第七話
ミレニアムと諸々の情報共有を終えた先生は朝の内にシャーレに蜻蛉返りし、各学園への根回しに取り掛かっていた。しかし、トリニティ、ゲヘナ、レッドウィンターあたりまで進めたところで彼の記憶は途切れてしまっている。原因は言うまでもなく過労と寝不足だ。
その目が開いたのは時計が14時を回っていたころ。寝起きの覚醒しきっていない状態で真面目な話をする訳にもいかず、目覚ましと小休憩を兼ねてぼんやりテレビを眺める。
『クロノス報道部所属、アイドルレポーターの川流シノンです!』
『空が赤くなった先日の一件、そして連邦生徒会防衛室長による陰謀……』
『何かと物騒な今日この頃、またもや大事件が起きてしまいました! 驚くなかれ、なんとまさかの怪獣出現!?』
『信頼できる情報によれば昨日正午過ぎ、ここD.U.を走る鉄道の線路上で二頭の怪獣が大暴れしたとのこと!』
『現場は厳重に封鎖されていますが、我々真実を追い求める報道部は今夜その包囲網を突破……もとい、潜入取材を予定しております!』
『みなさん、夜までチャンネルはそのままで! 現場からは以上です!』
『……シノンさん、ありがとうございました』
『さて、スタジオには動物番組でお馴染み、博物学者のニャーネスト・トンプソン・シートン氏をお呼びしています。よろしくお願いいたします』
『ええ、よろしくお願いします』
『それでは早速伺って参りましょう。ズバリ、怪獣についてですが、その正体は一体なんだとお考えでしょうか?』
『まー普段だったら、えー、見間違いとか一刀両断するところですがね。実際事件も起きたし、私も動画を見てしまいましてね』
『怪獣の実在自体はまず疑う余地ないんですわ』
『動画と言いますと、SNSで大拡散中のあの?』
『ええ、はい。いやー、あれは凄かったですねえ! 列車がドカン! 線路がズドン!』
『思い出しただけで興奮が……!』
『……………………………』
『…………ごほん、失礼』
『話を戻しますが、あの二頭は確実に未記載の生物……どころではなく、これまでの知見全てを覆しかねない大・発・見です!』
『は、はあ……なるほど……?』
『まさかあれほどの生物が誰にも見つからずに存在していたとは……ああ、なんというロマン!!』
『……ダメだ、考えたらもう我慢できない! 今すぐ、今すぐ私も現場に向かわせてくれ!』
『は、え? ちょ、ちょっと誰かコイツ止めて!』
『うおおおおお───』
ブツリ、と映像が途切れた。数瞬後に表示されたのは「しばらくお待ちください」のテロップ画面。先生はテーブル上のリモコンを雑に掴むと、電源を切ってソファーに放る。
「(”はは……、良くも悪くもいつも通り、かな”)」
大手マスメディアを担う学園、クロノススクールの報道はお世辞にもレベルが高いとは言えない。不正確な情報の拡散、偏向報道に番組の段取りの悪さ──挙げればキリがないが、「元からその程度」という認識もあり、取り立てて問題視されることは少ない。
それに今回についてはゲスト側に問題があったと言わざるを得えず、番組スタッフを責めるのも酷だろう。
先生もクロノスの報道には既に慣れたものであるが、少しだけ気になる点がある。
「(”さすがに死者が出たことまでは話題にしない、か”)」
ネット記事やそのコメント欄、SNSでは怪物の動画に並ぶ勢いで、多数の死傷者がいることを深刻に受け止める声が拡がっている。
なまじ住人が頑丈であるために、キヴォトスにおける「死」の扱いは非常に重い。それは学園≒国家の転覆に繋がる外患誘致より、殺人未遂に処罰の焦点が当たるほど。日々報道のネタに飢えるクロノスも一線は弁えているか、あるいは取り扱いに困っているのかもしれない。
考えても気分の良いものではないと思考を打ち切り、先生は少しふらつく足取りでデスクに座る。まだ業務は山積みだ。
「(”ええと、次は百鬼夜行か──”)」
適当なキーを叩いてPCのスリープを解除し、すっかり冷えたブラックコーヒーを啜った。そうしてPC脇に放置していたシッテムの箱を手に取ると、アロナが挨拶してくる。
『お目覚めですね、先生!』
「”うん、おはよう。早速で悪いけど、陰陽部のニヤと連絡は付きそうかな?"』
『ニヤさんですね。今繋いでみます!』
通話は2コールで繋がった。
「”あ、もしもしニヤ?”」
『おや、先生。ご無沙汰しております〜』
通信越しに聞こえる飄々とした調子の声。その主こそ百鬼夜行連合学院の実質的な生徒会組織たる陰陽部の部長、天地ニヤだ。
『それで、今回はどういったご用件で?』
『──と本来は問うところですが、既にこちらでも仔細を把握していましてね。にゃはは』
「”それなら話が早いね”」
『で、結論から述べますと、陰陽部であれば後方支援は可能です。しかし、戦闘人員の派遣に関してはちょ〜っと問題があるのです』
「”問題?”」
『ええ。それについて、ここでお話ししてもいいのですが……』
ニヤは言葉を切るとしばらく考え込むように黙った。頭の回転が早い彼女にしては珍しい様子に、先生は少々意外に思いながらその先を待つ。
『──いえ、決めました』
『え〜と、先生。唐突ですが、百鬼夜行にいらっしゃいませんか?』
「”百鬼夜行に……”」
『実を言いますと、今回の怪物騒動に関係なく元々こちらからご連絡を入れるつもりだったのです』
『こちらでは近々お祭りが開催される予定でして。そこに仕事三昧の先生をご招待! で、どうにかこうにか癒してあげたい〜みたいな』
「”いや、嘘だよね……”」
あからさま過ぎる建前に先生は突っ込まざるを得なかった。当然ニヤも説得力があると考えているわけではなく、揶揄い、じゃれ合いの範疇といった所だ。
『んふふ、癒したい気持ちは本心ですよ〜? かわいい生徒を疑うなんて、いけないお方ですねぇ』
「”えーと、うん、お気遣いありがとう……?”」
『にゃは。まあ茶番はこの辺にして──ここからが本題です』
ニヤの声色から胡散臭さや軽薄さが薄れた。それを感じ取った先生の表情も自然と引き締まる。
『実は、陰陽部宛に不可思議な手紙が届いたのです』
『イベントの時期になるとイタズラや嫌がらせの手紙なんて数多に届く訳ですが、ソレだけはどうも引っ掛かることがありましてね』
マイクの向こう側でサッと扇を開く音がした。
『──その手紙の差出人は、なんと「花鳥風月部」を名乗っていました』
「”花鳥、風月部……?”」
先生は百鬼夜行に何度か訪れているが、そんな部活の名前は一度たりとも耳にしたことが無い。
『ええ。その名は百鬼夜行の一部の者たちの間で噂になっている、伝説的な部活です』
『なんでも、「百鬼夜行の連合の今の形態を認めない極悪非道の部活」とか「怪書を操り、人々を惑わす魑魅魍魎」とか呼ばれたり、呼ばれなかったり……』
「”なんだかはっきりしないんだね”」
『はい。こうして話が安定しないなのは、あくまでゴシップや都市伝説上の存在に過ぎないとされているからでしょうね』
百鬼夜行の実質的なリーダーとして様々な情報網を持つニヤでも「花鳥風月部」なる組織の存在は掴めていないらしい。であれば、考えすぎでただのイタズラなのではないか。しかし、そう思う先生を見透かしたかのように彼女は言葉を続けた。
『これだけなら切り捨てていた所ですが、手紙の内容もまた無視しきれないものでして』
「”……というと?”」
『中身は「脅迫状」でした』
『回りくどい表現でしたが、内容を素直に解釈すると、今回のお祭り──「百鬼夜行灯籠祭」の最中に何か行動を起こすというもののようです』
「”何かって……”」
『う〜ん、
「”なるほど、それで私を頼ろうとしたわけか”」
『はい、まあそういうことです』
『ただ、シャーレに借りを作った後で杞憂でした、ではちょっと面子が立ちませんので、「先生の慰安旅行」の建前を用意していたのですが……』
「”怪物対策関係でシャーレから陰陽部に借りができるから、気にする必要もなくなったってことかな”」
『にゃは。さすがは先生、ご明察通りです』
不可解な手紙はイタズラの可能性も高いが、先生としては生徒の頼みを無碍にできない。そもそもの話、何も起こらないならそれに越したことはない。素直にお祭りを楽しみつつ、怪物対策について協議できれば僥倖。
加えてもう一つ、「ある人物」の件も併せれば先生が断る理由など無かった。
「”……分かった。お祭りの直前になると思うけど、そっちにお邪魔させてもらうよ”」
『嬉しいお返事を頂けて何よりです。では、具体的な日時が決まったらまたご連絡くださいな』
『チセにゃんやカホと一緒に、首を長〜くしてお待ちしておりますねぇ』
通話を終え、椅子に背中を預けた先生は百鬼夜行で探している「ある人物」のことを思い返す。
──大預言者クズノハ。
ニヤ曰く、かつてそんな生徒が在籍した記録は無く、噂だけが実しやかに囁かれる存在。百鬼夜行が連合を組むより前に「百花繚乱紛争調停委員会」という治安維持組織を設立した人物として伝えられ、代々その委員長のみが「大雪原」の「黄昏の寺院」にて謁見を許されると言う。
先生がそんな伝説的な人物を追う理由は、「色彩」によって反転したとある生徒を救うためだ。クズノハ本人が書いたという先生宛ての手紙では、「色彩」による反転を覆すのは死者を生き返らせることと同列に不可能であるとしながらも、最後にこう結ばれていた。
『だがそれでも……助けたい者がいると申すのなら』
『──妾を訪ねてくりゃれ』
実際、反転ではないものの「色彩」に部分的に触れてしまった別の生徒が、クズノハとの邂逅により救われたという事実もある。そのように協力的な姿勢を見せながらも、向こうから接触してこないのは何か事情があるのか──。
ともかく、先生は百鬼夜行に赴くことで何かしら手掛かりを掴めるのではないかと考えているのだった。
───────────
瓦屋根や漆喰壁の低い建造物が立ち並び、石造りの道が続く夜の商店街。柔らかく温かな光を放つ提灯と、月明かりに照らされた桜の花。来る祭に向けて準備が進み、街は少しずつ装飾を増やしていた。
道を行き交う人々の雰囲気も、心なしか明るい。
──その中に、一際目立つ容姿の生徒がいた。
丈の長いセーラー服に、花柄があしらわれた水色の羽織を纏う少女。雪のように白い長髪と肌。表情が読み取れない整った顔立ちと切れ長の目は、見る者に冷たい印象を抱かせるだろう。
旧式の小銃を左肩に担ぎ、高下駄を履きこなして堂々と歩くさまには
「あ! 見つけたぞ、この前の百花繚乱!」
突然上がった大声。
人々は何の騒ぎだと周囲を見回す一方、白い少女は全く無反応で歩を進める。
「おい、無視すんな! お前だよお前!」
声の主──丈の短い着物を大胆に着崩した獣耳の生徒は、白い少女に駆けよりながら食ってかかった。
「……何?」
「前も言ったけど、私は百花繚乱じゃない」
「私は──ナグサ。ただの、御稜ナグサだから」
さすがに無視しきれなくなった少女──ナグサは振り返ると少し視線を落とし、呼ばれた肩書を否定した。
「あ〜〜!! 別にそんなのどうだっていいんだよ!」
「この前はよくも『お祭り前に暴れる計画』を潰してくれたな!」
「……『"来週の"お祭り前に”好き勝手”暴れる計画』じゃなかった?」
「っ〜〜!!! うるさいうるさいうるさい!!!」
「お前たち! この生意気なヤツをコテンパンにするぞ!!」
「へい! アラタの姉御!」
ナグサの舐め切った態度にどんどんヒートアップしていく獣耳の生徒──アラタが号令を掛けると、路地裏や建物の中からぞろぞろと数十人の生徒が現れた。天狗、般若、おかめ、ひょっとこ──アラタを除く全員が顔を隠すように面を被っている。
何やらナグサに因縁があるらしい彼女らは、魑魅一座・路上流。お祭りの時期を中心に活発化する百鬼夜行でお馴染みの不良集団、その一派閥だ。その姿を見た無関係の人々は、巻き込まれてはたまらないと退散していく。
「ふっふっふ! この間と同じみたいにはいかないよ!」
「何たってこれだけの人数を用意したんだからね!」
「そーだそーだ!」「さっすがリーダー!」「早くやっつけちゃいましょうよ!」
「……面倒」
個々の戦闘力はともかく、これほどの集団を統率するアラタの手腕はただの不良と切り捨てられない側面がある。例え戦闘に慣れた治安維持組織の生徒と言えど、たった一人で立ち向かうのは無謀だろう。
──組織の長を務められるほどの傑物でもなければ。
「来ないならこっちからい──」
ズドン、と突然の銃声。
最前線で威勢よく飛び出そうとした一人がその場に崩れ落ちる。
「え……?」「何?」
ズドン、ズドン。
何が起きたか分からないという様子で倒れたメンバーを見た二人もまた、同じ末路を辿った。
魑魅一座の間に動揺が走る。相対する敵はただ一人。つまり下手人は──。
そうして一座の面々が再びナグサに意識を向けた瞬間、彼女はその服装に見合わぬスピードで駆け出した。
「お前たち、狼狽えるな! 撃て、撃て!!」
先手を取られたことを歯噛みしつつ、アラタは即座に指示を飛ばす。
ガトリング、ショットガン、火縄銃、小銃。狙いは荒いが、一方向に掃射された銃弾は強力な面攻撃だ。相手が如何に速度に優れていようと、大人数による制圧力の前では無意味。
だが、ここはキヴォトス。そんな常識が通用するとは限らない。
「え、と、跳んだ!?」
誰かが叫ぶ。
見上げれば、ナグサの姿は地上から4 mは上空にあった。
月を背に空中で宙返りした彼女は建物の屋根に着地。そのまま大通りと平行に駆け抜け、流れるような動作で銃を構えたと思えば、あっという間に数人を撃ち倒してしまう。
「ちっ、ちょこまかとっ!!」
一座もただやられるだけでなくナグサに発砲するが、その速度に追い付くことができない。それどころか、また一人、また一人と頭数が減らされていくばかり。
「リーダー! ロケットランチャー用意できました!」
「でかしたぞ! さあ、やっちまいな!!」
敵兵一人にロケットランチャーなど過剰火力に思えるが、あちらは人数の差を容易に覆しうる存在。持てる手を出し惜しみする必要はない。
「……」
正確に敵を撃ち抜くナグサの目はロケットランチャーを構える一人を認識したが、向こうが一手早かった。彼女の手腕でも撃たせる前に無力化は間に合わない。
「オラ、喰らえ!!」
放たれたロケット弾の軌道は正確ではなく、仮にナグサが立ち止まっていても直撃はしない。しかし、足場の悪い屋根の上でその衝撃の影響を免れるのは難しいだろう。
ドカン、と弾頭が屋根に直撃し、爆風と衝撃波が瓦を吹き飛ばす。それに併せてナグサが選んだ選択は、もう一度跳ぶことだった。
「あいつ、爆風を利用して……!」
屋根から跳んだナグサは背中に爆風を受けて加速し、空中で無防備になる時間を短縮する。頑丈なキヴォトスの住人だからこそ可能な離れ業だ。
そしてナグサが飛び降りた先は、魑魅一座の集団の中。
「がっ……!」「ゔっ!」「きゃあ!」
誰もその大胆な行動を予測できるはずがなく、対応が遅れた一座の面々は次々と倒されていく。
「う、うわああ!!」「おい、あぶねえぞ!」「出鱈目に撃つなよ!」
追い詰められたと思い込んだ一部は適当に銃を乱射し、仲間を巻き込んでしまった。
「ああっもう! 何やってるんだよ!」
部隊の混乱を収めるためアラタは呆れ混じりの怒声を飛ばすが、もう遅い。陣形は完全に崩れたと言って良いだろう。そこかしこで挙がっていた悲鳴は、縦横無尽に駆け回るナグサにより次第に少なくなっていった。
「うゔぉ…!」「ぎゃっ!」
──そうして気付けば、立っているのはアラタただ一人。周りを見回せばまさに死屍累々といった様相だ。
「え、おい、嘘だろ……!」
ありえない、と額に汗を滲ませるアラタの後頭部に、ガチャリと銃口が突きつけられた。
「……嘘じゃない」
「もう残りはあなただけ。無駄な抵抗はやめて降参した方がいい」
完全に詰みだ。降参を勧めるナグサの冷ややかな声に、アラタは体を震わせる。
「う、く……! くそおおお!!!」
「こう、なったら……!」
一度ならず、二度の敗北。それも、できる限りの準備をした上で完敗。魑魅一座・路上流のリーダーたる彼女のプライドはズタズタだ。もう手段を選んではいられない。
「……!」
その動作を見たナグサは素早く後ろに引き下がった。彼女の経験上、退路を絶たれた敵は大抵碌でもないことをしでかす。
彼女は少し追い詰めすぎたか、と自省しつつ相手の出方を注意深く伺う。
「(てっきり爆弾で諸共自爆するつもりかと思ったけど……あれは……)」
しかしアラタが取り出したモノは、ナグサの予想とは大きく異なっていた。ソレは湾曲し、先が大きく開いた筒状の何か──角笛と形容できるものだ。
銃撃戦の舞台には場違いな物の登場にナグサの体が止まる。その間にアラタは震える手で笛を口元に寄せると、大きく息を吹き込んだ。
「────────!!!!」
「っ……!」
奇妙で甲高い、聞いたこともない爆音。吹いた本人すら目を見開いて驚き、ナグサは身を縮ませて顔を顰める。
「………」
音が鳴り響いた後、周囲はしんと静まり返った。アラタも遠巻きに野次馬していた往来の人々も、事態が飲み込めずに固まっている。
「(音響兵器……? けど……)」
ナグサは笛にカムフラージュした新手の音響兵器を疑うが、それにしては効果が弱い。だが、この音はまるで──動物の鳴き声のような。
そこで突如、ひゅるりと一陣の風が吹き、彼女の長髪と羽織が僅かに煽られる。今宵は無風だったはず、などと怪訝に思った瞬間、強烈な悪寒がナグサの背中を駆け巡った。
「あ、え…………?」
アラタが口をパクパクとさせ、辛うじて声を漏らす。彼女の視線は路上から斜め上、つまり建物の屋根に注がれていた。ナグサもまた、悪寒を感じさせる正体を探って同じ場所に目を向ける。
彼女が視界に映したのは、巨大な何か──おそらく動物──が屋根上に佇む様だった。
その姿は一言では形容し難い奇妙なものだ。
体に比して小さく、ネコか猛禽を思わせる頭部。目元から外耳は猩々のように赤く、爛々と輝く眼球は明らかに捕食者のそれ。
前脚は膜が張った翼状になっており、外側の軸は巨大かつ鋭利で「刃翼」とでも表現すべきか。
また、手足の先は虎や獅子に近い印象を受け、高い運動能力を窺わせる。
そして鞭のように長く先細った尾は、強靭さと柔軟さを兼ね備えていることが容易に見て取れた。
「(アレは『幻魎百物語』……!? いや、違う……!)」
その威容にナグサは記憶にある「怪書の具現化」を想起したが、しかしすぐに否定する。アレは実体の定かではない「うわさ」や「怪談」などではなく、「生命あるモノ」の存在感を放っている。
──迅竜ナルガクルガ。
ここではない世界を知る者であれば、その特徴を聞いてすぐに分かるだろう。
だが、今ここにいる個体は一般的な迅竜とは決定的に異なる点があった。それは全身が淡く白い光を放つ体毛で覆われ、体の腹面や翼、手足の爪、尾といった末端部が鮮血のように赤く染まっていることだ。
即ち、闇に紛れる黒、森に紛れる緑、大気を切り裂く疾風、霧の夜に現れる朧月──それら全ての頂点である「極み」に至った存在。
当然ナグサに正体など知る由もないが、とんでもない怪物だということは分かる。アラタはもちろん、離れた位置の野次馬ですらそれは同様に感じているらしく、誰も動くことができない。
人々の緊張などつゆ知らず、迅竜は上体を持ち上げて
「(どういうこと……?)」
状況からアラタの笛によって現れたのは確定と見て良いい。しかし、肝心の本人も全く理解が追い付いていない様子。少なくとも呼び出した人物の支配下にあるわけではないらしい。
「────う、お……おい!!!」
恐怖を噛み殺し上擦った大声を上げたアラタによって、回転していたナグサの思考は遮られる。
「お前、アイツが言ってた『猫の手』で良いんだよな……!?」
「だったら……、だったら、そこの奴を早くやっつけてくれよ!!」
そうして指を刺されたナグサは目を見開いた。
コイツは一体何を言っている。化け物に指示しているようだが、恐怖で気でも狂ったか。制御不可能なことなど幼子が見ても理解できるだろう。何よりも、そんなことをすればアレに目をつけられるのは彼女自身──。
結果として、迅竜はピクリと耳を振るわせた。だが幸いというべきか、反応はそれだけ。アラタの叫びは虫けらの雑音程度にしか認識していないらしい。
「こ、これか……、これだよな……!」
そこでアラタが目を落としたのは、握りしめている例の角笛。
──
直感に従い、ナグサは笛に口を付けようとするアラタに思い切り飛び掛かった。
「うわあっ!!」
「…っ!!」
もちろんナグサに加減などする余裕はなく、二人は絡まりながら数メートル転がることとなる。
「な、何す──!」
「死にたいの!?」
「う……!」
いきなりの暴挙に悪態を吐こうとしたアラタだったが、左手で胸ぐらを掴むナグサの剣幕に気圧されてしまう。
「(笛は……?)」
持っていた角笛はアラタの手から遠く離れ、倒れた魑魅一座たちの間に転がっていた。
それを確認したナグサはひとまず胸を撫で下ろすが───突然、一座の一人がゆらりと立ち上がった。
「リ、リーダーを、離せ……!」
目元を覆う天狗面の彼女は、気絶したフリをしていたらしい。やり過ごす気だったのか、それとも機を伺っていたのか。アラタを気に掛ける忠誠心からして後者かもしれない。
しかし、所詮は手負いの不良一人。これからナグサ相手にできることなど何もないはずだった。
角笛を手にしてさえいなければの話だが。
「これさえあれば……お前なんて!」
「ダメっ……!!」
ナグサが声を荒げるが、彼女が素直に止まるはずも無く、笛に口を付けてしまった。
「────────!!!!」
そして、再び場に響き渡る鳴き声のような音色。
「………」
僅かな静寂が訪れた次の瞬間。
──横一文字の閃光。
「え……?」
呟いたのはアラタかナグサか。
瞬きの間に移動し、路上に降り立っている白い影。目視の限界を超えた動きに誰も反応が追い付かない中、続けて猛烈な突風が周辺を襲う。
風向きは迅竜の正面、すなわち天狗面の一座が立っていた場所。灯籠、提灯、瓦、気絶した一座達や彼らの銃器──まるで真空でも出現したかのように、あらゆる物が吸い込まれていく。
その先は地獄だ。一体どのような理屈か、中心に引き寄せられたヒトやモノは絶え間なく発生する風の刃に晒されている。
「く……!」
「ちょ、うわ!」
ナグサは咄嗟にアラタに覆い被さり、姿勢を低く保って耐えた。何が起きているか理解できずとも、この風に身を任せてはいけなことぐらいは分かる。
そして──再び一閃。
突風は弱まる。しかし、同時に迅竜の正面に渦巻く鎌風が勢いを増して範囲を広げ、大爆発にも等しい衝撃が生まれた。
「……!」
「…………!!!」
凄まじい風音で互いに何を口にしたのかも分からない。直後にナグサとアラタは大きく吹き飛ばされ、商店のガラスを突き破り瓦礫の下敷きとなる。
それから何秒と経ったか、晴れた土煙の中から見えるのは街道のクレーターと瓦礫の山。特に中心地は全てがズタズタに切り刻まれた様相で、原型を留めているものは白き迅竜を除き何一つとしてなかった。
──遠くで悲鳴が上がる。ようやく状況を認識した野次馬達が騒ぎ出す。
惨状を作り出した張本人たる迅竜は、ぶるりと体を震わせて体の塵を振るい落とす。
反抗する敵対者は撃滅した。ならばもうここに用は無い。周囲の騒ぎなど全く意に介さず、竜は大きく跳んでその場から離脱する。
混乱する現場の中、雷のような速度で立ち去る竜を追える者などいなかった。
「……あれれ? おかしいですねぇ」
野次馬の中にいた小柄な一人がボソリと呟いた。
大胆に側面が開いた修験装束に、丈の合わない大きな羽織を纏った矮躯の少女。手足の包帯や体のあちこちに貼られた傷当て、痩せ気味な体型は複雑な背景故か、あるいはただの雰囲気作りか。
「お馬鹿さん達に渡したのはあんな『笛』ではなくて、『怪書』の模造品。それも、まだ効力は無いはずなんですけど〜?」
「まさか、手前の風流に横槍を入れる不届者がいるなんてねぇ……」
能面のような無表情のまま小首を傾げる少女だったが、突然不気味なほどにっこりと破顔する。
「……まあ、ナグサちゃんを弄るには良い材料ができたことですしぃ」
「──精々、利用させていただくとしましょうか」
そこで、彼女の前を大柄なオートマタが横切る。次の瞬間には怪しげな少女の姿などどこにも無くなっていた。
───────────
キヴォトスのどこでもないどこか。実在と非実在が入り混じる曖昧な空間。
そこに、黒い外套を纏うヒトガタの姿があった。
背格好こそ猫背の人間だが、その顔は明らかな異形。白髪とも髭とも付かぬ体毛に覆われた真っ黒な頭に、額に刻まれた「XVIII」の数字。顔面は時計のような瞳を持つ眼球が不規則に並び、口や鼻らしきものは伺えない。
「おおおおお!! 死! 死! 死!」
「よもやこれほどとは!!」
「『極み駆ける迅竜』──異なる世界の存在ゆえ、『崇高』という言葉を当て嵌めるのは不適切でしょうが……まさにそれに近しい到達点の一つ」
「キャンペーンは始まったばかりだというのに……小生は一つの気付きを得てしまいました」
「そう──我々はただ忘れていただけ。『死』など本来はありふれた、路傍の石にも等しいモノなのです!」
かつて追放された旧きゲマトリアの一員──地下生活者。彼は自分以外誰もいない場所でただ一人、醜悪に喜び騒ぐ。
「ふう……」
「……さて、しかし『
「つまり、百鬼夜行には小生や先生以外にも『プレイヤー』がいるということですね」
「──いいでしょう。では、どのように盤面を進めるべきか……」
「ヒヒ、ヒヒヒッ!」
薄暗く広大な現実の地下に、不気味な嗤いが響き渡った。
まだ灯籠祭始まってないのにコレってマジですか?