自分の事を兄だと慕ってくれる無口系箱入り娘(物理)を、闇の沼底から救い出せ! ~留年、回避、ゼッタイ!~   作:true177

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017 彩を支えるもの

 彩との長くて長い通話は、ようやく終わりを告げた。

 

 回線が切れるや否や、陽介は自身の布団へ逆戻りした。乱暴にこき使われて疲弊した身体は、たった一桁時間の睡眠で満足しなかったようである。唯一、ドラムの遠心力で覚醒した感情が徹底抗戦を主張している。

 

 耳の穴に彩が住み着いて、未だにボケの暴走を諭す声がこびりついている。

 

『……盛り上がりすぎ……』

 

 応対に困り果て、自らのスタンスを崩してまでツッコミを入れてくれる、近所の女の子。遅めのモーニングコールを異性にしてもらうなど、学級でうっかり漏らそうものなら私刑にされる。

 

 彼女の虜にされつつある陽介が、苦手な物。それは、世界の闇という闇をかき集めた彩の眼だ。漆黒ビームを度々放ち、生命エネルギーを片っ端から吸い取っていく。

 

 そう言えば、彼女の『満面の笑み』とやらを見たのはいつだろうか。中学校に進学した時には、もう黒い番人と同化していた。

 

 引きはがそうとしても、くっついて離れない。除草剤にも焼夷弾にも耐える、最凶の雑草。草むしりをしても、凄まじい成長速度で土を覆いつくしてしまう。何人もの彼女の友達は、黒の盾と突破できずに敗退していった。

 

 残った勇者は、今のところ陽介ひとりぼっち。反物質爆弾を無傷で耐える防御壁に、培ってきた木刀一本で立ち向かう。

 

 亀裂を見つけようと表面を探っても、何も見つからなかった。彩の意志で創造された外殻は、目を離した隙に本人も制御できない巨大防御装置となってしまったのだ。自己修復機能を持っていて、ゲームのラスボスが装備していそうな代物だ。

 

 ……彩の盾を、支えているもの……。

 

 耐久度の高いものでも、絶対ではない。支柱となる思いが解消された時、世界最強を誇る魔法陣も簡単に瓦解する。あっけないほど脆く、硬い盾なのだ。

 

 天井を黒板にして、心のチョークでメモをしていく。陽介の貴重な弾を、ここで生成しなくてはならない。彩を攻略する突破口を開く、鉛の弾丸を。

 

 真っ先に文章となったのは、高校への漫然たる不安。完全に引きこもってしまったことで、高校生活を再開させる活力が生み出せない説だ。

 

 もしくは、高校に価値を見いだせていないか。主体的に学習に取り組む行為が登校を上回ってしまった結果、優先順位の低い『高校』が選択肢から外れている可能性がある。

 

「……そんなことだったら、とっとと部屋から引っ張り出してるんだよなぁ……」

 

 溜息が、部屋の底へと溜まっていく。じきに二酸化炭素が床に堆積し、窒息してしまう事だろう。不変の悩みが解消されない限りは。

 

 彼女を自宅に縛り付けている疫病神は、彩の怠惰心ではない。中学で遭遇してしまった、檻の中に入ってしまえばいい害悪どもである。

 

 土中で生涯保管されなければならない奴らは、周囲の流れから孤立する頻度が多かった彩を標的にした。天涯孤独の老人は、いなくなっても気づかれないのと同義である。彩は、空気にされた。

 

 陽介の庇護を失った一年間、『彩』は真っ裸だった。普段は無機質な感情を憶える彼女が、外の風になびかれ続けた。隠されていたにおいが、カースト集団にまで広がった。

 

 教室に入るだけで、白い目を向けられる。教室は凍り付き、盛んになっていたお喋りが無くなる。単純な仕組みだが、女の子一人の心を歪ませるには十分だった。

 

 ……気付いてやれなかった俺も俺だけど……。

 

 高校生活に順応しようとするあまり、彩の面倒を疎かにしていたのは否めない。密度が薄くなった一期間で、取り返しの付かない外傷を追わせてしまった。

 

 規律を守る子だった故、ため込んだストレスが決壊する寸前までサイレンを鳴らさなかった。負担を他の人に押し付けまいと、弱音を吐かなかった。

 

 全てが悪い方向に働いて、運命の歯車は噛み合わなくなったのだ。気付いた時には、もうカウントダウンはゼロを刻んでいた。

 

 四月の初めこそ高校に登校していた彩だが、翌週にはもう欠席の嵐が始まった。年月で地全治癒すると考えた陽介は、吐き気がするほど甘かったのだ。

 

 ……もう、時間が無いんだよ……。

 

 復帰が叶ったとしても、彩を全力でサポートしていかなくてはならないだろう。山のふもとに立つことよりも、登山道を登っていく方が体力を消費する。

 

 あえて留年を選択し、精神を治癒させてから一年をやり直す方法は取れない。集団ぐるみとなって彩を虐めていた、彼女より一学年下の世代が入学してくる恐れがあるからだ。

 

 一人だけ年上という条件で不利な立場から始まるのに加えて、過去に危害を加えられた人物と同じクラス。受験期になった陽介の助けも減る。何がどうなるかは、想像にお任せする。

 

 陽介だけでなく、高校の数少ない友達にも応援を要請しなくてはいけない。使えるものは全て使い、彩のトラウマを水で薄めるのだ。心の消しゴムが売っていれば、どれほど助かるだろうか。

 

 過去を嘆いても、結論はひっくり返らない。イジメっ子の存在を恨んでも、今更彼女らが償いをしてくれるわけでもない。ならば、まだ確定していない道のりをより良い方向へ導くだけだ。

 

 陽介の心には、時の止まった空間がある。ケンカに負けては陽介を頼っていた彩の、何でもない台詞だ。

 

『……お兄ちゃん!』

 

 なにも、妹が欲しいと言っているのではない。兄弟ゲンカが多発して感情のキャパシティを分捕る妹など、むしろ居ない方が良い。

 

 自分が、頼られている。他人の視界に、自分が入っている。存在が認められていることに、誇りを感じたのだ。

 

 ……昔に戻れなんて言わないけど……。

 

 『助けに来たぞ、彩』と、救済の手を差し伸べたい。白馬の王子様でなくともいいのだ、馴染んだ運動靴と利き腕さえあれば誰だって勇者になれる。

 

 空高く昇った太陽に子守歌であやされて、まぶたがどんどん重くなってきた。冷房を切り忘れていたらしく、涼しく暖かい空気が優しく肌を撫でて安眠を誘う。

 

 彩の錆びて開かなくなった正面扉を、真っ向からぶち破る。突撃の為の丸太を脇に抱えたところで、陽介の意識は薄くなっていく。

 

 ……どうすれば、いいんだろうなぁ……。

 

 底なし沼から人を引き上げる志半ばで、映像は途切れた。

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