私は信じていた、アビサルハンターの彼女たちが、何事もなくイベリアでの問題を解決し、ロドスへと帰還することを。しかし同時に、最悪の事態も予測していた。狂人号を取り巻く一件、シーボーン、深海司教、そして、スカジ。杞憂であって欲しいと、いや、なくてはならなかったのだ。これが現実となれば、世界が終焉を迎えることぐらい簡単に想像がつく。
しかし、現実は残酷だ。私の最悪の予測は、見事に、いや想像をはるかに超える形で的中してしまった。慌てることもなく、ミヅキは私に告げた。
「イシャームラが、目覚めるよ」
私はすぐに支度を整え、ミヅキと共に海へと向かった。海は、怪しげな沈黙を貫いている。幸いなことに、私はすでにイベリアの海近くで待機していた為、すぐに海へと向かうことが出来た。
海の中へと入って行き、海の洞窟を進む道中ミヅキが私に、あるものを差し出す。なんとも禍々しい文字が連なったメモだ。
ミヅキが発見したファイルの中には、アビサルハンターたちを欺いて海へ連れ戻し、「アレ」を覚醒させる計画が事細かに記されていた。更にもう一つの「紺碧」と名のついたファイルには、司教が生涯にわたって研究していたシーボーンの起源と、ある一つの場所が記録されていた。
もう、時間は残されていないと、私とミヅキは、深海へと急いだ。
洞窟の奥には、一体の強力なシーボーンが、エーギルの都市と思われる廃墟を背に立ちふさがったが、なんとかそれを撃退し、廃都市の中へと入った。
足を進め、エーギル廃都市の中心部に位置する神殿へと近づいた。
「中で、待っているみたいだね」
ミヅキが何かを感じ取ったのか、私にそう言った。
どうやら、イシャームラはこの中で待ち構えているようだ。
覚悟を決めて、中へ入ろうとした時、私の視界に、海の砂と、壊れた人の像と、武器を握りしめた二人の永遠に眠れる美女の他には、何もない場所を見つけた。これだけ辺りはシーボーンたちに荒らされていても、この者達がいるここだけは、シーボーンが踏み入った痕跡は一つも残っていなかった。
最後の瞬間まで、アビサルハンターたちは人であり続けた。
シーボーンとしての姿のまま眠りにつくことはなかったのだ。私たちが離れた後も、この場所は恐魚たちに侵略されることなく、群れの中に一筋の傷跡を作り続けるだろう。
奴らがハンターたちの姿を胸に刻むことはない。しかし、この場所が永久に不可侵であることだけは、奴らにもわかるはずだ。
後悔はあったかもしれない。
心残りもあるのかもしれない。
いまだ怒りを抱えているかもしれない。
彼らの戦いに終止符が打たれた。
もう慌てふためく必要はない。安息の地はすでに用意してある。安らかに眠れ。
私は、ハンターたちの額に口づけをし、遺品を持っていく。眠ったハンター達の意思を我々で背負い、イシャームラに臨んだ。
神殿の中では、恐魚たちと触れ合う「アレ」の姿があった。その見てくれは彼女の面影を残すが、目が完全に濁り切っていることから、「アレ」は彼女ではない。
「アレ」は歌う。歌に合わせて魚たちは躍る。
踊る。
踊る。
ミヅキは海中の奥底にある、既に自らの意識を亡くした『蔓延の枝』と同化して、その力、「ファーストボーン」の力を借り、『腐食された心』イシャームラへと挑んだ。
これは、新しい世界が誕生して以来初めての、「ファーストボーン」同士の戦いだった。『蔓延の枝』がシーボーンたちを育てる母ならば、『腐食された心』はシーボーンたちを率いる父であろう。
大群は、この戦いの結末を静かに見守った。結果―――
―――イシャームラは敗北し「ファーストボーン」の資格を失って、大群の中の名もなき一部と成り果てた。
イシャームラは、ただのシーボーンへと、海の細胞へと還ったのだ。
ミヅキは勝利を手にしたが、まだ喜べはしなかった。それは目の前でもう一体の「ファーストボーン」、『始原の命脈』が狂いかけていたからだ。
深海司教たちの企みはもはや明らかだ。彼らは『大いなる静謐』の元凶たる『始原の命脈』を再び狂わせ、スカジの体内に眠る『腐食された心』を目覚めさせようとしている。
その二体が融合すれば、世界を滅ぼすほどの『大いなる静謐』が起こるだろう。
深海司教たちが待ち望んでいたエーギルの滅亡とシーボーンの時代の幕開けが、目前まで迫っているのだ。しかし、『始原の命脈』はイシャームラとは違い、シーボーンの存在を象徴する微生物の集合体であり海と一体化した存在であるゆえに、海を干上がらせない限り打ち負かすことは出来ない。
―――それでも、一つだけ……方法は残っていた。
海が深紅に染まり、静謐が近づいてくる。
たとえ命脈の狂気を沈め、大群の先導者となろうとも、その遺伝子に刻まれた進化と生前の本能を阻むことなどできはしない。確かに今のミヅキなら、大群を陸地から遠ざけることはできるだろう。だが、シーボーンの本能と大群の意識が目覚めてしまえば、ミヅキのもうけた制約は、いずれ効力を失うだろう。
十年は持つだろうか? あるいは一世代分は持つだろうか?
「僕も、保証はできないかな」
ミヅキは私に告げた。
ミヅキは海の中へと歩みを進めた。自身をあの『命脈』と同じ形に作り替えていく。それは、同胞たちの狂気を鎮めるためだった。
真紅の中へと、紺碧が広がる。
人としてのミヅキの身体は、少しずつ消えていく。
ミヅキはこちらを振り返りほんのわずかに、口元を綻ばせた。
波が押し寄せ、去って行く。
ミヅキの姿は、消えていた。
《ミヅキの思考の欠片、深海に沈む》
意識が溶けていくのを感じる。
大群は、イシャームラが消えた今、新たな統率者を探している。
僕は統率者には向いていなけど、この理性が続く限りは命令するよ。
――――これ以上拡大してはならない。人を恐れ、海へと還れ。