸置いてふり返った少女の顔には、ある決意が浮かんでいた。スーはためらいもせず巨人のもとへ戻った。スーラを助けることにしたのである。
物語の都合上オリ主の出番がなくて原作の焼き直しみたい回が出ていてこれからも出るかも知れません。
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