辺境を自走車が走っていた。
「前方に生体反応あり」
と女の声が伝えた。
「二名及びサイボーグ馬一頭。ひとりは人間、ひとりは合成生命体と認めます。距離は三千」
「行方不明になったDと兄弟と刺客の後を追って二日目。ようやくどちらかを発見して追いつくことが出来たか」
ブロージュ伯爵は兄妹の運命とDの行方を心配していた。飛行偵察ロボットも飛ばし、地崩れや地下水路、戦闘地点をも発見したが、兄妹とDと刺客たちの行方は杳として知れなかった。そして今日、三日目の昼過ぎに至って、ついに生体感知レーダーが、求める者を発見したのである。
「三次元立体イメージ像を出せ」
と伯爵が命じた。生体感知レーダーは対象の実体そのものではなく、化学的な生体反応を捉える。そこから対象の像を製作するのはコンピュータの仕事だ。暗黒の中に、二つの立像が浮かび上がった。スーと巨人だ。
「スーラという奴じゃな。しかし、あの巨体ではサイボーグ馬でも、この辺が限界じゃろう。休憩でもしておるのか?」
「そのとおりです」
と女の声が答える。
「止まれ」
それを聞いた瞬間に伯爵の声がコンピュータに命令した。音も衝撃もなく自走車は停止した。いまは陽光あふれる昼だ。動けぬブロージュはどう出るのか。何よりも前方の敵は、Dさえ一蹴してのけた巨人スーラなのであった。
この二日間で、スーにはある種の安堵が生まれていた。スーラに対してのものである。自分を狙う貴族の刺客だという一点から生じる恐怖は拭いようもないが、それ以外では、この巨人は決して自分を傷つけるものではないと得心できたのである。
口はひとこともきいてない。話せないのか、話す気がないのか、はじめからいままで押し黙ったままである。スーが確信に至った源は、彼の行動にあった。
ここへ来るまで何度かスーは逃げ出そうとつとめた。マシューのことも気になったし、何よりも、自分の生命を狙う貴族の巣窟などへ、のこのこ行きたいわけもない。隙を見て逃げた。
圧倒的な実力を持っているのに一般的な辺境の住民のスーが逃走出来る程に実際、スーラは隙だらけだったのである。サイボーグ馬に乗っている間は、自分の前で馬にゆられているスーに触りもしない。彼の重さにへばった馬から下りて歩くときも同じだ。休むときは必ずあの奇怪な”迷路”に閉じ込められるから、そうなる前にと、二度、馬から跳び下りて逃げた。
二度、妖獣と遭遇した。不意をつかれなかったのは僥倖であった。最初はまん丸い全身から粘液をとばして餌を取り、木から木へと移動する蜘蛛竜であり、二度目は、人間の女性そっくりの幻を作り出して旅人を呼び寄せるメクラマシであった。だがどれも間一髪でスーラが駆けつけ、棍棒の妙技を駆使して、彼女は二度も助けた。救出された後でスーは拷問を覚悟したが、巨人の扱いはいままでと寸分の変化もなかった。移動中に放りっぱなしなのも、そのままだ。ただ自分の連行のみを命じられた有機体ロボットかとも思ったが、傷だらけのスーの足に、自分のガウンの内側から取り出した薬らしきものを塗ってくれる心遣いを見ると、そうでもないらしい。そのおずおずとした手の動きは、巨大であるだけにスーの笑みを誘った。
昨日の晩、巨人はDの針がつけた傷痕に同じ薬を塗ろうとして、何度かしくじった。堪りかねて、塗ってあげると申し出た。巨人はなおも黙って塗ろうとした。傷は深いが小さい。広い範囲に塗ればいいのに、常人用の小さな刷毛が巨人には針程度にしか見えないらしく、どうしても、ちまちまと付けてしまう。━━運動神経が鈍いんじゃないかしらとスーは疑わざるを得なかった。それから二度試みて二度しくじったのを見て、ついにスーはこう宣言した。
「あたしがやります。自由にして下さい」
巨人は少し考えて要求を入れた。刷毛を取って塗りつけた。あまりにも簡単な作業に呆れることもできなかった。スーラは何も言わず刷毛を受け取って、スーの周囲に”迷路”を描いた。いま、スーラはスーと同じ円の中に入れたサイボーグ馬の様子を見つめている。馬はDが乗ってきたものである。スーラの姿は愛馬を見守る飼い主のようだった。まだ昼なのに前進を中断したのも、馬の疲れを慮ってだとスーにはわかっていた。この巨人の正体さえ知らなければ、十全の安堵を抱いて身を委ねたであろう。愉しい旅でさえあったに違いない。
そのことを考えてひどくやさしい気持になっている自分をスーは意識した。気がつくと、やわらかなメロディが口をついていた。
森にみなぎる光よ風よ伝えておくれ昨日の想いは忘れたとあの人に今日の想いはさらに深いと明日野辺はささやき草に埋もれその声は私ひとりの声だからという歌を歌い終えたら、サイボーグ馬を気遣っていた巨人が自分の方を見つめているのを認めて、スーは少し驚いた。
「━━どうしたの?」
壁のような顔の中で、細い眼がまぶしげにしばたたかれた。
「いい・・・・声だ」
と巨人スーラは言った。
「・・・憶い出した・・・・おれも・・・森の中で・・・・生まれた・・・・遠い山の中の・・・・森で・・・・」
「どこの山?」
この巨人がはじめて身近に感じられ、スーは思わず訊いた。
「・・・・忘れた・・・・そんなのは・・・・どうでも・・・・いいこと・・・・だ」
「そんなことはありません。それは━━」
言いかけて、スーは沈黙した。故郷を去ったのは、自分たちではないか。凄まじい木枯しのような孤独感に骨がらみ捉えられ、スーはその場に立ちすくんだ。その呪縛から逃れようと、身を震わせて叫んだ。
「そんなことはありません。生まれ故郷って━━」
木洩れ日が声を吸い取った。声がかがやきを放った。それは細長い物体に変わってスーラの胸もとへ直進し、虚空に消えた。迷路に呑み込まれたハンド・ミサイルは永遠にもうひとつの方角へ進みつづけるだろう。スーラが立ち上がった。凄まじい光を放つ双眸の見つめる方角をふり返り、スーは息を呑んだ。
「ブロージュ伯爵!?」
「無事でおったようだな」
伯爵は眼の前を横切る木の枝を掴んでへし折ろうとしたが、枝は拳を貫いた。
「見たとおりの幻だ」
と伯爵は言った。浮遊分子の凝縮による立体像だが、実物そのものだ。
「迷路だな。そこにいられては、外からは手が出せん。だが、おまえも迎え討てはせん。━━とりあえず、出て来い」
スーラの巨体が”迷路”の上に沈んだと思ったら、それは信じられぬ敏捷さで跳躍し、幻のブロージュとぶつかり、その身体を貫いて疾走に移った。
右手に棍棒を下げたその背を二本の銀色の火矢が追い、左右の肩甲骨の下に命中した。岩が前方へ跳躍したかのように見えた。その両胸から火柱が抜けた。
二発のハンド・ミサイルは、命中の瞬間、内蔵していたエネルギーを一〇〇万度の熱衝撃波に変えて噴出したのである。
地響きを上げてスーラは倒れた。巨体の倒れかかった巨木が、その重さを支え切れずに、土と根を掘り起こしつつ横倒しになる。
いかに巨人スーラといえど、一〇〇万度の熱波に体内を駆け巡られて無事なはずはない。すでに身体は死の痙攣の言うなりだ。だが、ミサイルは背後から━━幻のブロージュ伯の方角から襲った。それは確かに、彼のマントの内側から発射されたのである。
伯爵の幻は実体を持つ幻であった。断末魔の苦痛にわななく、自分と見劣りしない巨体に近づき、伯爵はにんまりと笑った。
「分子の凝集次第で、幻も実体に近づく。本物のミサイルや長槍をぶら下げられるくらいにな。ふむ、ハンド・ミサイルの二発くらいでは死なぬか。では、いま首をはねてくれる」
伯爵の右手で長槍がふられた。それは指を貫いて抜け、三メートルほど手前の地面に斜めに突き刺さった。力を入れすぎて、やわな分子構造を通過してしまったのだ。してみると、この槍は本物か?ブロージュは照れ臭そうな笑みを浮かべて槍を引き抜いた。慎重な動きである。彼はスーラの胴を蹴って仰向けにした。熱波の抜いた傷口はわずかに心臓をずれている。狙いはそこだ。スーラが右手で右の傷を押さえた。長槍がぐいと引かれた。
「幻の存在とはいえ、ブロージュ伯爵の姿に滅ぼされるのを光栄と思え」
哄笑を放ちつつ、伯爵は槍をふり下ろした。その穂先が目標地点に触れる数百分の一秒の間に、彼は見たかも知れない。スーラの右手が、心臓の上につながらぬ円を描くのを。穂先は消えた。のみならず、勢い余ってくり出される穂も柄も”迷路”に呑み込まれた。
「こしゃくな真似を!」
伯爵のミスは、長槍を引き抜こうとしたことであった。その穂が半ばまで戻ったとき、その胴を横なぐりに棍棒が襲った。長槍は吹っとび、棍棒は胸を抜けたが、伯爵は大きくとびずさった。着地点は槍の落下点と等しかった。長槍を構え、彼はスーラへと突進した。あと数歩でスーラに届く、と見えた刹那、奇怪な現象が貴族を捉えた。見えない戸口が出現したかのように、幻影ブロージュを空中に吸い込んだのである。
突如、静けさが誕生した。黄金の光の下に横たわるスーラの巨体は、ひどく場違いに見えた。一分ほどかけて、スーラは上体を起こし、両足に力を加えて立ち上がった。両胸の貫通孔はすでに消滅しつつある。再生細胞の魔力だ。彼は伯爵の自走車を襲撃するつもりだった。いかな大貴族といえども、陽光満ちる時間は、襲撃する絶好のチャンスだ。自走車に備わる護衛メカがいかほどの力を有していようとも、試みる価値はある。歩き出そうとして、彼はスーの方を見た。およそ石仏のごとき無表情に、動揺の波が渡った。スーの姿はなかった。侵入も脱出も許さぬ”迷路”は何者かの手で完璧な輪をこしらえ、皮肉なことに、そこから脱け出るのは至極容易なのであった。
もう一人の幻影ブロージュ伯爵に迷路から脱出させてもらったスーはサイボーグ馬に乗ってそこから一〇分ほどの走った森の中で自走車と遭遇した。車内へ入るとすぐに
「無事だったようだな」
とブロージュ伯爵の声が降ってきた。その中にまぎれもない安堵と労りの響きを聞きつけ、スーは少しとまどった。
「いい声であったぞ」
「え?」
「あの歌だ。何という?」
やっと思い出した。こんなに離れた車の中で、伯爵は自分の歌声を聞いていたのだろうか。
「タイトルはありません。母がよく歌っていました」
「ふむ。━━まあ、よかろう。移動するぞ、奴が来る」
「よかった」
スーは胸を撫で下ろした。これでブロージュとスーラが戦わなくても済む。
「━━よかった?何がだ?」
伯爵の声に問われて
「私━━どちらにも傷ついて欲しくありません」
スーが本音を答えてしまったのも、安堵のせいであった。はたして、伯爵の声はスーが青ざめるほどの迫力と敵愾に満ちた。
「ほう、拐かされた娘が拐かした奴の身を案じるか。面白い。どれほどの奴か、やはり、ここで試してやろう」
「そんなつもりじゃ━━」
スーは夢中で抗弁した。
「あたしはただ━━あの人は悪い人じゃないんです」
「悪かろうと悪くなかろうと、敵だ。おまえの生命を狙っておる。そして、我々はおまえを守る義務がある」
この台詞の中にゆれる怒りと嫉妬にスーは気づかなかった。
しばらくしてブロージュ伯爵はその感情をコントロールしたと思うと、スーに聞かせるように声が鳴り響きかせた。自棄気味ではあったが。
「砦に戻る」
ふたたび安堵に包まれたスーの肩を左手がそっと叩いた。
車のエンジン音をスーラは遠く聞いた。全速で追いかけたが、車の影さえ見られぬうちに、何も聞こえなくなった。すぐに追おうとサイボーグ馬のつないである休憩地へ戻ったが、馬は姿を消していた。恐らくスーを連れ出した何者かの仕業であろう。鉄壁といってもいい”迷路”を破った相手に違いない。敗北感が彼を棒立ちにした。
「ミスをおかしたのお」
スーラは右を向いた。錯綜する木立ちの間に、真紅の影が立っていた。フード付きの長衣をまとった人物は、声からして老婆と思しいものの、その顔も手も見ることはできなかった。
「私はキマ━━大公の力の一部だ」
と真紅の影は言った。
「この先、おまえだけでは荷が重い。力を貸せとのご命令じゃ」
「・・・・・・」
「私は直接手を下さん。あくまでおまえのサポート役に留まる。心してかかるがいい。そこで、いまの車━━ブロージュ伯爵めだが、砦には行き着けぬよう細工しておいた。奴を斃す手立てを考えてから、ゆっくりと追うがいい」
誰かが入ってくる気配があった。スーだろう。マシューは眼を開いて入ってきたモノを見た。瞼がしみるように痛むが、前ほどではなかった。
「ひどい傷だのお」
全身が、ぎんと硬直した。Dの左手を思わせる嗄れ声だったからではない。弄うがごとき口調の邪悪さゆえであるし、メル・ゼナが平然とその声を出している赤い影と話しているのを見たからである。
「ヴァルキュア大公の刺客か?」
「私は大公さまの力の一部のキマじゃ」と声はつづけた。
「そこの小僧と妹を、大公さまの領土へ連れていくのが仕事よ。最初に託された者どもが案外とだらしのう斃されてしもうてな。その分だけ、小僧を護衛するおまえ達、護衛どもが手強いというわけだが。」
「キマよ━━少なくともお前がいう強い護衛とここで争うのは賢明ではないからお帰りした方がいいですわよ?」
「勿論、そうさせてもらう。そちらは怪我をしているように見えるがその気になれば今すぐ全回復できるだろう。ここへ来たのは、もちろん、おまえ達を連れ出すためだが、私は強制はせん。おまえ達が自発的に、大公さまのもとへとやってくるように願っているよ。いずれ我々の因縁に決着をつけなければならないからな否が応でも来るだろう━━あら、起きちゃ駄目」
老婆の声が急に若く弾んだそれに変わると、気配まで別人のものになった。
「━━動いては駄目と言ったのに、仕様がない人達ねえ」
「すみません」
「・・・スー・・・・か?」
「そーよ。━━さ、横になって」
肩を押されて、マシューは固い床についた。ちなみにメル・ゼナは言われるより早く横になった。
「・・・・いま・・・・ここに・・・・誰かいな・・・・かった・・・・か?」
「誰も。━━あ、そういえば、入ってきた瞬間、赤いものが見えたような気がしたけど、それこそ気のせいよ」
辺境の生活は厳しい。無害な幻や夢を見せる悪霊や幻覚獣を気になどしていられない。
「薬━━替えるわよ」
スーの手当てには、心がこもっていた。包帯を解き、前の薬をガーゼごと剥がした後で、丁寧にお湯で身体を拭く。
「随分よくなったわね。もうしゃべってもオッケーよ。歩くくらいならいいかな。そしてメル・ゼナさんは回復力が強いね。再生細胞でもあるみたい。そちらはもう大丈夫よ」
「ありがとうございます。スーさん」
「どういたしまして」
メル・ゼナがもう一人のスーと話している間にマシューは新しい塗り薬を貼りつけられ、包帯が巻かれたが、今度は胸と背中の一部だけで済んだ。
「さ、これでよし」
「ありがとう━━おれ、出て行くよ」
「わたくしも出ていきます」
2人のその言葉にスーは眼を丸くして、は?と言った。
「これ以上、迷惑はかけられないし、もとのところには妹もいる。早いとこ戻らないと。悪いけど、馬と食料を貸してくれないか、後で必ず返しにくるから」
「急用があって知り合いと待ち合わせをしているんです。わたくし達は━━」
「返さなくてもいいわ」
話をさえぎってスーは言った。ひどく生真面目な表情がマシューを驚かせた。
「その代わり、あなた達の行く場所まで私も一緒に連れて行って」
「どうしてだよ?」
「明日━━亭主が帰ってくるのよ」
「それは・・・?」
「どっちにしろ出てくつもりだったんだけど、マシューさんを見たら気が変わったの。これ、あたしのいい男だって見せつけてやろうかと」
「ちょっと━━」
「安心して」
とスーは笑いかけた。
「考えてみたら、あんまりいいやり方じゃないわよね。それに、うちの亭主、でかくて乱暴だから。『都』の観光に出掛けたとき、村の連中一同で『保安局』に陳情して、そのまま刑務所へぶち込んでもらったの」
「ところでご主人は何者ですか?」
「火竜ハンター」
ハンターにも様々な種類がある。凶暴な妖物専門の腕利きは、それなりの実力を持ち、名誉と報酬を保証される。吸血鬼ハンターに次ぐ最高峰は、火竜ハンターにとどめを刺すというのが定説だ。
火竜といっても、単に口から火を吐くだけの単純な生物ではない。全身を灼熱させて放つ炎は、時速五〇キロで疾走しながら山ひとつ焼き抜き、小さな湖を一〇秒で干上がらせる。近年、その墓地と称される一角が深山内に発見されたが、骨は意外に少なく、代わりに大きな穴がおびただしく地面に空いていたという。死を前にした火竜が、最後の力で自らを灼熱させ、地の底深く我が身を埋めていった跡だという。一説によると穴は地球の核までつづいていて、そのせいでその地方には火山が多いとのことだ。あまりの強さに番犬代わりに買う貴族もいるほどだ。
こんな妖獣を相手にする火竜ハンターが、明晰な頭脳と強靱な肉体を備えるのは理の当然であり、中には『都』の違法医師のもとを訪れて、自らの肉体を半ば機械化━━サイボーグ化する連中も多い。このような精神状態の男たちが穏健な人格の持ち主であることは、森の中の一葉を探すのに等しく、仕事が終われば盛り場で粗暴の限りを尽くし、喧嘩、流血の果てに殺人まで犯す輩が続出する。
スーの夫はその典型といえた。村へ戻るたびに男たちと殴り合い、他人の女房、娘に手を出してまた大喧嘩になり、半死半生のありさまで村を出ていく村人たちが連続した。『都』への陳情は、村中が我慢した挙句の結果だった。そんな男が帰ってくる。村人と妻への怒りに胸を煮えたぎらせて。
「村の男たちは迎え討つ準備してるけど、うちのは半分以上サイボーグよ。『都』の保安隊だから捕まえられたけど、ここじゃあ、岩に紙つぶてをぶつけるようなものよ。ね、逃げよう」
「そ、そりゃ、いいけど」
あまりの事態の変転ぶりに、マシューの返事は曖昧になるしかない。逃げようと誘うくらいなら、なぜ夫に紹介するなどと言ったのか。若いマシューにはわからないことだらけだ。
「火傷が治らないかなと思ったけど、2人共すぐに治ったから何とかなりそうだわ。あいつ、真っ先にあたしを殺すでしょう。さ、脱出よ」
「い、いまから?」
「当り前よ。明日来るって言ってるのよ。だったら、今日の深夜だわ。ここにいてもいいけど、村の連中はあんたがあたしの家へ泊まり込んでるって知ってるからね。何言いつけるか、わかったもんじゃないわよ」
「それじゃ、脅しだ」
「背に腹はかえられないわ。━━どうするの?」
「行く━━いいえ返り討ちにしましょう」
マシューの返事をさえぎって代わりにメル・ゼナが返事した。
「改造人間みたいな治癒能力をしていたけど貴方、まさかハンター関係の人間?」
「ええ、貴族に関わるモノです」
「吸血鬼ハンターなのね。心強いわ!」
メル・ゼナに対して勝手に都合のよい解釈をしたスーを正体を知っているマシューは呆れた顔で見ていた。
それから一時間もしないうちに、寝静まった村から三頭のサイボーグ馬に分乗した三つの影が、せきたてられるように脱け出していった。夜の辺境は魔性の世界だ。そのための武器も準備してあったらしく、マシューはまだ痛む手に火炎放射器を握らされた。油のタンクは背中だ。村』へとつづく道を走って『都』に通じる街道まで辿り着いたとき、月光の下をサイボーグ馬にまたがった人影が悠々とやってきた。
「━━ご主人?」
「そーよ」
スーの返事も虚ろだ。彼女は馬を寄せ、身を乗り出した。
「一定の距離まで来たら、メル・ゼナさんは真正面から襲いかかって、マシューはその隙に一気に灼いて」
「分かりましたわ」
「そんな・・・・」
「死にたいの!? 殺される前に殺すのよ!」
殺しに抵抗はない貴族のメル・ゼナはともかく殺人などしたことがないマシューはもうひとりのスーがひどく懐かしかった。馬が止まった。馬上の影が眼のあたりに片手を上げた。ごついヘルメットとゴーグルをつけているのに、マシューは気がついた。首から下も装甲だらけだ。冷たい汗が頬を伝わった。
「そこにいるのは━━スーだな」
分厚く荒々しい咆哮に似た声が夜気を渡った。
「ご亭主さまが帰ってきたぜ。よくも、窮屈なところに何年も放り込んでくれたな」
「うるさいわねえ」
とスーは言い返した。
「あんたみたいな野蛮人、一生、『都』にいればよかったのよ。わかる?ここにいる人、あたしの彼と用心棒のハンターよ。あんたなんかと違って、すっごく優しいし頼りになるハンターなの。何しにノコノコ戻ってきたのよ。さっさと刑務所へ帰りなさい」
「てめえ」
男の右手がふりかぶられたのをマシューは見た。距離は優に一〇メートルある。ライフルか?ひょう、と風が唸った。男の手で何か長いすじが旋回した――と理解したのは、メル・ゼナが目の前で男の鞭を握りしめて勢いを止めているのを見てからだ。
「お前━━ただの人間ではないな?おれと同じ改造人間か?」
目の前の女が只者ではないと見抜いた火竜ハンターの男は初手から全力を出した。
「まぁいい この鎖はあらゆる竜の足を絡めてぶっ倒すことが出来て、首に巻きついて息の根を止める特殊鋼でできてるんだ。おめえの首くらい、根もとから引き抜いちまうぜ」
鎖をメル・ゼナの手の元から自分に戻した男は鋼の鞭と体を一体化し、叫びながら猛攻を仕掛けた。それの姿はまさに竜だった。火竜の首たやすく捩じ切って己の糧にする一キロも伸びる鎖を纏った百万度の炎も平気な人型の竜だった。
それに対してメル・ゼナはどこから金属様の棒状の柄と、大型な黄金の穂先。刃の根本には血の様に赤い結晶が配置されているランスを持ち出して爵銀の龍の如く迎撃した。
近くの森が吹っ飛び、地割れが発生して地形が変わる戦闘を見てスーとマシューは災害を具現化したような竜と龍の縄張り争いではないかと思った。
だがしばらく時間が経つとメル・ゼナ相手に致命傷を負っていないのに男が勝手に倒れた。
スーはよろよろと夫の顔のあたりに近づき付けているマスクの留め金に手をかけて外した。
「死んでる」
叫んだつもりが、それは恐怖に押しつぶされたつぶやきであった。夫の顔は灰茶色に変わり、しなびて、無数の皺に覆われていたのである。
「ど、どうして?」
とつぶやいていたらいつの間にか背後にいたメル・ゼナが説明しましょうか?と聞いてきた。
「こ、これじゃ、ミイラよ。一体どうしたっていうの?」
それでも辺境の娘である。もう百年も前に死んだような夫の顔に指を這わせたのは、立派というしかない。瞼も開いて瞳孔を確かめながら聞いた。
「どうやらスーさんの亭主はとっくに死んでいたのですわ。本当━━とっくの昔に死んでいたが復讐のために魔術や気合と根性等を駆使して帰ってきたのでしょうね」
「魔術にかけられたのね。この亭主、もうそれこそ何年も前に死んでたのよ。それが復讐のために━━待ってよ、どうして、戦闘中におっ死んじまったの?」
「それは分かりません。とにかく、これでもう安心ですわ。スー様は、村に戻ってください━━これからはわたくしとマシュー、二人で行きます」
「ちょっと待って━━あたしを置いてくつもり?」
スーがなじった。
「その方がいい。世話になった」
そう言って去ろうとするマシューとメル・ゼナの手に、ぐいと腕を絡めて、スーはその顔を睨みつけた。
「一生連れ添うなんて言ってない。とにかく、この村を出て他のところへ行きたいの。途中まで一緒に行って。ねえ、こんなこと言いたくないけど、あたしが助けてあげたのよ」
「申し訳ありませんが今は、危険な旅をしていますからそれは出来ません。ですがこれを見せて嫌な記憶を忘れられることが出来ます」
そう言うと、メル・ゼナは顔にかけている包帯を外しながら人間への擬態モードをやめて貴族としての姿と美貌をもう一人のスーに見せつけて自分達に関する記憶をなくして村に戻るように暗示を仕掛けた。
誤字脱字、アドバイスがありましたら報告よろしくお願いします。