「ヴァルキュアの国に来いというあちらの誘いはどうする?」
「兄妹を守るという契約だ。ヴァルキュアの領土へ入る」
「この兄妹はどうする?」
「同行させる」
「砦の方がよくはないか?」
「キマには手傷を負わせたが、死んではいない。砦に置いて防げるか」
「防御機構を強化すればよかろう」
「時間がかかりすぎる。それにあの絶対貴族相手に砦ごときで守りきれるか?」
「では、このまま行くつもりか?ヴァルキュアの領土へ?」
思わずの問いだったのであろう。左手はすぐに沈黙した。
Dはスーの方を向いた。何か訊かれたわけでもないのに、スーは混乱した。限りなく深い黒瞳が見つめていた。精神の底まで見透されているような気がして、マシューとスーは怯えた。
Dは言った。
「一緒に行くか?」
おぞましい光景が甦った。スーは眼をしばらく閉じて、それから、手を離し、顔を上げて言った。
「一緒に連れて行って下さい」
「いい度胸をした娘だ」
いまのいままで沈黙を守っていたブロージュ伯爵の言葉がそれに重なった。感心したような響きであった。
そんなスーを見たマシューは本当はあんな恐ろしい化物共の本拠地になんか行きたくない、砦で引きこもっていたいと内心、そう考えていたが、妹がヴァルキュアの本拠地に付いていく覚悟を見てここで覚悟を見せないと男が廃ると思って精一杯の虚勢を貼って
「おれも行くよ、連れて行ってくれ!」
と言った。
しかし妹も含めて皆、マシューの頑張って作ったハリボテの如く威勢を見破っていたようでブロージュ伯爵やDの左手におっちょくられ、メル・ゼナと妹が精一杯背伸びをした子供を見るようなニコニコ顔で自分を見ていたのを気がついたマシューは恥ずかしかった。穴の代わりに呪われた貴族の棺でもがあったら入りたいという気持ちだった
それから五日間、一同の旅は停滞なく進んだ。スーラもカラスも、新たな刺客ともいうべきキマも姿を見せなかった
「北部辺境区に入ります」
と美女の声が伝えたのは、六日目の夕刻であった。室内に映し出された全方位立体像を眺めながら、まず伯爵が、
「これは凄まじい」
と言ったきり絶句した。現在知られている北部辺境区の姿は影も形もなかった。そこにあるのは、どこまでも平らな━━草木の影さえ見えぬ━━黒い平原であった。その表面は夕暮れの光にも金属のようなかがやきを放ち、それでいて、吹きつのる風をも凍らせるような鬼気を放っていた。いかなる生ある形も気配も見受けられない地平の彼方へ眼をやるうちに、見る者は途方もない絶望と喪失感に襲われ、その場に昏倒するだろう。遠くで稲妻が走った。
「北部辺境がいまの形になる以前のヴァルキュアの王国だの」
左手の声に、
「そうだ」
とブロージュが答える。巨大な椅子にかけている。そのかたわらに腰を下ろしたメル・ゼナとマシューとスーの椅子は来客用の品だ。Dは立ったままである。
「奴は北部辺境区を徹底的に改造してしまった。奴が追放されたとき、この土地は見渡す限りの荒野だった。自分の王国もポケットに入れて持っていったと噂されたものだ。どうやら正解だったらしいな」
「━━五千年前の地理がわかるか?」
とDが訊いた。伯爵は胸を叩いた。銅鑼でも打ったような轟きが室内を渡り、マシューとスーが身をこわばらせた。
「まかせておけ、脳は衰えておらんわ。コンピュータにも、地図を覚え込ませてある」
「何処から入る?」
「何処からでも同じだ。あの土地のすべてにセンサーが仕掛けられておる。要は、ヴァルキュアが敵とみなすか味方と判断するかで、入れるかどうかが変わってくる。それに、我々はとうに奴の眼に入っておるだろう。つまり、どこからでも、いつでも来いということだ」
「五千年前に、よく入れたのお」
これは左手である。答えは簡単だった。
「"御神祖"がセンサー除けの処理を加えてくれたのだ。それに商人や旅人も通行できた」
だからこそ、マシュー達の祖先も三人の刺客と遭遇できたのであろう。
「では━━正面攻撃といくかの」
と左手が、まとめるように告げてから、
「━━その前に、あそこにたむろしている連中から事情を聞いてみるとしよう。大方、『都』の調査隊じゃろうて」
その言葉を聞いたメル・ゼナは貴族のブロージュと自分が『都』の調査隊に姿を表したら面倒なことになるのでは?と思ったが別にそれほど問題ないかと思って左手の意見に反対しなかった。
土と鋼の境目あたりに、馬車や自走車や輸送車輛が固まっている。そのかたわらには円筒を二つに割ったような宿舎が並んでいた。その中間あたりに人影が集まり、こちらを眺めている。最初から出ていた連中は、さしたる武装もしていないが、いま宿舎から跳び出してくる男たちは、自動ライフルや火炎放射筒、レーザー小銃等を手にしている。近づいてくるのは正体不明の自走車なのだ。レーザー小銃を構えた男が一歩前へ出た。真紅の光条が斜めに、自走車の前方の地面に吸い込まれた。直径三〇センチほどの大地が溶解し、水蒸気を噴き上げた。
「しゃらくさい」
せせら笑う伯爵をスーがふり返って、
「やめて下さい」
と言った。彼の声に報復の意志を感じたのである。
「止めろ」
とDがドアの方へ向かうのを、横眼で眺め
「このわしが、いちいちおまえの指示に従わねばならんのか」
伯爵は不平面をしたものの、
「生命を預かっている━━おまえのな」
「そうじゃぞ。大人しくしているメル・ゼナ嬢を見習え」
「貴族たるもの優雅たれですわよ。ブロージュ伯爵」
とDと左手とメル・ゼナにそう返され、ますます不平面を露骨にして
「止めい」
と命じた。現われた黒い若者をひと目見た途端、声にならないどよめきが男たちの間を渡った。その美貌に度肝を抜かれ、その妖気に骨まで痺れたのである。
「調査隊か」
とDは訊いた。男たちが顔を見合わせたところへ、宿舎のひとつから長身の壮漢が姿を見せて、足早に彼らの前へ出た。
「『都』から派遣された第二次辺境調査隊のものだ。おれは隊長のオットーという」
「Dだ」
今度こそ、凄まじいどよめきが渦巻いた。
「君が━━Dか・・・・」
オットーの精悍な顔にも、興奮と驚愕の色がある。
「どんな賞賛も足りぬ凄腕のハンターと、『都』にまで響く名だ。まさか、こんなところで会えるとは━━」
それから、後方の自走車へ眼をやって、
「あれが乗り物か?」
と訊いた。話に聞く眼の前の若者と自走車とが、どうしても一致しないのである。
「便宜上、な」
とDが答えた。どうやらオットーが気に入ったらしい。それがわかったのか、調査隊長も微笑して、
「━━確かに貴族退治なら、吸血鬼ハンターの出番だな。これまで何人も出掛けて帰らなかったが、Dと呼ばれる男なら、或いは━━」
「第二次調査隊と言ったな」
「ああ。ひと月ばかり前に第一次が出動して、それきり消息を絶った。おれたちは二日前に到着したが、ベース・キャンプを設営して、いよいよ明日、出動だよ」
「━━おい、よかったら、あんた、一緒に行かねえか?」
と髭だらけのひとりが声をかけてきた。
「吸血鬼ハンターてな、貴族の生態に詳しいんだろ。一緒に来てくれると助かるぜ━━なあ」
同意を求められた男たちも一斉にうなずくのへ、
「よさんか、みっともない」
とオットーが一喝した。
「彼には彼の仕事がある。おれたちがいても足手まといになるだけだ。もっとも、おれたちにとっても同じだがな」
にやりとDを見たところへ
「偵察が戻ったぞ!」
と声が上がった。何人かが走り出す。オットーもそっちへ眼をやり、すぐにDを向き直って
「後でな。お互い、情報交換だけはしとこうや」
と言って背を向けた。
「やるのお、あの男」
左手が感心したような、嘲るような声を出した。返事は無論、ない。
戻ってきた偵察の姿を見て、オットーは息を呑んだ。両腕が肩のつけ根からもがれて、恐らく逃れながらだろうが止血殺菌帯を貼りつけてあるせいで、何とか生を長らえているとしか思えない。五分と保つまいとオットーは判断した。戻ってこれただけでも奇跡の重傷だ。
「ひとりだけか?」
と声をかけた男に訊いた。偵察隊は五人出してある。男はうなずいた。周りの連中ともども凄惨な顔つきである。医師が駆けつけてきて傷口を調べ、偵察に気づかれぬよう首を横にふる。
「何があった?」
オットーの問いは理解できたらしく、偵察は灰色の唇を震わせたが、声は出なかった。剥き出しの瞳から光が急速に失われていく。
「駄目か」
と死者を送るように眼を閉じかけたオットーの視界を、黒い影が斜めに横切った。死にゆく者の額に当てられた左手と、美しい若者とを、男たちは交互に見つめた。何やら呪文を唱えた奴もいる。あまりの美しさと人間離れした妖気に、Dの行為はすべて神秘的なものに映るのであった。偵察の眼に光が戻った。驚愕の叫びが噴き上がり、死から甦った仲間に視線を集中した。
「わかるか、ボラン?━━オットーだ。他の連中はどうした?何があったんだ?」
のぞき込むオットーの肩を、痩せこけた手が掴んだ。オットーは顔をしかめた。凄まじい力であった。
「みんな、やられた・・・・逃げろ・・・・奴ら・・・・追って・・・・くるぞ」
何人かがぎょっと黒い平原の方を眺めたが、すでに濃い蒼闇に覆われはじめた大地には何も見えなかった。
「奴らって何だ?」
と別の男が訊いた。
「光る円筒だ・・・・何十本も手があって・・・・仲間を持ち上げやがった・・・・それから、何か・・・・注射して、みんな・・・・バタバタと・・・・」
そのときだった。平原に近い方から何か来る気配がした。
「何か来るぞ、光ってる!」
男たちは一瞬、偵察の顔を凝視してから立ち上がった。
「・・・・来たぞ・・・・逃げろ・・・・闘っても・・・・無駄だ」
大きく息を吸った身体に、鋭い痙攣が走り、彼はこと切れた。騒然とする周囲も知らぬげに、Dは立ち上がった。死者に頭をひとつ下げてから、オットーが、
「君のおかげで、やってくるのが敵だとわかった。礼を言う。━━下がってくれ」
「隊長━━助けてもらったらどうだい?」
火薬連射銃の弾帯を、何重も首に巻いた男が、Dの方へ顎をしゃくった。
「彼は民間人だ。自分で自分の身を守ればいい。他人を当てにするな」
「けどよお」
「くどいぞ。・・・・バリケードを強化しろ。一〇〇メートル以内に入れるな」
Dの肩をひとつ叩いて、じゃ、なとオットーは走り去った。医師が死体の手を掴んでどこかへ引きずっていった。
「放っておくつもりか?」
と左手が訊いた。
「そういう指示だ」
「ま、そうじゃの。しかし、あのオットーとかいう奴、人間にしてはできておる。無駄死には勿体━━ぎゃっ!?」
拳をきつく握りしめ、Dは闇の中に黒々と蹲る自走車の方へと歩き出した。光点の接近具合は、幸いゆるやかであった。発見から五分で、キャンプの前面には強化プラスチックと軽合金の楯を並べた三重のバリケードが完成し、防衛体制は整えられたのである。
「二〇〇メートルまで接近」
と赤外線望遠鏡をのぞく隊員が声を張り上げた。
「一〇〇メートルで攻撃開始だ。狙いをつけろ」
オットーの指示を待つまでもなく、すでにライフルの照準はつけられ、火炎放射器の油煙で汚れ切った銃口は青白い点火炎を噴いている。光点はすでに本体を露わにしていた。着実に近づいてくる。こちらに用心している風もない前進は、ゆるやかなだけに、守る男たちの胸に不気味なさざ波をたてた。
「一〇〇メートル」
望遠鏡の隊員の叫びと同時に、火線が夕闇を赤く染めた。円筒状の身体に着弾の火花が点る。前進に変化はない。弾丸はことごとく胴体の曲面で滑ってしまうのだ。
「五〇メートル━━四〇メートル」
看視役の声が三〇メートルを告げた刹那、二条の炎が敵を襲った。満を持して待機中の火炎放射器であった。命中した炎は接触部分で広がり、すぐに滑り落ちた。円筒生物の外被は、油も水と同様に弾きとばす特殊加工が施されているのだった。為す術もなく、男たちは二〇メートルの声を聞いた。凄まじい爆発が円筒たちをよろめかせた。つづけざまの炸裂に、炎と煙が敵を押しつつんでしまう。最後の武器━━榴弾砲であった。
黒煙の向うから銀色の胴が見えてきた。バリケードがみるみる剥がされ、へし折られていく。触手の仕業だった。どう見ても数メートル足らずのそれが、二〇メートルに伸びたのだ。
「後退しろ。逃げるんだ!」
オットーの叫びを待たず、男たちは敗走に移る。
バリケードを解体した円筒どもは、蛇のごとき触手を蠢かしつつその後を追った。二人捕まった。悲鳴は断末魔の絶叫に似ていた。みるみる地上一〇メートルまで持ち上げられ、首すじに別の触手の針が突き刺される。
「野郎」
オットーの足下に、二つの死体が放り出されたとき、彼は腰のサーベルを引き抜いた。もとの位置で、接近してきた円筒の胴へ一撃を食らわせた。加えた力はそのまま戻って、彼の手首から肩までを痺れさせた。触手が胴に巻きついた。鉄の輪で締めつけられる激痛と窒息感がオットーの眼をくらませた。みるみる顔が暗紫色に染まり、痙攣が全身を襲う。もがく首すじに別の触手が近づいていった。先端の針が、火炎放射器の炎に妖しくかがやいた。オットーを捕らえた円筒は斜めに滑りはじめた。切断された電気系統のメカが青白い電磁波を放つ。襟首を掴んで引き起こされ、オットーは蘇生した。世にも美しい若者が見下ろしている。恐怖も腰の痛みも忘れて、彼は陶然と眺めた。
「動けるか?」
とDが訊いた。我に返って
「━━何とか、な」
まだ、陶酔感が抜けない。
「行け」
凄まじい力で後方へ跳ばされ、オットーは頭から地面へぶつかった。夢中で跳ね起き、ふり返る。円筒はDを新たな敵と認識したらしい。男たちを追う数台を除いて、一斉に黒衣の美影身へと殺到した。オットーは眼を剥いた。斬れたのだ。Dの右手の一刀が閃くたびに、火器を物ともしなかった円筒どもが呆気なく両断され、地面で青い火花を噴き上げるのだった。Dを捕獲すべく伸ばした触手も残らず断ち斬られた。
「後ろだ!」
と、誰かが叫んだ。男たちを追っていた円筒が、Dの背後に廻ったのだ。電光の速度で黒衣がはためくより早く、二つの槍の穂が二台を串刺しにするや、一気に空中へと跳ね上げた。円筒は虚空に吸い込まれ、やがて、一〇〇メートルも右方で青い光が二つ、閃いて消えた。歓声は上がらなかった。男たちは、見てはならないものを見たのである。
━━古の龍の如き貴族と身の丈四メートルもの貴族を。
「見てもいられないので勝手に出てきましたわ」
「余計な真似であったかな」
ブロージュ伯の言葉は、二人の槍が円筒を貫く前にDが反転し切っていたのを見抜いたためか。その右手で、ごお、と長槍が風を切った。周囲の男たちが悲鳴を上げて身をすくめる。腕ならしではない。明らかな威嚇行動だ。
「き・・・・貴族だ」
誰かの声を合図に、
「で、でけえ」
「化物・・・・でも・・・・美しい」
どの声も小さく、脆く、散発的であった。人間の精神には、貴族に対する根源的な恐怖が、潜在意識のレベルで灼きつけられている。一万年以上前、貴族が人間に施した遺伝子レベルでの"教育"の成果だという者もいるが、当時の記録はすべて抹消され確かめようもないのが実情だ。
いかに科学力に差があろうと、一万年の長きにわたって人間に反抗の兆しも見えなかったのは、このせいだと考えれば辻褄があう。貴族の方もそれを知っているから、思いきり傲慢になれる理屈だ。
地上四メートルの高みから、人間たちを見下ろすブロージュ伯爵の眼には、明らかに軽侮の光があった。ま、彼とメル・ゼナとDがいなければ、調査隊は全滅していたかも知れないのだから無理もない。
「話は聞き終えたのか、Dよ?」
天から降り注ぐブロージュの声に、人々はまた身をすくめた。雷神の怒号に近い。
「終わった」
Dは刀身を収めた。
「では、さっさとヴァルキュアのところに行きましょう」
ここで伯爵とメル・ゼナはDとの会話を切り、周囲を見廻した。殺気が漂っている。調査隊全員が、伯爵とメル・ゼナに武器を向けているのだ。どれも音をたてる勢いで震えながら、その銃口からは濃密な殺意が炎となって噴き上げているようだ。突如として、貴族に対する人間のもうひとつの反応図が描かれてしまった━━この生物を滅ぼせ、と。その人間達の反応に伯爵はほうという表情をして、メル・ゼナはこうなることを予想していたという反応をしていた。
そしてその間Dが割って入った。
「二人はおまえたちを救ったぞ」
と、彼はオットーに言った。オットーも四本銃身の火薬拳銃を伯爵とメル・ゼナに向けていたのである。
「ああ。━━礼を言う」
オットーは横目でDを見た。瞳には憎しみが燃えていた。それは美しい若者と龍の貴族の少女の美貌を灼きつけても衰えなかった。
「君にも感謝している。だが、ここにいる連中は、ひとり残らず、貴族のせいで肉親を失ってる。『都』での掃討戦は二〇年もつづいたのだ」
「他人を憎むのは愉しいことだ、か」
嗄れ声が一瞬、オットーの眼をDの左腰の方へ吸いつけた。彼はすぐに視線を戻して、
「君は━━ダンピールだったな。なら、どちらの気持もわかるか?それとも、どちらもわからないというつもりか。だが、これに介入するつもりなら、そうやって都合よく済ますわけにはいかんぞ。離れていろ。さもなければ、あの剣技でおれたちを殺せ」
「彼は斃せんぞ。任務を果たさず死ぬつもりか?」
「構やしねえ」
オットーの左右にいた男たちが、火薬銃と鉄鋲ガンの銃口をDに向けた。
「おれの餓鬼は、女房に首を引っこ抜かれて死んだ。女房は前の晩、貴族に血を吸われてたんだ」
「おれの家族は、貴族の人間狩りの獲物にされたんだ。親父と女房と娘が二人、貴族の馬車に轢かれてぺちゃんこさ。おれは、それを引き取りにいかなきゃならなかった。みんな二回ずつ轢かれてたぜ」
「あんた、ダンピールだってな。なら、その剣を抜きなよ。そして、どっちかに斬りかかるんだ。できたら、おれたちの方に頼むぜ。貴族の血を引く奴を吹っとばしてやれるからな」
狂気の渦巻く瞳を、深く冷たい黒瞳が映していた。
「Dよ━━動くな」
と伯爵が言った。
「ここは何もせぬがよい。ただし、後でわしを怨むなよ。おまえの中の人間が」
静寂が落ちた。あらゆる気配が二種の狂気に吸い込まれたのである。この狂気に無関係を決め込んでいたのはこの事態を無視してさっさとヴァルキュアの元に行きたいメル・ゼナだけだった。
すべてがDから遠ざかっていった。人間の憎悪も貴族の怒りも。彼はどちらにも属していなかった。その剣は抜かれるのか、鞘に収まったままか。閃くとしたら━━どちらへ?夕闇に殺気が死を求めて凝集した。
「「待って
誰も想像しなかった二つの声が、闇と殺気を後退させた。男たちと伯爵とメル・ゼナと━━Dの眼が一斉に自走車の方を向き、そのドアの前に立つ影を捉えた。
マシューとスーは小走りに前へ出て、何とか男たちにも顔立ちが見分けられる距離に来た。
この勇気ある兄妹は、一触即発の状況に耐えられず、車を出てきたのだ。だが、どうやって?車のメインコンピュータには決して兄妹を車外へ出してはならぬと命じておいたのに。
伯爵はじろりとDを見て、苦笑した。彼の左手は手首から先が消滅していたのである。自走車からスーが出てこれたのは、この辺に鍵があるらしい。
「争うのはやめて下さい。この人たちは、わたしを守ってここへ来てくれたんです」
スーの言葉がとまどいの風となって男たちの間を吹き渡り、ただちに驚きに変わった。
「守って?━━貴族が人間をか?」
「おまえ達は何処の兄妹だ?」
「いや━━そもそも人間か?証拠を見せろ」
「そうだ!」
ほとんど物理的な打撃に等しい驚愕と疑念と怒りの声の嵐を、マシューとスーの全身を打ったが身じろぎもせずに受けた。車を飛び出したときから覚悟は決めている。
どよめきが退いていった。オットーが前に出たのである。彼は伯爵とメル・ゼナを見て、マシューとスーを見下ろしてから固い声で訊いた。
「君達は━━人間か?」
「はい」
「何処の村の者だ?名前は?」
マシューとスーが答えると、
「貴族と一緒に旅をして、人間のままとは信じられん。何もされなかったのか?」
「はい」
マシューとスーは胸を張った。ここが頑張りどころだ。
「伯爵とメル・ゼナは何もしてないよ。ただ、俺達を守って、ここまで来てくれただけだ」
「━━何もなかったと証明できるのかよ!?」
男たちの中から震え声が飛んだ。オットーの表情が変わった。貴族と旅をして何もなかった━━血を吸われなかったと証明する方法はひとつしかない。口づけの痕がないこと知らせるのだ。そのためには━━
「できま━━おれがいくよ、スー」
返事をしようとしたスーにマシューが割り込んだ。
「おい、君」
とオットーが声をかける前に、マシューは纏っている服を脱ぎ捨て、貴族の口づけを受けていないことを調査隊に示した。妹の肌に指一本触れさせはしない。その決意を疑う眼に白い裸身を探らせはしない━━マシューの行動はそういう決意があったのであった。
「もう、よせ」
マシューの覚悟を受け取ったオットーはその行動を止めるように行った。
「済まなかったな。恩を仇で返すところだった。このとおりだ」
深々と頭を下げる姿に、マシューとスーは安堵した。Dが歩き出した。オットーも隊員たちの方も見ずに伯爵達へと近づく天工の彫像のごとき美しさと漲る鬼気に、動くものはない。
「行こう」
とDは言った。その言葉を待っていたように四人が動いた。
「うまくいったようじゃな」
と嗄れ声が言った。いつの間にか、Dの左手は原形に復している。
「誰の血も流れんかった。おまえの手を離れたのはわしの独断専行じゃが、ああでもしなければ、おまえは伯爵とメル・ゼナを庇うために、あいつらを皆殺しにしていたじゃろう。兄妹には気の毒をしたが━━ぐえ」
握りしめたDの拳はかすかに震えていた。凄まじい握力に指は白く変わっていた。
「ぐええ・・・・おま・・・・おまえは・・・・まだ甘い・・・・健気な心意気とやらに・・・・感動しおった・・・・か・・・・ぐええええ・・・・」
声は熄んだ。Dの指の間から、赤いものが滲みはじめていた。ドアが開いたとき、メル・ゼナ以外にとっては珍しい顔が四人を迎えた。
「人間の子供にしては、頑張ったこと」
艶やかな美貌に華麗な白いドレス姿は、ミランダ公爵夫人以外のものではあり得ない。
「大した車じゃの」
と左手が伯爵に聞こえよがしに言った。公爵夫人が自在に入り込んだことを揶揄しているのである。伯爵は露骨に苦い表情をつくって、
「あら?ミランダ公爵夫人は単独行動をしていたのではなかったのですわ?」
「何処で何をしておった?」
メル・ゼナとブロージュ伯爵はミランダに訊いた。ガリオンの谷で"シグマ"の造り出した異空間に呑み込まれて以来の再会である。
「色々と」
二人の貴族の質問にミランダははぐらかすように答えた。口もとに手を当てて笑った。その仕草は、眼もくらむほどの妖艶さだ。繊手は白く、唇は血のように朱い。
「まぁいいですわ━━ヴァルキュアの元に行きましょう」
メル・ゼナの言葉に伯爵がうなずいて、ミランダへある言葉を投げかけた。
「おぬしも同行するだろうな?」
あまりして欲しくない口調である。
「いいえ。ここで下りましょう。やり残したことがあるの」
「わたくし達の仕事は━━」
「じきに追いつきますことよ。夫を亡くしてから気がついたのだけれど、わたしはひとりが性に合っているのです。自由に月の光を浴び、月光草と闇水仙の香りをかぎながら夜の世界を飛び廻るのが、わたしの生き方です」
「生き方のお――死に方ではないのか」
小さな嗄れ声の方を、じろりと一瞥し、しかし、マシューとスーの方を向き直った夫人の眼と表情は、不思議に穏やかであった。
「私は勇気ある者が好きじゃ。人間は別だと思っておったが、おまえ達を見て気が変わった。どうやら、私は守る価値のある者を守っているらしい」
唐突にミランダに褒められた兄妹は狼狽えたが悪くないような気分になって微笑した。態度を軟化させたミランダの様子に伯爵とDとメル・ゼナが顔を見合わせ
「気でも狂れたか、あの女」
と伯爵がつぶやいた。そこまではよかったが、
「そこでだ。私の一族に加わらぬか?」
とミランダは兄妹に貴族にならないか?と誘い出したのだ。
「こら」
「それはいけないですわ」
とミランダの勧誘は伯爵とメル・ゼナとジロリと睨んでいるDに制止される羽目になった。
「残念だこと。立派な貴族のふりができるのに」
こう言ってミランダは後じさり、ドアの前まで行くと
「また、いずれ」
と言うなり、一塊の霧が、いかなる細菌の侵入も許さぬはずのドアの隙間から、すうと抜けていった。
「相も変わらず、我儘な女だ」
ため息をひとつついて、伯爵は
「出動せい」
と空中に命じた。
「おお!動き出したぞ」
「化物ども。━━何処へ行くつもりだ」
「何にせよ、これで厄介者が消えたぞ」
口々に勝手な感想を述べる隊員たちの見守る中を、自走車はエンジン音もたてず闇に閉ざされた平原へと進み、じきに見えなくなった。
「彼らに、この先で待ち受けている存在について訊くべきだったな、隊長さん」
肩を叩かれてふり向くと医者だった。周囲にみちる負傷者の呻き声に、オットーはとがめるような視線を送った。
調査隊は生かしてこの先の話に登場させようかそのままフィールドアウトさせるかどうか迷っています。
誤字脱字、アドバイスがありましたら報告よろしくお願いします。