自分の事を兄だと慕ってくれる無口系箱入り娘(物理)を、闇の沼底から救い出せ! ~留年、回避、ゼッタイ!~   作:true177

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4日目
018 リベンジマッチ


 歓迎してくれていない空には、灰の混ざった雲がぷかぷか浮かんでいる。雨粒に澱みが溶け込んでいたら、とんでもない大惨事の火にこの街は包まれることだろう。

 

 今後の作戦を担う三本柱に、陽介は挟まれていた。どれか一つに予算を割くと、別の案件が倒れてしまう。大きな地震で倒壊しない強度に三本とも保つも葉、かなりの難工事となる。

 

 警報音が耳の間近まで迫ってきて、やっと歩道の末端に建つランプが赤色灯であることを認知した。気を付けの姿勢のフォントが印字されていなければ、半分崩落した道に突っ込んでいた。左右確認は交通安全ビデオでよく見るが、前方不注意では何も意味をなさない。

 

 ……こんなところでケガしてたら、こっぴどく叱られちゃうな……。

 

 無意味な労力の消費を、彩は許してくれない。信号無視という無謀なリスクを犯した陽介には、電動のこぎりの洗礼が下される。輪切りになって食卓に並び、他人への戒めとして晒され続けるのだ。

 

 環境問題が声高に叫ばれている世の中でも、大気は汚れたまま。ねずみ色に塗りたくられた雨が、靴のナイロン部分から内部へ侵入した。真っ白だった靴下は、雨漏りでしおれてしまっている。

 

 信号を渡ると、そこから先は活気の無い街並み。ブロック塀で仕切られた区画が一様に広がっていて、目新しさが微塵も無い。既存の風景に、既存の人々が既存の在り方で糧を繋いでいる。

 

 空を見上げると、神経をつつく小雨が上がろうとしていた。西の彼方は、悩みの無い整理整頓された空が噴き出しているようだった。

 

「……傘、持ってくるんだった……」

 

 天然のシャワーで髪の毛が洗われる。酸性で細胞組織を壊されてはたまったものではないが、土砂降りの中を走って禿げたニュースは何処からも聞かないので問題はなさそうである。

 

 一目散に、攻略チャートが通用しない迷宮を進んでいく。右、右、左、右……。体に叩き込まれた道順で、正確に網の目状の路地をひた歩いていく。

 

 難癖をつける風に、横から煽られた。両辺はブロック塀で塞がれているのだが、それでも平均台から足を踏み外させようとする悪意の向かい風を受けた。

 

 規定回数角を曲がり、お目当ての家へと足を運んだ。二階の窓はカーテン越しに照明がついていて、雨に打たれる陽介に同情の心を向けてくれている。

 

 固定メッセージが返ってくると分かっていても、押さずにはいられないインターホン。カメラを頑なに買おうとしない経費削減をはき違えている家に、約束を取り付けた女の子がいる。

 

『ぴんぽーん』

 

 中の住人を呼ぶ気が毛ほども無い呼び出し鈴が、湿度でむせた空気に反響して消えた。コンクリの道路に身を打ち付けられた断末魔が、ひっきりなしに耳小骨を震えさせる。

 

 ……今日は、鍵を持ってきた。

 

 鍵と名はつけど、久慈宅の玄関破りを敢行する馬鹿者になるつもりではない。針金でロックを外す方法の道を歩む気持ちは幼少期の憧れで終わり、かっこいいとも思わない。所詮、こ奴らは犯罪者なのだから。

 

 開錠の道具なのは同じでも、陽介のウルトラCは心をほぐすためのもの。肩が凝ったら肩たたきをするように、凍結して腐食された心はメッキをしなくてはならない。

 

 高校に居る間、授業にも食事にも身が入らなかった。手をあげておきながら答えが口から出てこず、笑いの的にされてしまった。

 

 一日の犠牲を払って手に入れた、三本の鍵。鍵屋では手に入らない、陽介特製の武器なのである。正真正銘、世界にたった一つしかない。

 

『……はい、久慈です……。彩なんて子は……、いません……』

「独身女性が、どうして娘の名前を知ってるんだよ……」

 

 一昨日撮った白黒写真でピースサインをしている彩と、変わった点は見られない。他人の提案を鵜呑みにする偽善人にも、ステッキで背中を叩きつけられる絶望的なセンスの無さは一級品。演技力ワーストコンテストで金賞を獲得する実力はある。

 

 茶番に付き合って機嫌を崩さないのが、基本のスタンス。正論を大砲でいつも本丸に打ち込んでいては、細かな駆け引きが無くなってしまう。籠城という非常手段に走られないよう、彼女のエンジンをふかす必要があるのだ。

 

 一人暮らしは、彩から遠く離れた概念に位置している。想像力で補える架空人物像には限界があり、力が及ばない角度から質問をすればすぐに綻びが生まれる。

 

 ひとまず、基盤を揺らブル質問から逃げ場所を狭めていくことにした。

 

「……久慈さん、一人暮らし?」

『……そう……ですよ……?』

「最近、高校生で一人になってる女性は結婚確率が下がってるらしくて……」

 

 高校生で一人暮らしを余儀なくされるのは、それ相応の理由か寮生活。いづれにせよ、家計の余裕は少ない。でっち上げの学説も、後付けでローストチキンに持っていけるものである。

 

 雨は完全に止み、濁った雨雲の隙間から救いの日光が背後の道路を貫いていた。手書きの道しるべを頼りに砂漠を彷徨う旅人が見つけた街の灯りは、これよりちっぽけで巨大な光なのだろう。

 

 漫然とした心持ちの人間には、結婚は人生の墓場。自ら漕いだオールで目的地を墓場へと変更するなど、おぞましくて悪寒がする。考えられないような未来の出来事も、空虚なことに見えてしまうのはネガティブシンキングの表れだ。

 

『……それなら……、大丈夫……。……当てはまらない……』

 

 舞台の設定役を忘れると、演劇担当の先生から叱咤が飛ぶ。言葉の槍など日常茶飯事、血が沸騰していれば平手打ちも辞さない。皆、本気で役柄を演じるようになる。

 

 彩は、練習不足を露呈してしまっていた。喋り方も切れ味が悪く、豆腐を切るのにも途中でつっかえる。これでは、包丁としての魅力は半減だ。

 

 『結婚』の二文字に踊らされた純情な彩は、手足を糸に引かれてダンスを踊っている。華美なウエディングドレスの写真が結婚と結びつく少女には、大人の事情など関係なかったようだ。

 

 さしもの陽介も、被った革を放り投げてくるとは予想が付かなかった。足を取られないよう躱すのが精いっぱいで、驚愕の声はエネルギーも変換されてしまった。

 

 ……もっと、設定を守ってくれないと……。

 

 漫才は、二人の掛け合いがあってのもの。ありのままの自分をさらけ出す大会ではないのだ。台本を逸脱されると、ハンドルを最大限まで右に切っても曲がれなくなる。

 

 暴走するバスの運転手は、彩。クラクションを所かまわず鳴らしながら、法定速度の無い

高速道路を蛇行している。急カーブで橋を飛び出し、海へとダイブするのは間違いない。

 

 助手席で運転を制御しようと試みるのは、運命を作り替えると誓った陽介。崖から落下せずに停止させる方法は無いかと、マニュアルを何度も読み返している。

 

 だがしかし、マニュアルに緊急停止の方法が載っているはずがない。ブレーキペダルを踏み込んでも、メーターは虚しく加速していく。

 

 残された手段は、彩を抱きかかえて芝生へと身を投げる事。人生最期になるかもしれないハグをして、固い地面に身を任せるのだ。荒療治には持ってこいだ。

 

「……嘘をつくにしても、もっとバレにくいウソにしような……? 将来、通信教材とか交わされるタチだぞ、それ……」

『……勉強……、陽介が……』

 

 解読不能の彩語を翻訳してみると、勉強の材料は陽介だけで十分だということらしい。磁気布団や必ずもうかる株を高値で掴まされる人種は、正に彼女の種類を言うのである。

 

 社会は、角の立たないスポンジで出来ているのではない。何気なく手をついた地面が崩落するなど、日常茶飯事の世界である。竜巻が局地的に大暴れし、身を守れなかった弱者が天高く舞い上げられてしまう。

 

 無知で身体をさらけ出そうものなら、外敵の餌食。ご馳走よろしくフォークとナイフで裁かれてしまう事だろう。彩の歴史は、儚く消え失せるのだ。

 

 彼女が抱え込んだ金庫を、早く開錠したい。重い扉を開いて、本心を引きずり出したい。身に詰まった願望が膨れ上がり、ベルトコンベアーを逆走するように駆け足になった。インターホンの砦に隠れて姿を現さない彩がもどかしくて、ロケットランチャーを二階へ発射しそうになる。

 

 ……もう、放課後だから……。

 

 勝負の二週間は、もう火蓋が切られた。長い長いマラソンが、始まったのだ。

 

 二人三脚で勝負するこの競技は、相方がやる気にならなければ話にならない。彩と足をひもで結び、息を合わせてゴールへたどり着く。苦難の呪縛から解放するには、これしか方法が無いのである。

 

 応答口を、拳で催促してしまった。闇金の取り立てとそう違わない、乱暴な手段だ。守りを固められて警察を呼ばれれば、弁解のしようがない。

 

『……壊さないで……? 弁償……ぶんどる……』

「それは財布に痛いな……。……開けて欲しいって言ったら、開けてくれるか……?」

 

 今秋発売の漫画資金がパーになっては、何のために月額課金を抑制してきたのか分からなくなる。柱と交友を同時にへし折るのはやめておこう。

 

 陽介は、待ちきれなかった。彩が引きずる重りを切り離せると考えると、筋肉が無駄なエネルギーを浪費する。中学二年生に戻った気分だ。異世界に憧れてトラックにはねられようと思案した、馬鹿の巣窟に。

 

 ……せかしたら、逆効果な気も……。

 

 待ち人の心理を逆手にとって、ここの住人は巧みに困らせようとしてくる。会いたい気持ちを増幅させ、メーターが振り切れたところでようやく謁見を許可するのだ。自身へ好意が向くよう、仕組まれている。

 

 いっそ、帰ってしまうのが良いのだろうか。鈍器でお花畑頭を殴りつけ、後日訪れるのが最善策になるのだろうか。

 

 ……いや、一日だって無駄にしたくない……。

 

 時は金で買えない。大金持ちが不老不死を望んでも、若い時間は戻ってこない。不可逆的な変化の流れで、この世の生物は過ごしている。

 

 今日を含めて、きっかり二週間。彩が『留年』の刻印を額に埋め込まれるタイムリミットだ。最低限、授業を受けなければ機械的に進級の道が閉ざされる。

 

 それで、彩はいいのか。甘んじて受け入れられるのか。

 

 何にせよ、現実世界を諦めてもらいたくない。残酷なまでに冷ややかなリアルも、案外なんとかなる事実を体験してほしい。それで尚彼女が変化を希望しないのなら、それは店名である。

 

 沈黙があって後、インターホンの主は口を開いた。

 

『……開けるから……、逃げないで……』

 

 人食いライオンと対峙した、華奢な少女の命乞いだった。ここ数日間彩も心境が混沌としているのだろうか、普段と様相が異なっている。

 

 軋みを立てて、絶対防壁が開く。陽介は、玄関への通行権を得た。

 

 覗かせた彩の顔色は、土を被っていた。

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