折紙は回らない頭を必死に振り絞りながら、随意領域で精霊の攻撃を何とかいなす。
先程士道を撃ち抜いたそのショックからかいつも通りに立ち回る事が出来ない。
いや、立ち回れたとして自分はここから生きて帰れるだろうか?とそんなことを考える。
「おわあああああつ!!!!」
十香は大剣を無茶苦茶に振り回して敵を倒そうとする。泣き声と叫び声の交じった咆哮を上げながら。
それでも暴れ狂う精霊の攻撃を何とかかわせるのは、敵が冷静さを失って大立ち回りをしているからだ。
『折紙!』
「ッ!?」
仲間から警戒の声が聞こえる。
相手の剣の一撃の余波が彼女の体を打った。その衝撃が一瞬、ほんの一瞬だけ領域が弱まった。
それは小さな隙でも殺し合いの中では致命的だった。
大剣の一撃、暴力の権化が折紙の体を穿ち、地面へと叩きつけた。
「あ」
彼女がそう認識した時には痛みすら麻痺する程の激痛が襲っていた。
インカムから仲間や同僚達の必死な呼びかけが流れてくるが、それを彼女は遠い所のように感じた。激痛が遅れて届き容赦なく意識を刈り取ろうとしてくる。
激痛を感じているが故に意識を手放すことすらできない、そして痛みを感じるということは裏を返せば随意領域が解けているということでもある。
「終われ」
精霊が自分に向かって大剣を振り下ろそうとするが、もう動けない。
間違いなく己の命を刈り取るであろう一撃を見ても、彼女は動けない。
ただ空を背景に精霊を見る。相手の表情はひどく悲しそうだとそう思った。
それがもし士道の事で歪んでいるのなら。
きっとこれは天罰なのだろう。
「…え?」
折紙の視界の端に小さな人影を見つけた。だがおかしい、夕焼けの空に人影が見えるなど。
「十ぉぉぉ香ぁぁぁああああああ!!!!」
悲鳴にも似た叫び声。
だがその声は先程、折紙が自ら撃ち抜いて殺めてしまったはずの相手。
「ぎゃああああああっ!!」
『ひゃっほーっ!』
士道は叫びながら、そして士織はまるでスリル満点のアトラクションを楽しむような声で、世にも奇妙なパラシュート無しのスカイダイビングを敢行していた。
一応随意領域の力で重力を中和できるとは聞いているが、
彼は琴里から十香を止めるとっておきの方法を聞いた。正直それは到底信じられなかったが、とにかく十香のそばに行かなければならない彼は話に乗った。
「な、何でそんな余裕そうなんだよおおおっっ!?」
彼は何やら楽しそうな相手に尋ねた。一歩間違えれば自分だってミンチになるというのに。
『いざって時は痛覚遮断出来るから!』
「汚ねぇ!?」
とんでもない外道だった。まさかここに来て新たな情報を提供してくるとは。
彼が叫び声を上げていると体にかかる重力が軽減される。
フラクシナスの顕現装置から発されるサポートによって反重力のような力が働いたのだ。
「……?」
聞き覚えのある声を拾った十香は振りかぶっていた剣を止めて声のする方向、上を見た。
士道が彼女を顔をここで初めて見た、涙でぐしゃぐしゃになったせっかくの美貌をドブに捨ててしまっている。
そしてそのそばには明らかに瀕死だと、素人目でも分かってしまうほどの状態でズタボロにされている折紙。
そしてその彼女の表情には驚愕を超えて疑問符が貼り付けられている。
「シドー?」
状況をまだ理解できていない様子の十香。
撃たれて死んでしまったはずの相手が何故か空から降って来る。その光景に対して冷静に分析しろというのが無理な話でもある。
「よう…十香」
士道は顕現装置の力と、宙に浮いている相手の肩に手にかける事でその場にとどまり、相手と視線を合わせてそう言った。
あまりにも気の利いていないセリフだった。けれどそんな飾らなさが五河士道らしさとも言える。
「ほ、本物か…?」
彼女の口から出てくる至極当然の切り返し。
「本物…だと思うぞ」
それはとても情けない言葉だった。
傷が瞬時に治ったり、生き返ったと考えるよりは、クローンのような体を用意して意識だけ移しましたと言われた方が納得感はある。
『士道!』
二人が感動の再会を果たしていると士織が何かに気が付いて声を荒げた。
「は、なん…」
何なんだよと返す前に彼の視界に力強い光が溢れだした。
「な、なんだこりゃ…」
十香が振り下ろすのを止めていた巨大な大剣が真っ黒な輝きを放っているのだ。
それはまるで辺り一帯の光を奪い暗闇で覆いつくさんとしているようだった。
力強く美しいと感じるはずなのに、それと同時に途方もない恐怖を与えてくる。
「ッ…!しまっった…!…力を…」
十香が苦悶の混じった声を漏らすと同時に、剣から光が雷のように漏れ出る。
士道はそれが良くない兆候である事は分かった。
「どこかに放出するしかない!」
「何処かって…」
二人の視線が地面に向かう、厳密には倒れている折紙の方へ。今にも死にそうなほどの瀕死っぷりで、力をぶつけようものなら死亡確定だ。
「だ、ダメだぞ!あそこに撃っちゃ…!」
彼は当然の如く止める。
「ではどうしろというのだ!?」
そのやりとりをしている間も彼女の握る大剣は黒い雷が不吉にも漏れている。
「あ、あのだな十香…」
「なんだ!?」
彼の気まずそうな口調に対して、十香は苛立ったように返してしまう。
『士道、もっと男らしくハッキリと言わないと』
士織はどこかヘタレでいる相手を脳内で煽る。
「どうにか出来る…かもしれない!」
「なんだと!?一体どうするのだ!」
「いや、それは…」
琴里に教えてもらったその方法はあまりにも根拠が無く、突拍子もないものだった。
「早くしろ!」
「…ッ!」
解決方法を話すことに対して躊躇っている相手に対して、彼女は苛立ちを見せる。
その状況に対して我慢の限界が超えている人物が一人いた。
「俺とキスをしよう」
「そう…って勝手に言うなよ!?」
『時間無いし』
勝手に口を動かした士織を咎めるが、問題の相手はそれがどうしたと言わんばかりだった。
キスという単語を聞いた十香は眉根を寄せていた。非常時にキスなどと言われたらそれはふざけているのかと受け取られてもおかしくはない。
「い、いや今のは…」
相手の不機嫌メーターが上昇したと感じた士道は、情けない事だが慌てて弁明を図ろうとする。
「キスとは何だ!?」
「えっ」
その返しに彼は肩透かしを受けてしまう。
冷静に考えれば人間社会の常識以前に、どこで生まれてどのような意義を持っているのか不明な生命体である精霊。キスを知らなくてもおかしくはないのか。
「キスとは何だと聞いている!」
「えっ、あ、キスってのはな…こう唇と唇を合わせて―」
彼が全てを言い切る前に彼女は自分の口を無理矢理相手の唇へと押し付けた。
◎
「以上が今回の件の全容です」
琴里は薄暗い部屋で報告を終えた。内容は精霊の力の攻略と回収について。
この部屋には彼女以外誰もいない。それを聞き終えた相手達は部屋の中にあるスピーカーを通じて返事をする。
『まさか本当だったとは』
相手の驚きの混じった声。
「だから言ったではないですか、士道ならやれるって」
彼女は腕組みをしながら自身満々にそう言った。
あの後、キスをした十香は力を失った。厳密には力を士道に吸収されたのだ。
それは殲滅ではない新しい精霊攻略の在り方であった。
『君の証言だけでは信憑性が無かったのだよ。封印に自己蘇生、彼は何者だね』
その後も不毛なやり取りが続いた。
五河士道は何者なのか。何故精霊の力を封印する力を持っているのか。封印する事にリスクは無いのか。力を封じられた精霊に問題はないのか。精霊の力を吸収したであろう士道に異変はないのか。
それに対して琴里は自分が答えることのできる知識を可能な限り噛み砕いて説明をする。
だが内心このやり取りをバカだと吐き捨てていた。既にこの質問は何度もしているからだ。
『とにかくご苦労だったね五河司令、素晴らしい成果だ。これからも期待しているよ』
その声がスピーカーから聞こえると彼女は初めて敬礼をした。
◎
月曜日の朝、学生は今日から始まる憂鬱一週間を思ってすっかり気分が落ち込む。
士道はすっかり修復された校舎で物思いに耽っていた。
「はぁ…」
彼はここ数日、自身の身の回りで起こったあれやこれやを思い出していた。
精霊という存在とそれを殲滅せんとする組織、そして対話で解決しようとするラタトスク機関。その全てが夢だったのではないのかと錯覚しそうになる。
『あ、因みに十香のあれこれは全部夢じゃないよ?』
「…分かってるよ」
『キスした事もね』
「ブッフ…!ゴホッ!」
士織のイジリについ分かりやすく咽せてしまう。
クラスメイト達は突然騒がしくなった彼を見て怪訝そうにするが、すぐに興味がなくなったのか視線を外してしまう。
(余計なこと言うなって!)
彼は皆の視線が外れたのを確認してから体の同居人に話しかける。
『さっきから指で唇をなぞってたくせに、やーらしー』
「んな…」
彼女に指摘されたことは無自覚だったようで顔を真っ赤にする。
『てか、もう三日目!いつまで余韻に浸っているのさ』
彼女は呆れたようにそう言った。
あの日から既に三日が過ぎた。彼がキスをして十香と名前をつけた精霊の力を封印してから。
あの日以降十香と会えないでいる。理由は検査だとか、常識を教えるとかで会う機会を作れないでいる。
そこでガラガラと扉が開く音がする。
「!」
士道は視線を向けた先にいる人物を見てつい息を呑んでしまう。
そこにいたのは包帯でぐるぐる巻きになっている折紙だったからだ。
顕現装置を使えば余程の傷で無ければ完治すると琴里から説明は受けていた。それでもなおミイラのような風貌という事はそれだけ重い傷だったという事。
彼女はふらついた頼りない足取りで士道の元へとやってくる。
彼の前に立つ彼女の気迫は有無を言わせない威圧感がある。まるで玉砕覚悟の戦士のような。
『え、なんなのこの人…』
士織は死にかけの相手を見てドン引きしていた。
(だ、だよな。そうだよな)
とても常識的なリアクションに士道はつい安心してしまう。自分の感性は間違っていないのだと。
「よ、よう鳶一…無事そうで何より」
士道はなんとか言葉を絞り出す。
精霊の事、そして折紙の立場と負傷の理由は話してはいけないのは分かっているため曖昧な言葉を投げるだけに留める。
「んな…」
『は...え?』
彼女が腰を折って深々と頭を下げる。それを見て彼は驚きの声をあげた。
「ごめんなさい、謝って済む問題ではないけれど」
この教室内でその意味を理解できたのは二人の五河だけだった。
ラタトスクの説明であの日士道が庇って撃たれた銃弾を放ったのは折紙だったと教えてもらっていた。謝罪はその事についてだ。
正直、折紙がこの衆人環視の中で謝罪するのは相当なグレーゾーンではある。
彼女がそれを理解出来ないはずはないのだが、負傷を押して登校したところから心の中の罪悪感の方が守秘を上回ったのだ。
「ちょ…ちょっと」
クラスメイト達の視線は士道と折紙の二人に注がれる。彼としてはそんな理由で注目は御免被りたい。
彼は首だけ向けていたのを改めて体ごと相手に向ける。
「いいから、頭を上げてくれ…」
なんとかその一言を絞り出した。
それが貧困なボギャブラリーと経験値、そして対応力から何とか出せるセリフだった。
相手のそのセリフを聞いて折紙すぐさま頭を上げた。だがグイッと彼のネクタイを握って顔を近づける。
「浮気は駄目」
相手の目をじっと見つめてそう言ったのだ。
そんな一言を発してしまえば周りの勘違いが加速するのは間違いないはずで、教室内はざわついている。
「はーい、皆さーん。ホームルーム始めますよぉ」
気まずい空間を砕いたのは教室に入ってきたタマちゃん先生だった。
「と、鳶一さん?何をしているんですか?」
教室がいつも以上に騒がしい事、その渦中にいる人物に話しかける。
折紙は先生にそれとなく咎められた事で、相手のネクタイを手放して小さく「すみません」と謝ってから自分に割り当てられた席に座った。
問題は彼女の席は士道の真隣の為彼の心労はあまり変わらないという事だ。
『折紙さん、意識を一切士道から外さないんだけど…』
「おおぅ…」
頭を抱えたくなる。
それはまるで肉食獣が獲物である草食動物を逃すまいとロックオンしているようで、薄ら寒い恐怖のようなものを感じる。
「は、はい。皆さん席に座りましたね」
岡峰教諭はいまだにざわついている不穏な雰囲気の教室に呑まれそうになりながらも何とか手綱を握ろうとする。
「そうそう!今日はサプライズがあるの!入ってきて!」
「ん」
その言葉に反応して扉の先にいる人物が反応する。
「な…」
「……」
扉から出てきた人物を見て士道と折紙は驚きのあまり息を呑んでしまう。
「今日から世話になる夜刀神十香だ。よろしく頼む」
当の本人はそんな驚きなど知った事かと堂々の教室の扉から入って皆の前に体を晒す。
そしてその装いは来禅高校の女子制服、それが意味するものは明らかだった。
皆がそのサプライズによってざわつくのなど知った事かとチョークを手に取って黒板に自分の名前を書く。
とても下手くそな字で「夜刀神十香」と書かれている。本人はとても満足そうに見ていた。
『前は黒板を削り取ってたのに』
(確かに)
士織の指摘に士道は確かにと、目の前に押し寄せてくる疑問を一時忘れて感慨深い気持ちになる。
(いやいや!何で十香がいるんだよ!?)
『琴里が手を回したんじゃない?』
士織がどうやって精霊が身分証明の必要な学校という機関に入れるのか、彼女が分かるはずもない。きっとラタトスクが権力を使って暗躍したに違いない。
『あ、ほらほら。十香がこっち見てるよ?』
「おお、シドー!会いたかったぞ!」
彼女に取って数少ない顔見知りを見つけて、分かりやすく顔を緩める。
その笑顔に男だけでなく女性陣もハートを撃ち抜かれる。それはもう反則的な可愛さだった。
ただそれを向ける相手は五河士道ただ一人だが。
彼女は目的の相手のもとへとすり寄る。その影響で彼は一気にクラスの注目を集める。
「十香っ何でお前っ…てか名前…」
聞きたいことが多過ぎてしどろもどろな質問になってしまう。
「ん?ああ、あの令音とかいう女が用意してくれてな。あと検査とかいうのもやっと終わった。もう私がいるだけで世界は啼かなくなった」
彼女は疲れたような息を吐いて肩を回すジェスチャーをする。そんな仕草どこで覚えたのだろう。
「あいつらっ…!」
だが彼は頭を抱える。
十香を自由にしてくれるのは有り難いのだがなぜ黙っているのか。
『わお、サプライズ』
(そんなサプライズはいらん!)
楽しそうにカラカラと笑う士織につい突っ込んでしまう。
「何だシドー、元気がないな?」
「あ、いやだな…」
あまりにも相手がグイグイ来るものだからつい怯んでしまう。
「ああ、もしかして私がいなくて寂しかったのか?」
恥ずかしがる風でも揶揄う感じでもなく平然と十香はそう言ってのけた。
彼女のその爆弾発言で教室は一気に沸いた。
『正解!』
「う、うっさい!」
士織が揶揄うのだが問題は士道の返事だった。
つい頭に血が上ってしまい、それを口に出してしまったのだ。「うるさい」が十香に対する返事みたいではないか。
「なんだつれないな」
特に機嫌が悪そうな感じはなかった。
運が良いのか幸いか、彼女は士道という人物が照れた時につい荒い口調になる事を知っているからか、自分の事を嫌っていると解釈はしなかった。
あとは外出できてテンションが上がっているのか。
「あの時はあんなに荒々しく私を求めてくれたというのに」
どうやら十香爆弾発言はまだ弾数を残していたようで、教室中がお祭り騒ぎになる。頬を染めながら恥ずかしそうな仕草でその発言は間違いなく事案だ。
きっと今日の放課後には士道の名前は学校中を駆け回っているはずだ。
『そうか、琴里や令音さんがキスの意味を教えたんだね』
(んな…)
相手の態度はキスをただ唇をくっつけるだけだとは間違いなく捉えていない。
『キスが性愛や親愛のシンボル的な意味を持ってるって教えたんだと思う』
(厄介すぎるだろ!…嘘ではないけど…でもあれは災害救助とか人助け的な感じだろ!!)
『いや、それは私も分かってるよ?でも十香はそうは思ってないってこと』
(く、くっそ…!)
士道はこれ以上、士織に対して弁明しても何も自分を取り巻くこの状況が良化しない事に気がついた。
「ち、違うだろ!そんな言い方したらみんな勘違いするだろ!?」
彼は席を立ち上がって何とか話の軌道修正を図る。
「ぬ?違うというのか?私は初めてだったというのに…」
もう完全に勘違いが事実に上塗りされてしまう。
もはや士道がムキになって口を開けば開くほど状況は悪化していく状態に。
「む?貴様何故ここにいる」
「それはこっちのセリフ」
士道が苦しむのも無視してついに精霊の十香と魔術師の折紙の目が合ってしまう。
まるでお互いの視線が熱を持つレーザーのように交錯して、教室の温度と緊張感が一気に高まる。
「おおう…」
彼は頭を抱える。
誰一人として欠けることの無い最高のエンディングのはずなのに如何してここまで頭が痛いのだろうか。
『人生って修行だよね。これからもがんばってモテ男』
士織は面白いものを見たような楽しそうな口調で、テキトーな応援を送った。