食堂帰り、今宵も上質で美味な夕餉に舌鼓を打ち腹も膨れた今、特にやることもない上杉謙信こと長尾景虎は歩を進めながらも腕を組み「むむむっ…」と整った眉先を寄せる。彼女を悩ませている種の正体は、"誰と、どうやって晩酌しようか"という単純であり難問であった。
「さて、どうしたものですかねぇ…」
というのも、食堂から退室する間際に厨房の主と言っても過言ではない赤い弓兵に呼び止められたのが発端だ。何でも昼間にレイシフトしたマスターに随伴したサーヴァント達が現地から土産として食糧や調度品などを調達してきたらしく、その中には近代日本産の酒類も含まれていたそうな。
平時であれば数量や各々の予定などを考慮された上で厨房組の判断で放出、提供されるのだが、今回は異常な数量が持ち込まれたらしく、一律管理が難しい飲料である酒類の処理に厨房組は困り果てていたとのこと。
そこで、とうとう厨房組が匙を投げるに至る。
『良ければ、持っていってくれないか?』
厨房の奥で世話しなく動いていた赤い弓兵が、こちらに気付き声をかけてきた時を思い出す。聞けば普段から酒類を注文してくる酒好き、酒豪のみならず、倫理的に問題がないと厨房組が判断したサーヴァントへ在り余る酒類を配る荒業に打って出ざるを得なくなったとか。管理も面倒であり、そもそも置くところがない。『ならばサーヴァント達に飲ませてしまえ』という、もはやヤケクソ気味な対応である。
「酒に貴賤はありませんし、タダ酒ほど美味しいものはありませんからね」
ひょい、と彼女が掲げたのは一升瓶。酒好きであり酒豪でもある彼女が腕よりも太いソレの中身を飲み干すのは簡単だが、先のバラマキで酒を嗜むサーヴァント達の手元には多種多様な酒が握られている状態なのは明白。であれば、無類の酒好きがやるべきは"頭数を揃え色々な酒を楽しみたい"と結論付けるのも当然。
「んー、とりあえず"座敷部屋"にでも突撃してみますかね」
宛もなく歩いていた彼女だったが、呟きと共にくるっ、と方向転換。足を向けたのは日本出身のサーヴァント達が集まる大部屋、通称"座敷部屋"。まだ宵の口であり、『まぁ誰か居るだろう』くらいの気持ちで足早に向かう。
と、目的地を目前にして、見知った顔が廊下の向こうから顔を出してきた。それは、少し気怠そうに、フラフラと不安定な足取りで肩掛けした上着を揺らす武田信玄。「おやぁ?」と訝しげに小首を傾げ謙信は駆け寄っていく。
「晴信、どうかしました? 誰かに負けました?」
「お前か…別に、何でもない。あと、俺は誰にも負けん」
目の前まで駆け寄った謙信が信玄の顔を見上げ覗き込むと、心底げんなりとした様子で盛大な溜め息を一つ。煽りに負けん気で返す彼との会話そのものに違和感はないものの、覇気がなく語意も沈んで見える。はてさてどうしたのだろうか、と彼女は数瞬だけ思考するも正解が見えない。当人が「何でもない」と言っているとはいえ態度は間違いなく、何かあったと物語っているのだ。
「何もなかった様子じゃないから聞いてるんですよ、ほらほら、この謙信ちゃんに話してみて下さいよ。貴方が負けた話でも失敗した話でも被害に遭った話でも、それはさぞ面白……ん、んッ……どんな事態であれ、吐けば楽になると言いますし?」
「テメェいま面白い、と言いかけただろ。はぁ…お前、これから座敷部屋に行くつもりか?」
「おや、さすがの慧眼。食堂の方から酒を頂きましたので、どうせならと思い座敷部屋へ向かっていた道中です」
手にしていた一升瓶を持ち上げる謙信を見て、信玄の顔色が悪化したように思う。目を細め「むぅ」と唸る彼の表情から、何やら思案しているのは窺えたが他人の思考を覗く術のない彼女は返事を待つことしかできない。が、"待て"ができないのも彼女の性格というか在り方である。
「なに考えてるんです? 座敷部屋へ私が行くと不都合が?」
「いや、お前がどうなろうが知ったことじゃないが…はぁぁ………おい、ついてこい」
盛大な溜め息を吐き捨てると信玄は面倒そうに自身の後頭部を掻き辟易とした様子だったが、有無を言わさぬ語意で謙信の傍らを通り過ぎて行く。呼び止めにも応えず、足早に彼女が歩んできた廊下を逆走していく信玄。見送っても良かった状況ではあるが、彼女は「来い」と言われるがまま彼の後を追った。
「だーかーらー、説明くらいして下さいってば!」
早々に追い付いた謙信は信玄と並び歩みながら抗議の声を上げるが、彼は彼女に一瞥することもなく歩を進める。が、頬を膨らませ不満げにする謙信へ、目線だけを向けてくると口を開いた。
「その酒は配られたやつだろ。で、お前も今から座敷部屋に乗り込んで酒宴する魂胆だったんだろうが、今は止めておけ。同じ思惑の連中が座敷部屋に溢れて酒宴どころじゃない、それに……ここからは俺の予想だが、そろそろ"鎮圧"される」
「なるほど……ん? 鎮圧?」
ふむっ、と納得顔の謙信だったが、酒宴を収める言葉として"鎮圧"を選んだ信玄の意図が汲めない。"お開き"や"終宴"なら適切だろうに、わざわざ不似合いな言葉を選ぶのは何故だろうか?
その疑問は二人の背中から聞こえてきたドカンッ、という爆発音にも破砕音にも聞こえる轟音が応えてくれた。そして間もなく聞こえてくる悲鳴、らしき叫び声。
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なんじゃあぁぁぁぁぁあ!!!!
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と、妙に張りのある女性の声。
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アルコールの過剰接触は毒です! 私は全ての毒を断つ!
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「……………あー……」
「予想通りだな。こうなる予感がしたから一足先にフケてきたというワケだ、お前が部屋へ乗り込んでいたら巻き込まれていただろうし、最悪の場合は手元の酒も没収されてただろうな」
ふんっ、と鼻を鳴らしつつも自身の予想が的中したせいか満足げな信玄の口の端は上がっている。謙信からすれば『ドヤァ』という幻聴が聞こえてきそうな程に憎たらしい顔この上ない、しかしながら巻き込まれて折角のタダ酒を没収されるかもしれない事態を助けてもらったのは覆しようがない。普段なら「顔が煩いんですけど?」とでも憎まれ口でも叩くだろうが、そこは彼女も大人な対応である。
「晴信、顔が煩いです」
………あれぇ?
「このッ……はぁ……もういい、さっさと部屋に戻って一人で呑んでろ」
謙信の憎まれ口に反論しようと信玄の語気が一瞬だが荒くなるも、すぐに平静を取り戻し歩く速度を早める。一秒でも早く、この目の前にいるーーから離れたいが故だ。しかし、信玄が早めた足取りなど気にした様子もなく謙信は軽快なステップで彼に追い付き、肩から掛けた上着の中にある彼の腕へ自身の細腕を絡ませた。
「あははは、冗談、冗談ですよ。感謝してます。それはそれとして、一人酒の気分ではないので付き合って下さい」
「断る。もう俺は信長達と呑んだ後だ、風呂に入って寝る」
謙信のお誘いを、信玄はバッサリ断る、が、絡められた腕を振りほどくような素振りはない。それどころか先ほど早めた足が、若干ではあるが緩んでさえいる。まるで、歩幅を合わせるように。
「えー、もう呑めないんですかぁ? まぁ晴信ですからねぇ」
「あ"? お前、喧嘩売ってんのか?」
「いいえー? 晴信、弱いですもんねぇ。負けるのが怖いんでしょ?」
にやにや、と含み笑いを浮かべる謙信が見上げると、信玄の額に青筋が見えた。明らかな彼女の挑発に対し、平静を装うことさえしない彼は不敵に笑い返す。ハタから見れば美男美女が腕を組み笑い合う楽しげな光景ではあるが、彼、彼女の関係性を知る者からすれば口を揃えて『ああ、また始まったよ』と呆れ溜め息が漏れることだろう。
「先見で予想を的中させたおかげで今の俺は気分がいい、相手してやる。今夜は寝れると思うなよ?」
「あははははは、こちらの台詞です。足腰立てなくしてやりましょう!」
互いに中指を立てかねん勢いと圧力が、接吻ができるほどの至近距離まで近付けた二人の顔を中心に渦巻いている。おまけに、お互い相手を射殺さんほどの鋭い目力で睨み合う交差点では、バチバチと火花が散っている……ように見えた。
今夜は、長い永い夜になりそうだーー