《都市が陥落して零日目》
死んだ。
皆死んだ。
都市に住む住人も、ロドスに所属しているオペレーターも、ロドスと連携していた会社の者達も、アーミヤもケルシーも、皆死んだ。
「アレ」は恐魚を率いて、この都市へ総攻撃を仕掛けて来た。最後の絶対防衛線を死守するために、都市内で防衛線を築く時間を稼ぐために、ブレイズは一人で「アレ」に挑んだ。
「ドクター、後は頼むよ。私の可愛いうさぎちゃんを、悲しませたらダメだからね!」
ブレイズは、そう言って私を都市の中へ放り投げ、門を閉じた。
私たちが防衛線を築く間、チェーンソーの音は鳴り響き続けた。しかし、いずれは唸りが止み、遂に、音は途絶えた。
それと入れ違いで、都市の門はまるで水に溶けるように崩れ去り、シーボーンたちが、恐魚たちが中へ中へと入り込んでくる。
「アレ」は私を見つけると、声とも似つかない不快な音を立てて、私に向かって来る。それを、ケルシーのMon3trが迎え撃つ。
「アーミヤはドクターを連れて後方へ、前線は私が立とう」
ケルシーは私にそう言った。アーミヤは、自身がその役目を引き受けると申し出るが、ケルシーはかたくなに首を縦には振らなかった。
「私の願いは、ドクターとアーミヤ、君たち二人の願いを守ることだ。アーミヤ、ドクターのことを頼んだぞ」
そう言う間にも、防衛線を張るオペレーターたちはシーボーンに立ち向かい、Mon3trは「アレ」へと食らいつく。
私は、尚もケルシーへと手を伸ばすアーミヤの手に触れ首を振る。
アーミヤは力なく私の名を呼んだが、やがて、私の手を引いて走り出した。
私とアーミヤ、他数名のオペレーターは都市の中心、ロドス本艦にまで撤退した。艦内には収容した民間人が溢れ、負傷したオペレーターたちが治療を受けていた。
そこからのことは、あまり思い出したくない。
ロドスへ侵入してくるシーボーンたちに、民間人もオペレーターも等しく蹂躙される。ロドスの屋上、アーミヤは黒い王冠を被って、「アレ」に立ち向かった。
笑狂いながら槍を向けた騎士とは対照的に、静かに漆黒の剣を向け、アーミヤは「アレ」へ挑んだが―――
―――数分後、アーミヤの体は冷たくなっていた。
18に満たないロドスCEO、いや、コータスの少女の小さな体は、想像以上に軽く、幼く、脆かった。
アーミヤをじっと見つめた「アレ」は身を翻し、この地を去って行く。「アレ」が去って行くのと同じくして、町に溢れていたシーボーンたちは姿を消した。
この世界に、静謐が訪れた。
《都市が陥落して一日目》
目が覚めると、「アレ」は私のよく知っている者の姿で彷徨っていた。
歌声が聞こえる。
私の頭が揺れる。
本能的に、この歌声に耳を貸してはならないと察した。聞けばきっと、私は私でなくなってしまう。
気分を紛らわせるために、私はアーミヤの体を丁重に葬った。私の手でここまで体を運んだのは、フロストノヴァの時以来だろうか。あの時は、ロスモンティスが手伝ってくれた。
過去のことを思いだしていると、再び「アレ」の声が私の頭を揺らす。
「どこにいるの、ドクター?」
頭を抱えてその場に蹲った。
聞いてはいけない、「アレ」は彼女ではない。そう言い聞かせていた。そんな私の前に、「アレ」はいつの間にか立っていた。
「見つけた」
その声は、私の耳を通して聞こえて来た。顔を上げると、そこには彼女がいた。私は咄嗟に彼女の名を呼ぼうとしたが、彼女の瞳を見て口を噤んだ。
違う。
私の前に立っているのは「アレ」であって彼女ではない。彼女は、そんな濁った瞳をしていなかった。
《都市が陥落して七日目》
「こんな私が側にいたら、邪魔になるかしら? 散々な過去が蘇ってしまうかしら? あなたの……側にいることを許して欲しいの。時が来たら、こんな所からは、一緒に逃げ出しましょう。いいかしら?」
「アレ」は、そんなことを一言だけ漏らし、ずっと後をついてきた。問いかけには、何も答えずに。
寝ているとき──もし寝ていると定義できるのなら、「アレ」の胸は上下しているが、呼吸はしていなかった。本当に寝ているのかはわからない。「アレ」は睡眠など必要としないのではないだろうか。このような行動をとるのは、ただその方が私に似ているだけだからではないだろうか。
まだ考えている。「アレ」を殺すことは復讐と同義かどうかを。おそらく違うのだろう。彼女たち二人を殺したのは、この個体であるとすら言えない。見てくれ以外に、私が知る彼女とどれほど一致していると言えるのだろうか? 誰も答えを知らないだろう。
「アレ」の首を締めるほどの力が自分にまだ残っているかどうかさえわからない。全力で締め上げたいのに。
アレの首も柔らかいのだろうか?
死んだときは我々の死体と同じように硬くなるのだろうか?
もしアレが呼吸に肺を用いていないのなら、どうすればアレを手元の道具で窒息させることができるのかさえ、私には思いつかない。
アレが再び口を開いたときにようやく後悔した。喋らないでいてくれたほうがまだよかった。
「ドクター、昔のあなたは、こんな未来を想像したことがあったかしら? 今のあなたが、私に憎悪しか抱いてないとしても、そんなあなたの憎しみなんて、何ともないわ、ドクター。あなたが望むなら、ずっと、そうやって憎み続ければいいわ……まだ憎む力があるうちにね」
お前が私をドクターと呼ぶな。その名は、ロドスのオペレーターたちが私を呼ぶときの名だ。
「あなたの仲間――ケルシーとアーミヤは、あなたのことを、最後まで信じていいなんて言っていたけど、結局、他人を救える人なんていないわ。私は、自分の僚友を救えなかったし、あなたも彼女たちを救えなかった。私たちは全てを失ったのに、私だけが、新しい命と未来を手に入れた。そんなの、あなたには不公平よ」
寂しい。
彼女たちが恋しい。
「アレ」が憎い。
憎むべきだ。決して心を傾けてはならないはずだ。
いいや、ダメだ。「彼女」が、どれほど私が知る彼女に似ているとしても……絶対にダメだ。
また雨が降る。飲める水がまた減っていく。
この姿のまま死んだ方がマシだ。
「足掻いたことも、抗ったこともあるわ。だけど、それに何の意味があったの? 小さな命が遺した痕跡も、最後には、潮に掻き消されるわ。あなたは、私の最後の友人なのに、彼らみたいに、全てを失っても、海を拒むつもりなの? 昔の私と、同じになりたいの?」
「アレ」は、私が自身と、海と一体化することを望んでいる。だからきっと、殺さなかったのだ。それが「彼女」の望みなのか、彼女の人間性の名残なのか分からない。
だが……「アレ」は何かを口ずさんでいる。
理解できない。悲しい歌だ。私の心はすでに、腐食されている。
《都市陥落から――日目》
意識が朦朧としてきた、もう動けない。
私は今の今まで、人間として生きたつもりだ。
「彼女」は相変わらず歌っている。この声も、もう聞きなれてしまった。
「アレ」の声になれると言うことは、もう人間ではないのかもしれないが、私は、自身が人間であると信じたい。
少し首を動かし「彼女」の方を見ると、濁ったその瞳を私に向けて言った。
「私の剣は腐り落ちて、かつての僚友たちも居なくなった。身体を流れるのはもう血液じゃなくなったけど、それでも私は満たされてるわ。だって、海と一つになったんだから。ね、私と行きましょう? あなたの本当の姿が、波の奥深くで、待っているわ」
「彼女」はそっと私の手を握る。
ああ、綺麗だ。
「私の髪が長くて綺麗ですって? まぁ、そうね、ありがと……触ってみる? 柔らかくてサラサラなはずだから。これにはちょっと自信があるの」
そんな言葉が、私の頭の中を過った。
そうだ、彼女は自身の髪を誇りに思っていた。
くたびれた手を、彼女の髪へと伸ばす。彼女は、それを拒むことなく、穏やかな笑みで受け入れた。
その笑顔は間違いなく、私のよく知る。スカジのものだった。
【大いなる静謐END】