貴族メル・ゼナ   作:一般通過龍

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小惑星が堕ちてきた後のヴァルキュアの領土で何処からともなく、すすり泣くような音が一帯に溢れはじめた。

年頃の娘なら頬を染めて耳を押さえたくなるような、それでいて、わずかに手をゆるめて聞かずにはいられないような━━恍惚の喘ぎだ。見えない炎のように熱く絡み合うそれは、すぐ聞き違えようもない女たちの喘ぎと化した。

 

「素晴らしい・・・・いや、凄まじい・・・・この私が溶けてしまいそうなほどに」

 

「ああ・・・・狂う・・・・狂う・・・・血などはいらん・・・・私と一緒に・・・・果てて」

 

「誰が・・・・一体、誰が・・・・このような貴族を造ったのじゃ・・・・」

 

「助けて・・・・誰か助けて・・・・もう・・・・駄目・・・・これに殺されるなら・・・・悔いは・・・・ない・・・・」

 

声はすべて、メル・ゼナの体内から聞こえた。この声の表わす恍惚と淫らさの中で死にたいと、誰もが望むだろう。あたかも、パンドラの函から脱け出した想いのごとく、白い形が空中に浮き上がった。四つ。うち三つは何やら白い霊体のような形を為さぬ塊に黒髪らしきものをまとわりつかせて地に落ち、ふたたび動かなかった。ひとつ残った。いや、その顔も身体も半ばとろけた黒髪の女がひとり、吐き気を催す色合いの粘液の糸を引きながら、必死にメル・ゼナへとにじり寄ろうとする。

 

「無惨じゃ・・・・五千年前まで・・・・人間どもの血と精を・・・・好きなだけ呑み尽くし、妖よ魔よと恐れられた我ら"吸精女団"が・・・・本能全開で暴れる貴族ごときに・・・・このような・・・・」

 

ぶつぶつとつぶやく声は、死者のそれだ。腰から下は完全に溶け崩れ、それでもメル・ゼナにすがりつこうとする執念は、骨の髄まで冒す怨みのもたらすものか。

 

「三人の仲間は・・・・死んだ・・・・私だけが残った・・・・せめて・・・・道連れ・・・・」

 

 

小惑星が直撃した後、貴族メル・ゼナは偵察に来たヴァルキュアの刺客の"吸精女団"の精を逆に吸い取って蹂躙していた。

その姿は血に狂う残酷な貴族と荒ぶる古の龍が重ねて見えたようだ。

 

 

"吸精女団"の最後の生き残りの一人の左の眼球はすでに糸を引いて落ち、鼻は崩れ、唇も裂けた無惨な表情になったが必死に、メル・ゼナの胸もとまで辿り着くと、女は顔を伏せて呼吸を整えた。顔が上がった。口内の歯すべてが牙に変わった顔が。それがメル・ゼナの喉笛へ躍りかかろうとした刹那、白光が斜めに女の喉もとを走った。女の残る眼は、首ごと舞い上がった高みから、迸る鮮血を見た。それは首の斬り口から噴き出る血であった。

 

その血が貴族メル・ゼナに吸い取られる前にそれを止めたモノがいた。いつの間にかそばに来ていたDだった。

 

「大丈夫か?」

 

その美声を聞いた瞬間にメル・ゼナは正気に戻った。

なんということだろう。この美しき黒衣の若者が放つ言葉は血に狂って暴走した貴族を容易く正気に戻す魔力があるのだろうか!

 

「見苦しい姿を見せてしまって申し訳ありませんでしたわ。ありがとうございます。D様」

 

我に返ったメル・ゼナは恥ずかしがりそうにDに感謝した。

 

 

 

あぶないところでしたわ。神祖に会ったショックで暴走状態みたいになってしまいましたわ。Dと同じ人間の血が入った成功作の貴族と神祖に言われたバイロン・バラージュ男爵と自分が同じなのかはわかりませんが失敗作コースまっしぐらの振る舞いを続けてしまうところでしたわ。あぶない、あぶない

 

 

 

 

 

 

 

冷たいものが額に当てられた。小惑星ミサイルの衝撃で気絶していたスーは眼を開いた。見覚えのある顔がのぞき込んでいる。

 

「動くな」

 

「あなた━━スーラ!?」

 

驚きのあまり身を固くし、それが激痛を呼んで、スーは悲鳴を━━上げられなかった。それさえも筋肉を使う。痛い。

どうやら隕石の影響を受けて傷ついたらしい。

 

「全身打撲だ。内出血していないとも限らない。しばらく、動くな」

 

「少し待て」

 

スーラはこう言って少女を見下ろした。

 

「どうしたの?」

 

ふと、スーは訊いた。

 

「何が、だ?」

 

「なぜ、そんな哀しそうな眼で見るの?」

 

「いつも、こうだ」

 

「嘘よ。前は違っていた」

 

「違っていた、か」

 

巨人はうすく笑った。優しい眼をしている、とスーは思った。

 

「殺し屋には見えない」

 

と口をついたのは、そのせいであった。

 

「もとは違う。おれも、カラスも、な」

 

「あの女性のことは聞いたわ。あなたは━━」

 

巨人は身体を振るようにして、身体の位置を移した。立っているのかと思ったら、最初から胡座をかいた巨体だったのだ。

 

「カラスが身の上話をしたか。なら、おれもよかろう。つまらん話を聞いてみるつもりはあるか?」

 

「ええ」

 

巨人はスーの顔の上に、大きな右手を持ってきた。親指と人さし指で何かつまんでいる。

 

「口を開けろ」

 

「何よ?」

 

不吉な予感に襲われて、スーは眉を寄せた。

 

「安心しろ、薬だ。内出血していれば、これで吸い取れる。おれはおまえに危害を加えるわけにはいかん。わかるだろう」

 

そのとおりだった。この刺客はスーと一緒にいながら、声ひとつ荒げたことはなかったのだ。スーは口を開いた。何か軟らかい塊が喉へ━━タイミングよく呑み込んだ。それはいきなり長い紐のような感触を食道に与えて、自ら滑り下りていった。

 

「やだ━━何よ!?」

 

下腹を押さえようとしたが、怖くてできなかった。それは臍の下あたりまで下がって、急に感じられなくなった。

 

「おれの暮らしていた山なら、どこにでもいる吸血虫だ」

 

「━━━」

 

「他の生物の口腔から入り込んで血を吸うが、人間だけは内出血部のみを吸ってくれる。役に立つ虫だ」

 

「内出血してなかったら?」

 

「心配ない。トイレへ行けばいい」

 

スーは宙を仰いで我が身を呪った。いきなり、頭の芯がずきん、ときた。視界が闇に閉ざされ、すぐに戻った。

 

「どうだ?」

 

とスーラが訊いたので、頭を指さすと彼はうなずいた。

 

「脳内出血だ。運がよかったな。潜り込んで吸い取ってくれたぞ」

 

「潜り込んで?」

 

「その辺は、虫の企業秘密だ。脳を溶かして通路をつくった後で、戻るとき再生するらしい」

 

どうやってよ、と訊きたかったが、スーはあきらめた。巨人はわからないと言ったのだ。

 

「その調子では、吸い終えるまで少しかかる。おれの話はこうだ」

 

スーラは話し出した。遠くで稲妻が閃いた。

 

「昔、人間はおれのことを"山人"と呼んでいた」

 

スーは記憶を辿って

 

「聞いたことがあるわ。ずいぶん、昔よね」

 

と言った。

 

「ざっと五千年前だ」 

 

スーラはそのとき、父親と一緒に緑濃い山の奥で暮らしていた。母は早く亡くなり、苛酷な自然に耐え切れなかった兄弟もみな死んだ。

 

「生活といっても、山竜やイワイヌ、死熊等を獲って腹を満たし、その皮を剥いでは、年に一度くらい、狩人や木樵のもとへ届け、山刀や火薬銃や弾丸と交換する━━それの繰り返しだった。たまに、道に迷った旅人を助けたり、ヘビトラと戦って動けなくなった猟師を麓まで送ってやることもあった。その頃は、人間との生活もうまくいっていたんだ」

 

ある日━━スーラが五歳の冬、重い傷を負った貴族が、二人の住む洞窟へと迷い込んできた。匿ってくれという彼を追い出す理由もなく、ネットリグサや吸血虫を使って治療を行い、一週間ほどで完治した。傷は刺し傷であった。そこへ、人間の兵士の一団がやって来たのである。貴族はその場で心臓に杭を打たれ、彼を救ったという理由で父親とスーラにも銃弾が射ち込まれた。

 

「父は死んだが、おれは上衣のポケットに入れておいた煙草ケースに弾丸が食い止められて助かった。治療の礼にと、貴族がくれた品だ。おれが何より驚いたのは、おれと父を射ちまくった人間の中に、よく農作業を手伝ってやった下の村の者や、傷ついて動けないところを家まで運んでやった猟師がいたことだ」

 

急所を外れたとはいえ、片目を失い、他にも十発以上、弾丸やリベットが射ち込まれていた。動けぬうちに火も消えて、極寒の中でスーラは死を覚悟した。夢の中にその人物が現われ、おまえが救い、人間の手にかかったのは我が友だ。生命をやろう。わしの下僕となって人間どもを殺しまくれ━━と話しかけてきたとき、彼は昏睡状態で見る夢だと思った。

 

「それじゃあ、あなたは!?」

 

スーは驚きの眼を、腰を下ろした巨漢に向けた。

 

「━━あなたは、まだ子供のときの姿なの?」

 

巨人はうなずいた。

 

「"山人"の年の取り方は人間と同じと聞いたことがあるわ。何てこと━━」

 

「姿は子供だけれど。おれはたくさんのものを見すぎた」

 

とスーラは疲れたように言った。

 

「たくさんの生と死を、な。正直、山へ帰りたいと思わぬこともない」

 

そう言ったスーラの眼は悼ましげな、哀しげな。なんとも言えない眼をしていた。

 

「スーラ」

 

と呼びかけたとき、銀色の若者が二人のそばに近づいて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴァルキュア様」

 

キマの声だと知って、"絶対貴族"は、不格好な椅子の上から首をひねり、すぐに前方へ戻した。

 

「仕上げにかかるところだ。邪魔は許さんぞ」

 

地鳴りのような声に、

 

「偵察の吸精女団四名━━死亡したと思われます」

 

とキマは伝えた。他の者の連絡はすべて三次元立像だが、彼だけは直接、ヴァルキュアに伝言する。

 

「わかっている。ここは、わしの国だ。誰が手を下したのか手に取るように分かるわ。しかし大宇宙から、わしと同じ手を使って戻って来たことが気になるわ」

 

「あの方達ならば、それくらいのことが出来ても不思議ではないかと」

 

「そうとも」

 

ヴァルキュアはふり向いた。

 

「この"絶対貴族"だけに限らず、おまえが忠誠を捧げている存在だ。奴らが"迷路"を脱してから、わしは、奴の能力がすべて発揮されたとみて、フルモデルをつくり上げた。そして、戦った」

 

「それは━━どうなりました?」

 

キマも興味をそそられたらしい。我知らず、上体を乗り出した。

 

「五分五分だ。現実に戦っても、結果は同じだろう。ならば、引き分けとはいえわしの負けだ」

 

「・・・・・・」

 

「だが、わしは認めぬぞ。"絶対貴族"は常勝を運命づけられておる。キマよ━━ひとつ、おまえだけに教えてやろう」

 

「何を━━でございますか?」

 

「夢の中の男が、わしに申したことだ。━━絶対の危機に遭遇したときに限って、あるものの使用を許す。それは、次元幽閉塔の奥に隠れており、おまえが真に望んだときにのみ、解放のキイが与えられるだろう、と」

 

「それは一体?いえ、まず、その夢の男とは?」

 

「わからぬ、何もな。男としかわからぬ。その顔も姿も見たような気がするが、何ひとつ覚えておらんのだ。いや、そもそもが、夢の夢だったのかも知れん。ただひとつ・・・・・」

 

「ひとつ」

 

キマは自らの言葉を胸に落とした。

 

「その男の背後には荒野が広がっておった。このわしが、あそこにだけは踏み込みたくないと、夢の中で心底思ったほどの荒涼たる平原がな。奴はそこからやって来おったのだ」

 

ヴァルキュアは右手を上げた。黄金のカードが、それをつまんだ指の間でゆれていた。

 

「それが━━キイ?」

 

「ついさっき、気がつくと膝の上に乗っていた。どこから来たのか、誰が持って来たのかもわからん。このわしが、このわしの王国の中で、な」

 

「絶対の危機とは、D達のことでしょうか?」

 

「わからぬ、としておこう」

 

「それは━━」

 

キマは主人から眼を離した瞬間に、頭上から機械の合成音が、

 

「重力場牢獄から、囚人が脱走いたしました」

 

と伝えた。

 

「何!?」

 

ヴァルキュアの頬が震えた。重力場牢獄に封じてあったのは、絶対の危機に唯一、彼を救い得たはずの何かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の名前を呼びかけたスーの言葉を遮ってスーラが言った。

 

「避難しろ」

 

スーラが接近中の怪人に気づいたのだ。

 

「でも、無理よ、この距離では逃げ切れない。"あれ"はあなたと同じヴァルキュアの部下なの!?」

 

確かにヴァルキュアの領土で呼吸するものは、彼の臣下と見た方が無難だ。

 

「違う」

 

とスーラが口にしたとき、スーはすぐには信じられなかった。

 

「でも━━」

 

「おれが・・・・見るのははじめてだ。・・・・あんな部下は・・・・おらん」

 

「そんな」

 

スーは茫然と、台地を上り切って二人の前に立つ男を凝視した。

 

「貴様━━何者だ?」

 

とスーラが訊いた。巨体は立ち上がっている。男は首を傾げた。質問の意味がわからない、というより、言葉自体が理解不能という風である。妙に子供じみた仕草に、スーは困惑した。

 

「おれの名はスーラ。ヴァルキュア様の臣下のひとりだ。この領地にいるからには、知らぬはずはあるまい?」

 

「ヴァ・・・・ル・・・・キュ・・・・ア」

 

と男はつぶやいた。Dやメル・ゼナにもひけを取らぬ美貌が、急に変わった。スーラが驚きの声を上げた。そこに立っている男は、ヴァルキュアの顔に変わっていたのである。

 

「お、おまえ━━いや、あなた様は・・・・」

 

変化とわかっても、ヴァルキュアの顔を持っているものを、スーラはおまえと呼ぶことができなかった。男━━ヴァルキュア2とでも呼ぶべきか━━は、むしろ、のんびりとした動きで右手を上げた。鉄の棒を握っている。

 

「下がれ、スー」

 

スーラの剛腕がのびてスーを襟ごと後ろに引き戻す。ふり下ろされた棒が、空中で消滅した。スーの足下には太い溝が弧を描いていた。ヴァルキュア2は奇妙な表情を浮かべて、右手を引き戻した。棒も戻ってきた。

スーラが前へ出た。棍棒を握った右手ばかりか、全身が震えている。断末魔の痙攣に等しい。ここまで来れただけでも、奇跡に近いのだ。輪の外からの攻撃はことごとく消滅し、内側の一撃はふさわしい効果を上げる。━━スーラの守りと攻めを両立させた秘術だ。

スーラが棍棒を突き出そうとした瞬間、ヴァルキュアの顔を持った男は、鉄棒をふり下ろした。スーラの右肩が異音を発した。男の棒の半ばまでが巨人の肩を打ち抜いたのを、スーは見た。棒は消えなかった。スーラの右半身は忽然と消滅していた。あらかじめ、地形だけではなく自分の身体にも必殺の秘術の模様を描いていたのにも関わらず、それを、ヴァルキュア2の攻撃はその秘術をないもののように無視したのだ

巨人はよろめき、スーの方を向いた。哀しげな、許しを乞うような表情が岩盤のような顔を埋めた。

 

「済まない」

 

そして、彼は地響きを立てて自らの陣の内側に崩れ落ちた。その巨体にすがりつくスーを、ヴァルキュア2は、きょとんとした表情で見下ろした。自らふるった凄まじい力に対する自慢も、敵に対する軽蔑も、死者への憐れみも、かけらもない。スーを見下ろしたまま、数秒突っ立っていたが、不意に棒を逆手に持ち替えると、左手も添えて垂直に持ち上げた。ずい、と前へ出た。いまだに効果が継続している輪の中へ入っても、その姿は消えなかった。垂直に下ろせば、棒はスーの首すじを貫通する。ヴァルキュア2は狙いを定めなかった。無造作に下ろした。

その瞬間、第二の奇跡が起こった。絶妙としかいいようのないタイミングで、スーが右へずれたのだ。棒はその左肩を貫いた。ワン・テンポ遅れて、スーの脳が事態を理解し、口腔から助けを呼ぶ絶叫を迸らせた。左肩と左腕は消えていた。

 

 

 

「助けて!」

 

そんな絶叫のような助けを呼ぶ叫びをDとメル・ゼナの耳は聞きつけた。あの声は━━スーだ。声の方角はわかる。眼を凝らしたら、五〇〇メートルほど向こうの低い丘の上に、三つの人影が見えた。倒れているスーとスーラと。鉄棒を握っている銀色の男だった。身に貼りついたような銀色の衣裳に包まれた姿は、素晴らしいプロポーションを持っていた。問題はその表情だった。顔のつくりは気品に充ちていた。特筆すべきは、切れ長の双眸と唇であった。D達と比べて負けずに美しかった。

 

 

「やるぞ、あいつ」

 

と左手が愉しげに言った。

 

「凄まじいパワーを滲ませておる。あれを隠す力も兼ね備えておるはずじゃが、ああも無防備に露出しているとなると━━生まれたばかりか」

 

「ヴァルキュアの手の者か」

 

とDがつぶやいた。

 

「間違いあるまい。しかし、解せぬな。あいつの滲出する力━━おまえとメル・ゼナ嬢とヴァルキュアめの複数のパターンを示しておる。要注意だぞ━━と言っても、聞く耳持たぬであろうが、注意せい。まともに接触するのは避けるべきだ。━━うおお」

 

「ごちゃごちゃ言ってないで助けますわよ!」

 

Dとメル・ゼナは空中にいた。丘陵から一気に跳躍したのである。

 

 

 

 

 

 

細かい塵のようなものが、一瞬、空気を灰色に煙らせた。鉄棒が引き抜かれた。二撃目の逆落としが待っている。何の感情も浮かべず、ヴァルキュア2は棒を落とした。それは途中で止まった。左腰から刀身が生えていた。ヴァルキュア2は身を翻した。刺したのではなく、斬りつけたように斜めに突き出ていた刃はそのまま、身体は背後のDを向いた。

 

「ヴァルキュアか?」

 

やや驚いたような嗄れ声とは裏腹に、石をも震わせる美貌は無表情である。

 

「いや、違う。━━名前は知らんが、肝は太いらしいの」

 

ヴァルキュアの顔をつけている相手だ。こうも言いたくなるだろう。Dは刀身を抜いた。ヴァルキュア2の手がそれを掴んだ。刀身は止まらず引き戻されたが、指は落ちなかった。傷はすべて瞬時にふさがってしまったのである。最初の一刀も、突いたのではなく、右首すじのつけ根から、斜めに斬り下げた結果であった。

 

「刃は効かぬぞ」

 

と嗄れ声が言った。ヴァルキュア2の眼がぼんやりと、そっちを見た。その首を銀光が真横に薙いだ。頸部の中央に真一文字に白い筋が走り、すぐ消えた。首は飛ぶはずであった。首はもとの位置にあった。右手のひらが頭頂に乗っていた。Dの刀身が通り抜けた刹那、ヴァルキュア2が電光の速度で押さえたのだ。

 

「D」

 

ヴァルキュア2の表情が、声と同時に変わった。

 

「ほう」

 

と嗄れ声が感嘆した。Dを見つめているのはメル・ゼナであった。黒い光が走り、銀光が交差した。鈍い音をたてて、鉄棒と刀身が噛み合った刹那、棒は斬りとばされた。同時にDの身体は後方へ吹っとんだのと同時に離脱した。メル・ゼナがスーラとスーを回収して安全地帯に離脱したのを確認したからである

 

「━━D」

 

メル・ゼナの顔はそれはメル・ゼナの声でつぶやいていた。

 

「・・・・D」

 

もう一度つぶやいて、それは歩き出した。スーラのこしらえた輪の中へ。その身体は消滅し、真向いの輪の外へと現われたと思ったら、それはDの顔と声をしていた。

彼は

 

「D」

 

とつぶやきつつ突然、消えた。

離脱したDは足を止め、上体が震えると、彼は血を吐いた。ヴァルキュア2――いや、Dとメル・ゼナとヴァルキュア、三つの顔を持つ男のパワーは、本物に内臓破裂を引き起こしていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずスーを治療するのが大切じゃぞ」

 

左手が約束を守れと釘を刺してくる中、D達は身を屈め、スーとスーラの傷を見ていた。

 

 

「傷の表面は硬質化しておるな。問題はショックじゃ。神経系が大分いかれておるぞ」

 

「両者共に命に関わる傷ですわね。早く治療しないと危ないですわ」

 

「何とかできるか?」

 

「応急処置はな。後はあそこの設備次第じゃ」

 

メル・ゼナがスーとスーラに自分の生命力を分け与えるという芸当で応急処置している間に、Dは視線を移動させた。例のメカから百メートルほど左手に、地上に突き刺さった流れ星のような菱形の建築物が見えた。短径は百メートル、長径なら五百メートルを越す。

 

「病人がノイローゼになりそうな場所だが、あのサイズなら、医療施設もあるじゃろうて」

 

左手の言葉どおり、広大な建築物の内部には、管理区、居住区と医療施設も完備していた。Dはスー、メル・ゼナはスーラを担いで運び、閉ざされたドアをオープンさせた。施設の異物排除装置や防御機構は、Dの青いペンダントの前に効力を失った。

近隣の村人が見たら、奴隷として使役されてもここで働きたいと言いかねない医療メカが、スーラとスーのために選択した治療法は、ナノ・マシンによる細胞と骨格の複製であった。十万分の一ミクロン単位の医療マシンが、みるみる人工筋肉と疑似骨格とを製造してゆく様は、魔法に近かった。無から有を生み出す錬金術師の夢の実現はこれなのかも知れない。

 

「スーは助かりそうじゃが、でかいのは危ない」

 

と左手が、スクリーンに映る治療データを見もしないで言った。彼はDの眼を通して読み取ることが可能なのである。

 

「あれは、貴族の魔手にやられておる。いかに"ヴァルキュアの七人"といえど、いざとなれば普通ではない貴族には敵わんとみえる。スーとも仲が良さそうじゃったが、さて、どうする?」

 

冷たいものが脳を刺激し、スーは眼を醒ました。D達が立っていた。何を訊いても答えず、彼はスーを磁気移動チェアに乗せて、病室から治療室へと導いた。治療台の上にスーラが横たわっていた。

 

「あと五分と保たない」

 

Dは静かに告げた。美しい死神がいるとすれば、こんな風に違いない。

スーは巨人に近づいた。刺客に救われた。道行きの途中で感じていた想いが、いま、はっきりとした形を取った。スーラも、ヴァルキュアとともに五千年を生きた男だった。そんな生命が、いま尽きようとしていた。何を言ったらいいのかわからない。黙って、巨人の手を握った。思ったよりずっと分厚く柔らかい手は、ひどく冷たかった。

 

「スー・・・・」

 

気のせいかと思った。次は確かに聞こえた。

 

「・・・・行く・・・・な」

 

それは、大公のもとへ行くなという意味か、それとも、自分のそばを離れないでくれとの哀訴であったろうか。冷たい手を頬に押し当てて、

 

「行かないわ、どこへも」

 

とスーは言った。それきり何も言わず、五分と少したってから、スーラはこと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小惑星ミサイルは不発に終わりました」

 

と、誰かが別の誰かに報告した。

 

「しかも、目標には何ひとつ具体的な被害が出ておりません。まるで、ミサイルが途中で消滅してしまったかのようです」

 

「"絶対貴族"なら、それくらいのことはやるだろう。不思議なことではない」

 

と誰かが答えた。左手の人さし指に大きなダイヤの指輪をした男だった。

 

「でしたら、もう手の打ちようがありません。首長が認められるのでは」

 

「我々の先祖が貴族と戦ったとき、唯一の武器は朝を待つ忍耐だった。人間、あきらめが肝心、ではないのだ」

 

「━━では?」

 

「小惑星ミサイルが不発でも、止められぬものがあるということだ。天からが駄目なら、地から」

 

長い間があった。恐怖を醸造するための間であった。

 

「・・・・まさか、あれを使うおつもりでは?・・・・大陸がひとつ消滅してしまいますぞ。いや、二次的被害の規模を考えたことがおありですか?」

 

「小惑星ミサイルのときは考えなかったというのかね?」

 

「・・・・ですが、あれは・・・・」

 

「これ以上、議論してもはじまらん。あと必要なのは、決行の時間だけだ」

 

決定が下った。いつの時代でも、どんな状況でも、決定とは非情なのだった。

 

 




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