TS貴族令嬢が魔王討伐して殺されるまでの狂軌 作:モヘンジョダロ
━━━━初めてその赤子を抱いた時、エルベスト辺境伯夫妻は真剣にその
その娘が生まれる直前まで、産まれてきた娘の姿形も含めて名前を考えようと夫妻が揃って考えていたというのにだ
至極簡単な話である。その娘は、ずっと微笑んでいた。生まれた時も、触れられた時も、抱かれた時も、泣き声の一つも上げずに穏やかに微笑み続けていた
端的に異常と言って差し支えない挙動。魔族憑きの一種である可能性にまで頭を回せば、思考はどうやって殺せば最小限の被害に抑えられるかにシフトする
『魔族』の危険性は産まれたばかりの赤子であったとしても、村の一つや二つは容易く滅ぼせる点に有るのだ。"韜晦の翼"シュラークを代表とする大魔族と呼ばれる魔族憑き等であれば生後直ぐに街を滅ぼした逸話も珍しくはない
しかし辺境伯の任を務め、武家の当主をその双肩に乗せる男。一つの地方にて間違いなく最強の一角たる魔術師が己だ。少なくとも大魔族だとしても、赤子の段階であれば簡単に殺せる────
よって“連邦”と隣接する国境の防衛を管轄し、“ルレナ地方”を治める使命を『雷帝』から賜るアルバード・エルベスト辺境伯はこの泣きもしない不気味な赤子をいち早く殺すべきであった
妻もその選択が正しいと判断してくれる筈だ。公爵家から、何時死んでしまうかも分からない己の元に嫁いで来てくれた、自分には勿体ない程の良き妻だったから
魔術を行使すべく、懐に秘めている液体の水銀が収められた小瓶に指で触れる。意思一つ、殺意の一つでエルベスト家に伝わる魔術は赤子を簡単に裁ち斬るであろう
「あなた」
妻が私の手を握る。暖かな感触。彼女の生の証。目の前で腹を痛めて産んだ可愛らしい娘を殺されようとしているのに、ただ寂しげに微笑んでいる儚い姿
「あなたは、この娘を殺そうと思っているのですね」
「そうだ。子供ならまた作れる……………次はきっと、魔族憑きなんかじゃないさ。あぁ、イグアは哀しんでしまうかもしれないな。アイツは妹が産まれるのを心待ちにしていたから」
「そうね、イグアも悲しんでしまうわ」
「一緒に言い訳を考えてくれないか?あの子は私の後を継ぐべく多くの教えを受けているが、まだ幼い。現実を上手く受け止められないだろうから」
「ねえ」
妻は微笑んだ。強く、折れず、ただ凛と胸を張っていた。私はその姿を見て、己が何処か焦燥に駆られていたのだと気付いた。辺境伯としてあるまじき失態だ
情でも湧いていたのか?まだ産まれてすらいなかった、赤子に。魔族憑きは危険だ。それを、きっと私こそが。魔族に滅ぼされた街を見続けて、魔族を魔術師として滅ぼし続けた私はこの地方の誰よりも知っているだろうに
「あなたは私を守ってくれますよね?こわい、こわあい魔族も倒せるのですよね?」
「勿論だ、約束する。あの日の誓いに偽りはない、私は私の総てで君を護り、君の望みを叶え、君を愛する」
「じゃあ魔族憑きを育てられますか?」
その言葉に思わず黙り込んでしまう。大魔族に匹敵する『理外魔法』を帯びていても、私一人であれば正面から勝てる。だがソレが生活の中で常に付き纏うのなら?日常の中に潜み続けるなら?
私は果たして、私の愛する日常を守り切れるのだろうか
そんな私の内心を見透かした様に、嫋やかに妻は笑った。私にはその瞳を直視する勇気を持てず、顔を俯けてしまう
「昔から正直で、こうと決めたら一直線でしたものね。隠し事が下手なのはどうやら変わってないみたい」
「………………すまない」
「ふ、ふふ…………ふふっ。そんなに濡れたチワワみたいな顔をしないで下さいませ。ちょっとイジワルな聞き方をし過ぎただけよ、本当に一つ提案があるだけ」
微笑み続けて、透明な笑みを浮かべている赤子─────私と妻の間に産まれた、可愛い長女を抱き上げて彼女はその柔らかな頬をむにむにしながら悪戯っぽく笑った
「こんなに可愛いんですもの、魔族憑きとは限りませんわ。殺すにしても大司教様に判別して貰ってからでも遅くはありません」
平民では先ず取れない選択肢だろう。何せ、魔族憑きは産まれながらの魔術師なのだ。本当に魔族であれば、その気になられた場合直ぐにでも殺されてしまうから神官に判別を頼む余裕すらない
そういう意味で、卓越した魔術師であるという貴族の特権であった
「分かった。そうしよう」
【TIPS】
『魔族』『魔族憑き』
一般的な【魔術】は魔術に対する知識と、物質の性質に関する知識の二つを組み合わせる事で発動する。例えば火の魔術であるのならば、燃焼反応が酸素との結合であると理解して『結び』を唱える様に
ただ『魔族』の運用する【理外魔法】はその枠組みに収まらない。誰にも知識を教えられずとも、『魔族憑き』は生来異端の知識を持ち、本能的に【魔術】を振るう術を習得している
────しかし、知識を持ちながらも本能的に【魔術】を振るえないのならば。それは『魔族』ではない
「あぁ。それで某の元まで運んで来たという事ですか……………言っておきますが、殺さずに済む可能性があるのなら私は貴方を力尽くでも止めますよ」
「だが司教殿とて魔族を見逃すつもりはないだろう?そして、魔族でないのならば私も可愛い我が娘を殺すつもりはない」
「否定はしませんがね。あと大司教ですよ大司教、この一文字にどれだけの差があると思っているんですか」
質素な礼服に身を包んだ、壮年の聖職者が溜息を吐く。私には大司教と司教の間にどれだけの差があるかは分からないが、目の前の男は少なくとも“ルレナ地方”で最高の技量を持つ聖職者なのは間違いないと確信している
そして同時に彼は
故に、私は彼を信頼出来る。彼ならば万が一の時に、私に娘を殺させる選択を下させる証拠を情に流されず、無機質に、淡々と、差し出せると信じられる
「幼い命の責任を負わなければならないのは気が重いんですがね」
「どんな結果であろう処罰もしないし、褒章も与えない。事実だけ述べてくれればそれで良い」
「それが普通なんですよ。他の貴族連中ももっとこれくらい物分かりが良かったならなぁ……………」
その皮肉にどんな顔をすれば良いのか悩み、ちょっと顔を引き攣らせつつも私は腕に抱いた柔らかいタオルに包まれた長女を彼にゆっくりと手渡した
透明な笑み。知性を秘めた瞳。無邪気で無垢な声音。初めての娘、本当に、出来る事ならば私と妻の手で育てたい。ドレスを着せ、宝石だって選ばせたいし、結婚式にも出席したいと────歯を噛む。そうだ。『魔族』ではないと分かったのならば思いっきり可愛がってやれば良いんだ。だから、先ずは。
「テルノナーク。異端審問を導け。善なる者の守護門」
【魔術】ともまた違う術技。『教会』の【奇蹟】が行使される。知識も見立ても要らず、確固たる信仰心と祝詞を唱えるだけで発動するチカラは『女神』の恩寵そのもの
魔族かどうかを暴く【奇蹟】が、私の娘を照らす
多くの『魔族』は聖職者を先んじて殺す事によってこの術技が行使されるのを防ごうとする傾向がある。例えそれが原因で『魔族』の存在が露見しようとも、それによって被るデメリットをメリットが上回るのだ
「…………結果は、どうだ」
「普通に人間だったよ。良かったじゃないか、洗礼する時は是非とも某に任せると良い。父親の黒歴史をこれでもかと脚色して伝えてやるからさ」
長い、長い溜息を溢してから胸を撫で下ろす。立つ気力さえも失って、教会の椅子が深く座り込んで項垂れる。従者が私のこの姿を見れば絶句するであろう、辺境伯には到底相応しくない姿だが本当に安心した
「………そこまでショック受ける?某としてはもっとこう、減らず口を叩くな〜みたい反応が返ってくるのを想像してたんだけど」
「安心してどっと疲れただけだ。そうか、人間か…………良かった………………本当に良かった……………」
「はっはっはっ、調子メチャクチャ狂うね。ほら、さっさと立ちな。娘をいつまでも某に抱かせておくつもりかい」
獅子が突然骨を齧り出したのを見る様な目を向けてくる大司教がポンッと私の肩を叩いてから強引に躰を持ち上げてくる。馬鹿な、装飾品も含めたら三桁kgは行く筈なのだが。片手で持ち上げるとかどうなってる
今度は私の方が少し引いた目を向けながら、大司教から長女を手渡される。その顔を見れば自然と胸が暖かくなる。鼓動を打つ心臓、柔らかな温もり、美しい濡れ鴉羽色の髪に蒼く澄んだ瞳。その全てが愛おしい。やっと、娘を愛せるのだという安堵が満ちる
私は感謝を告げるべく大司教の方を向いた
「ありがとう」
「礼は良いさ。だが、そうだな……………その娘の名前は何て名付けるつもりなんだ?君のネーミングセンスを客観視してあげよう」
「─────イリアだ」
其れが此れから先、私が何度だって呼ぶ名前だ
【TIPS】
『教会』
“連邦”や“帝国”、“王圏”に並ぶ大国の一つである“神領”を擁する世界最大宗教。遥か古に降臨した『女神』の恩寵を利用する【奇蹟】という魔術とは別の術技が発達しており、その性質上【魔術】との知識利権の衝突が少ない事から広く普及している
枢機卿レベルともなれば大貴族にも匹敵するチカラを振るえ、『教皇』に至っては各大国の頂点君臨者に勝るとも劣らない出力の【奇蹟】を容易く制御する
「アルヴェスタ。巡り廻りて我が手に集え、銀の魔剣」
銀の一閃が奔る。白き一線が刻まれる。辺境の監視者、エルベスト伯爵家の誇る【魔術】が未だ幼い少女の手によって行使されて冬の渇いた空を引き裂いた
銀細工を思わせる造形の美麗な剣が、静謐な闘志を宿して振るわれる。その斬撃を、私は剣を受け流そうとする。力を込めて、鋸でも引くかの様に輝かしい白銀に傷痕を────刻めない
「むぅ」
「ふふっ、お父様っ!僕が前の失敗を二度も繰り返すなんて愚行を犯す訳がないだろう!」
「こら、もうちょっとお淑やかな言葉遣いをしないと暇な貴族達の声が煩わしくなるぞ。今の内に直しておけば将来は騒音に悩まされることはないと思うなあ、お父さん」
流体。水でも斬ろうとしたかの如き感触に娘の成長を感じて嬉しくなるが、興奮しているのか近頃は抑えていた中性的な言葉遣いが出てきた娘に軽口を叩く
刃によって両断され、その端から穂先となって殺到してくる水銀の槍衾に対して僅かに引き抜いた刃先を揺らす。数週間振りの模擬戦はそれで終わった
「………えっ?あの、今どうやって弾きましたの?お父様、私ちゃんと流体化させてた筈ですのに」
「突き刺すのを想定して、肌に触れる前に硬化させようとしただろう?だから少し下がって触れるタイミングをズラして、硬くなった所を弾いたんだよ」
「どういう原理なのかは理解は出来てもどうすれば実現出来るのかはこれっぽちも分かりませんわね。この世界どうなってますの」
イリアが肩を落として、水銀をロザリオの形に整えてから硬化させる。その姿を見届けて少しばかり心配になる。他の貴族は年頃の令嬢は宝石やドレスを欲しがるものだと言っているが、イリアにはその兆候が全くない。それはもう本当に心配になるくらい
運動に適した生地の薄く緩めのシャツは汗に濡れて少し透けて、肩が出ているのを観て私は思わず溜息を吐きそうになった。猿と狼を足して二乗した様な思春期の男児の前に出せば相手側が何か過ちを犯しそうだ
いやまあ実際に手を出そうとする輩が居れば私が殺すが
「もっとこう、贅沢な品だって強請っても良いんだぞ?鉱山から得られる収入のお陰で、国防費の分を引いても充分に余剰はあるし」
「財政がちゃんとしているのだと他家に見せるという意味であれば私もペーパーナイフや万年筆をお強請りしておりますわよ?道具としての種族値が高すぎてもう病みつきですわ」
「いや……そうだな。無理強いをする様な事でもないか。今日は疲れただろう?屋敷に帰ろう、イグアが夕食を手ずから用意すると言っていたぞ」
「お兄様が?」
「……………九割チーズのハンバーグの二の舞は遠慮したいですわね」
「流石にアレはイグアも反省していたからそうはならないと思いたい所だな………………」
前に食べさせられた異常なチーズ比率のハンバーグ、否。チーズに肉を浮かべた料理を思い出してイリアが遠い目になるのに対して私も思わず同意してしまった。今日は妻も監督する筈だからあの惨劇は繰り返されないと信じたい
庭園の訓練場から周囲を見渡して、庭の花に傷付いていないのを確認してから満足気に頷く。前にはしゃぎ過ぎて一割程度消し飛ばしてしまった時は庭師の爺さんが鬼の剣幕だったが、今回はそうはならずに済みそうだ
「さあ、私が抱っこして帰ろうか?」
「髭が硬くて痛いし抱っこは恥ずかしいので遠慮しますー」
「ははっ………………手を繋ぐ位は許してくれる………?」
「それなら、そこまで恥ずかしくはないですし良いですが………」
次女とは違って積極的に甘えてこようとはしない長女に苦笑しながら手を繋ぐ。身長の関係で必然的に私が屈む事になるが、愛おしい娘との触れ合いと考えれば腰への負担なぞ考慮するに値しない
イリアが昔から変な所で恥ずかしがる癖は変わっていないが、私は少し髭でショックを受けたのでその意趣返しをする事にした。繋がれた手を優しく引いて、イリアを抱き上げて肩車する
「ほうれ、高いだろう。屋敷までこのままで行こうか」
「高いですわ!!!高身長!!!羨ましいですわ!!!!!」
おっとその反応は予想してなかった
「おっとその反応は予想してなかった」
「別に抱っこじゃなければそんなに恥ずかしくありませんし!というかこの高さの視点は生まれて初めてなのですが!お父様、ちょっと走って下さらないかしら?!」
「はっはっはっ、お父さん張り切っちゃうぞー!」
足に力を込める。大地を踏み締め、蹴り飛ばし、加速する。庭園の景色が翠色の光の奔流に変わる。風を思いっきり受ける感触が爽やかで、私は長女の本当の久しぶりの我儘に全力で応えて笑った
「どうだい?」
「はやい…………………こわい………………………」
10歳になるイリアは屋敷の門に到着する頃には涙目になっていて、私はポカポカ叩かれた。許して