《ちょっと濁り気味のスカジ》
ある日、今日も今日とて仕事をしようと執務室に向かったドクター。今週の秘書を頼んでいた子が出張で一日いないため、少し残念な気持ちだった。
部屋の扉を開けると、はかない歌声が執務室より聞こえて来る。
「だれかいるのか?」
ドクターの言葉に、執務室で歌っていた人物は反応して振り返る。
「ドクター……」
「スカジ?」
白銀の髪が朝日に照らされキラキラと輝いて見える。ソファーの上にへたりと座り込み、いつもの赤い目とは違う、やや濁った目がドクターを見つめる。
「ど、どうしたんだスカジ?」
いつもと違う雰囲気に、ドクターは動揺しながら聞く。
「ああ、ドクター。ようやっと話せた。私はあなたをこんなに求めていたのに、あなたはいつもほかの女といる……」
スカジは両手をドクターの方へと伸ばす、気迫に押され、ドクターは一歩後ずさる。
その動きを見て、スカジは目を見開く。
「私から逃げるの? 私が、化け物だから怖いの?」
「い、いやそう言う訳じゃない。どうしたんだスカジ? いつもと様子が違うぞ……?」
ドクターの問に、スカジは顔を伏せて答える。
「先週から、グレイディーアとスペクターが討伐依頼を受けて、イベリアへ出張している。話し相手を探して、あなたをずっと探していた」
ドクターは先週の出来事を思い出す。
アーミヤと執務をこなしてランチを取り、ケルシーと研究成果の精査をしながらお茶をした。
リスカムとフランカに護衛を頼んで龍門まで貿易の交渉を行い、ジェシカと途中で合流し、スラムの暴徒鎮圧を手伝った。
仮眠を取って目覚めたらとなりにグラベルがいて、その現場をアーミヤに見つかり怒られた。
ケオベが遠征から帰って来たので、報告を聞きながら頭を撫でてやった。
ブレイズ、チェン、ホシグマが部屋に押しかけてきて晩酌を交わしていたら、今度はケルシーに見つかり全員まとめて、健康についてのお説教を受けた。
ミヅキに依頼を頼みに行ったら、一日レトロゲームに付き合わされ、徹夜でアーミヤに溜まった執務をさせられた
「ドクター? 誰が遊んでいたからこうなってるんですか? まだ、休んじゃだめですよ?」
そう詰め寄られたドクターは、しばらくアーミヤが恐ろしかった。
こうドクターが思い返してみると、確かにスカジと一度も話すどころか、会ってもいないことを思い出した。
「でもあなたは、ずっと他の女と一緒にいる。それに、私よりも化け物に近いシーボーンとも一緒にいた。なのにどうして、私を遠ざけるの?」
ドクターは頭を抱える。スカジがこのようなことを口にすることは初めてだった。それに、日ごろの態度や口ぶりを見ても、ここまで病んでいるスカジを想像することは難しかった。
スカジが異常な状態であることを認識したドクターは、素早く頭の中で理論を組み立てた。
(今のスカジは、自分に会えない、話せない状態にストレスを感じ、異常な状態になっている。ならば、それを埋めるようにスカジの望むことを叶えてやれば、ストレスが緩和され、いつものスカジに戻るのではないだろうか?)
この結論が出るまで僅か0,03秒、持前の頭の回転の速さを生かして、ドクターはそう結論付けた。
「すまないスカジ、だが君を遠ざけていたわけじゃないんだ」
スカジが伸ばす手を、今度はしっかりとドクターは握る。
「本当に?」
スカジの濁った瞳は、瞬きすることなくドクターの目を見つめ続ける。
「ああ、本当だ。一度も君との時間を作れなくてすまなかった、今からでよければ、君が望むことをしてあげよう」
ドクターの言葉を聞いて、待ってましたと言わんばかりに、スカジはドクターへと飛びついた。あまりの勢いによろけるが、なんとか踏ん張って、ソファーに腰を下ろす。
「ドクター、ああ、ドクターの匂いがする。求め続けた、あなたの匂い」
そう言いながら呆けた顔で、スカジはドクターの身体を抱きしめ、身を震わせる。
「あなたも、私のことを抱きしめて?」
「わ、分かった」
理論立ては出来たものの、いざ頼まれたことを実行しようとすれば難しい。ドクターは自分の理論が甘かったことを後悔しながら、ぎこちない動きで、スカジの背中に手を回した。
スカジの頬が紅潮し、ドクターを抱きしめる手が強くなる。
「私は、あなたの望む人であれているかしら?」
「それは、どうゆう……?」
「あなたは私のこと、好き?」
ストレートな質問に、ドクターの身体が硬直し、同時に思考も一瞬フリーズした。しかし流石のドクター、戦場で生かされる脳をフルで使って、ベストな返答を思考する。
「ああ、友人や部下として、非常に好ましく思っているよ」
「そうじゃないわ」
間髪入れない返答に、ドクターはビクッと体を震わせる。
「私は、あなたが添い遂げてもいいと思える存在であるかしら?」
ストレートどころではない豪速球を食らって、ドクターはノックアウト寸前まで追い込まれる。主に精神が。半場反射的に、ほぼ何も考えず、ドクターは言葉を繋ぐ。
「どうして、そんなことが気になるんだ?」
スカジは切なそうな顔をしながら、ドクターのフードを外し、マスクを取る。脳が死にかけているドクターは、それを止めようとはしなかった。
「私と添い遂げれば、あなたは一生私の側にいてくれる。これまで大切な人たちを失うことで生まれた悲しみも、これから生まれてしまうかもしれない悲しみも、あなたが一生側にいてくれれば、埋めることが出来る」
すべすべで消えてしまいそうなほど白い手が、ドクターの頬を撫でる。
「いつか、あなたも消えてしまうかもしれないもの。私は、いえスカジは、添い遂げることを望んでいるわ」
「……お前は、誰だ?」
一瞬感じた違和感に、ドクターの視線は鋭くなる。
「流石に気づくのが早いわね、ドクター」
不敵に微笑むと、スカジ? はドクターの耳に顔を近づけ、消え入りそうな声で歌う。脳を溶かし、人を海へと誘う歌。理解できない、悲しい歌だ。
「スカジを返してくれ」
「別に乗っ取るつもりはないの。私はスカジだし、スカジは私。今はちょっとストレスを抱えているみたいだから、回復のために私が強くなっただけ」
ドクターはスカジ? を膝の上から退かそうとするが、より強い力で体に抱き着く。
「お願い、離れないで」
ドクターは、スカジの声を聴いて、混乱を抑える。自分がなんとかしなくてはならない。スカジを引っぱり戻さないといけない。
「あなたまで、私の前からいなくならないで」
「勿論だ、君がロドスに居続ける限り、消えたりしない。それに、君が守ってくれるだろう?」
その言葉に、スカジの瞳の濁りが少し薄れる。スカジ? の気配も、薄くなっていた。
「そう、ね。私が、あなたを守るって約束したものね。あなたが頑固に、私との距離を詰めて来るから、私も全力であなたを守るしかなくなった」
また少し濁りが薄れる。もしやこれは好機なのでは? と考えたドクターは、言葉を続ける。
「いつもの君はとても頼りがいがあって、難しい任務でも、君に任せればしっかり片付けて、無事に帰ってきてくれるという信頼がある」
自身の膝の上から退かそうとするのを止め、ドクターはスカジの肩を掴む。
「君は優秀で、信頼できるオペレーターの一人、ロドスの一員だ。いつもありがとう、スカジ。そして、これからもよろしく頼むよ」
そう言うと、瞳の濁りは一気に晴れ、呆けた表情も、いつもの凛々しい顔へと戻って行った。しかし、現在の姿勢を見て、ふたたびその表情は紅潮した。
「わ、私は一体何を……?」
落ち着いたトーンの裏に、確実に焦りを持った声を発しながら、スカジはドクターの膝から離れた。
「ごめんなさい、私、どうかしていたみたい……」
あわあわと歩いた後、ドクターと向かい側の席に、縮こまるようにして座った。
「正気に戻った、と見て大丈夫かな?」
ドクターの質問に、帽子を深く被り、こくんと頷く。
スカジがここまで照れている姿を見たことが無かったドクターは、(日ごろはヒグマのように戦っているのに、今日は小動物みたいだな)と、一人思う。
「まあ、それならよかった。それじゃあ、私は仕事を始めるから、スカジも自分の時間に戻るといい」
席を立とうとすると、スカジがドクターの袖を掴む。
「どうした?」
掴んだまま離さず、何も発しないスカジ。
「――――――」
ぼそぼそと帽子の下から言葉が聞こえたドクターは、スカジに顔を寄せる。
「なんて?」
「あの―――添い遂げたいっていうのは―――忘れて」
消え入りそうな声で言うと、ドクターは軽く笑った。
「はは、そうか。まあスカジほど綺麗な人だったら、結婚しても幸せそうだがな、頼りがいがあるいい奥さんになりそうだ」
スカジの気持ちが晴れるよう、冗談めかして笑い飛ばそうとしたが、その言葉はスカジの心に今日一番のダイレクトヒットを加えた。
「……本当に?」
急に顔を上げて、まっすぐドクターの瞳を見つめるスカジ。袖を掴んでいた手は、いつのまにか腕を掴んでいた。
「スカジさん?」
「答えて。さっきの言葉、本当?」
ドクターは頷く。
「あ、ああ、本心だ。きっとスカジは、いい奥さんに―――」
その言葉を言い切る前に、スカジは自身の顔にぐっとドクターの顔を近づけ、帽子で二人の顔を隠す。
同じタイミングで、執務室の扉が開いた。
「ドクター、今日はエイヤさんが出張しているので……一人……だと思って……」
アーミヤが、手に持っていた資料をその場に落とし、笑顔が崩れていく。
「何をしているんですか、ドクター?」
スカジはそっと顔を離し、帽子を深くまでかぶり直す。
「いや、これは……」
「それじゃあ、私は行くわね。さっきの言葉、嬉しかったわ」
グレイディーアの戦場機動:卓越以上、に並ぶような速度で執務室を後にしたスカジ。そこには、サルカズの王の影を見せるアーミヤと、ドクターの二人が残された。
「ド・ク・ター? この前お仕事をほっぽりだして遊んでいて、あれだけ追い込まれたと言うのに、まだ懲りないんですか?」
「いや、今から始めようとしていたから! ほんと、すぐ終わらせるから!」
「もうお昼前ですよ?」
慌ててドクターは時計を見ると、確かに針は11時を過ぎた所だった。スカジとは、だいぶ長い時間抱き合っていた形になる。
「それに、さっきまでスカジさんと、何を話していたんですか?」
「いや、それは……」
「答えられないようなことを話していたんですか?」
「そうじゃ―――」
「ドクターは聡明ですから、もちろん、私に嘘が通じないことぐらい、分かっていますよね?」
畳みかけながら詰め寄るアーミヤ、ドクターは一歩ずつ後退るが、その後、執務室からは悲鳴が聞こえたと言う。
後日ロドスの掲示板には『右の者、減給に処す。ドクター:1ヵ月 スカジ:1週間』という張り紙がなされた。それを見たスペクターが、スカジに
「ドクターと何かあったのかしら?」
とからかった結果、訓練場の壁がぶち破られる事態となった。壁をぶち破ったのは、スカジの大剣に吹き飛ばされたスペクターだった。
ケルシーに怒られるスペクターとスカジ、そしてついでに、アーミヤに怒られるドクター。
今日もロドスは明日を目指し、テラを進んでいた。