無印の方に福澤先生を20人以上出撃させたんだが未帰還なんだ……
「素晴らしい! 君の脚なら重賞、いや、俺とトレーニングを積めばG1だって狙えるぞ!」
「惜しかったわね。でも貴女のレース展開には光るものを感じたわ。どう? 私と一緒にその走りを磨いてみない?」
レースが行われる度に勝者とそれ以外の敗者が生まれ、勝者や、勝てないまでもその才能を見せつけることのできたウマ娘にはトレーナーが集まって契約を持ち掛けている。反対に凡退したウマ娘は悔しさに歯噛みしながらターフを去っていく。
とあるトレーナーはかつてこう言ったそうだ。
「トゥインクルシリーズの輝きは勝者の1滴の汗と大海の如き涙でできている」
至言だろう。レースに出走するウマ娘は多くて18人。顔見知りだろうと友達だろうと、その中で勝者となるのは1人だけ。レースの世界はどこまでも残酷で、だからこそ彼女たちの勝利を目指す姿勢に胸を打たれるファンも多い。
では俺はどうなのだろうか。
自分を顧みようとしたタイミングでアナウンスが流れる。どうやら次のレースに向けたパドックの準備が整ったようだ。
『さて、次のレースは中距離、2,000メートルのレースです。この段階でこの距離を走ることができるウマ娘たち。未来のステイヤーは現れるのでしょうか。
……そして1番人気は何といってもこの娘、スーパークリーク』
『素晴らしい仕上がりですね。これはレースの内容にも期待が持てますよ』
「おぉ……!」
「他の子には悪いがこのレース、もう勝負あったようなものだな。彼女だけレベルが違う」
パドックにスーパークリークが現れた瞬間、ウマ娘たちの間では緊張が走り、トレーナーバッジを付けた者たちからは感嘆の息が漏れる。かなりのトレーナーが彼女と契約しようと考えているのか、客席ブース全体が熱気を帯び始めていた。
実際問題、俺の眼に映る彼女のステータスはちょっと普通じゃない。特に対策を練らなくてもスペックの差でゴリ押せるだろう。今の時点でこれならば、トレーニングを積んでいけば重賞どころか、G1クラス、もしかしたら歴史に名を残すような優駿になるかもしれない。
(俺も――)
彼女のトレーナーに、なりたい。
俺のこの眼は、良くも悪くもウマ娘のためにあるようなものだ。逃げられなかったとか言い訳はいくらでも出てくるが、結果として俺が悪事に加担したのは事実。でも、
でも、俺がトレーナーとしてウマ娘たちに尽くすことで、ウマ娘だけでなく、他の人のためになれるのなら。
『芝の2,000メートルコースを期待の新入生たち9人が駆け抜けます。
枠入りは順調。今、最後のウマ娘が収まって……スタートしました!』
こんな俺でも、『生きていても良い』って、証明できるのかもしれない。
※※※※※
ゲートが開き、9人のウマ娘が飛び出した。ややばらついたスタートになったが無理もない。初めての実践的なレースだという事や、トレーナーと契約を結ぶためにもいい所を見せなければという想いがプレッシャーになり得る事を考えれば、出遅れる子がいなかっただけマシとも考えられる。
出走メンバー9人の内2人が逃げの戦法を選んだらしく隊列の先頭の方につけた。1人はやや大逃げ気味で2番手とは4~5バ身差、もう1人は3番手と3バ身ほどの差を開けて走っている。
逃げを選ばなかった7人の内、集団前方を先行して走る子が4人、やや後方で固まっている子が3人だ。
そしてスーパークリークは先行策を取ったようで、前方集団の中でもトップ、全体では3番手につけていた。
全体を見渡している間にも隊列は第2コーナーを曲がり、向こう正面に差し掛かろうとしている。この直線の間に、逃げを選んだ子としてはどれだけ後続との差を広げるか、あるいはペースを速める事で後続のスタミナを奪えるか、後方からの差し足に賭ける子はいかに良い位置をキープしつつ脚を温存できるかが勝利を左右するポイントになる。
隊列が第3コーナーに差し掛かろうとした直前、最後方付近に控えていた子が動きを見せた。とはいってもロングスパートをかけようとかそういう動きではない。中団のあたりまで上がって様子を見ようという魂胆だろう。
その判断は間違ってはいない。
双眼鏡を使えばまず逃げの2人はもうダメだというのが分かる。先頭の子は既に垂れ始めているし、2番目の子もかなり厳しそうな顔をしている。
先行集団の4人の内、スーパークリーク以外の3人は、ここから仕掛けようと汗を流しながらも闘志は消えていない。
後方の3人はどうか。ゴール前の直線で全てを解き放つ彼女たちからすれば第4コーナーのあたりが勝負の始まりだ。内に切り込むか、外からまくるか。全力で走りながらバ群の様子を見極めるのはさぞキツイに違いない。
早めに中団につけて有利な位置を確保し、最後の直線でより全力を発揮しやすくする。流石は中央に来るウマ娘だ。目の付け所が良いのか勝負勘が冴えているのか。ステータスはまだまだ低いが、将来有望だと思う。
でもこのレースには勝てない。
前から3人目、先行集団を引っ張るように走るスーパークリークは、もう1,000メートル以上も走っているにも関わらず、涼しい顔をしている。
彼女はこのレース、本気で走ってはいるが、まだまだ全力では走っていないんだ。
その証拠に、ほら。
『さぁ第4コーナーを回って最後の直線、先に立ち上がったのはスーパークリーク!』
最終コーナーを回って最後の直線に入った時、先頭を奪っていたのはスーパークリークだった。やや後方を気にしながら、それでも彼女の走りに澱みは無い。
後続の子たちも直線に入った。
先行策を採った子はもう全滅と言っていい。スーパークリークのスピードについていった結果、自分でも気が付かない内にスタミナを根こそぎ持っていかれたのだ。
後続の子たちが差し足を発揮する。先行集団と後続集団の順序が反転し、応援席から様々な声が上がる。
『完全に抜け出した! スーパークリーク!
スーパークリーク、これはセーフティリードです!
スーパークリーク、1着でゴールインッ!』
一般的な話になるが、レース結果の着差は、そのレース時点でのウマ娘たちの完成度がモロに出てくることが多い。10バ身以上の差はまとめて『大差』とくくられるけれど、だいたい4バ身以上の差がある場合はかなり実力に差があったか、コンディションが最悪で実力を発揮できなかったかのどちらかと考えていいだろう。
では今回の選抜レースにおけるスーパークリークと2着の子の差はというと、5バ身であった。2着の子があの第3コーナーで後方から中団につけたレース勘の冴えたウマ娘だった事を考えると、スーパークリークの圧勝と言える。
2着以下の子が手を膝に置いて荒い息を整えていたり、倒れ込んでいたりする中、スーパークリークはあっという間に息を整えると客席の歓声に手を振って応え、控室へと歩いていった。
さて、これからは俺たちトレーナーの時間だ。
※※※※※
「スーパークリーク! 君の脚は凄い! 俺と一緒にクラシック3冠戦線に挑まないか?」
「貴女の走りならこんな感じのプランでトレーニングすれば春の天皇賞だって狙える。私と契約しましょう!」
おぉ凄い。もうトレーナーたちに囲まれている。あの人は代々トレーナー業を営む名家の出身だったはずだし、あの人は確か数年前にG1を担当に勝たせている名手だ。あの人混みに入っていくのは度胸がいるなぁ……
それとなく周囲を見渡すと、2着だった子にも何人かのトレーナーが話を持ち掛けているのが分かった。目端が利くな。スーパークリークとの契約は締結できればメリットは大きいがその分ライバルも多い。彼女にこだわっている間に他のトレーナーが有望株と契約を結ぶ可能性はかなりあるだろう。ハイリスクハイリターンなスーパークリークよりもライバルが少なく、しかし確かな実力のある子を選ぶのは賢い選択だと思う。
それにあの2着の子、結構実力あるぞ。少なくとも俺の眼に映る彼女のステータスは、新入生の中でも上位と言えるほどのものがあった。あのレース勘の冴えも踏まえれば、将来的にG3レースは勝てるだろうし、G2レースで掲示板に入るくらいは行けると思う。
俺も『賢い選択』ってやつを選ぶのであれば、大勢のトレーナーに囲まれているスーパークリークに背を向けて、トレーナーは誰も向かっていないが素質はある子に話を持ちかけるべきだろう。俺の眼は、今回勝てなかった子の中でそもそも適正距離を間違えていたり、作戦ミスをしていたりする子がいる事を教えてくれる。彼女たちが折れることなくトレーニングを積んで、トレーナーと作戦を練り、適正な距離で走れば、おそらくはオープン戦でなら勝てるし、重賞に挑戦することだってできるだろう。
G1クラスの上澄みからすればたかがオープン戦と思うかもしれないが、そもそも1回も勝てずに学園を去っていくウマ娘がほとんどだという事を考えれば、努力次第で重賞に挑めるという子はトレセン学園でも上位に位置する実力だと言っても良いのだ。
そんな未来の実力者が、スーパークリークという太陽の光に隠れて誰の目にも留まらない、というのは、トゥインクルシリーズにとっても損失だろう。
それにトレーナーとしての俺は無名も良い所の新人だ。ベテラントレーナーみたいにこれまでのノウハウや実家のツテもない。スーパークリークに契約を持ち込もうにも、彼女を説得する材料が無い。
あぁ嫌だ。歳を重ねるごとに何かを諦めるための言い訳が達者になっていく。
本当は分かっているんだ。俺自身がどうしたいのか。
そうだ、俺はスーパークリークと契約を結びたい。彼女と、トゥインクルシリーズを駆け抜けたい。
だったらどうする。俺が彼女に話しかけない事には何も始まらないだろうが。
「……よし」
怖気づこうとする心を奮い立たせ、人混みへと歩き出す。「ちょっと失礼」なんて言いながらトレーナーたちの間を縫って、スーパークリークの後ろ姿が見えてきて――
『……ごめんね』
心が、全身が、凍り付いた。
何故だ。どうしてよりにもよって今アイツの声が聞こえる?
アイツは俺を売った、俺を捨てた! 俺とアイツはもう他人だ。関係ないんだ。
あぁ、心が急速に冷めていくのが分かる。今の俺が何か言っても、誰の心にも俺の気持ちが伝わる事はないだろう。
人混みの中でUターンし、この場からとにかく消えようとした、その瞬間。
「あの、待ってください!」
「「「!?」」」
どこか焦ったような声と共に、上着を引っ張られた。突発的なブレーキに自然と動きが止まり、反射的にその原因を確かめるべく振り向く。
「あっ……」
後で聞いた話では、彼女自身この時どうして俺を止めたのかよく分からないらしい。見る者を安心させるほわほわとした笑みを浮かべながら、スーパークリークは俺にこう言ってくれた。
――でもあの時、トレーナーさんをどうしても放っておけなかったんです。
「あのっ、阿久薬トレーナーですよね?
お願いします、わたしのトレーナーになってください!」
この時彼女にこう言われていなければ。いや、そもそも彼女に出会わなかったら。俺はその後どうなっていたか分からない。トレーナーを辞めていたかもしれないし、もしかしたら道を踏み外すような事もあったかもしれない。
考えずにはいられない「もしも」だけれど、それはもう無意味だ。
俺たちはこうして出会って、そして物語はここから始まったのだから。
※この物語はダウナー系トレーナーにスーパークリークのバブみを受けておぎゃらせるための話です。